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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第8章  和順に響く不協和音~ディスコード~
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第119話  ~群雄コズニック山脈へ~



「よし、行こうか。クロム、留守は任せたぞ」


「おう、頑張ってこい」


 明朝に王都を立つ、第14小隊の7人。魔王マーディスの遺産を討つべく行われる大遠征、それに組み込まれた第14小隊だったが、クロムだけは本調子でないことを理由に、王都の守りを担う役目を騎士団に命じられていた。


 遠征任務に大人数を割けば、そのぶん王都の守りはどうしたって希薄になる。騎士団としては、これから進撃するアルム廃坑に、魔王マーディスの遺産が潜んでいることを強く見ているが、必ずしもそれが正解とは限らない。もっと言うなら、当地が魔王軍残党の拠点であることが正しかったにせよ、今日も必ず連中の親玉が腰掛けているとは限らないのだ。そこに師団を向かわせている隙に、手薄になった本国を魔物達に落とされては、笑い話にもならない。


 かつての戦役でもそうだが、多数の兵を出陣させている時ほど、王都ないし本国各地の守りは周到に固められている。王都で言えば、勇騎士より上の階級にあたる実力者、近衛騎士や衛騎士が、大きな任務の際に出陣しないのは、そういった都合だ。コズニック山脈という蜂の巣をつつきにいく以上、山脈と王都の間に位置するナクレウスの国にも、騎士団の要人が派遣されるぐらいの配慮はされており、今回も衛騎士が連隊を率いてナクレウスの守りをさらに強固なものとしてくれている。


 クロムのような立場の人間は、前線に参加して活躍することを求められるのが基本だ。ただ、やはり完全に復調するまではあと僅かな時間が必要とされており、死の危険を最も伴う最前線に向かわせるにはやはり抵抗を持たれる。一方で、戦力とならないわけではない側面から、何事もなければ死の危険も無い、王都の守りのような任務に回されるという形に落ち着くのだ。此度の遠征の最前線は絶対に死に瀕する可能性が出てくるし、本調子になるまではやはり本調子ならぬ者は見送られてしまう。こういった采配は、クロムに対してならず、騎士団内では入念に行われている。


 第14小隊としては、小隊一の猛者を欠いて出陣することに不安だって感じるだろう。だが、今回の遠征においては、優秀な上層騎士も数多く参加することになる。頼もしい仲間は身内だけではない。そう前向きに捉えて家を立つ7人を、クロムが煙草を片手に見送っている。


「一気に現地まで行くからな。眠い目はそれまでに覚ましておけよ」


 船と馬を乗り継いで、エレム王都からトネムの都へ、ナクレウスへ、そしてコズニック山脈北端へ。日の出わずか前に王都を出立するのは早起きを伴うものであり、マグニスが目をこすっているように、よく寝た後というコンディションとは言い切れないかもしれない。


 だが、目をとろんとしているのはマグニスだけ。他の6人は、これから臨む一大決戦の舞台に、昨夜は眠りにつきにくいながらも、しっかり早寝して今日を迎えている。シリカの刺した釘が杞憂であるとすぐにわかるぐらい、5人の若い勇士達の目ははっきりと光を携えていた。


 アルム廃坑進軍。これまでの任務とは比較にならない、騎士団上げての大仕事だ。緊張感を表に出さないマグニスの方が特殊だと言えるぐらいである。











 アルム廃坑は、魔王マーディスの出現した遥か昔前より存在する名鉱だ。ミスリル鉱などの貴重な武鉱石をはじめとし、金や銀のような貴金属も産出された場所で、魔物の出現が古くから絶えないにも関わらず、数多くの者が一攫千金を夢見て乗り込んでいた。大量の私財を投入して、多数の傭兵や騎士を雇って発掘に向かっても、充分なお釣りを見込めるほどの名鉱だったのだ。


 魔王マーディスが魔物を率いてコズニック山脈全体を本拠地としてしまって以来、山脈奥地にあるアルム鉱山はとても人の踏み入れる場所ではなくなり、廃坑と名を変えざるを得なくなった。比較的浅い地にあるプラタ鉱山のような名鉱は、リスクを承知で魔王がいても採掘に向かう命知らずもいたが、アルム廃坑ともなれば、場所が悪すぎた。辿り着くまでに魔王の配下に見つかることが充分にあって、しかも運良く発掘まで至れても、アルム廃坑内に潜む魔物の恐ろしさは、山脈の浅い部分にうろつく魔物達の比ではない。鉱物握って身重になった身で、虎の穴から生きて帰れる見込みなんてないのだ。


