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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第8章  和順に響く不協和音~ディスコード~
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第126話  ~シリカが法騎士になった日① 不倶戴天の仇討ち~



「シリカさん」


「――ん?」


「……魔王マーディスの遺産、って、どんな奴らなんですか?」


 坑道内を歩く法騎士に、横をついて歩くユースが話しかけた。任務中に無駄口を叩くことなんて殆どない彼が口を開いたことに、歩きながらもシリカは思わずその顔を見る。


 珍しいな、とシリカが目を丸くする中、ユースも少しおずおずとした表情。返事がないかあるいは無駄口叩くな、と言われても諦めそうな顔だ。正直、疲れの方が顔によく現れており、会話で今の閉塞した空気を紛らわしかったとか、そういう意図なんだろう。敵のいない現在の周囲は二人にとってひとまず安心だが、かえって警戒心を切れないため、やはり精神面への負担は重い。


「……魔将軍エルドルのことを聞いているのか?」


「はい。獄獣と向き合った時、その強さには歯も立たなくて……シリカさんが法騎士ダイアン様と討伐したって言われる、魔将軍エルドルっていうのは、どんな奴だったのかなって……」


 そうしてシリカの過去に触れようとすることが少なかったユースが、思わぬタイミングで詮索を入れてきただけでも、普段の彼とは違うことがわかる。当時のことを興味本位でアルミナに聞かれても、あまり面白そうにそれを語ってこなかったシリカだったが、今ここで再びあの日のことを思い出す。


「まあ、ユースも聞いたことはあると思うが……」


 無双の魔力と身体能力で、人類の数多くを葬ってきたと知られる魔将軍エルドル。4体の魔王マーディスの遺産という存在の中にあり、魔物陣営の中でも最も多くの人間を殺してきたと言われるその存在は、人類にとっては獄獣や黒騎士、百獣皇以上に恐れられてきた存在だった。シリカも今の言葉の後に、そんな形容をいくつか並べたが、ユースにとっても聞き及んでいることばかりだ。


 ひととおり、一般に知られる魔将軍の特徴を羅列したのち、しばらく言葉に詰まるシリカ。それは、相手がユースだからこそ見せる顔で、その所以はすぐにその口から語られる。


「……そういえばユースは、聖騎士ナトーム様のことがあまり好きじゃなかったな」


 え、と声を漏らすユースは、勿論反応に困る。いいよ、とシリカは笑いかけてくれたが、ユースとしても、聖騎士ナトーム様という上層騎士に対し、不信を抱いているだなんて明言はしづらい。


「私がナトーム様に不当な扱いを受けていると、アルミナもお前もよく言ってくれていたな。でも、たとえそうだとしても、私はそれだけのことをされるだけの理由があるんだよ」


 遠い目で前を向き直し、過去を思い返す目をユースと向き合わせないシリカ。これまで話す機会もなく、思い出すだけでも彼女にとっては胸がちくちくと痛む思い出だが、もしかしたらこの機会こそ、長く黙ってきた真相を明かすいいタイミングなのかもしれない。


「この際だから、誤解を解いておくよ。私も聞き及んだだけの話は多いが――」


 ゆっくりと語られ始める、シリカの伏せてきた過去。高騎士であったシリカが若くして法騎士となったきっかけとして知られ、ナトームとの確執が生じたとシリカが確信している、あの時のこと。同時に脳裏によぎる、傍若無人な魔将軍の記憶が、今再び人の口によって語られる時間の始まりだ。











 怪力無双の獄獣ディルエラ。悪辣非道の策を好む黒騎士ウルアグワ。無比の魔力を持つ百獣皇。今なお恐れられる"魔王マーディスの遺産"として知られる魔物達の名に、魔将軍エルドルもその名を連ねていた。


