第132話 ~アルム廃坑⑨ 獄獣と騎士VSサイデル~
空中から襲い掛かる、無数の頭蓋骨達。背中を合わせて迎撃する剣を振るうシリカとユースは、互いの背中を信頼する者に任せ、左右と前方、上だけに意識を集めた戦いだ。喉元目がけて襲い掛かる犬の頭蓋骨を騎士剣で打ち払ったシリカは、直後斜め上から襲い掛かる熊の頭蓋骨に対し、柄の尻をぶつける形で応戦する。その反動で振るう騎士剣は、膝元目がけて襲い掛かる鳥の頭蓋骨を打ち砕く。
絶対的に信頼する人を後ろに持つユースにとって、前方死守の決意はいかなる攻撃も通さない。前から襲い掛かる猫と牛の頭蓋骨を薙ぎ払うように一気に打ち払うと、右から自分の頭に食らいつこうとする虎の頭蓋骨を、最低限の頭を下げる動きで回避。左脇腹に食いつこうとしてくる獅子の頭蓋骨を盾で殴り返すと、地表近くを滑って襲ってくる頭蓋骨を剣で一刺しにして粉砕する。
わずかな位置のブレはありつつも、互いの後ろを守る立ち位置を大きく動かさず、迎え撃つ陣形を最小人数で作る二人。だが、次々に襲い掛かってくる頭蓋骨達に応戦する中、地上に散らばった頭蓋骨の欠片がひくひくと震える光景には、シリカもユースも視野に受け取るたび焦る気持ちが沸く。
「ユース!」
ただ一言述べてその場から足を駆けさせるシリカのメッセージを受け取り、ユースも彼女に追従する。壁を背にして振り返ったシリカの隣に立ち、騎士剣を構えるユースの動きは、背後の守りを岩壁に担わせ、前に集中するぞというシリカの戦い方を、語らずして読み取ったものだ。
「そのままでいい! 粘ってろ!」
矢継ぎ早に襲い掛かってくる頭蓋骨達にシリカ達が応戦する中、その意識に割り込む太い声。離れた位置で、頭蓋骨達の親玉と組み合う同盟の将は、二人に背を向けたままそんな言葉を発していた。
「爆閃弾」
サイデルの頭部が、至近距離の獄獣ディルエラの顔面目がけて炎を吐こうとした瞬間のことだ。魔力を集めたディルエラの左掌が炎を殴りつけた瞬間、凄まじい爆風が発生し、サイデルの放つ炎を一気に押し返す。サイデルの頭部が大きくのけ反り、その隙を見逃さないディルエラの右腕が握る巨大な戦斧が、直後サイデルの胴体を勢いよく横殴りにする。
切断という概念を通り越して、斧の通過する軌道上にあるものを粉々にしていくその攻撃力に、肋骨で守られた背骨まで達した斧が、長いサイデルの脊髄を粉々に砕く。だが、頭から離れた背骨の下部がそれではたらきを終えることはない。吹き飛んだサイデルの頭に近い部分を無視し、無数の骨の腕を持つサイデルの下半身は、腕の先についた鋭い鎌を振り回してディルエラに襲いかかる。
巨体たれど素早く一歩下がったディルエラに対し、あらゆる方向から差し迫る5本のサイデルの鎌が空を切る。やや遠めの位置を切り裂こうとしていた、もう1本のサイデルの鎌は、ディルエラの腕に突き立てられた。
「痛ぇな、この野郎」
にやりと笑いながら一言の文句だけ言い、サイデルの鎌が突き刺さった腕に力を込めるディルエラ。人間よりは遥かに強い力を持つはずのサイデルの腕が、筋肉に締め付けられた鎌を引き抜くことも、肉を裂く動きも出来ずに硬直する。腕に刺さった鎌を容易に握り潰したディルエラは、巨大な戦斧を振り、目の前で交錯する数本の鎌を、一気に薙ぎ払った。斧に当たった骨は瞬時にバラバラになり、地面に骨の欠片として散らばっていくのみだ。
