表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第8章  和順に響く不協和音~ディスコード~
136/300

第128話  ~アルム廃坑⑤ 殺意の牙開口せし~



「ふむ」


 親指で顎をぐりぐりと押し撫でながら、"飼った"騎士と、その取り巻きの騎士を見比べる獄獣。巨体の背中に背負った大斧が放つ鈍い光は、獄獣そのものが放つ存在感に勝って目立ち、向き合うシリカとユースの全身から冷や汗を溢れさせる。


 じりじりと歩み寄る獄獣と、それに伴い後ろに退がる騎士二人の動きが、両者の間に一定以上の距離を常に作る。その間、目線の先をユースに定めて動かさない傾向を見せ始めた獄獣は、一度足を止めて首をかしげる。その行動の意図など、今の二人に読めるはずがない。


「……まあ、いいか。試してみりゃあわかることだ」


 ふぅと息をついた獄獣の目が、一瞬の無感情を経て、直後闘志の眼差しへと変わる。この瞬間に二人が背筋に感じた悪寒は、これまでの人生で一度も経験したことのないほどの冷たさだ。それをシリカとユースが実感した直後、右足でしりと一度地面を踏み鳴らした獄獣が、凄まじい加速を得て猛進する、雄牛の如くシリカ達に差し迫った。


 向き合うだけで呑まれそうな突進にも意を決した二人は反応し、騎士二人が立っていた場所を大きな平手で薙ぎ払った獄獣の一撃を、ユースは後方に跳んで、シリカは跳躍して回避する。今の一撃ひとつとっても、人間がその直撃を受ければ、落石に潰されたようにぐしゃぐしゃにされてしまうだろう。


 天井まで到達したシリカはその天井を蹴り、重力と併せて速度を得、獄獣の脳天目がけて騎士剣を突き立てにかかる。瞬時の転換攻撃にも獄獣は身をひねって回避するが、獄獣の肉体無き空を落ちたシリカも着地の瞬間、獄獣の脇目がけて矢のように自らを斜方投射。


 自らの横をすり抜けざまに、脇腹への騎士剣のスイングも回避する獄獣だが、体を回転させた折にその巨大な脚を振るい、自らに斬りかかろうとしていたユース目がけて巨木のスイングのような一撃を放つ。ぞっとする特大のスイングに、ユースは全身を出来る限りまでかがめて回避するが、目の前で回転を為した獄獣の右腕が振り上げられた光景は、直後自らへの拳の鉄槌を予感させるもの。


 身の毛もよだつ戦慄に、思わずユースが後方に勢いよく跳ねたが、ユースが今しがたまでいた場所を拳の振り下ろしで空振った獄獣が、一気にユースとの距離を詰めてきた。その速度は、空中にまだ体の残るユースの目の前にあっという間に迫り、地に足がつかず、自由な動きも為せないユースの目の前、ぎらついた瞳を宿した獄獣の顔がある。


 やぶれかぶれでも騎士剣を振って抵抗しようとしたユースだが、それすらもさせて貰えぬまま、獄獣の掌がユースを捉えた。もはや遠方にいて手も出せぬシリカが、彼の終わりを予感する光景に目を見開いた直後、獄獣の巨大な掌に握られたユースの姿がそこにあった。


「よーし、まずはおとなしくしろよ。話を聞くなら、お前もこいつも殺しゃしねえからよ」


「ユース……!」


 顔面蒼白のシリカが地を蹴ろうとするが、獄獣は横目でシリカをにやりと睨みつけ、自らの顔近くにユースを持ってきてシリカに見せ示す。動けばこいつの命は無い、と、言葉なくともすぐわかる所作だ。騎士剣を握った方の右腕と胴体を、獄獣の手で握り縛られた形のユースは、左手で獄獣の指を押しのけようと必死に抵抗している。だが、岩石をも握り潰せる獄獣の握力は、人間の抵抗などではびくともしない。