 巨体から繰り出すパワーに加え、火術と風術を組み合わせた破壊的な魔法を武器に、魔将軍エルドルが滅ぼしてきた村や町の数は計り知れない。エレム王国、帝国ルオス、皇国ラエルカン、魔法都市ダニームに近しい縁ある町村。分け隔てなくいずれにも不規則に現れ、炎と風を操る大魔法で人里を焼き払い、その統率力で魔物達を率い、いくつもの村や町を壊滅へと導いてきた存在だ。比較的人里に顔を現すことの少ない獄獣や百獣皇に比べ、破壊と殺戮を好む思想を持つ魔将軍は人里への襲撃回数も多く、かつて人々が最も恐れていた魔王マーディスの遺産といえば、魔将軍エルドルと言っても過言ではない。ちゃんとした統計を取るまでもなく、魔王軍に属した魔物の中で、最も多くの人間の命を奪ってきたのは、この魔将軍であると歴史が語っている。


 今、騎士団で活躍する騎士、あるいは帝国ルオスの帝国兵の中にも、故郷を魔将軍エルドルに滅ぼされたという過去を持つ者は山ほどいる。それだけの町と村を、手広く滅ぼしてきた魔将軍は、魔王マーディスが討伐された後の遺産狩りの日々の中、最もその首を欲されたものでもあった。


 今は聖騎士ナトームと呼ばれる男もまた、故郷を魔将軍に奪われた者の一人だった。遥か昔、故郷を火の海に変えられ、家族や知人をすべて一日にして失った男は、魔将軍を討伐するために半生を懸けると心に決めて、騎士団に入隊を決意した過去を持つ。











「雑魚には構うな! 敵将は第23区画にあり! 突き進め!」


 5年前の秋、法騎士ナトームは連隊を率いて魔法都市ダニームの南東、リリューの砦にいた。騎士剣を振るう現役当時の彼の姿は勇ましく、二十歳を過ぎてから少騎士の名を胸にしながらも、数多の功績を重ね、法騎士の地位まで登り詰めていた。鬼気迫る表情で、ケンタウルスやガーゴイルの集団を次々と切り捨てるその姿は、共に戦う部下達にさえも戦慄を覚えさせるもの。現在は軍師として働くようになった彼しか知らない者には、この頃のナトームの姿など想像できはしないだろう。


「法騎士ナトーム様! 第5区画からグレムリンの群れが……」


「私が行く! どけ!!」


 建物の陰に隠れていた、稲妻の魔法を操る魔物達が多数襲来したことに、その区画にいた騎士達や魔法都市の魔法使い達が翻弄されているという報告。半ばまで聞いて全容を把握し、すぐさまその場に駆け出すナトームは、この砦に配属された人類側の布陣をしっかり把握している証拠だ。その近くに法騎士以上の騎士が配属されていないこともすぐに察し、自身が駆けつけることで戦況を塗り替えると決意したナトームは、部下を率いて言われた区画に突き進む。


 道中、空から電撃球体を放ってナトームを狙撃しようとするジェスターに対しても、素早い足取りでそれらを回避しながら加速する。やれ、の怒号を一言残し、射手や騎士達にジェスターの討伐を任せ、人々が脅かされている場所に一直線。やがて第5区画と呼ばれる場所に差し掛かったナトームは、空を舞うグレムリンやインプの集団と交戦する同胞にも目もくれず、ある一角に向けて走り抜けていく。


「貴様が指揮官か……!」


「――む!?」


 低空にその身を置いていた巨大な体躯を持つ、緑色の体を持つ魔物。風の魔法を多数扱い、下位種のガーゴイルとは比較にならない実力を持つ魔物ネビロスに向けて飛来したナトームの剣が、鋭い反射神経で応戦したネビロスの爪先と火花を散らす。落下しながらも小声で魔法を詠唱するナトームは、着地の寸前、掌を上に向けて魔法を発現させる。


