第129話 ~アルム廃坑⑥ アズネオンの恐怖~
「……寄生獣か」
騎士団衛生班の元へ運ばれた騎士達。それを診た衛生班の導き出した結論は、気を失った同僚を案じる騎士達の不安を、さらにかき立てるものだ。
「寄生獣、とは……?」
「人や魔物の体内に潜伏し、やがてはその体を支配してしまうような魔物のことだ。……恐らく聞き及ぶ限りだと、その苗床に選ばれたのはヴァルチャーやコカトリスだろう」
衛生班の賢人に話を聞く騎士に対し、おぞましいものを語るような口ぶりで衛生班の一人は語る。騎士団の命を預かる立場にいながら法騎士の階級を持つ、ここの衛生班のリーダーであるこの騎士は、ベルセリウスに憧れて騎士団入りしただけあって、勤勉かつ底深い知識を養ってきた男だ。
語る仮説にはこうだ。ヴァルチャーやコカトリスのような、空を自由に舞い、素早い動きで獲物を狩る鳥の魔物の体内には、寄生獣と呼ばれる魔物が潜伏している。もっと正しく言うならば、その魔物達は体内に寄生獣を潜伏"させられた"と形容した方が正しいかもしれない。
寄生獣を体内に持つその魔物は、自身の意思とは無関係に、体内の寄生獣に肉体を操られるらしい。そうして宿主である鳥の魔物を操り、人間達を襲わせるのだ。コカトリスやヴァルチャーが人間に傷をつけようものなら、その傷から寄生獣は人間の肉体に入り込む。そして人間の体内に巡る血や養分を糧に繁殖し、あっという間に人体内いっぱいに広がっていく。あるいは、そのヴァルチャーなどを切り捨てた騎士が返り血を浴びても、どこか傷口などから体内に侵入を許せば、それを介して同じ結果を辿ることになる。
体内を寄生獣に支配された人間は、やがて活力を失い力尽きてしまう。そうして宿主を完全に乗っ取った後、人間の体に乗り込んだ寄生獣は、人間の体を操ってしまうのだ。運び込まれた騎士達も、もしも対処が遅れていたら、寄生獣に完全に体を乗っ取られ、人を襲う騎士の形をした"寄生獣の宿主"へと変わり果てていたかもしれない。そう、衛生班は説明した。
「……助かるのでしょうか」
「体内の毒を排出させる魔法の応用で、異物たる寄生獣を摘出すれば何とかなるだろう。幸いにも、完全に操られる直前に見られる症状も表れていないし、間に合うはずだ」
寄生獣の被害は、長らく人類を苦しめてきた。人間を操り、自分達の手駒に変え、人間同士が殺し合う光景を生み出す寄生獣。その恐ろしい存在を作り上げる者といえば、魔王マーディスの遺産の中において黒騎士ウルアグワのような奴しかいない。
アルム廃坑上空に、異常発生したとさえ思えるほどの鳥の魔物の数々。兵力としては他の魔物より、物足りないはずのそれらが大量発生していたという情報は、衛生班にそうした結論を導かせた。これも恐らく、黒騎士ウルアグワの敷いた布陣の一角なのだろう。
「患者をこちらに運んでくれ。衛生班総がかりで、必ず救ってみせる」
家族や仲間を守るために修練を積んできた同志たちの肉体を、黒騎士の悪辣な思想に明け渡し、人の命を屠る操り人形に変えさせる。それは衛生班達にとって、誇りに代えても阻止させたし未来だ。積み重ねてきた、騎士団衛生班としての気概と腕を以って、何としても仲間を救おうという法騎士の目は、魔物の卑劣な策に対する怒りに満ちている。
どの連隊に属する衛生班も同じことだ。魔物の親玉の悪意になど、屈するわけにはいかない。
「そういやお前らは、今日この廃坑に来てから、急に熱病にうなされたようなことはなかったか?」
坑道内を歩く獄獣ディルエラは、後ろについて歩くシリカやユースに問いかけてきた。騎士剣を持つ二人に背中を見せて歩く姿は、シリカやユースにとって歯がゆいものだ。一度命を奪われた立場ゆえ、今更奇襲をしかけるつもりもないが、仮にやっても敵いそうにないのが悔しい。
