第124話 ~アルム廃坑③ 片や地上へ片や地の底へ~
「シリカさんとユースは……」
「聞くな。いいからついて来い」
第14小隊の傭兵4人の前を走るマグニスは、はぐれた騎士二人を案じるアルミナの言葉も、冷たく切って捨てるような言葉と共に駆けていく。振り返りたい思いは誰もが同じだが、全力疾走でなければ追いきれないようなマグニスのスピードに、誰も後方に目を向ける余裕がない。マグニスも、若い後輩にそれをさせないために、その足を速く進めているのだ。
廃坑金鉱区に現れたあの骨造りの怪物から、まずは未熟な後輩を遠ざけねばならない。廃坑の外も必ずしも安全というわけではないが、少なくともあの怪物や、魔王マーディスの遺産が潜む廃坑内よりはましだろう。シリカやユースの救うため、廃坑奥に戻りたいのが本音のマグニスだが、はっきり言ってアルミナやキャルのような非力な後輩は、連れて行くより廃坑の外に送り出したいのだ。
(外の指揮官はあの爺さんだったな……まあ、あれなら頼りに出来そうだ)
付き合いのない騎士様など、どんなに階級が高くても手放しには信用しないマグニスだが、金鉱区の山岳部を進軍する連隊の指揮官、聖騎士グラファスに関しては、彼も一目置いている。あわよくばグラファスを中心とする部隊にアルミナ達を合流させ、自分は再び廃坑内に潜っていく。ひとまずの青写真として、マグニスの描いたものはそれだった。
廃坑とはいえかつては人が潜っていた施設に近いもの。複雑に入り組んでいるように見えて、鉱夫が迷って出られなくなったりしないよう、廃坑の外へ向かう道は見つけやすいように出来ている。例えば所々に人為的な段差を設けておくだけで、足を上げて進まねばならないこの段差の方向に進めば外へ向かうんだなと、看板もなしに察することが出来たりする。落盤も起こり得る鉱山というものは、万一地形が変わったりしても、人為的に加えられた構成が自然と外への道を示してくれるように造られている。長らく魔物が巣窟としていたせいで随分形状は変えられているが、それでも色褪せずに残る人類の足跡こそ、ここがただの洞窟ではなく"廃坑"でと未だに呼ばれる所以だ。
経験豊富なマグニスが導くままに走れば、すぐに光が見えてくる。先ほどまでいた場所がさほど地下深くでなかったことも手伝って、すぐに廃坑の外に出ることが出来た。日はまだ高く、蛍懐石の淡い光で満たされた廃坑から顔を出せば、誰もが外の眩しさに目を細めてしまう。
「まずは指揮官様と合流だ。シリカ達の救出はそれから……」
口にしたマグニスの思考を遮る、一つの気配。強烈な殺気を放つ何かが、廃坑入り口の一つであるこの場所近く、林の一角から近付いてくる。腰に収めていた短剣を握るマグニスの動きに触発されたように、4人の後輩も警戒心を強めた。
気配の主が、やがて木々の間から顔を出す。その正体を目にした中で、最も驚いたのはチータだ。
「兄様……!?」
信じられない光景という言葉は、まさにこんな時のためにあるもの。司祭服に身を包み、ミスリル製の杖を持つ姿。それは晴れての再会などでは決してなく、かつてサーブル遺跡でチータの目の前で命を散らしたはずの魔導士、ライフェン=マイン=サルファードが、憎しみに満ちた顔と共にチータを睨みつけていた。
「風円刃!」
目の前の現実をこちらが頭でしっかり把握するより早く、ライフェンが魔法を詠唱し、円盤状の風の塊を放ってくる。草木を切り裂きながら滑空する3つの風の刃は、様々な方向からチータに向かって飛来する。
円盤の軌道上にいたアルミナは慌ててしゃがんでそれを回避、同じくチータのそばにいたキャルも、勢いよく横に跳んで回避する。チータ自身も後方に下がって3つの刃の収束点から自らを逃がした直後、体勢を素早く整えたキャルの放った矢が、杖を握ったライフェンの手を貫く。