さらにサイデルの背骨を左手で握ったディルエラは、サイデルの下半身を引っ張る。肋骨を自らの眼前に引き寄せたディルエラは、斧を背負い直し、背骨を離した左手と空いた右手で、目の前の肋骨を掌で思いっきり挟むように叩く。絶大なパワーを持つディルエラの挟撃は、サイデルの無数の肋骨を、まるで菓子を粉砕するように粉々にした。
うろたえるようにくねるサイデルの背骨を握る一方、サイデルの体を離れた鎌が後方から自立して襲い掛かる気配をディルエラは見逃さない。に払った後ろ蹴りで鎌を叩き砕くと、サイデルの背骨を大きく振り回し、横に散らばるサイデルの骨腕に勢いよく叩きつけるのだ。獄獣のパワーで地面に叩きつけられた背骨は一気に砕け、背骨を構成する一つ一つの骨も、ディルエラが踏み潰して粉砕する。
地面に残ったサイデルの骨盤を握り締めたディルエラは、遠方に逃れたサイデル大本体の頭目がけて、それを投げつけるのだ。流星のように、かつ的確なディルエラの投擲を受け、サイデルの頭部が叩き割られたのがその直後。ひび割れ欠けて揺らぐその頭に、ディルエラがもう一発、背骨を構成していた骨の一つを投げたことで、サイデルの頭が完全に粉々になった光景がすぐ後に続く。
「おう! お前ら、ちゃんと避けろよ!」
ディルエラの方など気配る余裕もないシリカ達目がけ、声を放つディルエラ。その手に握る魔力の凝縮体は、そんなシリカ達の肌にも振動らしきものを届け、鳥肌を立てさせるものだ。
「列砕陣!」
魔力を込めた拳を地面に叩きつけたその直後、そこから地面を走る凄まじい衝撃波が、地面を跳ね上げシリカ達の立ち位置目がけて駆け抜けていく。ぞっとするような破壊の波が自分達に向かい来ることを、先の宣言で聞き受けていたシリカ達は、なんとかその軌道範囲外に身を逃すことで、ディルエラの放つ衝撃波を回避する。
地上に転がっていたサイデルの破片、頭蓋骨の数々は、衝撃波に飲まれて砂ほどまでに砕かれる。衝撃波が巻き上げた岩盤により砕かれた頭蓋骨も多い。復活しようとしていた頭蓋骨や、まだまだ元気に動いていた頭蓋骨をまとめて粉々にしたディルエラの一手は、サイデルの駒の復帰を遅らせるためのもの。
「ボサッとしてんなよ、お前ら! 全部同時に砕かなきゃならねえっつったろ!」
地上の頭蓋骨達が復活するまでの時間を稼ぐため、上空に逃れようとする頭蓋骨たち。それを目がけて背中に背負う大戦斧を投げつけるディルエラが、数個まとめて敵を粉砕する。その後何をするのかと思えば、今度は自分自身も高く跳躍し、もはや遥か高い天井近くまで到達しそうなほど逃げた頭蓋骨にまで迫り、それを握って天井に達するのだ。
拳を天井に突き刺すことでぶら下がるディルエラの動きはあまりにも破天荒。体を揺らして、ゆらめく空中の頭蓋骨の一匹に向け、我が身を投げて飛来すと、腕を振るってそいつを殴り砕く。そして地面に着地した瞬間に、別の一角に位置する頭蓋骨目がけ、片手に握った別の頭蓋骨を投げつけ、ぶつけて二つ同時に破壊する。
その巨体でまるで軽業師のような動きを為し、シリカ達の視界の端で次々と頭蓋骨どもを掃除するディルエラの姿は、敵の動きを追うシリカ達の集中力にまで傷つけてくる。かねてより騎士団に敵対する最強の敵と謳われていたこの存在が、自分達の想像を遥かに超えた実力を持っていることに、目先の敵さえ霞むほどの戦慄が、ユースとシリカの心に刻み付けられるのだ。いつか誰かが討伐すべきだと言われていたこの存在を、果たしていつ誰が倒せるのだと、思わずにはいられない。