旋風砲撃(エアロバースト)!」


逆風陣(ヘッドウインガー)!」


 ナトームがかざした掌の位置を頂点とし、大きな逆三角錐の底を抜いたような魔力の障壁が展開される。その中に、ネビロスの放つ風の砲撃が直撃した瞬間、三角錐の器の中でその魔力は渦巻き、数瞬のちに真逆の向きに放たれる砲撃となって、術者であったネビロスへと襲い掛かる。


 風属性の魔法のみに対応する防御魔法は、かねてより魔将軍エルドルの討伐を目指してきたナトームの切り札だ。多角から撃ち込まれる風の魔法には対応できないが、正面のみから襲い掛かる風の魔法を敵に撃ち返す魔法の発現に、ネビロスは自身の放った魔法をその身に返される。両腕を眼前に交差させ防御し、耐えるネビロスだが、直後跳躍したナトームの動きにまでは対応できない。交差した腕の交点を縦に真っ二つにしたナトームが、ネビロスの両腕を無残な形へと変える。


 ほぼ詰んだネビロスに、周囲の射手や魔法使いによる集中砲火が行われたのがその直後。ここ一角の指揮官の陥落に、周囲のグレムリンやインプなどの小さな魔物が混乱し始める。あとは残った者だけで掃伐可能と見たナトームは、部下達をも置き去りにせんばかりの勢いで、広き城砦都市のある一点に向かっていく。


「魔将軍エルドル……今こそこの恨み、晴らしてくれる……!」


 ここリリューの砦に魔将軍エルドルが向かっているとの報を聞いたナトームは、誰よりも早く部下を率いて王都を出立した身だ。故郷を滅ぼされた怒りを胸に宿す法騎士の足は、風のように走り抜けていく。











 そこはまさしく地獄絵図。生存者の一人すら予感させない、草木も、地面も、石造りの建物さえも燃え盛る炎に包まれて赤々と光るその場で、たった一人の勇騎士が戦っていた。敵対するのは、魔王マーディスの遺産の一角と名高い、あの存在だ。


紅蓮地獄(インフェルノ)……!」


「く……!」


 地上近く低空に位置する巨大な魔物、魔将軍エルドルが大きな翼をはためかせた瞬間、悪魔を思わせる翼から発生する炎の塊。それはエルドルの正面、広く一帯を焼き払い、石畳の地面の形さえをもいびつな形に変えるほどの火力だ。


 相対する勇騎士ハンフリーは、足に纏う魔力を爆発させ、エルドルの攻撃範囲内から一気に外へとその身を逃がす。ハンフリーもまた、火爆の魔法を扱う戦士の一人であり、風と炎が生み出す推進力で爆発的な加速を為す動きを得意とする戦士。


「ぬぅ……まさか、貴様までもが現れるとはな……!」


 真っ赤で瞳の色すら見分けられない鋭い眼を二つ持つ、恐ろしい形相の山羊(やぎ)の頭を持つエルドルが、長年魔王マーディスの軍勢に立ち向かってきた優秀な騎士との交戦に舌打ちする。コウモリのような形の巨大な黒翼に、足先まで鋭い藍色の毛に包まれた下半身を持つエルドルは、その手で大犬の一匹でもわし掴みにできそうな巨体と、筋肉に包まれた鮮血色の上半身を持っている。悪魔の魔物ガーゴイルやネビロスを統率する、まさに大悪魔を彷彿させる魔将軍の風貌は、何度もこの姿を見てきたハンフリーでさえも戦慄を禁じ得ない。絵画に描かれる悪魔の絵を、そのまま現実に起こしたような存在と向き合うことは、それだけで人の心に恐怖と慄きを落とし込むものだ。


「ここが貴様の墓場だ……! 逃がさんぞ、エルドル!」


 白銀の鎧に身を包むハンフリーが、自身よりも大きな体を持つエルドルへと直進する。跳躍して低空に位置するエルドルに切りかかるが、エルドルがその巨腕を振るって殴り飛ばそうとしてきた瞬間、ハンフリーの足先の魔力が爆発し、ハンフローの空中軌道がその推進力で曲がる。