「邪魔だ……! 厄災風術!」
表情を歪めて杖を落としたライフェンだが、直後に彼の起こした突風が、キャルを後方に勢いよく吹き飛ばす。小さな体で踏みとどまれず、後方の岩壁に背中から叩きつけられそうになったキャルを、その間に割って入ったガンマがキャッチする。そのままガンマは背中を岩壁に叩きつけられ、キャルの体にも挟まれたことで、げほりと苦しそうに息を吐く。
「ガンマ……!」
「っ、平気平気……! 頑丈な体が自慢だから……!」
片目つぶりつつも気風のいい笑顔を作ってキャルを手放すガンマ。けほけほと咳き込む姿にはキャルも心配そうだが、その心配をよそにするかの如く、ガンマはキャルの前に立ち、彼女の盾となる。
「チータ、兄貴なのか?」
「しかし、兄は確かに死んだはずです……!」
マグニスの問いかけに答えるチータの目にも、戸惑いの色がよく現れている。チータの兄ライフェンが絶命したことなど、とうに誰もが知っていることだ。ならば目の前に現れたこいつはいったい何なのか。魔物達が、ライフェンを蘇生させて再び手駒にしたとでも言うのか。
「四陣風激!」
「開門、封魔障壁……!」
間髪入れずに強力な魔法を放ってくるライフェン。彼の後方に開いた空間の渦が4つの風の砲撃を放ち、主にチータを狙い撃ってくる。自分に向かう2筋の風の砲撃は、空間上に開いた亀裂に呑み込んで回避するチータだが、もう1筋ずつの風の砲撃は、マグニスとアルミナに向けられている。
本人の自覚以上に逃げ足の速いアルミナは、あわあわしながらも砲撃を回避し、さっきまでアルミナが立っていた地面を風が抉っていった。人に当たれば骨身を砕く強烈な破壊力を持つ砲撃に対し、軽々と上空に跳んで回避するマグニスも、舌打ちせずにはいられない。
「どこもかしこも、一筋縄じゃいかねえな……!」
近場の木の枝の根元に着地したマグニスは、自身の体内に巡る血に魔力を巡らせる。想定外の出来事が当たり前のように続くアルム廃坑戦役だが、どんな状況であってもマグニスは、為すべき目的を決して見失わない。迷った時は、シンプルな言葉を心に描けばいいだけだと、マグニスは長年の経験則からよく知っている。
敵と見なした奴らは皆殺し。たとえそれが人の姿をした何かであろうと、明確な殺意を持って自分達に迫る者に、マグニスは一切の慈悲を持ち合わせていなかった。
近衛騎士ドミトリーを指揮官とする連隊が進撃するのは、アルム廃坑銀鉱区の名で知られた区画である。あまりに広大なアルム廃坑の攻略には、騎士団も部隊を細分化して探索するしかなく、最大でも100名の部隊が数手に分かれて廃坑内を駆けている。こうしてしまうと戦力も分散されるため、魔王マーディスの遺産ならびに、魔物陣営の強力な幹部格と遭遇した際に勝利を手に出来る可能性が著しく下がるが、そうした場合は懸命な撤退の後、別部隊と合流することで体勢を立て直すしかない。騎士団にとって最大の狙いとは、近衛騎士や勇騎士のような最強の兵を、なんとかして魔王マーディスの遺産とぶつけること。加えて、それが迅速に為されるために、道中の魔物を掃伐していくことだ。
ある一隊が、アルム廃坑銀鉱区における、第8採掘場と呼ばれる場所に辿り着く。騎士団の闘技場と比べても遜色ないほどの広さを持ち、仮に人がここに集まるならば、収容人数も相当なものだろう。大自然の中に作られたこの大空間を、かつての鉱夫たちはどれほど時間をかけて拓いたのだろうか。
その採掘場は高い天井を持ち、1階から5階の天井を見上げるほどの天蓋に、うごめく何かが張り付いていることも、薄暗い中では騎士達も視認できない。そもそも前に進むことを目指している騎士団にとって、あの高い天井に気を配る者などいまい。