「おーい、無視するなよ。長い道のりだから、多少の退屈しのぎにゃ付き合ってくれや」
「……私達に、そんな兆候は無かったよ」
別にご機嫌とりをするつもりでもないが、シリカは応じることにした。憎き魔物の親玉と口を利くのは本意ではないけれど、へそを曲げられてユースを危ぶませることもしたくない。
「ふむ、そうか。お前らは"クロリィ"に感染してねえようだな」
「……クロリィ、とは?」
「イビルスネイルに寄生させた、ウルアグワの作った寄生獣のことだ。寄生対象を求めたクロリィは、イビルスネイルの肉体を操って人間へと近付く。その体液を撒き散らし、傷口ないしどこかから人体に潜入すれば、その騎士の肉体を乗っ取って操っちまうんだよ」
自らの陣営の仕掛けをぺらぺらと語るディルエラだが、アルム廃坑限りにて採用する作戦であったため、さしてバラしても構うまいというところなのだろう。同時にその真実が明らかにするのは、黒騎士ウルアグワの性格の悪さでもある。
「イビルスネイルを捕食するヴァルチャーやコカトリスも、寄生獣を体内に得てしまえば、クロリィの操るままとなる。クロリィに操られた鳥は人間を襲うが、それを斬って返り血を浴びた奴らも、傷口から感染することはあるだろうな」
アルム廃坑にまで来られるような騎士達にとって、ヴァルチャーやコカトリスのような魔物は、さして苦労せずに討伐できる魔物である。それが多数布陣されていたのは、寄生獣を体内に宿した魔物を相討ち前提で騎士に返り血を浴びせ、兵を削ぐための手段だった、という話。
サイコウルフのような、切り傷の発生を誘発する風の刃を放つ魔物が多いのも、それゆえだろう。体液を撒き散らすイビルスネイル、傷を作るサイコウルフ、討伐されても返り血を浴びせる素早い鳥の魔物達。黒騎士ウルアグワの構成した撒いた毒の全容は、こんなところだ。
「"飼ってる"お前が感染しちまってたら面倒だったんでな。まあ、よかったよ」
「……"飼う"とはなんだ。私を、どういう意図で殺さなかった」
シリカはサーブル遺跡の一件で知っている。あのパワーを持つディルエラが、自分を気絶止まりに留めたのは、間違いなく意図的なものだ。時に"飼い"を宣言して騎士の一部を殺さない傾向を見せてきた獄獣なのだが、その真意は今だ人類の誰もが知らないところである。
「獲物は太らせて食うのが常套手段だろ? 心配しなくても、そのうち殺してやるよ」
不合理だ。シリカを生かして、ディルエラに何の得があるというのだろうか。もしもシリカが、やがて力をつけることあらば、いつかそれをディルエラが殺そうとするにせよ、命のやり取りをするディルエラにとってはリスクだけが増すだけではないのか。ユースもそう思わずにいられない。
実際、過去に若き日のベルセリウスを"飼う"と宣言したディルエラは、後年ベルセリウスとの一騎打ちに負けて、命からがらの逃亡をしたこともある。自信家にしたって、そうした経緯も持つ獄獣が、未だに"飼い"を続けていることには、騎士団も不可解を感じずにはいられない。
「まあ、今のところは俺もお前らを殺すつもりはねえし、ある程度はサイデルからも守ってやるから、さして自分の心配はしなくていいぞ。それよりむしろ、地上の同胞どもを心配した方がいいぐらいだな」
今の話を聞く限りでもそうだ。感染すればまず終わりと聞こえるような寄生獣が多数ひしめいているこの廃坑内外で戦う仲間達は、果たして大丈夫なのだろうか。きっと少なからずの騎士や傭兵がその毒に身を染められているだろうし、その中に第14小隊の仲間達も含まれているのでは、と思ってしまうと、本当に気が気でない。