 エルドルの腕を回避したのち、別の方向から切りつけるハンフリー。巨大な脚でハンフリーの肉体ごと蹴り上げようとする動きを加速で振り切り、エルドルの脇を通過するとともにその脇腹を斬りつけるのだ。


高圧炎(バーンフラッド)……!」


 自らより遠ざかるハンフリーを追うエルドルの目が光り、直後ハンフリーの向かう先の上空低くの空気が歪む。死の予感を察知したハンフリーは、靴裏に爆裂させた魔力によって進行軌道を曲げるが、直後ハンフリーが向かっていたその空中から、滝のような勢いで地面に発射される膨大な炎。それはとてつもない勢いで地面一角に広く発射され、その直撃を受けた石畳の一角は、居間ふたつぶんはあろうという広範囲を真っ赤な溶岩のように変える。魔将軍エルドルの放つ超高圧かつ高温の炎は、石畳を焼きごてのように赤々と煮え返させる破壊力を刻みつけた。


 魔法による追撃が続くと読んだハンフリーとは裏腹、その巨体を猛進させて襲い掛かるエルドル。巨大かつ鋭い爪の一振りを、着地と同時にエルドルに向き直り、後方に跳んで逃れたハンフリーだが、大きな体から繰り出されるとは思えぬ連続攻撃が、素早く次々にエルドルから放たれる。両腕を振り抜き、地に着けた足から放たれる蹴りの一撃を織り交ぜ、ハンフリーに後退以外の回避を許さないエルドルの猛攻。勇騎士の名を冠するハンフリーも、熱気以外から来る冷や汗を止められない。


 なんとか攻勢に移るきっかけを求めていたハンフリーの眼前、その救援は突然割って入ってきた。遠方から魔将軍エルドルの眼を真っ直ぐに撃ち抜かんとする一閃の矢が、エルドルに頭を下げての回避を強いたからだ。悪魔の曲がった長い角をかすめていったその矢は遠方へと消えていき、隙を見たハンフリーがエルドルの鼻先目がけてグラディウスを振り抜く。つぶさに反応したエルドルは後退してそれをかわすが、エルドルの猛攻は少なくとも中断させられた形である。


「邪魔だ……!」


 遠方から自分を射抜こうとした騎士に掌を向けたエルドルが、人一人をまるまる飲み込めるような大火球を発射する。配下ガーゴイルのような魔物では詠唱を必要とするような業火球魔法(バーニングブラスト)を、息をするように放つその実力に、火球を向けられた騎士――法騎士ナトームの後輩であった、若き日の高騎士タムサートはその身を逃がす。


 魔将軍エルドルにしてみれば人間の若造の一人に過ぎない射手など、その一撃で目を切って気にも留めない。自らに向かい来る勇騎士ハンフリー目がけてその太い脚を振り抜くエルドル。攻勢に移ろうとしたばかりのハンフリーが、回避を強いられ出鼻をくじかれる形だ。何人の敵を同時に相手取ろうとも、適切な判断能力で応じるべき相手に応じるエルドルの守りは、勇騎士たれどもそう簡単に切り崩せるものではない。


 その直後のことだ。獣のような雄叫びとともに、エルドルの後方から切りかかる一人の法騎士。それは凄まじい速度で一気に魔将軍との距離を詰め、敵の存在を察知したエルドルの、後方への回し蹴りを潜り抜ける。そして軸足近くに到達した瞬間に跳躍し、振り抜く剣でエルドルの顎先を切りつけたのだ。魔将軍エルドルが、その反射神経で以って顔を後方に逸らしていなければ、顔面を真っ二つにしていたかもしれない。