「……ようやく来てくれたか。名の知れた騎士がおらぬのは残念だが」
その地上から言えば4階の位置にも相当する位置、そんな高さの岩壁の一角。そこには大きな横穴がぽっかりと道を作っており、騎士団からは決して見えぬ僅か奥に、あぐらをかいて座る大きな魔物がいる。立ち上がれば大人が子供を肩車したような背丈を持つ魔物は、異常に発達した筋肉を持つこと以外は人間的な四肢を持ち、腰巻一枚身につけただけの姿が、全身の屈強さを浮き彫りにしている。
魔物は掌を上に向け、魔力を集中させる。やがて光球のような魔力の凝縮体が掌の上に現れ、それを握った魔物はその光球を、目の前に広がる第8採掘場の天井に向けて投げつけた。
光球が天井に着弾した瞬間、第8採掘場全体が大地震に襲われたかのように揺れる。採掘場の地面を走っていた騎士の多くが脚を崩され、つまづくかその場に立ち止まるかして、いずれも膝で地面をつく。大きな揺れにも腰より上を地面につけずにバランスを取れる様は、流石に体の軸をしっかり持つ騎士の賜物だ。
しかし、混乱を抱く騎士団の隊に襲い掛かる真の脅威は、この揺れではない。広い天井に張り付いていた何かは、地震を引き起こした魔物の強烈な刺激によって天井を離れ、地面に向かって落ちていく。その数も、1つや2つではない。
採掘場の天井に張り付いていた無数のイビルスネイルが、騎士団の立つ地面に降り注ぐ。大犬のような巨大カタツムリの数々は、いくつかは騎士の傍に落ち、ごく一部は騎士への直撃目指して落ちてくる。地震に脚を取られている騎士も、真上から自分に向かって真っ直ぐ落ちてくる何かがあれば、落盤かとぞっとして、なんとか身を逃がす。事実、大きなイビルスネイルの巻き貝は落盤に近いものであり、あの高さから人間の体に直撃すれば、大怪我につながるものだ。
地面に叩きつけられたイビルスネイルは、いずれもその瞬間に衝撃で潰れてしまい、同時に水風船のように体液を撒き散らす。一匹のイビルスネイルが、体の体積に等しいだけの体液をばしゃあと散らす光景が、あちらこちらで見える。数多くの騎士が、その体液を体に浴びる結果となってしまった。
ぬるぬると気持ち悪い体液が武器を握る手に纏わりついた者は、岩に手をこすりつけるなどしてなんとか体液を拭い去る。その体液を浴びなかった騎士も仲間を案じ、大丈夫かと声をかけたりする一方、体液を浴びた騎士も、なんともない、と不安げに返す。
突然上空から降り注いだ、体液を撒き散らす爆弾の存在は、はじめ騎士団も強力な消化液による強襲かと思ったものだが、そうではなかったようだ。一抹の不安を胸に、任務に従事し廃坑内を再び進軍し始める騎士団だったが、それを遥か高みより含み笑いを浮かべながら眺める、悪辣な魔物の存在には、誰一人気付かない。
「さて、次の獲物を頂きに行くか」
まるで目の前の獲物達はもう仕留めたと言わんばかりの独り言を残し、魔物は踵を返して歩きだす。蛍懐石に照らされたその表情は、これより先に人間達がのたうつ姿を想像するかのような、邪悪な笑みに満ちている。
かつて魔王マーディスより、ゼルザールの名を与えられたこの魔物は、獄獣率いる軍勢の中にあり、魔物の配下達を率いる指揮官としての格を与えられた存在。魔王亡き今も、獄獣軍の有力な将として動くこの魔物もまた、遺産に次いで人類を脅かす最たる存在だ。
「ええいおぬしら、手ぬるいぞ! 何を物怖じしとるか!!」
アルム廃坑武鉱区の山岳外部、荒原の中心にて怒号に近い声をあげる聖騎士。少年のような体躯で、棒の先に鉄球を取り付けた重々しい凶器を振り回す戦士は、進撃が遅れ始めていることに相当な苛立ちを感じ始めていた。