そんな意識の端から遅い来る、二つに割れた虎の顎がユースの頭を挟み討ちにしようとする攻撃。真横両方、視界外から襲い掛かる攻撃にも気配を感じ取ったユースが思わず頭を下げた瞬間、はねた髪を虎の牙が挟んだ音と、毛髪の根元を引く痛みが走り、あわやの恐怖がユースの全身から汗を噴き出させる。
ユースが次の動きを為すより早く、彼頭上の虎の頭蓋骨を騎士剣で粉砕するシリカだが、直後には彼女の後方上部から頭に食らいつこうとする犬の頭蓋骨がある。翻して振るう刃でそれをも叩き落としたシリカだが、地表近くを滑空する熊の頭蓋骨が、シリカのすぐそばまで迫ったところで急上昇、彼女の胸元目がけてその大口を開いた。
完全に反応が遅れたことにシリカがぞっとした矢先、熊の頭蓋骨を横入りした騎士剣が突き砕く。息を切らしたユースの手がシリカの命を救う結果を導き、さらにシリカの右から襲い掛かる、犬の頭蓋骨の前に立ちはだかる位置取りを作ったユースは、腕に装着した盾で頭蓋骨を殴り払って、岩壁へと叩きつける。
逃げ惑う頭蓋骨はあるものの、一部の頭蓋骨はシリカ達を殺すため、あるいは動きを縛るために次々襲い掛かってくるのだ。互いに、無事かの一言や、礼を言う余裕もない二人は、息を切らしてそれらを打ち返すことに徹するのみ。脆い頭蓋骨に対し、攻撃と防御は同一行動、されど視界の端で徐々に蘇ろうとする頭蓋骨の数々が、この戦いは終わるのだろうかという嫌な汗を二人に流させる。
そして、復活してくる頭蓋骨の中には、親玉のものもある。発掘場の高所で次々と頭蓋骨を打ち砕くディルエラから遠く離れた地上、シリカとユースのすぐ近くにて、骨の欠片が突然集まって、人の頭蓋骨の形を作り上げた。
ぞわりと背筋が凍る感覚にユースが振り向いた先には、今にも口から火を吐き出そうとするサイデルの頭が口を開けている。考えるより先に盾を構え、地獄の炎を少し前のように防ぐ道を導き出そうとしたユース。その先ほど以上に疲弊した現在であろうとも、出来る出来ないを考える暇など今ここにはない。
「勇断の太刀!!」
ユースの決意に割って入ったシリカの詠唱が、サイデルの炎に向かい合うユースの意識に割って入る。そのユースの前、万物を切り裂く魔力を得たシリカが炎に立ち向かい、縦に振り上げたシリカの騎士剣がサイデルの炎をYの字に切り裂き、ユースの立つ場所まで炎を届かせない。
さらに炎の出所まで一気に距離を詰めたシリカの剣の一刺しが、サイデルの頭部を勢いよく粉砕した。砕け散った破片の一部が自分の方にも飛んできたこと、残った火の粉が肌を焼く痛みに両目を閉じたシリカ。だが、その間隙を縫って一体の頭蓋骨が、横から飛来する。
ユースにとって、ぞっとする光景。巨大な獅子の頭がシリカの頭に噛み付こうとした瞬間の光景には、時間が止まったかのように思えたものだ。目を開いたシリカの振り向いた眼前、今にも自分の顔面に牙を突き立てようとする口が開かれている光景に、シリカの全身の血も一瞬で凍りつく。
思わずシリカが、ぐっと目を閉じて顔を逸らした瞬間、上空から飛来した何かが獅子の頭蓋骨を粉砕した。それが、上空の壁に爪を突き立ててぶら下がるディルエラの投げた、別の頭蓋骨によるものだとは、二人にもすぐにはわからなかったこと。目の前で砕け散った頭蓋骨の破片が側頭部に当たり、頭に牙を突き立てられたと錯覚しかけたシリカは特に、そんなことを認識する余裕が無い。