「ウルアグワのクロリィも大概だが、アーヴェルの"アズネオン"もタチが悪いからな。言っておくが、お前達も急いだ方がいいのは間違いねえんだぜ?」
シリカとユースを発奮させる弁を繰り返し、焦燥感を煽るディルエラ。サイデルの滅却に向け、一時手を結ぶ相手の戦意を高めるための口上だ。
「……アズネオンとは?」
「おう。昔ラエルカンに攻め入った時の土産から、アーヴェルが作ったものなんだが――」
これをまさに、地獄絵図と言うのだろう。100にも届こうかという騎士と傭兵は、たった一匹の魔物の手によって、次々と肉塊に変えられていく。敵のあまりの強さに逃げ出そうとした戦士もいたが、漏れなく逃がさぬ怪物の右手がその人物の頭を掴み、一握りにて潰してしまう。
混乱を極めたこの戦場において、騎士や傭兵の立ち位置がばらばらであることから、それらを一掃する動きに努めるアジダハーカは、力量に反して時間がかかっていた。それでも未だに無傷のまま、抵抗しようとした騎士の剣もすべていなしつつ、ほどなくして死体溢れる盆地を作り出すアジダハーカの姿は、まさに死を招く怪物の姿そのものだ。
手足を血に染めた、怪馬の仮面を身につけた怪物が、この戦場でただ一人、自分以外で呼吸している一人の少女に顔を向ける。背中を向けていたアジダハーカが、首を180度回転させて自分の方を見据えた時の恐怖は、二十歳に満たない彼女にとっては心臓が張り裂けそうなものだ。
「悲鳴の一つでも上げて貰った方が餌になるかもしれんな」
騎士剣を拾うことも出来ず、一歩後ずさったルザニアの正面、アジダハーカが高く跳躍する。明らかに自らに向けて跳んできた光景に、ルザニアは振り返って駆け出そうとするが、2歩目に至ったその瞬間、彼女の後ろに着地したアジダハーカの巨大な手が、ルザニアの髪を後ろから掴んだ。
「やっ……いや……! 誰か……」
「助かりたいなら、鳴いてみせろ」
髪を引っ張りルザニアを正面向かせ、その胸倉を掴んでアジダハーカは、少女の体を高く持ち上げる。軽々と体を持ち上げられ、地を蹴って逃げ出す道さえ絶たれたルザニアは、無心で足をばたばたさせることしか出来ない。
目線の先には、異形の馬の仮面をかぶった怪物の姿と、その太すぎる腕。誰がここに駆けつけてくれたところで、この怪物を討伐できるのだろうかと、考えずにはいられない。ミノタウロスを目の前にしても勇敢に立ち向かえる騎士の勇気さえ、この怪物の前には絶望の色に染めきられてしまう。
声が出ないのは首が絞まっているからではない。アジダハーカはそうならぬように胸倉を掴んでいるし、恐怖のあまりに声すら出せないルザニアの心中は、今にも泣き出しそうな目を震えさせる顔から見てとれる。
「……女をいたぶる趣味はないが、鳴かぬというなら利用価値もないな」
かつかつと巨大な足先で地面を鳴らすアジダハーカの行為は、とどめの一撃をその足で放つものであると、ルザニアの肌が直感する。直後、空高く放り投げられた自分の体は、まるで今から天に召す自分の命を表しているようにさえ感じられたものだ。
「あ……」
最高点に達した自分の体が止まった瞬間、真下で蹴りを放つ構えを取るアジダハーカが見えた。重力を得た自分の体が地面に吸い込まれたその時ルザニアが感じたのは、地獄へと真っ逆さまとなる自分の数秒後。地上に達するまで10秒かかるはずのないその時間が、まるで何分にも感じられたのは、確信した死を目の前にした戦士が経験するものだ。
終わりを受け入れたルザニアの目から涙が溢れ、それが風によって空に散っていた時のこと。目の前の死神をまるでスローモーションのように受け入れていた彼女の目に映った光景は、先のことなど考えていなかったルザニアにとって予想外のものだった。