空から襲い掛かるヴァルチャーやコカトリス、飛びかかってくる狼のような魔物ジャッカル。ここまでの道中、ミノタウロスやトロルのようなそこそこ手応えのある魔物には遭遇する機会もあったが、散見する魔物はさして脅威にならぬような魔物ばかりで、進撃の遅れに繋がるようなシチュエーションではなかったはず。今日まで力を養ってきた騎士達の実力は、こんな生ぬるい戦場で足を緩めるほどのものではないと、クロードは確信している。
遠方から風の刃を放ってくるサイコウルフに一瞬で近付き、回避させる暇も与えずにその肉体を横殴りにして吹っ飛ばすクロード。地面に転がったサイコウルフは痙攣するようにひくついているが、怪力の鉄球棒に殴りつけられた小さな魔物があの一撃を受けた以上、絶命は時間の問題だ。
もはや現在に至るまで、100にも及ぶ魔物を討伐してきたクロード。偏り過ぎだ。周囲の騎士達の動きが鈍すぎる。炎天下の下で戦うからといって、消耗あっても早すぎだ。騎士団の精鋭達は、こうした環境の変化に耐えられるだけの体を作ってきているはずなのに。
前に進もうとするクロードに追従する騎士達の中に、健常な足取りでついてくる者もいれば、明らかに全力で走れていない者もいる。そばを走る同僚の目から見ても大きな外傷があるわけでもなく、過度に疲弊した仲間達の姿は、異常事態の兆しとしか捉えられない。
クロードの率いる部下の中には法騎士や高騎士もおり、彼らも異常には気付き始めている。クロードもとうとう現在の状況に業を煮やしたか、一度進軍の足を止め、周囲の部下に状況を尋ねる。各隊数名、もう立っているのもやっとという兵が含まれており、近付いて顔色を覗き込んでみれば、明らかに戦えるものではない。中には、虚ろな目でとろんと空を見上げている者もいる。
「……毒でも受けたか?」
「わかりません……! 外傷も一切ない者の中にも、こうした症状を訴える者もいます!」
魔物の爪先や牙に毒を仕込まれていて、傷口から感染したのか。あるいは空気を介した毒でもこの一帯にでも満ちているのか。そうした仮説を立てたクロードの発想は、いずれも状況にそぐわない。無傷の者も異常をきたしているなら、傷を介した毒を貰ったわけではあるまい。
空気感染する毒なら、無事な者が多すぎて中途半端だ。そもそも魔物達は元気に動いている。人間だけに都合よく感染するような毒なら、まず間違いなく魔法か魔力がそこに関わっているはずで、騎士団内で魔力の扱いに秀でた者がその気配に気付くはずだ。
「ともかく、いかんな……! 第12中隊を中心として、戦闘不能者は撤退せよ!」
さして難しくない敵の布陣を前にして、合計100にも勝る人数の騎士を引き下がらせる決断は痛い。それでも戦力にならぬなら、衛生班の元に送り返して治癒を受けるべきだ。このまま戦場の真ん中に引きずり出して、死を待つだけの運命など辿らせるわけにはいかない。
クロードの後方から、サイコウルフの放つ真空の刃が襲い掛かる。振り返り様、最小限の動きで真空の刃を回避したクロードの目は、戦人の放つ闘気でサイコウルフを身震いさせる。子供のような体つきから、ここまで威圧感を放てる聖騎士の姿は、やはり騎士団内において格の違いを語るものだ。
「いったい何が起こっておる……!」
サイコウルフに急接近したクロードの鉄球棒は、一撃目こそ後方に跳ねたサイコウルフによって回避されたものの、着地した瞬間のサイコウルフに向けて振り下ろされる一撃によって、魔物の頭を粉々に粉砕する。僅か戦闘とは直接関係ない雑念が入ったところで、かような魔物との実力者は明白であり、勝利という当然の結果を導き出すクロードの姿は不動である。