「なるほどな。お前、霊魂をすり減らし過ぎたのか。どおりで実力と見た程が釣り合わねえわけだ」


 その手に握るユースを顔の前に持ってきて、瞳を覗き込む獄獣は納得したように笑う。まったく身動き取れぬまま、獄獣の巨大な牙を目の前にしたユースは、迫る死の予感に必死で足掻かずにはいられない。二十歳を超えた騎士たる男が、恐怖に染まった顔で目の前の光景から顔を逸らしながらじたばたする光景など、普通なかなか見られるものではない。


「や、やめろ……! ユースを放……」


 シリカが体を前に進めようとしたその時のことだ。ゆっくりと顔の近くからユースを離した獄獣が、遠きシリカの前で一度ユースを止める。シリカが一歩目を踏み出したその瞬間、獄獣の大口ががばりと開き、凄まじい速度で手に握るユースを口の方へ運び、がつんとその牙を鳴らした。


 その残像はまさに、ユースの頭を獄獣が噛み砕いた光景を思わせるもの。一歩目を踏み出した時点で完全に凍りついたシリカの前、噛み合わされた獄獣の前歯の間近、ユースの頭がある。ユースのすぐ目の前にあるのは、閉じられた獄獣の口のみだ。


 凄い速度で口に運ばれ、あの大口が開いた瞬間、時間が止まったかと思った。前歯を鳴らす獄獣の音が、自分の人生の幕を閉じる鐘の音に聞こえた。獄獣に頭を噛み砕かれる疑似体験をしたばかりのユースは、見開いたまままばたきも出来ない目を停止させ、抵抗も忘れて固まっていた。


 完全に打ち砕かれた心が、はっはっと途切れ途切れの呼吸をユースに繰り返させる。肺も気道も締め潰されたようなこの感覚は、生きた心地がしないという言葉があまりに似合いすぎている。


「動かず黙って俺の話を聞け。次は噛み砕くぞ」


 有無を言わせぬ説得力を伴う恫喝に、シリカも心が折れたかのように構えていた騎士剣を降ろす。真っ青な顔色は彼女の心境の色をよく表したものであり、自らではない者の命を乞うような目が、どうしても隠せずに獄獣に向いてしまう。それは魔物への屈服に他ならず、本来ならば意地でも敵に向けまいとするような目だ。


「いい心構えだ。ついでにその剣、捨てな」


 くい、と獄獣が顎で示す方向に、唇を噛み締めたシリカが数秒後、剣を放り投げる。騎士の誇りである剣を手放すことは、丸裸で降伏するのと同じことだが、今のシリカには選択肢も無ければ、それに抗う心さえ獄獣の目に握り潰されていた。


「よし、いいぞ。これで話ができるな」


 ユースを握り締めたまま、シリカに歩み寄る獄獣。どのみちユースを見捨てて逃げる道を選ばなかった時点で、人質を取られた上にこの地力の差、勝てる勝負ではない。自らの死、守れなかったユースの死を共に覚悟したシリカの目は、悔しさを通り越して失意の目に染まっている。にじり寄ってくる獄獣から一歩だけ逃げてしまったのも、折れた心を体現する行動だっただろう。


 シリカのすぐ前まで迫り、ぐいっと顔を下げてシリカの前に目を持ってくる獄獣。巨大な頭が自らに迫ってきたことに、たじろいだ体のままぐっと目をつぶるシリカ。噛み砕かれて死ぬ、自らの終わりを予感した法騎士も、今ここにおいてはただの女の姿だった。


「取り引きだ。俺は、一度頂いたお前らの命を返してやる。その代わり、俺に協力しろ」


 目をぎゅっと絞ったシリカの目の前、獄獣は低い声でそう言った。恐る恐るに近い形で目を開けたシリカの前にあったのは、赤黒い、まさしく怪獣のようなごつごつした獄獣の顔。しかし確かに、その赤い目には、不思議と殺意らしきものが感じられなかった。