「ぬぅ……!」
後方から振りかぶられた鉄球棒を、身を翻したアジダハーカが蹴り上げて軌道を上に逸らす。突然現れた強敵に、すかさず拳での一撃を突き出すアジダハーカに対し、鉄球棒の持ち主は武器を前に構え、拳を鉄球棒の柄で受け止めて後方に跳んだ。凄まじいパワーを持つアジダハーカのパワーを、後ろに退がって受け流す動きは、あまりにも洗練されたもので流れるような動きだ。
吹き飛ばされたその何者かが離れて着地する数秒前、アジダハーカのすぐ横にルザニアが落ちてくる。地面に叩きつけられたものの、頭を打ちつけたわけではないらしく、動けないなりにひくひくと体を震わせるルザニアから察するに、命に別状はないようだ。痛みが全身を貫くが、それは生きていることの証であり、それがルザニアには信じられない。完全に、死んだと思っていたから。
「アジダハーカ……!」
「……運が向いてきた。貴様を探していたんだ」
特大の鉄球棒を握る、少年のような体躯の聖騎士クロードを見据え、仮面の奥で小さく笑うアジダハーカ。こうして向き合うのは初めての両者だが、双方ともに相手の実力高さはよく知っている。いずれも、敵陣営内にも名を轟かせるほどに名高い強者だからだ。
「……その娘を解放せい。もう戦える身ではなかろう」
「人質に使わせて貰ってもいい状況なのだがな」
「やってみい。その娘に手をかけるなら、その瞬間貴様の命を取る」
アジダハーカにつかつかと歩み寄るクロード。敵の機嫌次第では、動けぬルザニアの頭を瞬時に踏み潰されてもおかしくない状況だというのに、クロードの行動は一切ルザニアを意に介していない。
「貴様に出来るか?」
「騎士を舐めるな。みな、死の覚悟ぐらいとうに出来ておる」
人質とはすでに助かっていない命。死の覚悟を決めたはずの者が、命惜しさに救いを乞うたとしても、クロードは活きた兵が足を止めることなど潔しとしない。ルザニアが命を失うことになっても、それは宿運であると切り捨てるクロードの思想は、幾千の戦場を駆けてきた闘士の最たる武器だ。
「……相手にとって、不足なし」
アジダハーカはルザニアの首を後ろから掴むと、自身の後方に遠く投げ捨てた。アジダハーカから大きく離れた地面に叩きつけられたルザニアは、ごろごろと地面を転がった末に胃液を吐き出し、横たわって動けなくなる。だが、少なくとも命の危険は少ない場所に身をおいた形だ。
「ウルアグワやアーヴェルのような、性格の悪さまでは持ち合わせておらんようじゃな」
「これが俺のやり方だ。邪魔者を排斥し、貴様との戦いに専念する」
構えるアジダハーカの前、ふうと息をつくクロード。向き合う怪物アジダハーカは、騎士団の同胞を、力なき人々の多くを葬ってきた存在だ。敢えて頭の中でそれを反芻するクロードの瞳は、憎き存在を討つという炎を宿し、魔物の放つ殺意にも決して劣らない、強烈な殺気を溢れさせる。
「覚悟せい……!」
「来い!」
地を蹴ったクロードと、それに相対するアジダハーカ。魔王マーディスの遺産、獄獣の右腕と言われた猛者との一騎打ちに臨む聖騎士は、積年の恨みを晴らすべくその鉄球棒を握る手に力を込めた。
「逃がすかよ……!」
ふよふよと逃げていく存在を追うマグニスが魔力を発現した瞬間、その存在の行く先に炎の壁が立ち上る。炎の壁を目の前にしたその存在は、動きを止めて別の方向に逃げようとする。
「開門、岩石魔法」
対象が一瞬動きを止めたことに、チータがその存在のわずか上に空間の亀裂を作る。そこから突き出した石の槍は、異形の存在を上から強く打ちつけ、地面に向かってその何者かを叩き落した。
