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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第8章  和順に響く不協和音~ディスコード~
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第127話  ~シリカが法騎士になった日② 功績の横取り~



「結局今日もマグニスは働かなかったな。いい加減、お前そろそろクビにされんじゃね?」


「えー、だって旦那やシリカがいるんですから俺が出る幕もなかったでしょー。正直手を出したところで邪魔者扱いになるかなって」


「言い訳するなっ! お前が働いてくれれば私達やダイアン様も随分楽になるんだっ!」


 この日、高騎士ダイアンを隊長とする、エレム王国第6中隊は、魔導帝国ルオスから魔法都市ダニームへと繋がる道を進んでいた。ルオス地方のとある町を魔物の一団が襲撃し、たまたまルオスに居合わせていたダイアン達がその撃退に協力し、その足でそのまま祖国へ帰るという流れの中だ。まあ、当時としても今としても、よくある話である。


 笑いながらマグニスをなじるクロムと、子供以下の言い訳でサボりを正当化しようとするマグニス、そんなマグニスの頭にぐりぐりと拳を押し付けて怒るシリカを、隊長のダイアンも、周囲の騎士達も笑いながら見守っている。当時、19歳にして既に高騎士の地位にあったシリカを中心に集まったこの3人は、ダイアン率いる第6中隊内において、ムードメーカーとも言える立ち位置だった。生真面目で融通の利かない女騎士様だが、日々苦言を呈しつつも二人の傭兵と固い絆で結ばれている姿には、クロムとマグニスどちらがシリカの未来の旦那様になるだろうか、なんて議論が、第6中隊内でまことしやかに立てられたりもしていた。


「……ん?」


 そんなシリカ達を見守っていた高騎士ダイアンだったが、ふと、南に目を向けた瞬間に怪訝な目を浮かべた。馬にまたがりゆっくりと東へ向け、名も無き平原を進んでいた第6中隊に、地平線の向こうから近付いてくる何かがある。


 かなり遠いうちから、その大きな体を想像させる影だ。警戒するダイアンの目線の先にシリカ達も目を向けるが、誰もが、一匹の魔物がこちらに飛来してきた、ぐらいの印象しか抱いてなかっただろう。




「ちっ……騎士団か……! つくづく目障りな蛆虫どもが……!」




 遠方でつぶやいた何者かは、敵を遠くして魔法の詠唱に入る。空を飛ぶその魔物が掌を前に出した瞬間、無数の火球が第6中隊に向けて勢いよく飛来した。


 若干の混乱とともに、巨大な火球の散弾を馬を操って回避する第6中隊。編隊を組んでいた隊が散ってしまったが、並の魔物が相手なら数で押し勝てるだろう。その程度の認識で済む相手なら、それでこの話は済んでいたのだが。


「な……っ!?」


 火球が飛来したことに驚いたのではない。高騎士ダイアンが思わずその声をあげてまで驚いたのは、自分達に近付く魔物の正体が、近付くにつれて認識できたからだ。


 その魔物の特徴を、騎士団にいる者で知らない者はいないだろう。真っ赤な瞳の山羊頭に長い角、巨大な悪魔の黒翼に、足先まで鋭い藍色の毛に包まれた下半身、鮮血色の筋肉に満ちた上半身。絵に描いたような巨大な悪魔の風貌を持つ存在は、名を知らずとも向き合う人間に対し、死を予感させる威圧感を常に放っている。


「騎士どもが……! 少々、憂さ晴らしに付き合って貰うぞ……!」


 右目からどくどくと血を流す魔将軍エルドルは、飛来するや否や馬にまたがる騎士の一人に差し迫り、頭を掴んで一気に地面へと押し潰す。その騎士が乗っていた馬ごと、ぐしゃりと地面に叩き潰したその腕力は、豪腕の怪力を明確に見せ示したものだ。


 地に降り、自分を取り囲む形の騎士達をぐるりと見渡すエルドル。今しがた逃げてきたリリューの砦の南は、エレム王国の管轄下であり、西と東はダニームとルオスの息がかかった地方だ。北に逃れることを選んだエルドルは、片目を奪われた少し前の記憶に怒りを再沸騰させ、たまたま出くわした未熟な騎士達にその憤りをぶつけるべく、魔力をその両手に集める。