 強く惜しまれつつも廃坑となった一方で、魔王マーディス率いる魔物の軍勢の砦の一つと呼ばれるようになったアルム廃坑。旧ラエルカンを攻め落とした魔王マーディスを撃退し、山脈最奥地のレフリコスという拠点に魔王が逃れた時、そこへの進軍過程にあったこの廃坑では、現在遺産と呼ばれる4匹の魔物達も一大集合し、血で血を洗う戦場だったという。エレム、ダニーム、ルオスの三大国家の勢力を終結させた最高戦力で押し切り、その末に魔王を討ち果たしたかつての歴史の中でも、アルム廃坑における死闘は語らずして通れない。由緒正しき戦場という言葉は縁起のいいものではないが、アルム廃坑という文字列は、それだけで死線を予感させる戦場なのだ。


 魔王不在となったコズニック山脈。そんな今になっても、未だ鉱山として復刻する見込みのない、山脈奥地の魔物の棲み処として名高いアルム廃坑。この日この戦場へ足を向けることになった騎士団の勇士達が抱く覚悟は、並々ならぬものであって当然なのだ。











 師団とは1万を超える兵の集まりだ。これまでの隊とは規模が異なり、その構成人員すべてが一箇所に集うことは難しい。連隊でさえ、近しく人を集めることはなかなか手を焼くものだが、連隊より大きな旅団、さらに大きな師団ともなれば、集合の様相も変わってくる。


 コブレ廃坑近辺の荒地に集まるとされる旅団は、勇騎士ハンフリーが指揮官を務める大きな部隊。その構成人数は四千にも届き、向こうでも連隊指揮官格にあたる聖騎士などによって人員を分割され、集合の様相には混雑を極めている。聖騎士クロードも今はそちらで旅団の一部、千人超の連隊の指揮官として動いているし、その末端には、騎士ルザニアを含む第44小隊も含まれている。


 シリカ達含む第14小隊が集ったこの場所は、勇騎士ベルセリウスが指揮官を務める旅団の集合地。聖騎士グラファスや、法騎士タムサートを含む第19大隊を擁するこの旅団も、五千弱の人材を揃えている。今までの任務と規模が違うことは、その様相を見ても明らかであると言えよう。


「――勇騎士ベルセリウス様、お疲れ様です」


「ご苦労様、法騎士シリカ。頑張ってくれよ」


 総指揮官へのご挨拶もひとしおに、シリカは持ち場に帰っていく。シリカのそばにいて、かつて魔王マーディスを討伐した勇者様を見るアルミナの目が、神様に出会えたかのように輝いていたが、これから大きな任務に動くということで、お声をかけたい想いを封じ込める。ベルセリウスに背を向けた直後、色々言いたかったことを抑えたアルミナの顔は、ユースにもなんだかよくわかったものだ。


 この旅団とはまた別の位置、山脈西部から進軍する旅団の指揮官も、別の勇騎士が担っている。かの人物は引退も考えているお年頃ということで、若い騎士達とは接点が本当に少ない。そんな勇騎士が率いる旅団に今組み込まれている、第26中隊はどんな心地だろう。声も聞いたことのないお偉い様と近付くことになる、第26中隊に属する親友の騎士アイゼン、後輩のバルトも気が気でないだろうな、と、ユースも向こうの心中をつい想像してしまう。


 そして、ちょっと目線が空を向いていた節、こら、と一言放ってユースの前に立つシリカ。上の空でいられるような状況ではないとユースもわかっているだけに、絶好のタイミングでそれを指摘されると、大変気まずい想いに駆られる。


 とん、とユースの胸を拳で突いて、シリカがユースを見据える。痛くない突きだ。


「頑張れよ。一世一代の大舞台だぞ」


 戦場をそうした言葉で形容するのは、実にシリカらしくない。それでも下手な言い回しを用いてでも、ユースを鼓舞しようとするシリカの胸中は、これから迎える激戦の予感に対して強い想いを抱いている表れだったと見える。上官のそれと言える厳しいお顔立ちだが、同時に緊張に近いものも伺えよう。