地面に叩きつけられたそれは、弾んで再び宙に浮く。その動く先をしっかり読んだキャルが矢を放つが、対象は機敏に動き、キャルの矢を回避してみせた。
「……こんな屍兵使いを見るのは初めてだわ」
ずっと顔をこちらに向けようとしなかったその存在が、ここに来てようやく振り向いた。追う中でその姿形を認識していた第14小隊の面々だが、マグニスの言うとおり、こんなおぞましい魔物を見るのは誰もが初めてのことだ。
丸裸の人間の赤ん坊のような姿をしたそれは、見た目に反して少年ほどの大きさ。それだけなら異質の存在として認識するだけだが、人間の頭を二つ溶かして混ぜ合わせたかのように、いびつな赤ん坊の頭が二つくっついたその頭部が、その存在の異形さをこの上なく体現していると言えよう。ぶっくりと膨らんだ腹にはむき出しの血管が絡みつき、生まれたての赤ん坊のような真っ白な肌に、暗く赤い血管が纏わりつくその様相は、目にしたアルミナやキャルも表情を歪めずにはいられない。
空に浮く異形の怪物、アズネオン。百獣皇アーヴェルの悪意の産物は、まぶたから眼球が溢れ出るのではないかと思うほど目を見開き、その4つの目で地上の第14小隊を睨みつける。
「ウ……ぇ……ヴエエェ……」
がらがら声の赤ん坊の泣き声のような声を二つの口から溢れさせたアズネオンの全身から、邪悪な魔力が放たれる。魔力そのものとは本来視認できるものではないが、その邪悪さを全身の肌で感じたチータには、アズネオンの魔力は真っ黒なものに見えたほどだ。
「また屍を呼ぶつもりか……!」
火球を掌の中に発生させ、アズネオンに向けて投げつけるマグニス。しかし、アズネオンの目の前に魔力が集まったかと思うと、瞬時にそれは一羽のヴァルチャーを形成し、アズネオンに向けて放たれた火球がそれにぶつかる。実体を持つ屍を召喚するアズネオンは、こうして自らを守る盾を作るのだ。
「アルミナ! キャル! 俺のそばを離れるなよ!!」
広い荒原の中心に立つ、たった5人の第14小隊。その周囲を取り囲むように現れた無数の魔物達は、やがて実体を得て重厚な足音を立ててマグニスを睨みつける。ケンタウルス、オーガ、ガーゴイル、ワータイガー、ヘルハウンド――その数はざっと見ただけでも、50には届きそうな勢いだ。
「ちょっとマジでやるわ。お前ら巻き込まねえようにはするから、変な位置取りするんじゃねえぞ」
「う、うん……!」
魔物達からたじろいで後退するアルミナは、震えた声でマグニスの後ろに立って背中を合わせる。いくら怖くても銃を構え、しっかりと敵を見据えているあたりは、流石に戦慣れしているだけのことはある。マグニスのそばにアルミナが立ったことを確かめると、今度は自分の心配をしなくちゃと眼差しを厳しくするガンマも、正しく状況を判断出来ている。移ろう状況にも冷静な目で、多数の敵を相手取る時の戦い方を頭に描くチータも、優秀な兵の頭を使っている。
ただ一人、戦う者としての構えを作れない者がいた。構えていたはずの弓を降ろし、ある方向を遠くに見据えたまま、閉口している少女がいる。見開かれたその瞳に映るものは、今の彼女の心に深い深い闇を落とし込む。
「キャル、どうした! 聞こえなかったか!?」
急を要する状況に、待たずマグニスの方からキャルの方に駆け寄る。アルミナもそれについて走り、そばにいろと言われた立ち位置を守るが、言葉を向けられたキャルから、マグニスに対する反応がない。
「どうしたの!? しっかり……」
「あっ……あ、ぁ……」
慌てて声をかけるアルミナでさえ途中で言葉を止めるほど、周りを見れない動揺の色を表情に表すキャル。恐ろしくてたまらないものを見たような表情で固まっているキャルの見据える先に、アルミナやマグニスも同じく視線を傾けるが、その先にあったものは不自然な光景。