「お前やこいつは、今ここで俺に殺されていた。それはわかるな?」


 止まらぬ汗を伝わせながら、屈辱に満ちた表情でシリカは小さく頷く。対する獄獣は、その場にあぐらをかき、シリカと顔の高さを近くする。この巨体は座ってもなお、立った人間を相手にしても同じような高さに頭がくるようだ。


「だから、生き延びたければ俺に協力しな。言うことを聞くなら、お前もこいつも解放してやろう」











 岩壁に埋められた蛍懐石の数も妙に少なくなり、薄暗さに拍車のかかる坑道。というより、もはやこの道はかつて人の手で拓いたものではなく、魔物達が自分達の手で作った道ではないか、と思えるほど、ベルセリウス率いる隊が歩く道はいびつな形をしていた。


 持ち込んだ大粒の蛍懐石に魔力を込めると、蛍懐石はその魔力に応じて光を放ってくれる。魔力の扱いに慣れたベルセリウスをはじめ、彼の率いる法騎士達――第19大隊隊長であるタムサート達も、先行く道を照らす光を、握った蛍懐石で作っていた。この光を絶てば、恐らくは闇に近い道を歩かねばならない。人が歩くにあたって、いかに光が勇気の支えになるかが、暗い洞窟を歩いているとよくわかる。


「……まさかとは思うが」


 嫌な予感を口にして、ベルセリウスは平坦な速度で隊を率いていく。歩く道の脇、所々に散らばる魔物の死骸。先行の隊が、自分達より先にこんな場所に辿り着いて、魔物達を討伐したものとは思えない。光に照らされ血みどろを絵に表す闇深いな光景は、女の子である傭兵プロンにとっては刺激が強く、畏れ多い勇騎士様のそばに近付かずにはいられない。そうでもしないと、不安に耐えられなくなりそうなのだ。


 やがて辿り着く、袋小路。そこには何者もおらず、打ち捨てられた魔物の死体や、人間の体の一部や衣服の切れ端が転がるばかりだ。そして遠目には岩壁のように見える行き止まりの末も、よく見れば異様な不規則な形をしたもので、それが山積みの死体であるとわかる。近付いてそれを知ってしまったのを、後悔すらしてしまいそうな光景だ。


「これは……」


「……恐らくここが、黒騎士ウルアグワの棲み処だったんだろう」


 息を呑む騎士達の前にて、黒騎士をよく知るベルセリウスはそうつぶやいた。過去にも無数の、人智の限りでは閃こうとさえ思えないような非道を重ね、人類を苦しめてきたウルアグワ。ここで見られる人間や魔物の死骸も、ウルアグワが新たな何かを作ろうとする中で、その血肉を利用された哀れな命の成れの果てなのだろう。


 ふと、その死骸の山の一部がもぞもぞと動き出す。誰もが警戒した光景だったが、岩壁いっぱいをも飲み込む死骸の山からのそりと姿を現したのは、一匹のイビルスネイルだ。巨大なカタツムリの姿をした何かは、のそのそと死骸を這いずり回り、騎士達の心に言い知れぬ不安を落とし込む。


 一刻も早く、このおぞましい場所から立ち去りたい騎士達がそう出来ぬのは、指揮官であるベルセリウスが踵を返さないからだ。死骸の山を練り歩く数匹のイビルスネイルを観察するベルセリウス。その目の動きに伴い、少しずつ、少しずつ情報が勇騎士の瞳に刻まれていく。


 みるみるうちに、ベルセリウスの表情が険しいものへと変わっていく。それを見た騎士達の目に感じられたのは、勇騎士様も目の前の光景には心を犯されずにはいられないのかという印象。だが、この戦場で誰よりも、悪名高い黒騎士のことをよく知るベルセリウスが導いた答えは、若い騎士達よりも遥か先を見据えた結論だ。