「まずい!! 耐魔障壁プロテクションスフィア!!」


火焔潮流(ディーネプロークス)……!」


 魔将軍エルドルを中心とする地面が赤く燃え盛り、やがてそこから発生する炎の渦。さらにエルドルが魔力を解放したその瞬間、その渦は一気に径を広げ、周囲の草原一帯を焼き払うように拡散する。


 周囲の騎士を守るべく、上官ナトーム直伝の防御魔法を展開したダイアンにより、ダイアンの前方広くに発生する魔力の壁。出会い頭ながら全力いっぱいの魔力を行使したダイアンの魔法障壁は、エルドルの放った炎の渦をせき止め、ダイアン周囲に広く、無風と炎の届かない範囲を作り出す。幸いにもダイアンの近くにいた数名の騎士は、魔将軍の炎に晒されることなく命を救われる。


「ふざけんな、この……! なんて炎扱いやがる……!」


「マグニス!?」


 馬から飛び降りたマグニスが、自分達の方に向かい来る、炎の渦の壁に自ら手を突っ込み、炎を操る魔力を全力で絞り出す。近い位置にいるシリカやクロムだけは、絶対にこの炎風の前には晒さない。友人を守るべく、迫る炎を歪めるマグニスの両手が、彼の後方だけに炎と風の届かない安全地帯を作り上げた。


 ダイアンのそばでも、マグニスの後ろでもない位置にいた騎士達は、次々とまたがる馬ごと炎に包まれていく。総勢41名で構成されていたエレム王国第6中隊は、魔将軍エルドルの魔法ひとつにて、あっという間に一桁の人数にまで減らされていた。


「貴様、イフリート族か……!」


 消し炭と化した騎士や傭兵の中、生き延びた赤毛の男を見据えたエルドルが、その身を猛進させてくる。凄まじい炎を防いだ直後のマグニスは軽く息を切らしており、振るわれるエルドルの爪を後方に跳んで回避したものの、続けざまに放たれる、頭めがけた回し蹴りに、僅か反応が遅れていた。


 その間に割り込んだ傭兵が、槍を構えて巨大な魔物の回し蹴りを食い止めた。回避されたことはあっても、人間の手で自分の物理的攻撃を食い止められた経験など殆どなかったエルドルは、目の前の人間の怪力に目を瞠る。


「舐めるなよ、クソ山羊が……!」


 血気盛んであった在りし日のクロムが、罵言とともにエルドルの足を押し返し、その槍を振るってエルドルの鼻先を傷つける。後ろに退がって回避したエルドルだが、身体能力強化の魔法か、あるいは亡国ラエルカンで人ならぬ力を得た者の生き残りか――いずれにせよ目の前の人間の剛腕には、力押しを望めぬと冷静に判断する。頭に血が昇っているほど怒り狂っていても、それを脳裏に焼き付けるほどには今の出来事は印象が強かった。


 魔力を翼に集め始めたエルドルの行動を中断させたのは、馬の背から勢いよく矢のように飛び出した勇猛なる高騎士の奇襲だ。頭から真っ二つにせんとばかりに、上空から騎士剣を振り下ろしてくるシリカの動きに、さらに後退して回避を為すエルドル。着地したシリカ目がけて裏拳を振るうも、頭を粉砕しにかかるその一撃をしゃがんで回避したシリカは、振り上げた剣でエルドルの拳に小さな切り傷を残していく。


 痛みがエルドルの怒りを駆り立て、同時に後方から迫るダイアンの攻撃に反応が遅れる。左の翼が既に傷つけられていることを見受けたダイアンは、背中に切りかかると見せかけ、後方への回し蹴りを放つエルドルの攻撃を回避し、跳躍ざまに右の翼を長い剣で以って深い傷を負わせた。


 飛行も億劫になる両翼の負傷に、燃えるような怒りを宿すエルドル。怒りのあまり周囲が見えなくなっている自覚をしつつ、その怒りを抑えきれない。そうした精神の揺らめきを打破すべく、次にエルドルが取った行動は、暴虐の限りを尽くしてきた魔将軍の思想を体現するかのようなものだ。


 翼を使わず跳躍し、魔将軍の登場にうろたえる騎士の傍に降り立ったエルドルは、巨大な拳を振り下ろして人間を馬ごと叩き潰す。一瞬にしてぐしゃぐしゃの肉体へと変えられた人間を、そのまま拳で握り締めたかと思うと、なんとエルドルはその人間だった肉塊を口に入れたのだ。