「おーい、飼い騎士さんよ! こんな所で死なれちゃ困るんだわ! しっかりしてくれや!」
岩壁を蹴り、空中の頭蓋骨をその腕で殴り砕きながら、発掘場いっぱいに響く声を放つディルエラ。見上げれば、空中に漂う頭蓋骨などほとんど見当たらなくなっている。シリカ達が地上の頭蓋骨どもに苦戦している間、どれだけの敵を葬ってきたのだろう。
だが、頭を失ったサイデルの肉体が、背骨を引きずり残った腕を振り回し、鎌をユースに、シリカに目がけて振りかぶってくる。油断ならぬ状況に後ろ跳びで逃れた二人だが、サイデルの鎌は容赦なく連続攻撃を仕掛けてくる。
退がるユースとサイデルの間の位置に入ったシリカが、襲い掛かる鎌の攻撃を4回連続ではじき返したその直後、シリカを追い抜くように全身したユースの騎士剣が、鎌の一本に振り下ろされる。騎士剣と地面に挟まれた骨の鎌はへし折れて動かなくなり、直後にユースの脳天目がけて振り下ろされる鎌を、シリカの騎士剣が力任せに叩き返す。時間差でユースの胴元目がけて振られる鎌も、盾を構えたユースの手によって届かない。
「ふむ……あの腰巾着も、そこまで悪いもんじゃねえな」
高所でサイデルの骨を砕くディルエラの観察眼によく映ったのは、シリカと息を合わせたユースの活躍劇。何度見ても、やはり現時点そこまで優秀な騎士には見えないものだが、試しに今後を思い描くならば、"飼う"と決めたシリカの存在と比較して視点も変わってくる。
「ま、保留だな」
岩壁を殴って粉砕し、散らばった岩石を拾ったディルエラは、近く空中を舞う頭蓋骨にぶつけて次々に砕いていく。空を舞う頭蓋骨どもが地面に転がる様を見て、シリカ達の働き次第では一気に勝負をつける展望を、ディルエラは構築する。
当のシリカ達の戦いぶりはディルエラの期待に漏れず、頭蓋骨の数々もシリカ達への猛襲をやめ、やや離れ様に戦う姿を見せている。いよいよ肝の頭蓋骨も減った今、強敵ディルエラよりも力及ばざりしと見た人間二人が、頭蓋骨の駒だけで攻め落とせない事実に、サイデルも立ち回りを改めているのだろう。
離れようとする頭蓋骨も積極的に叩き割り、それによって背を向けてしまった頭蓋骨に対しても、返す刃で粉砕するシリカの動きは実に安定したものだ。疲労は隠し切れず、汗を散らせる中にあっても、低空を滑って襲い掛かる視野外からの攻撃を、シリカはさして恐れていないという表情。
自分自身に襲い掛かる頭蓋骨を処理しながら、シリカを狙う頭蓋骨を叩き払うユースの動きが、無意識下で強く信頼できるからだ。ユースの位置を常に把握しておけば、自分で守らなくても彼が敵の手を塞いでくれる角度がわかり、攻勢に徹することが出来る。今日ほどシリカにとって、自分の立ち回りに集中して戦いやすい日はそうそうない。こんな事は、クロムと一緒に戦ってきた日々以来だ。
恐れ知らずの法騎士が、周囲を舞っていた頭蓋骨の最後の一つを粉々にした瞬間、少し離れた位置で復活する人間の頭蓋骨。サイデルの頭蓋骨軍団の親玉とも言えるそれこそ、最後にして最大の障害だ。
「ユース! こっちだ!!」
形状を構成したサイデルの頭は、近い位置に立ち並ぶシリカ達めがけ、凄まじい火炎を吐き放つ。燃料の無い地面を広く焼き払い、火柱をあげるサイデルの炎は、シリカとユースがバラバラの方向に回避すれば、二人は炎の壁に分断されてしまう。ユースの名を呼ぶシリカの、離れるなという叫びに応じ、右に跳躍してサイデルの炎を回避するシリカの動きにユースも従う。