「……してやられた。黒騎士ウルアグワは恐らくもう、この廃坑内にはいない……!」


 魔性のエビルスネイルから感じられた気配と、その本質。そしてそれを生み出したのが黒騎士ウルアグワだとしたら、おそらく黒騎士は――


「撤退する!! この金鉱区はあまりにも危険過ぎる!!」


 力強い声と共に駆け出す勇騎士に、状況が呑み込めぬままにして追従する部下達。信じる勇騎士様に続くことには何の疑念もなかったが、その真意が読めないことは、騎士や傭兵達の心にもいささかの落ち着かなさを心に落とし込んだものだ。


 だが、世の中には読みきれなくてもいいことだってある。勇騎士ベルセリウスが立てた仮説は、それがもしも真実であるならば、ぞっとする想いを抑え切れなくなってしまうものだからだ。











 アルム廃坑の行動内を歩く、3つの影。一つは痛む全身に耐えながら歩く騎士であり、一つはそんな彼を気遣うようにそばを歩く細身の法騎士。その二人の僅か前、人間二人と共に歩いている光景は不釣合いな、怪物の姿がある。


「獄獣、お前にも……」


「ディルエラって呼べ。獄獣ってのはお前らが勝手につけた名前だろ」


 振り返らず、シリカの言葉を切って応じる獄獣ディルエラ。不機嫌を表したような声色ではなかったが、自分ならびにユースの生殺与奪を握られたシリカは、そんな反応ひとつとっても敏感に鳥肌を立ててしまう。


「……ディルエラ。お前にも手に負えぬ魔物とは、どんな奴なんだ」


「お前だぁ? 自分の立場がわかっているなら、貴方様とでも呼ぶものじゃねえのか?」


「っ……」


「ぐはは、嘘だ嘘だ。俺はウルアグワのように、精神をいたぶる趣味はねえよ」


 音のよく響く坑道に、獄獣の笑い声が反響する。低い声でシリカを恫喝するような声を発したかと思えば、直後には低くとも明るい声で冗談だと笑うのだ。強者の余裕を見せ付けられた形でもある一方、掴めなさを纏うディルエラの態度に、シリカも言葉を失ってしまう。


 歩きながら腰元の葉巻を手に取ると、それを口にくわえて指を鳴らすディルエラ。火のついた葉巻から煙を吸ったディルエラの後ろ姿だが、はあと煙を吐いた声だけで、煙草に満足げな顔が想像できる。


「お前らも出会っただろ? あの骸骨の化け物によ」


 シリカとユースの脳裏に蘇る、先ほど交戦した末に撤退を余儀なくさせられた怪物。骨を組み合わせたあの怪物こそ、今このディルエラが標的としている存在らしい。


「あれはウルアグワの失敗作だ。あいつは加減を知らねえ改造技術が悪い癖で、時々あんなふうに、俺達の言うことも聞かねえような魔物を作っちまう」


 死霊を操る黒騎士ウルアグワがあの魔物を作ったというのなら、ある意味納得のいく話だ。自然な発想で、死体の骨を集めてあの怪物を作ったのだろうか、と推察するユースだが、それは普通に正しい答えを導き出している。


「俺達は"サイデル"と名付けたあの骸骨魔物だが、粉砕してもすぐに蘇っちまうあの生命力と、安定した魔力と攻撃力を持つサイデルは、兵力としては優秀だった。ただ、いかんせん俺達の言うことを聞かず、なりふり構わず魔物含めて食っちまうような奴だったから、しばらくはこの廃坑の最下層に閉じ込めてたんだよ」


 あの全身骨の怪物が何を食うのだと、シリカも一瞬思ったものだが、要するに魔物同士でもお構いなしに命を奪うような怪物だというのが事実らしい。獄獣ディルエラが疎ましそうな声でそれを語るのも、それが理由なのだろうとすぐわかる。


「あいつを根絶するには俺一人じゃ手間がかかり過ぎるし、アーヴェルの奴はリスクのある仕事は絶対に引き受けねえ。ウルアグワに関しては、せっかく作った飼い犬を殺すことはあるまい、とか言って放置だぜ。アジダハーカやカティロスを使ってもいいが、あいつらが殺されたら勿体ねえしな」