 あまりの行動にシリカ達も背筋を凍らせる中、ふざけるなと言わんばかりにエルドルに直進しようとしたクロム。そんなクロムでさえも半ばで足を止めずにいられなかったのは、振り返ったエルドルが、人間の肉を咀嚼しながら、殺気に満ちた真っ赤な目でこちらを睨みつけてきたからだ。その威圧感たるや、今あのそばに踏み込もうものなら無残な死、それを予感せずにいられぬほどのものだ。


 おぞましい光景に身動きさえ取れない若い騎士を見ると、そちらに勢いよく駆け、苦し紛れに騎士剣を振るった若い騎士の武器をはじき、その腰元をわし掴みにする。そのまま頭から口に運ぶと、若い騎士の胴体をその歯で食い千切り、下半身だけを右手に握ったまま、上半身をがりがりと噛み砕くのだ。


 悲鳴をあげて逃げ出そうとする周囲の騎士や傭兵に、一人一人掌を向け、火球を放つ。背を向けた騎士や傭兵は次々と馬ごと炎に焼かれていき、人間の肉が焦げる激臭が平原に漂う。その後、右手に握った先ほどの騎士の下半身を口に入れ、何度も噛み締める。必要以上に、何度も、何度もだ。


 高騎士ダイアン、シリカ、傭兵クロム、マグニスの4人を残し、あっという間の部隊壊滅。人間を食う趣味などないエルドルが、何度も何度も人間を噛み砕くのは、憎き人間を咀嚼して少しでも憂さを晴らすため。ほんの少し怒りの収まったエルドルは、再び自分に武器を向ける4人の人間にその眼差しを向ける。


紅蓮地獄(インフェルノ)……!」


「っ、耐魔障壁プロテクションスフィア!!」


 傷ついた翼をエルドルがはためかせた瞬間、魔将軍の魔力が炎の風となってシリカ達に襲い掛かる。魔法障壁を展開するダイアンだが、未熟な魔法使いであるダイアンの魔法障壁はエルドルの魔力に対しては不完全で、壁越しに肌をちりつかせる熱風を届けてくる。発火しない程度の熱に抑えているだけでも救いではあるが、シリカ達ならびに誰もがその顔を歪ませる。


 草原が火の海と化していく中、矢のようにエルドルに向かうクロムの姿がある。魔将軍の怪力とも渡り合えるパワーを、身体能力強化の魔法で得たクロムの連続攻撃が、エルドルの爪とクロムの槍で何度も火花を散らせる。残された4人の中、白兵戦で唯一エルドルと渡り合えるクロムが、魔将軍に次の魔法を発動させぬはたらきを見せている。


 回り込むようにエルドルの側面の位置に立ったマグニスが両手を広げ、掌に集めた炎の魔力を解放する。右目を失ったエルドルの死角から、その頭を撃ち抜く火球を放つマグニスの攻撃に、エルドルは身をかがめて回避。ほぼ同時に自分の脳天を貫きにかかる、クロムの槍による突きを、爪先ではじき上げて防御を兼ねる。


 それとほぼ同時、クロムの後ろから彼の脇を潜り抜け、魔将軍エルドルの横を通り過ぎ様に斬りつけて駆けていくシリカの姿がある。左足の筋を傷つけられたエルドルの体が傾くが、屈強な肉体を持つ魔将軍は体勢を崩すには至らず、クロム目がけて特大の拳による突きをくり出して来た。槍を構えてその攻撃を受け止めるクロムだが、身体能力強化を以って、さらに後方に跳んで衝撃を逃がしてなお、その圧倒的パワーによってクロムの大きな体が吹っ飛ばされる。


「どこまでも目障りな人間どもが……!」


 魔将軍エルドルの後方の空間に、ぴっと一閃の裂け目が入った。魔力を集めるエルドルの精神の為すがまま、空間に開いたその亀裂の奥から、凄まじい熱気が溢れている。


「ここだ……!」


 ダイアンは駆けていた。唯一にして最大の好機となる数瞬後を見越し、全魔力を抽出して魔法の発動に備えながら。


「消え失せろ!! 煉獄の風(ファイアストーム)!!」


炎熱封壁(バーンクルシブル)!!」


 エルドルの作り上げた裂け目から、すべてを焼き尽くさんばかりの炎の風が発生した時、それは起こった。エルドルの周囲に突然現れた魔力の壁は、魔将軍を取り囲み、亀裂から猛烈な勢いで噴き出す炎の風を受けた瞬間、それをはじき返して炎熱をエルドルへと撃ち返す。