 シリカだって、若くしてこの戦役に並ぶ重みには、意識せず臨むことなど出来ないのだ。法騎士という誇りある階級を胸にしていても、まだ24の騎士が家族に近い部下を率い、強大な魔物達が潜むと知る地に乗り込むことは、想像し難いほどの重責を伴うものである。


 はい、とそんなシリカに答えたユースの目は、一年前と見比べれば随分頼もしくなったようにシリカも思う。かつて自分がそうだったように、窮地や苦闘を経験すればするほど、魔物の恐ろしさと必要な覚悟を認識し、戦場への目つきは変わっていくものだ。経験ではなく知識だけで戦場の恐ろしさを知っていただけの、芽吹かなかった頃のユースでは、今と同じ強い眼差しなど出来るはずもなかった。


 積み上げた日々が、未熟な戦士を練兵に近づけきたはずだ。あとは築き上げたその実力が、これから訪れる死闘の中でどこまで通用するかである。


「さあ、行こう。間もなくベルセリウス様から、出撃の合図が下されるぞ」












 アルム廃坑最奥地。穴蔵のような場所で、大いびきを立てて眠る魔物が一匹。狭い洞窟内にそのいびきはよく響くものの、当の魔物はといえばその大きな音に反して小柄なものだ。


「――アーヴェル様、起きて下さい」


 魔王マーディスの遺産に名を連ねるも、子供のような小さな体躯を持つ魔物の親玉に、一匹の配下が声をかける。それは人間と同じく二足歩行の人型の魔物である一方、その顔は獅子のそれに近く、表情が持つ顔の周囲を多量のたてがみが包み込んでいる。


「……んニャ?」


 鼻ちょうちんをパチンとはじけさせ、寝ぼけ眼で座り込む百獣皇。細い猫目を手の甲でぐしぐしとこする姿は可愛らしいもので、これが魔物の大軍勢を率いる親玉だとは、やはり誰の目にも見えない。


「んふあ……よー寝たニャ。ここ数日、強行軍だったからニャー」


 大あくびをして立ち上がった百獣皇アーヴェルは、自らを起こしにきた配下を軽く睨みつける。もっと寝させとけと言わんばかりの眼差しに、百獣皇率いる軍勢の幹部格にあたるその魔物も、僅かながら萎縮したような表情だ。アーヴェルの倍以上も背丈があり、厚い肉体と獣の恐ろしい形相を持つ魔物が、こんな小さな魔物を相手にそんな顔をするなど、あまりにも不釣合いな光景である。


「ウルアグワ様はもう行かれましたよ。カティロス様と共に」


「……うん? ウルアグワ?」


 寝て起きた直後で、今いち考えが纏まっていないのか、キーワードを耳にしてもきょとんとした目のアーヴェル。だが、数秒考え込んだ後その目をばちんと見開いて、目の前の配下に食って掛かり始めた。


「"アレ"は!? もしかしてあいつら……」


「ええ、ご一緒に」


 次の瞬間、その目に激しい怒りを宿して岩壁を蹴飛ばすアーヴェル。小さな足が岩に傷をつけることはなかったが、素足で勢い良く岩石を蹴った割に痛がらない素振りからも、こう見えて頑丈な体を持っていることがわかる。


「あんのクソアグワァ!! (それがし)がアレを作るためにどんだけ苦労したと思ってるニャ!! それを断りもなしに勝手に持っていくか!?」


 数ヶ月前からウルアグワに頼まれて作っていた、魔物陣営にとっての強大な武器。寝る間も惜しんでその完成へと身を粉にして臨んできたというのに、完成した途端挨拶も無しに持っていく同胞。頭をがりがりかきながら怒り狂うアーヴェルの姿は、怒りっぽい主人の相変わらずさに、配下の獅子面の魔物も困り顔。


「お気持ちはわかりますが、そろそろ出発しなくては。騎士団がここへ……」


「あーもうわかってるわかってる!! だからウルアグワも動き出したんだろ!! 知ってるニャ!!」


 騎士団がアルム廃坑へと進軍した際の動きに関しては、魔王マーディスの遺産達の間では、とうに取り決められている。黒騎士ウルアグワが、百獣皇アーヴェルの作り出したとっておきの武器を持ち出したと聞いた時点で、騎士団に動きがあったことは察せている。