 ディルエラ目線でも、例の怪物は滅却したかったのだということがよくわかる会話。部下を食い散らかす怪物など、魔王マーディスの遺産にとっても、餌のかかり過ぎるペットだったということだろう。黒騎士ウルアグワだけが、構いやしないといった態度だったというのが、その冷血さを醸し出しているが。


「騎士団の連中がこの廃坑に来るっていうから、せっかくだからお前らに潰して貰おうと思って解放したんだがなぁ。どうもお前ら頼りなくて、惨敗って感じだったしなぁ」


 騎士団があの怪物に隊を壊滅寸前まで追い込まれ、逃亡の一途を辿らされたことを、ディルエラはまるで見てきたことのように話してくる。シリカやユースにとってはそれは別段不思議なことではなく、なぜならディルエラには、彼特有の察知能力があるからだ。それは長い戦いの歴史の中で既に知られていることであり、騎士団に属する者なら、だいたい誰でもが知っている。


「まあそういうわけだから、俺が自分でやることにしたわけよ。とはいえ一人じゃ人手に欠けるし、せっかくだから手伝いが欲しかったっつーわけだ」


 歩きながら、後ろを歩くシリカとユースをちらりと見るディルエラ。配下の魔物を率いてそれをやると、配下を殺されるリスクがある。だから敵対陣営であり、死んでも相手陣営への損害としかならない騎士の力を借りようとしたディルエラの狙いは、魔物陣営にとっては丸儲けへの道筋だ。


 ディルエラの要求は極めてシンプルなもの。シリカとユースは、この獄獣ディルエラと一時手を結び、金鉱区を徘徊する骸骨の化け物、サイデルの討伐に力を貸すことを求められている。命を一度奪われた二人に、ここに来て拒否権などなかった。


「まあ頑張ってくれや。あいつを根絶できるなら、お前ら二人の命は見逃してやるからよ。もっとも、サイデルの野郎に殺されちまった場合は知らねえが」


 冗談になっていない冗談に高笑いするディルエラの後方、シリカもユースも歯噛みする想い。魔物と手を結ばねばならぬこと、あの怪物と再び向き合わねばならぬこと、このディルエラが本当に約束を守ってくれるとは信じきれぬこと。不安と屈辱でいっぱいの二人だったが、今は耐えるしかない。


「それなりに頑張って早く結果出さねえと、お前らのお仲間さん達の安全も保障できねえぜ。この廃坑、至るところにウルアグワや俺、アーヴェルの仕掛けていった罠が潜んでんだからよ」


 そう、それもあるから、シリカもこんな所で足踏みしている現状が、つらくてたまらない。第14小隊のみんなは無事だろうか。彼らの安否が気がかりで仕方ないだけに、今はひとまず頭を切り替え、ディルエラの言うとおり、サイデルと呼ばれた魔物の討伐を急ぐべきなのかもしれない。


 獄獣ディルエラの至近距離など、危険地帯の一等地。だが、一等地はここだけではないのだ。











 エレム王国第44小隊とは、騎士団内において現在、徐々に功績を上げつつある新鋭気質の部隊だ。人数そのものは18人の部隊と小規模だが、ここ1年間で属する騎士達、傭兵達の実力も随分と底上げされてきたもので、成長著しいこの隊は騎士団上層部にも期待を抱かせつつある。そんな第44小隊が駆ける、アルム廃坑武鉱区の外部山地の盆地もまた、多数の魔物が出没する激戦区だ。


「っ、く……!」


 この小隊に属する女騎士、ルザニアにとって、自ら目がけて大斧を振りかぶってくるミノタウロスの攻撃は恐ろしいものだ。養い続けてきた反射神経と足取りでその攻撃をなんとか回避するものの、自覚するとおり逃げてばかりで反撃の糸口が見つからない。こんな魔物を単身撃破する先輩の騎士達は、いったいどれほど自分より高みにいるのだろうと、考えずにはいられない。