燃え広がるサイデルの炎は、シリカ達の動きを狭めるものに変わりない。位置を高くしたサイデルの頭を視界の真ん中に見据えつつも、うかつに跳躍しての攻撃に移れないシリカとユース。右は炎の壁、後方も燃え広がった炎が立ち上り、熱気と危機感が二人の背筋を焼く。
「おうお前ら! 手加減してやるから自分で何とかしろよ!!」
炎の渦中にあるシリカ達の耳へ突如届く、遠方のディルエラの声。発掘場の高い位置に立っていたディルエラが、地上に向けて飛び降りた姿が火柱の間から見えたが、かの声が放つ言葉の意味はシリカの直感を刺激する。まさか。
「列砕陣!!」
超重量のディルエラの肉体が、高所から地面に着地した瞬間の衝撃は、怪力で以って地面を殴ることとほぼ同じ効果。両足に魔力を凝縮したディルエラが、その足で地面を打ち抜いたその瞬間、その一点から円形放射状に地を這う衝撃波が、地盤をめくりあげて全方位に走り始める。
発動の瞬間こそディルエラの胸元までほどまでの高さだった衝撃波も、地を走るに連れてまき上げる地表の岩盤を呑み込み、津波のように肥大化する。すべてに優先してサイデルの動きを警戒視していたシリカとユースでさえ、自分達を押し潰す破壊の高い壁が猛進してくる光景には、身構える一方で気持ちまで呑まれそうになる。
「っ……! 勇断の太刀!!」
一度破ることが出来たはずの獄獣の奥義だ。決死の想いとともに、懐刀の名を唱えて剣を構えたシリカが、迫り来るディルエラの破壊の波を迎え撃つ。そしてシリカがその衝撃波めがけて騎士剣を振り上げ抜いた直後、万物を切り裂くシリカの魔力が、ディルエラの放った魔力さえをも真っ二つにする。
視界いっぱいを衝撃波一色に染められていた光景が光差し、シリカの前で衝撃波は切断された結果が残る。シリカの位置と、シリカの後方だけに衝撃波の届かぬ安全地帯を残し、ディルエラの列砕陣が発掘場の地面を広く破壊していく。地面に転がったサイデルの操る頭蓋骨の数々、やがて復活へと向かっていたそれらを、残らず再び粉々にするディルエラの攻撃は、シリカ達を危機的状況に追い込んだことを除けば、恐ろしく心強い広範囲猛襲だ。
だが、サイデルの頭はどこにいる。あのままいけば、絶大な高さを持つディルエラの衝撃波に呑まれて粉々になっていただろう。終わったのだろうか。いや、そんな楽観的な観測が出来るはずもない。
ディルエラの衝撃波を切り開き、そのために膨大な魔力を注いだシリカが一歩後ろにふらつく中、集中力の欠けたその状況では見えぬ後方に一つの頭蓋骨。シリカが作った彼女後方の安全地帯に逃げ込んだサイデルの頭は、すでにシリカの背後から炎を吐く1秒前だ。
「っ、英雄の双腕!!」
後ろから響いた若き騎士の声に振り返ったシリカの目の前にあった光景は、盾を構えたユースの背中。その前方から凄まじい勢いで放たれる炎を、守るべき人を守る盾を生じさせる術者が食い止めている。足を一本後ろに引いて踏ん張るような姿には、敵の炎に抗うために全身の力と体重、魔力を注ぎ込んで抗っていることがすぐわかる。
敵の魔力は圧倒的、防ぐために注ぐ魔力も甚大だ。一気に魔力を搾り出す霊魂の急激な衰弱に、炎でいっぱいになった目の前の光景が真っ白になりそうだ。かすみそうな目を片目ぐっとつぶり、必死でこらえるユースの眼前、光でいっぱいの光景の中から突然現れた何かがある。