水魔妨壁(アクアシールド)……!」


 着地した瞬間のその何者かに掌を向け、業火球魔法(バーニングブラスト)の火球を最速の手で放つエルドル。その動きをあらかじめ読んでいたかの如く、魔将軍に向けてかざした掌の前に、水の盾を発生させてエルドルの火球を押さえつける。魔将軍エルドルの炎に抗うすべとして、水の守備魔法を身につけてきた法騎士ナトームの動きには、さしもの魔将軍も舌打ちを返さずにいられない。


 一瞬の交錯で敵の強さを確信したエルドルは、その巨体をナトームに向かわせ、拳を振り下ろす。その拳が自身を捉えるまさにその直前、矢のようにエルドルに向かったナトームが拳を回避し、エルドルの太い腕に騎士剣による傷をつけていく。地面を粉々に粉砕するエルドルのパワーも、敵に当たらなければ命を奪えない。


「小賢しい……! 火焔潮流(ディーネプロークス)!」


 両腕を広げたエルドルの掌に宿る濃厚な魔力。勇騎士ハンフリーと法騎士ナトームに挟まれた形の魔将軍の状況判断は早く、その魔法の発動と同時、その巨体が立つ地面が、エルドルを中心に真っ赤に染まる。直後、天まで届かんばかりの火柱がエルドル周囲を包み込み、それは螺旋を描く風に乗り、巨大な炎の渦へと姿を変えるのだ。


 渦の中心で魔力を操るエルドルが、さらなる魔力を解放した瞬間、その渦は一気に径を広げて周囲を飲み込んでいく。魔将軍を中心とする、凄まじい熱と風圧を持つ魔力の塊は、地面を抉り、石造りの建物をも焼き払い、人の住まっていた城砦都市を瓦礫へと変えていく。魔将軍の大魔法は、ひとたび火を吹けば人里の壊滅を招くと言われ続けてきたが、その言葉に嘘がないことを物語る光景だ。


 だからこそ、隙が出来た。勇騎士ハンフリーですら、一度エルドルから距離を遠く取り、巨大な建物の後ろに隠れることで身を逃していた。そうして人間達に"賢明な判断"を強い、魔法の発動を終えたのちに自分は上空に身を逃す。それがエルドルの狙いのはずだった。そうなるはずだったのだ。


 熱と激風に満ちた、炎の渦の壁を突き破り、自らに差し迫る騎士など、エルドルの位置から誰が想像できるものだろうか。決死の耐魔結界(レジスト)の魔力を全身に纏うナトームは、全身を炎に焼かれながらも、魔将軍エルドルに猛進していた。その手に握る騎士剣は魔将軍の油断を突き、ナトームの方を振り向いたエルドルの眼球に深く突き立てられ、直後力を込めたナトームは、勢いよくその騎士剣を振り上げようとする。


 恐るべきは、あまりにも予想外の攻撃に眼を貫かれながらも、最短の動きでナトームの腹部を左手で振り払い、叩き飛ばすエルドル。咄嗟の動きでその怪力の真骨頂は発揮しきれなかったものの、地力にて凄まじいパワーを持つエルドルの手は充分なパワーを持ち、自らの眼に剣を突き立てた人間の肋骨を粉々に砕く。血を吐いて騎士剣を手放して吹き飛ばされるナトームが、遠き地面に叩きつけられた後、エルドルはゆっくりと自らの眼に突き立てられた騎士剣を抜き、遠方に放り投げる。あと一瞬、エルドルがナトームをはじき飛ばす動きが遅れていたら、そのまま騎士剣を振り上げるナトームの動きによって、右目を開始点に頭までばっさりと断裂した傷を負わされていただろう。


「許さ、ん……!」


 片目を奪われた痛みを怒りで上書きし、地面に横たわるナトームに襲い掛かるエルドル。全身に鞭打ってナトームが立ち上がる頃には、エルドルの巨体は小さな人間を飲み込まんばかりに、すぐそばまで迫っていた。