 だが、戦いは一人ではない。遠方より矢を放った騎士の援護射撃により、ミノタウロスの右の目が危険に晒される。反応したミノタウロスはその斧で矢をはじき落とすが、その瞬間ミノタウロスの左から近付いた騎士が、ミノタウロスの左大腿部を切りつける。すぐに離れたからよかったが、返す刃で斧を振り抜くミノタウルスの攻撃が、あわやルザニアの同僚の体を真っ二つにしていた瞬間だ。


 正しく状況を見定めて、ミノタウロスに近づけただけでもルザニアの判断力は、流石に騎士の名を語るだけのことはある。仲間が傷つけたミノタウロスの大腿部、そこを勢いよく騎士剣で斬りつけ、退がるのではなく前進し、ミノタウロスを追い越すように離れていく。右脚でルザニアを蹴飛ばそうとしたミノタウロスの攻撃は、ルザニアを捉えるに至らない。


「下がっていろ、ルザニア! 無茶をするな!」


 その好機にこそ踏み込む、第44小隊最大の兵力。軽鎧を身に纏う、二十代半ばの茶髪の上騎士、第44小隊の隊長たるイッシュ=アイジスが、ミノタウロスの背後から距離を狭める。今しがた、ルザニアとは離れた位置で、一匹のミノタウロスを単身撃破してきた帰り様だ。


 敵の接近を感知したミノタウロスは、その斧を振り回して後方から迫る上騎士イッシュをなぎ払う。前進する速度を緩めずして頭を低く下げたイッシュの動きは斧を頭上にかすめさせ、ルザニア達が傷つけたミノタウロスの左足をさらに深々と切りつける。このミノタウロスを視界に入れた瞬間に、今の敵の急所がどこであるかを見定めたその眼力たるや、流石はいち小隊の隊長だ。


 並の傷では力を失わない強靭な脚を持つミノタウロスも、いよいよ使い物にならなくなった左脚で巨体を支えられなくなり、ぐらついてのけ反るように左の膝をつく。その瞬間を見逃さず、後方からミノタウロスの後頭部に騎士剣を突き立てる騎士の働きが、二十歳を前に若くして戦場で勇気を発揮する才覚を物語っているといえよう。


 本来ミノタウロスという怪物は、こうして多角からの協力体制を入念に敷いて討伐される魔物なのだ。第44小隊の隊長である上騎士イッシュはさておき、この魔物を単身討伐するというのは、一般的な騎士にとってあまりに難しい話である。だからこそそれを正しく認識し、力を合わせて強力な魔物を討伐する第44小隊の有力なスタンスであると言えよう。だから今日まで、結果を出せてきた。


「前に出すぎるなよ、ルザニア。実力以上のことを為そうとして、命を失っては元も子もない」


「……はい。すみません」


 己の力及ばなさを指摘される苦さも、ルザニアは潔く受け入れる。法騎士シリカに憧れて騎士への道を歩み始めたルザニアである一方、この第44小隊に配属されて以降、上騎士イッシュに抱く敬意も、それに等しく大きい。厳しい表情で自らを叱責するこの人物も、平常時はいつも心優しく小隊の部下を案じる人物だ。なかなか先輩から一本取れずに悩んでいた自分の悩みを、夜通し聞いてくれたこともある。


「進軍を続ける! 第30中隊の戦域を目指し、合流し……」


 目覚ましい活躍と積み重ねてきた功績により、近くは高騎士への昇格も視野に入っていると言われる隊長。その張りのある声を聞いただけで勇気が沸いてくるし、この人の背中を追う限り、何の不安も抱かずにどこまでも走れる。そう思えるほどルザニアにとって、この人物は大きな存在だった。




 そんなルザニアがイッシュの背中を追うべく足を駆けさせようとした瞬間、その目の前で起こった光景は、まったくもって信じられるものではなかった。ルザニアに背を向け、前進へと5歩踏み出した上騎士イッシュの頭が、一瞬で吹き飛んだからだ。