自らの放った炎を突き抜け、ユースの顔の前に迫ったサイデルの口が開いている。朦朧としかけた意識の中に差したその光景は、刹那直後に自分の顔面めがけて炎を吐き出す魔物の姿。炎の立ち上る猛暑の中にあって、ユースの全身が一瞬で冷え切ったのは、確信した死の予感に心が支配されたからだ。
その直後、後ろからユースの体を抱きかかえるようにして倒れこんだ誰かの手によって、ユースは勢いよく前方に倒れる。倒れるさなかのユースの髪を、サイデルの炎が勢いよく焼き焦がす中、何が起こったのかもわからぬまま地面に叩きつけられ、げはっと肺の中のものを吐き出すユース。だが、伴う痛みは生存の証でもある。
ユースの窮地を救ったシリカは彼と同じく地面に倒れたが、すぐに転がり上を向くと同時、腰元の短剣を抜いている。獲物が目の前から突然消えたサイデルへと投げられた短剣がその側頭部に当たり、かん高い音とともにサイデルが上空に跳ねていく。
そしてユース目がけて吐かれていた炎は、対象を失ってその先にいるのはディルエラに向かっていく。サイデルの燃え盛る火炎を正面から迎える形のディルエラが、その右手に魔力を集めた瞬間、即座ディルエラの背後で結集した骨の塊が、蛇のように長い形を構成してディルエラの腕に巻きついた。
「むぅ……!」
炎を撃退する爆風を生み出すディルエラの動きを封じる、サイデルの骨の集合体。もはや結合に法則性もなく、がらくたを集めた蛇のような何かだが、その怪力がディルエラの動きを一瞬封じただけで上出来だ。炎は勢いよくディルエラに迫り、無抵抗の獄獣の全身を飲み込む。
「っ……かあっ!」
右脚を振り上げ、勢いよく地面を踏み抜いたディルエラが、その場所を爆心地にした爆閃弾を発動させた。ディルエラの足元を中心とした爆風は炎を吹き飛ばし、赤黒い肉体を焦げ臭い匂いでいっぱいにしたディルエラが、ぜはあと荒い息を吐く。
右腕に巻きついた骨のガラクタを、ディルエラが左の手で掴み、握力と引きちぎる力で粉砕する。その離れ、シリカに情報に跳ね飛ばされたサイデルの頭部は、飛ばされざまに蒼い鬼火のようなものを撒き散らして飛んで行く。その鬼火らしきものは次々と地面に落ち、肌を一瞬で溶かす熱を思わせる蒼い火柱を、次々に上げていく。
よろりと起き上がったユース、そばに立つシリカの周囲を取り囲む、蒼い炎の壁。二人を円形に囲んだ火柱は逃げ場を作らず、中心に立つシリカ達に肌が痛くなるような熱気を届けてくる。上空に跳んだサイデルを、熱気で閉じかけた細い目で見据えるシリカの前、サイデルが上空からシリカ達に向けて飛来してくる。
開いた大口に魔力を終結させたその姿から感じるのは、逃げ場の無くなった自分達を、上空から炎で焼き尽くすサイデルの狙い。対処する手段はあるのか。上空から吐き続けられる炎に、万物を切り裂く魔力で抗いきれるのか。分の悪い勝負を予感しつつも、やるしかないという決意にシリカが唇を噛み締めた、まさにその瞬間のことだ。
「なんとかします……!」
膝立ちのまま、腕に装着した盾をはずしたユースが、シリカの腕を掴んで下へと引っ張る。思わぬ力にシリカは腰砕けになりそうで、よろめくように後方へと体勢を下げた彼女の前、ミスリル製の盾を両手で握り、空中のサイデルに向けて構えるユースの姿がある。
「英雄の双腕!!」
真上から放たれる業火の塊に対し、採掘場いっぱいに響き渡るほどの絶叫とともに魔力を絞り出すユース。直後サイデルの超火力が、両手で構えたユースの盾に衝突し、焼き尽くす魔力と守る魔力の壮絶なぶつかり合いを形にする。