 走馬灯さえナトームの眼前に浮かんだその瞬間、魔将軍と法騎士の間に勢いよく割り込んだ高騎士がいた。法騎士ナトームに近しい部下であった若き日の高騎士カリウスが、ナトーム目がけて振り抜かれる魔将軍の拳を、二本の剣で以って勢いよくかち上げたのだ。


 邪魔者にさらなる怒りを燃やすエルドルの前蹴りが、高騎士カリウスを狙い打つ。交差させた騎士剣で防御するも、後方高くまで勢いよく吹き飛ばされたカリウスは、後ろにいたナトームの頭上さえも飛び越える形を経た後、ずしゃりと地面に叩きつけられた。


「っ……水流(アクア)砲術(バースト)……!!」


 武器を失ったナトームの、悪あがきに近い攻撃。魔将軍エルドルの顔面目がけ、その両掌から放つ高圧の水の砲撃は、エルドルの顔に直撃し、その顔骨まで凄まじい衝撃を与える。まして数秒前に片目を貫かれたエルドルにとって、その一撃は怯んで数歩下がるには充分なもの。


 よろめいて後ろを向いたエルドルの片目に映ったのは、正面から真っ直ぐに凄まじい勢いで迫る勇騎士ハンフリー。前後不覚になりかけながらも、的確にハンフリー目がけて拳を突いたエルドルの動きは流石だが、空中の前進軌道を僅かに逸らして拳とすれ違ったハンフリーは、残ったエルドルの左目に向かっていく。


 両目を奪われるかもしれぬ、突然の危機に頭を下げて回避した状況判断能力こそ、魔王討伐後もエルドルが長く生存してきた遠因と言えるだろう。しかしエルドルの角のそばを通過していくハンフリーは、エルドルが背中に背負う巨大な左翼を切り裂いていく。根元から切断するには至らなかったが、エルドルにとって空を舞う武器の一つが深く傷つけられたことは、魔将軍にとって大きな痛手だ。


「っ……爆炎魔法(エクスプロード)……!」


 半ば苦し紛れに、自分を爆心地とした風と炎の爆風を、広角度いっぱいに放つエルドル。一般の魔導士が放つその魔法とは一閃を画し、焦熱と強風を伴う凄まじい爆発に、ハンフリーもナトームも、少し離れていたカリウスさえもが、熱風に晒されて吹き飛ばされる。


 建物の石壁に叩きつけられたカリウス、吹き飛ばされながらもなんとか受身をとって立つナトーム、エルドルからやや離されながらも、地を足に着けて死に体を作らないハンフリー。三者三様、全身に火傷が目立つ中、それでも魔将軍から目を逸らさないハンフリーとナトームの姿は、傷ついた魔将軍に撤退を決断させるには充分なものだ。


煉獄の風(ファイアストーム)……!」


 ハンフリーが再びエルドルに向かおうとしたその瞬間、魔将軍後方の空間に、ぴっと一筋の切れ目のようなものが開く。まぶたを開くように、空間に横一直線の裂け目が開いたその瞬間、かねてより長く恐れられてきた、魔将軍エルドルの大魔法の予感にハンフリーも前進できなくなった。


「っ、が……! 封魔(マジック)大障壁ウォール……!」


 吐瀉物を口から溢れさせながら、決死の想いでナトームの唱えた詠唱が、エルドルの前に巨大な魔力の壁を作りだす。その直後、エルドル後方に開かれた空間の裂け目から発射される炎の風は、高圧の風力と激熱を伴う炎の嵐となり、ナトームの生成した最大の魔法障壁に直撃する。


 法騎士ナトームにとって最大の守備魔法とも言える、あらゆる魔法を防ぐための防御障壁。文字通りの全身全霊を注いで作り出したその魔力の壁を、圧倒的なパワーで押し込むエルドルの炎の風は、本来なら不動とも言えるはずの魔法障壁をもがくがくと揺らがせる。返り風をその身に受けつつも、両手を前に突き出してさらなる魔力を注ぎ込んだエルドルにより、炎の風は勢いを増す。後方にハンフリーやナトームを守る魔法障壁が、その圧倒的パワーの前に崩壊し、緩和されつつも炎の風が勇騎士と法騎士を襲ったのが、その直後のこと。