 囲まれた壁により、逃げ場を失った煉獄の風(ファイアストーム)の魔力が、術者である魔将軍エルドルの全身を焼き包むのだ。風に抗う魔法を手にしたナトーム、炎に抗う魔法を手にしたダイアン。炎と風を操るエルドルを、いつか力を合わせて撃ち果たさんと共に歩んできた二人の騎士、その一人が作った炎熱封壁(バーンクルシブル)の魔力は、エルドルの放つ炎の魔力をそのまま返し、魔将軍の全身に凄まじいダメージを与える。炎だけに抗う魔法障壁ゆえ、熱風そのものは障壁を越えてダイアン達に襲い掛かるが、凄まじい風として届くだけで火傷を負うほどのものではない。


 草原一帯に響き渡るような咆哮とともに苦しむエルドルが煉獄の風(ファイアストーム)の魔力を打ち切り、火が消えたその瞬間、炎熱封壁(バーンクルシブル)の魔力を注ぎ込んでいたダイアンが膝をついて崩れ落ちる。魔将軍の魔力をはね返すほどの魔力など、魔法の扱いに特別秀でているわけでない一人の人間が抽出すれば、めまいさえ覚えるほど霊魂を傷つけるものだ。


 そして障壁が消えたその瞬間、クロムの突き出した槍がエルドルの喉元を、跳躍したシリカの騎士剣が魔将軍の頭部を捉える。気道を貫かれ、左の角を含めた頭の一部を切り落とされたエルドルは、ぐらりと後方によろめく。片目を失った末にこの負傷、決着だと確信するにはあまりに充分なものだ。


 だが、ぐらついた拍子に喉を貫いた槍が抜けた瞬間、エルドルがその左目をぎらりと光らせた。どこまでも自分をこけにしてくれた人間に対し、絶命寸前の魔将軍エルドル最後の魔力が、憎き人間に向けて放たれる瞬間だ。


「まずい!! シリカ、旦那、離れ……」


 魔将軍エルドルの上空に突然発生する、超特大の範囲円。太陽の光さえも広く遮る巨大な円は、その下にシリカ、クロム、ダイアン、そしてエルドルをも含めた範囲を捉えている。魔将軍の全身から放たれる絶大な炎の魔力を感じ取ったマグニスが駆け寄るが、その円が地獄への門を開くのはすぐの出来事だ。


超高圧炎(プロミネンスフラッド)……!」


 太陽そのものが降ってきたかと思えるような、炎の塊が勢いよく上空の円から落ちてきた。上を見たシリカとクロムは、一瞬で目の前が光でいっぱいになり、数秒後にはこの光に呑まれて、自分の体ごとこの世から消えてしまう予感しか感じられなかったものだ。


「っ……炎熱(バーン)封壁(クルシブル)……!」


 力尽きた肉体と精神、霊魂。それでもなお、生き残った部下の命を守るため、高騎士ダイアンはその魔法を展開した。シリカとクロムを包み込む、真っ赤な魔力の壁。炎から対象を守ることに特化したその魔力障壁は、呆然とするシリカ、生存を諦めてふっと息をついたクロムを瞬時に守り、二人を襲う炎の塊を防ぐ役割を果たす。


 本来一人ぶん守るだけの魔力で精一杯だったところを、限界を超えて魔力を絞り出したダイアンは、二人ぶんの魔法障壁を作った。自分自身を守る力が残されていなかったダイアンは、二人の無事を祈る眼差しを浮かべたまま、肩から地面に倒れこんでしまう。空からダイアンを焼き潰す炎が迫るが、もはや今のダイアンに、それに抗うだけの力はなかった。


「死なせるかよ……シリカの上司さんよ……!」


 炎がダイアンに直撃する僅か前、ダイアンのそばまで滑り込んだマグニスが、両掌を上に掲げる。直後、下に向いて吹き付ける凄まじい風と、岩石をも真っ赤に染めるほどの灼熱の炎が、ダイアンならびにマグニスを押し潰そうと迫った。


「ぐっ……が……!? ちく、しょうがあ……っ!!」


 殺意の炎に抗う魔力を全力で解放し、マグニスがダイアンを守るべく踏み留まる。近く周囲が炎に包まれ、その向こうでシリカやクロムがどうなっているかも見えない中、圧力に屈さぬとばかりにマグニスは両脚に、両腕に力を、掌に魔力を余すことなく注ぎ込む。