まるで岩石に押し潰されそうな、殺意の魔力が為す圧迫感に、ユースの口からは小さな悲鳴すら漏れた。詠唱を済ませた後の口は苦しそうに開きっぱなしで、両目をぐっと絞ったユースの表情からは、すでに両腕を貫く衝撃による痛みと、霊魂の磨耗による肉体の不全に、いつ糸が切れてもおかしくないことがわかる。彼の後ろ姿を見上げる形のシリカでさえ、数秒後にはユースが力尽き、自分ともども焼かれて灰になる未来が透けたものだ。
何もしなければだ。そうはさせない。決死の魔力を振り絞るシリカの精神は、かつてない重厚な魔力を騎士剣に集わせる。ユースに引き止められる前に集めていた魔力、今再び練り出した魔力、二重の魔力を集めた騎士剣は、彼女の精神の奮いを表したかのように、空気を震わせるほどの魔力を纏っている。
「勇断の太刀!!」
肺の底から搾り出すような声が採掘場に響き渡ったその瞬間、シリカの振るった騎士剣は上空のサイデルの放つ炎を、まるで海が割れる奇跡の如く真っ二つにした。炎でいっぱいだった目の前の光景、それが割れた末に、上空にたたずむサイデルの顔が二人の瞳にはっきりと映った。一瞬の活路が開いたことに、精も根も尽き果てたユースが、糸の切れた人形のように後方に倒れたのがそのすぐ後。
目の前の対象を仕留め切れなかったサイデルの頭が、再び口に魔力を集めた瞬間、勝負はついていた。自身に巻き付こうとするサイデルの骨の集まりを引き千切ったディルエラは、サイデルの頭部めがけて勢いよく跳躍、飛来していたのだ。それにサイデルが気付いて上空に身を逃そうとしたのも束の間、ディルエラの大きな手がサイデルの頭を掴み、そのままディルエラは地面に降りていく。
「あばよ、サイデル」
着地の瞬間、豪腕の怪力任せにサイデルの頭部を地面に叩きつけるディルエラ。無双のパワーと地面に挟まれる形となったサイデルの頭部は粉々に粉砕され、掌を上げたディルエラは、サイデルの破片に足を振り下ろす。もはや原型も残らなかったサイデルの頭の欠片を、さらに細かく討ち砕くとどめの一撃だ。
フン、と鼻息を鳴らすディルエラが、シリカ達に目線を送る。サイデルを魔力の源とする火柱の数々がゆっくりと消えていき、うつろな目で倒れたユースと、膝をついて息を荒げるシリカの姿が、発掘場の真ん中に残る形となった。
「ご苦労さん。勝負ありってとこだ」
空中の頭蓋骨はすべて粉砕し、地上に落ちたそれらの破片も、たびたびの衝撃波で破壊済み。最後に残ったサイデルの頭を打ち砕いたことで、サイデルを構成する頭はすべて掃伐することが出来た。長くアルム廃坑金鉱区の奥底、屍の覇者として君臨、封印されていたサイデルは、完全に滅却されたのだ。
歩み寄ってくるディルエラに対し、屈しない想いを必死に表す目を返すシリカ。サイデルとの激闘の末にも息ひとつ切らさない怪物を前に、こちらは今にも倒れそうなコンディション。殺意をあらわにされようものなら、どう考えたって勝ち目は無い。構えるシリカも、自分やユースの命が、ディルエラの気分ひとつで左右されるものだと、頭ではわかっている。
「殺さねえっつってんだろ? そう力むな」
無防備にシリカに近付いたディルエラが手を伸ばしてきた瞬間、思わずシリカもびくりとして目を伏せた。巨大な掌で頭を撫でられた時の恐怖は、朗らかな声を出そうとして重いがらがら声を放つディルエラの意図に反し、シリカの心臓をわし掴みにするものだ。