 眼前の光景はあまりにも非現実的で、思わず踏み出しかけた足を凍りつかせ、ルザニアはその両目を見開いた。目の前で、さっきまで生きた上騎士であったものは、左に向けて爆散した頭の動きに倣うかの如く、前進のベクトルと併せて左前方にその身を投げ出し、倒れてしまったのだ。


 呆然とするルザニアの前、一匹の魔物が立っている。隊長の動きしか目で追えなかったルザニアが、数秒遅れて視界のピントをその魔物に合わせた瞬間、その巨体は少しの距離をおいて立っているにも関わらず、大きな体躯が視界一様に捉えきれぬほどのものだとわかる。


 草葉で編んだような蓑のような衣服、肩と肘と膝を守る金属性のプロテクター、異様に太い豪腕と脚。裸足の足が、今しがた蹴飛ばした人間の血で真っ赤に染まっていることは、上騎士イッシュを葬った凶器がの足であることを物語っている。


 そして、ぎょろついた赤黒い瞳の雄馬の仮面で顔を隠し、雄獅子のたてがみのような髪を仮面の横から無数に溢れさせる姿。蓑で隠れた首元をも覆い隠す髪とその仮面は、たった今起こった出来事に頭がついていかないルザニアの意識にも割り込んで、まさかという感情を抱かせる。この異形の存在は騎士団内においてあまりに有名で、名高く知られるものだからだ。


「……ここにもいない。主のような"耳"が、俺にもあればいいのだが」


 周囲を見渡す、獄獣の右腕として知られる怪物。"番犬"アジダハーカの参入は、この場でその姿を見たすべての騎士に恐怖を抱かせ、賢明な傭兵は指示など受けずとも、すぐに背を向けてこの場からの逃亡を計っていた。しかしそれは、間違いなく正しい判断だったはずだ。


「まあ、仕事はせねばな」


 ちょうど目にした"賢明な"傭兵に急接近し、あっという間に距離を詰めるアジダハーカ。その体躯に似合わない速度は一瞬で獲物との距離をゼロ近くにし、死の予感に敏感なその傭兵は、思わず気配に振り向かずにはいられなかった。その時目の前に映った、巨大なアジダハーカの肉体が宙にある光景が、彼にとって最後の景色。その太い脚があまりに速く振り抜かれたことは、傭兵の瞳に認識すらされなかった。


 極太の金棒を振り抜くようなアジダハーカの蹴りは、人間の側頭部に直撃したその瞬間、首の骨を折るのを通り越し、首と繋がった人間の皮膚を一瞬で引きちぎる。それに留まらず、あまりにも重いパワーは人間の頭を風船のように破壊し、首から上を綺麗に爆散させる結果を残すのだ。アジダハーカの動きを目で追うことも出来なかったルザニアには見えなかったことだが、その有様を見た周囲の騎士達は、今のが上騎士イッシュの命を奪った攻撃であることを再認識することになる。


 無言で騎士達を見渡すアジダハーカに、騎士達の心臓が掌握される中、ルザニアは半ば放心状態でイッシュ上騎士の亡骸に駆け寄る。そこにあったのは、首から上を吹き飛ばされた上騎士の肉体のみであり、その手には彼が騎士団入隊当時から大事にしていたという、彼の名を刻んだ騎士剣が握られたままだ。


「い……っ、い……や……」


 目の前の死体が、敬愛する隊長のものであると、頭が受け入れるまで何秒かかっただろう。現実を目の当たりにし、それを頭が認識した途端、やがて今まで一度として漏らしたことのない声が溢れ始める。震える唇が、見開いた瞳が、青ざめた顔が、思わず後ずさる足が、騎士剣を取り落とす手が、少女の深き絶望を全身に表している。


「いやああああああああああっ!!」


 戦場に轟く、二十歳に満たない女騎士の悲鳴。それはまるで、惨劇の始まりを告げる前奏曲。ルザニアの悲鳴とほぼ同時、地を蹴ったアジダハーカが、また一人の騎士に接近し、太い脚を振るってその頭を吹き飛ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