 両腕で眼前を庇い、後方に吹き飛ばされ、全身を焼かれた騎士二人は、魔将軍エルドルから距離を作らされた形だ。すでに翼をはためかせ、空高く逃れていたエルドルだが、高空に移動することも難しいほどに疲弊した魔将軍は、3階建ての建物の屋上程度の高さしか保てぬままに、逃げていく。吹き飛ばされた末に、石畳で頭を打ちつけたナトームだったが、それでもちかつく視界の先に逃げるエルドルを見据え、なんとかその体を起こし、立ち上がって追いかけようとする。


「ナトーム様……!? もう、これ以上は……!」


 高騎士タムサートが立ち上がったナトームに近付き、歩き出そうとする彼を引き止める。魔将軍の風をすぐ近くで受けたハンフリーがすぐに立ち上がれないのは当然なのだが、同じく炎の風を全身で受けたナトームが立ち上がるのは、復讐心から来る執念の賜物なのだろう。いくらハンフリーほど魔将軍に近い場所にいなかったとはいえ、あれほどの炎の風を受けたというのに。


「や、奴を追え……! 離せ……!」


 炎の渦を突っ切って、魔将軍の右目を奪ったナトームは、ただれた火傷で全身いっぱいだ。タムサートを振り払うような動きをすると同時、立つのもやっとな体がバランスを崩し、両膝をつく形で崩れ落ちる。それに伴い、猛烈に咳き込んで血を吐く姿を見ただけで、もはや戦えるような状態ではないのは明らかだ。


「もう無理です……! そんな体で奴を追っても……」


「っ……黙れ!! 奴は……奴だけは、この手で……!」


「貴方をここで失うわけにはいかない! どうか……」


「貴様に肉親と妹を奪われた奴の気持ちがわかるか!! 誰にも……誰にも邪魔はさせぬ!!」


 故郷を炎に包まれ、家族の生存を願い燃える家屋の中を駆けたあの日。燃え盛る柱に押し潰されて事切れていた父、炎に焼かれて火だるまになっていた母、愛しかったその顔を炎に包まれてもがいていた妹。目の前で崩れ落ち、動かなくなった妹の姿を目の前に、燃え盛る家の中で茫然自失としていたあの日のことを、ナトームは一日たりとも忘れたことはない。故郷を滅ぼした魔将軍への復讐のためだけに半生を費やしてきた騎士の執念は、満身創痍の肉体さえも引きずって、エルドルを追いかけようとする。


「っ……誰か! 治癒魔法を使える者は!?」


 敵将を追うどころか、糸が切れればその命さえも散らせてもおかしくない上官を救うべく、駆け出して傷を癒せる魔法使いを探し始めるタムサート。燃え盛るリリューの砦にあって、生存者がどこにいるかもわからぬ中、敬愛する上官の命を救ってくれる者がいないか、必死で探すのだ。


 肘で地面を押し、這うようにして魔将軍の去った空の先へ向かおうとするナトーム。意識ある限り憎しみの前進を止めない騎士の後ろ、何も言わずに勇騎士ハンフリーが見守るように立つ。魔将軍エルドルは片目を失った。またいつか、討伐の好機に巡り会えることもあるだろう。今追いかけても、空を駆けるエルドルを自分の手で仕留めきれぬと見たハンフリーは、騎士団の多くの部下達を導く騎士が、ここで命を散らすことが無い道を死守することを選んだ。今のナトームのそばに魔物の残党が近付いてくれば、抗うすべもなく彼の命は終わってしまう。


 リリュー砦における攻防戦は終わったのだ。敵将、魔将軍エルドルの逃走を以って、人類側の勝利が刻まれた瞬間だった。

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