晴れない疑問を胸に抱きつつ、徐々に戦場に向けて再加速するクロード。同じことが今後も起こるのであれば、どこまで進撃できるだろう。兵力を奪われた聖騎士クロード率いる連隊は、消耗戦を覚悟して荒原を進んでいく。
坑道内を全力疾走するシリカと、彼女のすぐ後ろをぴったり遅れずついて走るユース。さらにはその遠い後方から、がすがすと岩石の地面を鎌先で抉りながら追いかけてくる怪物が続く形だ。少しでも足を緩めようものならすぐにでも追いついてきそうな、巨大な骸骨の足音は、ユース達に振り返る余裕さえ与えない。それは言葉にする以上に、精神的な負担を伴うものだ。
アルム廃坑内の構造をある程度は頭に入れてきたシリカも、一本道の坑道を走る中で記憶を掘り起こし、地上へと繋がる道を脳裏に描き出す。幸い廃坑内の構造は、いにしえの人の手によって標となるものも多く散見する。二股に分かれた道を見つけるや否や、一歩上がれる小さな段差のある右の道を選ぶシリカ。鉱山を開拓した先人の習慣を聞き及んでいたからこそ、迷わず取れる選択だ。
シリカに追従して右に曲がるユースだが、後方から差し迫る巨大な足音はやむ気配が無い。しっかりと自分達に狙いを定め、決して逃がさぬとばかりに追いかけてくる怪物の存在が、見なくてもわかるこの状況。抗戦手段もままならぬ今、追いつかれてしまえば終わりかもしれない。駆けることによって起こる息切れとは全くの別次元で、高鳴る胸の緊張感がシリカとユースの肺を締め付ける。
「あと少しのはずだ……!」
「はい……!」
紛れも無い全力で走りながらでも、会話を為す二人の騎士は、日々精進してきただけあって無類のスタミナを持つものであることがわかる。日陰ゆえに冷える坑道内であっても汗をほとばしらせ、シリカとユースが目指すのは廃坑内からの脱出。自分達だけでは討伐できぬと踏んだあの怪物は、外に戦う騎士達と合流して戦うしかない。シリカの正しい判断はユースをその軌道に共に乗せ、やがて間もなく、そこを曲がれば外の光が見えようという場所まで、辿り着いていた。
「逃がせんなぁ」
聞こえたわけではない、魂の奥底まで響いたかのような、何者かのどす黒い意志。形容不可能の悪寒に背筋がぞわりとした一方、即座に無心に立ち返り、進む先に向けての足を加速させるシリカとユース。先ほどまでよりもさらにもう一段階、無意識に二人の速度が上がったのは、言い知れぬ危機感を今の第六感から感じ取ったせいなのかもしれない。
その悪い予感は的中だと言わんばかりに、突然坑道内が凄まじい揺れに襲われる。遥か地の底に震央を持つその揺れは、それでも構わず地を蹴って進もうとする二人の前で、その正体を現すのだ。
「な……!?」
思わずシリカが急減速し、彼女の動きとは無関係に自己判断でブレーキをかけるユース。一本道のこの坑道。その二人の遥か前方にあたる天井部分が、突如崩れ落ち、岩石の塊が降り注いで、シリカとユースの行く末を塞いでしまったからだ。
まるで、逃亡する自分達の行く道を、狙い澄まして崩したような落盤。偶然などとは思えない、何者かの意図的な道崩しに見えてならぬ現象だが、そんなことは今の二人にとってどうでもいいことだ。活路への一直線から一変、後方から強敵が差し迫る袋小路に追い詰められたシリカとユースは、止まった自分達に凄まじい速度で差し迫る足音に振り返る。
戦士の本能として剣を構える二人だが、いずれも口を引き絞り、頬を流れる冷や汗を意に介せない。蛍懐石の淡い光によって先の遠くまで見通しの良い坑道風景は、怪物が自分達に猛進してくる姿をありありと二人の目に映し、見えることがかえって深い戦慄を二人の心に落とし込む。