 高騎士ダイアンなんて、付き合いのない騎士なんて本来どうなろうと知ったことではない。だが、彼が命を失えば、ダイアンを敬愛するシリカは泣くだろう。我が身を捨ててでも、友人達を救う魔力を解放してくれた男を守ると固く決めたマグニスの精神は、魔将軍の断末魔の魔力に抗えるほどの魔力を、霊魂から絞り出す。


 灼熱の業火に晒された魔将軍エルドルの肉体が、炎に包まれていく。自らの死を、遥か彼方の同胞にさえ伝えられるのではないかと言えるほどの、凄まじい咆哮を放つエルドル。そしてそれは、長らく人類を苦しめてきた魔王マーディスの遺産の一角、魔将軍最期の一声として草原に響き渡った。


 自らの肉体を自らの炎で焼き尽くしたエルドルの魔力が切れた時、シリカ達を包んでいた炎の圧撃も消えていく。燃え盛る草原の火を、霊魂をすり減らしてがっくりと肩を落としたマグニスが、最後のひと仕事だとばかりに腕を振るった瞬間、シリカとクロム、マグニスの周囲にある炎だけが、鎮火を促すマグニスの魔力によって消えていった。


 仲間達の姿を見渡せるほどに視界が良好になったその時、マグニスは青ざめてシリカに駆け寄る。地面に倒れたシリカの姿は、ダイアンの魔力が不充分で、魔将軍の炎を防ぎきれずに彼女の命が奪われたことを意味しているようにも見えたからだ。自身も今しがた経験したばかりの、魔将軍エルドル最期の大魔法。そんな結果になっていてもおかしくない。


 シリカの名を叫び、彼女の体を抱き起こすマグニス。だが、気を失ってぐったりとはしているものの、息はしている。綺麗な顔に、火傷の跡もない。ダイアンが限界を超えて発動させた魔法は、彼女を襲う炎から、確かにシリカを守ってくれていた。


 シリカをゆっくりと地面に寝かすと、ほっとするあまり、腰が抜けたようにその場に座り込むマグニス。旦那は膝立ちながらもご存命のようだし、ダイアンも自分が守り通したはずだ。守りたかったものは、一つも失われなかった。


「……炎は防げても、風まではな」


「いや、それでも充分すぎますわ……」


 よろよろとマグニスに歩み寄るクロムも、上空から自分達を押し潰しにかかってきた熱風に全身をやられたようで、体の節々が痛むようだ。炎熱封壁(バーンクルシブル)の魔法はあくまで炎の魔力に抗うためのものであり、伴う風までは抑えきれないのだ。上空より凄まじい勢いでシリカを襲った風は、彼女の体を崩して地面に叩きつけるほどのものであり、その衝撃でシリカも気を失ってしまったのだろう。マグニスのように、はじめからそれに抗う心構えをして踏ん張るか、クロムのように屈強な肉体がなければ、あれには耐えられない。


 無事であったシリカをもう一度見て、ほうと息をつくマグニス。それを良かったなと一言からかった後、クロムはダイアンに歩み寄る。霊魂もぼろぼろになるまで酷使し、さらにはマグニスが炎から守ったとはいえ、凄まじい風の圧力に押し潰されたダイアンも、気を失っている。どこか悪い所はないかとさりげなく気遣いながら、ひょいっとダイアンを背負ったクロムは、行くかとばかりにマグニスに目配せする。そうっすね、とうなずいたマグニスも、シリカの細い体をゆっくりと背負い、立ち上がる。


 馬もすべて亡骸に変えられ、生き残った4人の戦士を除き、多数の騎士や傭兵が命を失った数分間。その末に生き残った二人は、広い平原をゆっくりと歩きながら、一番近い人里、魔法都市ダニームへと向かっていく。疲れ果てた体には、その短い道のりも過酷に感じられたが、親友のシリカ、その親友を守ってくれた恩人ダイアンの命を預かる形になった二人は、ものぐさな性分も今は忘れ、一歩一歩と安寧の地に向かっていく。