ふと、ディルエラが倒れたもう一人の騎士に目線を送る。死に損ないだと思っていたそいつが動いたからだ。ディルエラがシリカの頭に手を置いたことを見て、地面を掴んで体を起こし、立ち上がろうとする若い騎士の姿は、ディルエラの中に今までと違う印象を残す。
その人に触るな、という目。シリカには見えない角度で意志をあらわにするユースの眼差しを見て、ディルエラはシリカを解放してユースに顔を近づける。
「弱いぞお前は。俺に命令し、言うことを聞かせる資格なんぞ、今のお前にはありゃしねえ」
剣を握った騎士の前、無防備に顔を持ってくるディルエラの姿が、ユースの胸を焼く。敵わないことが自分にもわかるからだ。これだけ人を舐めきったディルエラの態度が、実力差から言ってもなんら間違っていないから。ユースに近付くディルエラに、引き止める声さえ放つことができないシリカも、何も出来ない悔しさをユースと共有している。
「ベルセリウスによく似て向こう見ずな奴だ。いいぜ、お前"飼って"やるよ」
そう言ってディルエラは、2歩3歩後ずさる。当初の約束どおり、二人を解放するという趣旨は、今ここに来ても曲げるつもりはないという態度。
「そこの横穴を抜けて、右の道に進みな。ベルセリウスの奴がいる。あいつと合流すれば、お前らも安全に帰れるだろうよ」
シリカ達の予想を遥か超えた、助け舟まで出してまで。どこまでこんな奴の言葉を信用していいのか、わからない。そう思われることはディルエラにも予想済みのことであり、その所以はすぐに語られる。
「もっと強くなって俺を殺しに来な。その時こそ、俺も全力でお前らを殺してやるからよ。それまでは、つまらねえことで死なれちゃ困るってこった」
くるりと背を向け、大足で地面を踏み鳴らして去っていくディルエラ。アルム廃坑金鉱区に潜んでいた魔王マーディスの遺産との邂逅は幕を閉じ、残された騎士二人は、呆然自失といったふうに立ちすくんでいた。
息をつくこともせず、ユースに体を向けるシリカ。顔を伏せてかすれた呼吸をするユースの姿からは、何の感情も読み取れない。緊張の糸が切れた今、もう立っているのがやっとだという印象しかうかがえない。
「……歩けるか?」
「走れます……!」
気遣う言葉に意地の言葉を返すユースが、今の状況に耐えがたい悔しさを感じていることは察せられた。しかし、シリカにとってはもう、そんな感情よりも溢れる想いがあって、蘇った光が目に宿っている。
未来はあるのだ。雪辱を晴らす日を目指し、歩いていける。その事実が、自分だけでなく、大切な仲間にも残されたことは、前向きに捉えなくてはならない。そうして前に進んでいくことが、今を生き残ったことに意味があるかを定めていくのだから。サーブル遺跡で、第14小隊の家族達を守り通すことが出来なかったシリカが、その強き後悔を乗り越えし末に見つけた、生存者のあるべき心構えだ。
前に進む。走れると言ったユースの想いを受け止め、全力の疾走ではないものの、ディルエラに指し示された方向に駆け出すシリカ。ユースはしっかりついて来る。今までのように、そしてきっと、これからも。もしかしたらそのうち、自分よりも前を走っているかもしれないと、シリカは冗談を抜きにして感じたりもする。
頼もしくなったとはっきりと心から意識するのは、今日が初めてのことだったかもしれない。