目の前まで迫った怪物に対し、やるしかないと即断したシリカが駆け出す。怪物の鎌骨はシリカを横から真っ二つにしようと差し迫るが、跳躍して回避したシリカは天井に届く直前に身を回転、頭を下にして、岩石で構成された天井を蹴って怪物の頭部に差し迫る。
万物を切り裂く魔力を纏いしシリカの騎士剣は、怪物の頭、人間の頭蓋骨の形をした頭部を真っ二つにする。これで討伐が済んだわけではないとわかっているシリカは、着地するや否や、鎌を先端に持つ怪物の腕骨へと地を蹴り、その腕骨を根元から切り落とす。
何本もある鎌のうち一本を落とされただけでは怯まない怪物は、頭を失ったままにして3本の巨大な鎌骨をシリカに向かわせる。首を落とそうとしてくるスイングをしゃがんで回避し、後方に跳んで斜めから振り下ろされる鎌骨を逃れる。続け様にシリカを真っ二つにしようと振るわれる鎌骨は、シリカを狙うはずの軌道を失って、鎌ごと遠方に飛んでいった。
ユースがその鎌を操る骨腕の関節部分を切り落としたからだ。シリカを狙った3撃目の鎌は、本体から離れ、投げ出されたように回転しながら岩壁に突き刺さる。それは鎌骨の頑丈さと鋭さを同時に物語るものであり、あれが人間の肉体を捉えるなら、確実な殺傷能力を持つものであったことを暗に示していた。
「!? シリカさん……」
直後シリカの背後から迫る、巨大な鎌の急接近。ユースの声を抜きにして、尋常ではない気配を思わず察知したシリカが振り返った瞬間、そこにあったのは先ほど自分が切り落とした怪物の鎌。怪物本体を離れた鎌が、独立して宙を滑空し、シリカの胴体を切断すべく襲い掛かってくる光景だ。
すんでのところで跳躍して身を逃がすシリカだが、前方には怪物の太い脊髄がのたうち、鎌のような骨を持つ腕が、何本もそこから生える光景。直感的に後方へと跳んだ動きは絶対に正解で、何かの間違いで前にでも跳んでいようものなら、針の山に飛び込むようなものだった。
怪物の鎌から逃れるように退がり、シリカのそばまで後退するユースと、歯を食いしばってこの展開をどう打破すべきか頭を巡らせるシリカ。頼りない姿をシリカに見せたくないユースでさえ、思わず敵から目を逸らし、どうすべきなのかとシリカに問う目線を向けるほどだ。後ろが落盤で塞がれた今、討伐可能とは思えぬ怪物に立ちはだかられた現実は、決意堅く戦場に参入したユースの心さえも、へし折りにかかってくる。
怪物からユースが目を切ったまさにその瞬間。既に頭を元の場所に戻して復元させていた怪物が口を開いている。考え巡らせていた思考を全てシリカが放棄しなければならぬほど、この怪物の仕草は特大の危機を予感させるものだ。
殺気を感じ取ったユースが再び怪物に向き直った瞬間、それは起こった。何の対処法も導けず、半ば命を捨てる覚悟でシリカが剣先に魔力を集わせた瞬間、怪物の開いた口から凄まじい猛火が吐き出される。
「っ、英雄の双腕!!」
刹那、シリカと怪物の間に割り入ったユースが、喉の奥から決死の詠唱。瞬時に腕に構えた小さな盾を構えると、纏わせた魔力を全力で放出する。盾を中心に広がる魔力の障壁は、ユース前方に広がる魔力の壁となり、次の瞬間、その魔力の壁と怪物の業火が衝突する。
怪物の炎を構成する膨大な魔力が、盾を構えたユースの腕を凄まじい圧力で押してくる。吹き飛ばされるかと思ったユースは強く地面を踏みしめ、全力の魔力を絞り出し、怪物の炎と魔力を押し返さんばかりに踏みとどまる。炎を切り裂き道を開こうとしていたばかりのシリカも、思わぬユースの行動と成果に、驚愕のあまり手が止まってしまったものだ。
「んっ、ぐ……が……!」