「お姫様抱っこでもしてみりゃどうだ? 悪くないシチュエーションだろ」


「結構ですわ。今日シリカにそんなこと出来るの、そこの兄さんだけでしょ」


 憔悴しきった顔で、軽口を叩きながら。無言で歩き続けるにはきつすぎる獣道を、戦い抜いた二人の騎士を背負い、傭兵二人が歩いていくのだった。











「――確かに私は、魔将軍エルドルの討伐には関わった。その功を受け、私は法騎士になったんだ」


 魔将軍エルドルの討伐という、途方もない功績。エルドルの片目を奪うという形で、その結果に向けて大きな一役を買った法騎士ナトームも、その功を以って聖騎士に昇格。高騎士であったダイアンも同じく法騎士へと昇格し、今に至る肩書きを持つというわけだ。


 当時19歳であったシリカが、法騎士という地位に押し上げていいものかという議論は、当時も相当交わされたらしい。その年齢の法騎士なんて、前代未聞の出来事だからだ。だが、魔将軍エルドルほどの巨悪の討伐に、直接関わったほどの者に昇格を認めないということになると、昇格を目指す騎士達にとってそれがどう捉えられるだろう。一体何を為せば昇格できるというのか、という話になってくると、若い騎士達の精力を削ぐかもしれない、という名分を掲げ、シリカの法騎士への昇格は決行されたのだ。


「……ちょっといいですか?」


 今の話を聞いていたユースが、怪訝な顔をシリカに向けて問う。危険がそばにある坑道を歩く中で、あまり周囲への警戒を怠ってはいけないのだが、どうしても気になるのでユースは尋ねたい。


「今の話と、聖騎士ナトーム様がシリカさんに冷たいことと、どう関係あるんですか?」


 普通の疑問。自然な反応なんだろうな、と、シリカも思う。だが、それに応えるシリカの目は、憂いを隠しきれていない。


「……魔将軍エルドルへの復讐のために半生を費やしてきたあの人だぞ。その仇を、あの人が消耗させた末に、その討伐の功だけを横から奪っていったのが私だ」


 エルドルとの直接交戦を担ったクロムや、魔将軍の炎に抗う力を見せたマグニス、炎の風を撃ち返す魔法で決定打を与えたダイアンの功績は、シリカも認められて然るべきだと考える。その中で、自分自身はあの時何が出来たのか。クロムやダイアンが作った隙を縫い、僅かな攻撃を魔将軍に与えていただけだと思えてならないシリカにとって、魔将軍エルドル討伐に携わった騎士と呼ばれることは、誇るどころか過大評価に思えて仕方ないのだ。


 その上で、魔将軍の片目を奪い、翼を傷つけた真の功労者を差し置いて、討伐の名誉だけを得て法騎士となった自分自身を、シリカはどうしても好きになれない。だから今でも、長年魔将軍への仇討ちを目指してきたナトームの、悲願成就の最後だけを掠め取っていった自分が、あの人に恨まれても仕方が無い、という発想に至ってしまう。


「いや、あの。怒られるかもしれないけど、言いますよ?」


 基本的にシリカに対しては、素直に言うことを聞くユース。しかし一方で、本来、強く想うところがあれば、それを口に出さずにいられない性格でもある。


「仮に、討ちたい仇を取られたからってナトーム様がシリカさんのことを恨んでいる、っていうのが本当だったとしても……それを理由にあの人がシリカさんにばかり冷たく当たるんだったら、俺やっぱりあの人のこと好きになれそうにないですよ」


 尊敬する人物に対してそんなことを言われる立場となるシリカが、困ることになるともわかっている。それでもユースの価値観の中では、仇を奪われたからと言って、部下を冷遇するような人物を、尊敬の対象になんて置けない。口にすることがたとえ賢明でないとしても、ユースはそう名言せずにはいられなかった。


「いや……あのだな」


 シリカは苦笑して、ユースの額を拳でこつんと突く。怒っている顔ではない。


「ナトーム様は、誰に対してもあんな感じだぞ? 私だけを冷遇しているなんてことはない」


 ちょっと考えすぎだ、とその後に続け、シリカは額をさするユースに並んで歩く。そう言われてしまうとユースも反論する言葉を失って、だんまりだ。


「……まあ、そう推察して、私を案じていてくれたのなら嬉しいよ。でも、あんまりそういう事を口には出すんじゃないぞ? 邪推も結構だが、あまり人を悪く言うものじゃない」


 軽くお叱りを受けた気分になって、ユースはしゅんとしてしまう。だけどその一方で、シリカも今の自分が放った言葉が、自分にも刺さる言葉だと感じ、自嘲するような目で遠くを見つめていた。