 となれば、自分もこれから動きを強いられるのだ。ここ最近忙しくて寝不足、計画とスケジュールに追われる毎日だったというのに、済めばはい次のお仕事、という状況には、たとえ人間でも嫌気が差す。今日一日、アーヴェルの機嫌が直ることはないであろうだけに、部下の魔物も溜め息が出そうだ。


「……ディル公はどうしてるニャ。あいつはちゃんと、持ち場についてんだろーニャ」


「まあ、あの方はいつもどおりかと。この時間帯は寝ていると思われますが」


 獄獣を軽々しい呼び名で称するアーヴェルに、淡々と事実を述べる獅子面の魔物。それを聞いたらアーヴェルも、人がこんなに寝不足で働いていたのにあいつは相変わらずお気楽な、と不機嫌をあらわにするのだが、事実なのだから仕方ない。報告する側も、嘘はつけないから胃が痛い。


 ただ、アーヴェルを不機嫌にしてもやがては許されるという時点で、この魔物も相当な手練だということだ。筋骨隆々の巨体と、百獣皇が相手でなければ逆らう者に容赦などしないという目を宿す、彫りの深いその瞳は、人類の誰が見ても恐ろしい実力者であると直感でわかるもの。いつかはこの魔物も騎士団の前に立ちはだかるのであろうが、その時この魔物の前に立つのが聖騎士や勇騎士、あるいはそれ以上の騎士であろうと、この目が恐れに満ちることなどないのだろう。


「どいつも、こいつも……身勝手な同胞ばかりでホント嫌になるニャ……!」


 アーヴェルが愛用の鈴つきの錫杖の尻で地面を強く突き、鈴の音が穴蔵に鳴り響く。本人の怒りに反して可愛らしい音色が鳴るもので、どう振る舞ってもその本質を知らない者には、仕草から威圧感を伝えられない魔物の親玉だ。


「おら、とっとと行くニャ!! 某も行かなきゃ、アレも言うこと聞かねーだろ!!」


「そうですね。では、参りましょう」


 踵を返して、穴蔵の出口に向かう配下の魔物。仕事となれば、動きに迷いがない。


「こらぁ!!」


 それを怒鳴り声で引き止めるアーヴェル。その場で目をぎらぎらさせて怒り狂う主人の態度に、何事かと振り返った配下の獅子面も困惑顔。


「……何か?」


「乗せろニャ!! 足が痛ぇんニャ!! そんぐらい察しろニャ!!」


 さっき岩壁を怒り任せに蹴飛ばしたせいだろう。気の利かない部下を怒鳴りつける理不尽な主人の姿に、溜め息を我慢して配下の魔物はアーヴェルを肩車する。小さな体躯をひょいと首の後ろまで持って行く、獅子面の怪物の巨腕は、その気になればその肉体を一握りで粉砕出来そうなものにさえ見える。


 力が絶対の上下関係を決める魔物陣営の中において、この魔物にそれをさせない百獣皇。首の後ろにまたがってふんぞり返る百獣皇は、自分の倍ほどもある巨体の魔物の頭を、柔らかい肉球でぺしぺしと叩いている。


「飛ばせよ!! 某はそう簡単には落ちねーからよ!!」


「かしこまりました」


 ゆっくりと駆け出し、徐々に加速し、やがてその足を人間には追いつけぬような速度へと変える。穴蔵から飛び出し、日中の光にアーヴェルが目を細める頃には、百獣皇を乗せた獅子面の魔物の速度は、風のように速く山脈を駆けていた。











 ゆっくりとした進軍。今日は、アルム廃坑のそばまで接近し、一夜明かしてから敵の本拠地まで辿り着く手筈なのだ。アルム廃坑は、一日にして現地に辿り着き、休みなく戦いに臨むことが得策だと言えるような、浅い場所にはない。


 勇騎士ベルセリウス率いる旅団、勇騎士ハンフリーが率いる旅団、そしてまた別の勇騎士が指揮官格にあたるこの旅団は、別ルートからアルム廃坑に乗り込む算段なのだ。北からベルセリウス達、東からハンフリー達が、そして西からこの旅団が攻め込む、という形で、コズニック山脈をうごめく魔物達を広く排除しながら進軍する計画である。


「進軍は順調だな……嵐の前触れでなければよいが」


 背の高い方ではない、老齢の勇騎士は、予定通りの進軍にも浮かれた表情を見せられずにいた。これから乗り込む戦場は、かつて自身が既に勇騎士の立場にあった頃に、魔王マーディスの遺産達と激戦を繰り広げた忌まわしい地なのだ。あの日仲間達と共に、魔将軍エルドルと対面し、命を懸けてしのぎを削り合ったのは、生涯忘れ得ぬ記憶として残っている。