「……どうなってやがる」
魔物達の亡霊に混ざり、そこにあったのは数人の人影。槍を持ち、弓を持ち、敵意の眼差しをこちらに向けてくるそれらもまた、アズネオンの召喚した亡霊なのだろう。先ほど交戦したライフェンの亡霊を思い返すにあたっても、アズネオンが人間の亡霊を召喚できることは想像に難くない。
だが、マグニスだけは知っている。かの人型が身に纏う、萌黄色の薄手の服と、足を縛らない短いスカートないしハーフパンツを纏うあの服装は、ある絶滅寸前の戦闘民族の象徴であったものだ。数名の女達の姿を思わせる人影は、かつてマグニスもその目で見た、アマゾネス族に酷似してならない。
キャルの動揺の眼差しも、マグニスにはよく伝わる。アマゾネス族の数少ない生き残りであるキャルにとって、今の光景とはいかなるものとして映っているのだろう。少なくとも、平静心で受け入れられるものではないはずだ。
「ヴ……エ゛エェ……」
第14小隊の意識に割り込む、上空アズネオンの泣き声。次の瞬間、第14小隊を取り囲む無数の魔物達が、一斉に襲い掛かってくる。
「開門! 落雷魔法陣!」
「……火走」
前詠唱を挟まずして、即効の広範囲の落雷を召喚するチータ。多数の魔物達がその落雷の渦中で電撃を受け、耐久力に乏しい魔物達が次々と消えていく。そして腕を振るったマグニスの手から発する炎は、一気に彼の前方一帯を駆け回る火柱となり、その道中にあった魔物達を焼き払っていく。
稲妻を受けて怯んだオーガに一瞬で近付いたガンマが、その大斧で頭からオーガを真っ二つにしたのが直後のこと。その手応えを味わうことさえせず、マグニス達のもとへ駆けていくケンタウルスを、横殴りの形で前足二本を斧の餌とする素早さが、ガンマの快速を表している。稲妻を回避しつつマグニスに迫っていたケンタウルスは脚を落とされ、地面に崩れ落ちた後に消えていった。
炎から逃げながら、こちらに向かってくる一体のワータイガーの脳天を撃ち抜くアルミナの動きも上出来だ。少し出遅れながらも、一匹のヘルハウンドを射抜いたキャルの腕前も錆び付いてはいないが、やはり動揺が拭いきれないのか、いつもの彼女ほど動きが速やかではない。
「しっかりしろよ、キャル! 死んじまったらそれまでだからよ!」
掌に握った火球で、空を舞おうとしたガーゴイルを焼き、キャルに発奮を促す声を放つマグニス。小さく彼女がうなずいた気配は感じつつも、迫り来る敵の数への緊張感と併せ、気が散って仕方ない。
マグニス達に近付こうとする魔物を次々ガンマが蹴散らし、その隙を縫って別方向からマグニス達を襲う魔物を、チータが魔法で的確に狙撃する。アルミナとキャルの抵抗も敵の接近を許さず、いよいよ目の前に迫ろうという魔物には、マグニスがそのナイフで直接手を下すのだ。
「ウえェ……ッ、エ゛……」
アズネオンが空中で泣けば、再び魔物達が召喚される。先ほどのような大量発生ではないものの、今回も30はいそうな魔物がこの戦場に突然現れた形だ。
思わずガンマがたじろぎそうになったのも無理はない。召喚された魔物の中に、巨大な体躯と三つ首を持つ、魔獣の中でも有数の実力を持つ魔物、ケルベロスの姿もひとつ見られたからだ。ユースが第14小隊の短期隊長期間を踏んでいたあの頃、ユースや騎士アイゼンと3人がかりで命からがら討伐したあの時の記憶が、現れた敵の恐ろしさを胸の奥まで伝えてくる。
「……本気出させようとしてくんなよ、クソどもが」
腰元の鞭にマグニスが手をかけた瞬間、アズネオン率いる魔物の亡霊達は、再び第14小隊に向かって突撃した。