 果たして仇を奪われたという理由で、あの人は自分を恨むような人物だっただろうか。考えすぎだとユースに言った手前、自分もナトームに対して考えすぎていたのかもしれない、とシリカは思う。ずっと負い目に感じてきたことであったし、そう信じて疑ってこなかったが、冷静に向き合って考えてみれば、自分が勝手に立てた仮説が正しいなどとは限らない。ましてその事実からずっと目を逸らし続け、何が真実であるを手探りしてきた記憶もないのに、どうしてこんなに邪推を妄信してきたのだろう。


 ユースが苦言を呈してきたのも当然だったのかもしれない。それが、自分自身に対する批判ではなく、自分の立てた仮説によってユースがナトームのことを悪し様に言い表す形であったことは、ナトームを敬愛してやまないシリカにとっては、反省すべきことだ。


「……今度、機会があれば、ナトーム様とも一度お話してみるよ」


 もしかしたら、ユースにこのことを話してみたのは正解だったのかもしれない。ずっと逃げてきた、聖騎士ナトームと向き合うことに対して、少しは前向きになれた気がする。本当に、相談するつもりでも何でもなく、双方互いに本音を吐き出し合っただけだったのだが、それによって意図しない形で長く抱えてきた悩みに、光が差し込むなんてこともあるものだ。


 まさかそれが、ユースと話す形で叶うことになるなんて、昨日までのシリカには想像もできなかった。くすっとシリカが一瞬ユースに向けた目は、不思議とどこか感謝の意に溢れていたが、そう至った経緯なんて想像できるはずのないユースには、密かなシリカの想いになど気付けるはずもなかった。




 そんなことよりも、だ。




 ふぅと一息ついて、話も一締めにして前方に意識を傾けたシリカ。気持ちを切り替えて、危険がそばに迫っていないかを注視したその瞬間、ふとした違和感が第六感を刺激する。特に何か、変わったものが目に映ったわけではないのだが、不意に感じたこの視線らしきものは何だろう。


「……シリカさん?」


 一旦立ち止まり、ぐるっと周囲を見渡すシリカ。彼女の名を呼び、怪訝な顔をするユースは、特に勘が刺激されたというふうではない。実際自分の周囲、天井や地面も含めて360度を見渡しても妙なものは無く、これも考えすぎだったのか? とシリカも改めて前を向く。


 歩き出すシリカだが、先ほどより速く歩けない。何かおかしい。誰かに見られている気がする。殺気は無いが、自分たちの動向をこと細かに観察する何者かの気配のようなものが、全身に纏わりついて離れない。


 坑道は一本道だが、目の前にはひとつの曲がり角がある。曲がり角の前で、一瞬立ち止まりそうになったシリカだが、妙に汗ばむ、騎士剣を握る手の力を一度抜き、ユースを導くようにシリカは洞窟の曲がり角を曲がった。


「っ……!!」


 曲がった瞬間、シリカは心臓が止まりそうになる。ともすれば、驚愕の悲鳴が口から溢れそうなぐらいだった。角を曲がった矢先に素早く一歩退がるという、シリカの異様な行動に一瞬戸惑ったユースだったが、前方にあるそれを見た瞬間、ユースも同じく一歩退がらずにはいられなかった。


 反射的に騎士剣を構える二人。距離のある、坑道遥か先にあぐらをかいたその存在は、こちらを見つめながら、くわえた葉巻をぷっと吹き捨てる。


「中吉。本当にこの占いは、はずれたことがねえ」


 葉巻を一吸いにした時、どこまで吸えて灰が落ちるか。葉巻の半分以上を一度の吸いで灰に変え、今日の運勢を大吉に近いものと占ったその怪物は、よっこらせ、と一言漏らして立ち上がる。赤黒い筋肉で全身を包み、お飾りの鉄鎧を身に付けたその存在は、巨大な戦斧を背負って歩ける姿を見ただけで、その怪力無双ぶりを物語るものだ。


 一歩、その魔物がシリカ達に向かって踏み出しただけで、騎士二人は息を吸うのも忘れて凍りつく。骸骨の魔物から命からがら逃れて来た末、巡り会った存在は、それ以上に最悪の怪物だ。


「久しぶりだな。また会えて嬉しいぜ」


 口の端から溢れる牙がよく見えるほど、ぎらりと口の端を上げて笑う獄獣ディルエラ。この再会は獄獣の言葉とは真逆に、たった二人のシリカとユースにとっては悪夢のような出来事だった。

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