かつての限界以上の魔力を絞り出すというのは、ここまで全身に負担をかけるものなのか。急速に、全身から生気が抜けていくような感覚と共に、赤い炎でいっぱいの目の前すら真っ白なものに変わりそうになる。たとえこの身に代えようとも、後ろのあの人を守ってみせるという心の支えがなければ、とうの一瞬前に意識を失っていたはずだ。精神と霊魂の交錯によって生じる魔力は、その意志の強さに大きく依存し、ユースの強き意志は限界寸前まで霊魂を疲弊させると共に、膨大な魔力を生み出し続けている。
直後、ユースの目の前の炎が上下真っ二つに分かれる。戸惑った一瞬から立ち直り、シリカの勇断の太刀が怪物の炎を切り裂いたからだ。それでも残りかすのように残った怪物の魔力と炎は、未だにユースの盾を押している。だが、随分軽くなった。
かすれかけた目をぐっと絞り、渾身の魔力を注いでユースは腕に力を込める。坑道内に響いた彼の咆哮は、そばに立つ法騎士の魂をも震えさせるほどのもので、かつて少年だった騎士の全力が、盾を押していた炎と魔力を、怪物に向けて勢いよく押し返した。
自らの放った魔力の炎を、その頭部に受ける怪物。悶えるというよりは、戸惑うように首を振る仕草にシリカも怪物の隙を見た気がしたものだ。だが、前に駆けてこの怪物の脇をくぐることは出来ない。なぜなら、怪物の炎を押し返したばかりのユースは、片膝をついてうつろな目をしていたからだ。とてもすぐに走れる状態ではないと、一目でわかる。
置いていけるはずがない。どうすればいい。見たところ、うろたえたように首を振る怪物も、その殺気が先ほどから一切こちらから逸れた気配がない。今切り込んだところで、燃え盛る頭のままでさっきと変わらぬ、鋭い反撃に来ることがわかっている。今のシリカに出来ることは、ひとまず憔悴しきったユースの前に立つことだけだ。決定的な策もなく、必死の想いで次の一手を考えるのもそれからだ。
「ようやく止まったか」
次の瞬間、再び地面が大きく揺らぐ。そしてその直後に起こったこともまた、先ほどの落盤と同じく、シリカの想像の外から起こる唐突な出来事だ。
怪物頭部の真下の地面、そこが突然爆裂したのだ。破片の数々が天井まで届き、いくつかの岩盤は怪物の顎骨に直撃する。思わず怪物が少し後ずさるが、その怪物とシリカの間、今しがた爆裂した地面に大きな穴が開いていた。
「っ……ユース!!」
後方を塞がれた騎士二人。そして、眼前の怪物と自分達の間に突然発生した、巨大な穴という逃亡経路。何が起こってそんなものが発生したのかも、まったく想像できたものではないが、今目の前にある生存への唯一の道へ向かい、シリカがユースの手を握って引き立たせる。
視界の歪んだユースだったが、その目は確かに目の前の穴に向いている。ユースの眼差しから彼の目に映る光景を読み、状況を把握してくれていることをシリカは信じる。くいと手を引いたその直後、それを合図代わりにしてシリカは走り出す。まるで法騎士様に手を引かれるように走るユースだが、その足はしっかりと自分の足で駆けていた。切れかけた精神と肉体の接続を、活路を渇望するユースの意志が霊魂を刺激し、繋ぎ止める。
穴に飛び込む寸前にユースの手を放したシリカと、それに続くユース。穴の先には暗い闇、それでも生きるためにはここしかない。怪物から束の間逃れた二人の騎士は、地図にない未知なる領域へと、その身をいざなわれていった。
二人の騎士を逃した怪物は、穴の上でぐるぐると首を回す。しばらく後、穴をその首で覗き込むと、怪物の全身を構成する骨がばらばらと崩れ落ちる。巨体を構成していた無数の骨は地面に転がるが、頭部だけになった怪物の頭蓋骨が、ふよふよと目の前の穴に降りていくと、無数の骨もその動きに従い、宙を漂うようにして頭蓋骨を追っていった。