 鈍色の騎士鎧と、長尺の槍を携えた白髪混じりの男は、ゲイル=ルイ=テッサルナークの名で知られる勇騎士だ。右目を深々と縦断する傷跡は、隻眼の勇猛なる戦士を思わせるには充分なものだが、十年前には既に勇騎士の名を冠していたこの人物の年齢は、もう60を上回っている。ここしばらくは王都の守りや聖騎士や法騎士の上官として余生を送っていた彼であったが、魔王マーディスの遺産を討つべくアルム廃坑に乗り込むというこの任務に、自ら名乗り出て臨んだ形であった。かつての魔王マーディスと人類の深き因縁を知る老兵こそ、こうした任務への思い入れは、他の騎士の比ではない。


 愛用の煙管(キセル)も控え、ゆっくりと進軍模様を見届けるゲイルの遠方では、少々の、騎士団と魔物達とのエンカウントも繰り広げられているだろう。この旅団の主戦力たる勇騎士は、時々遭遇する魔物達をいとも簡単に捌きつつも、さして戦いには積極的に乗り込まず、明日に向けて鋭気を養っている。どこの部隊でもそうだが、主戦場アルム廃坑に辿り着くまでの山脈浅き場所では、体力こそ売りの若い騎士が奮戦し、厚い層を保護するのが仕事である。今頃は第14小隊も、そんな仕事を繰り返しているだろう。


 緩慢な進軍の矢先、ゲイル達の前に一つのターニングポイントが訪れる。勇騎士ゲイルの近い位置に立つ法騎士や高騎士も、目の前の光景には緊張感をあらわにしたものだ。


「……スプリガンどもか。これは、部下達には荷が重いな」


 トロルの上位種にあたるその怪物が二匹居座っている光景には、勇騎士ゲイルも静かな戦意を宿す。相手が、法騎士相手で釣り合うほどの魔物でなければ、ここまでの眼差しは宿さない。周囲の法騎士達が力を合わせれば討伐も不可能ではないだろうが、それによって戦力を欠かす結果になると、肝心のアルム廃坑突入時に響いてくる。ここは必勝の駒である、自らが武器を抜くべき場面だろう。


「待て。俺がやる」


 槍を握ったゲイルの後方から、彼を呼び止める声。聞き慣れた声にゲイルが振り向く一方、周囲の騎士達がどよめきかけている光景も同時に混在する。


「ドミトリー様? あなたの手を煩わせるほどでは……」


「少しは動かないと体が固くなる。やらせてくれ」


 もう若くないからな、と自称するその存在は、背の低いゲイルに反して長身の巨漢だった。がっしりと全身を包む筋肉は誰の目にも頼もしく、重々しい全身鎧と大振りの大剣を握ったその戦士は、こちらも60代半ば過ぎの高齢ながら、それほどには老け込んでいない顔つきだ。やはり皺は目立ってきているものの、少しよれてきた髪もまだ黒く、御年を匂わせながらもまだまだ現役の戦士であることを醸し出す風体。何よりその瞳だけは、そこいらの騎士達よりも若く見えるぐらい、はっきりと光を宿している。


 すべての騎士達の目指す先。かつて魔王マーディスを討伐した勇者の一人にして、魔王を断つ最後の一振りを下したと言われる、正真正銘の魔王討伐の主役。当時勇騎士であった11年前、魔王討伐の功績を以ってその階級を衛騎士へと変え、今や近衛騎士という騎士団第二の階級まで上り詰めた存在、ドミトリー=レメデ=フェーン。現在の騎士団に身を置く者の中で、彼の名を知らない者など、ただの一人としていないだろう。


 ドミトリーは背中に背負った巨大な鞘から、誰があんな巨大な武器を振り回せるんだ、と思えるような大剣を抜く。大きな得物を手にした近衛騎士の存在に気付いた二匹のスプリガンは、目の前に表れた何者かがただならぬ強敵であると察し、身構える。巨人のような図体のスプリガンだが、その知性は高く、相手の実力を見定めて、全力を出すべき場面では慢心を抱かない魔物だ。人間達を自分達よりも小さい敵だと認識した魔物の多くは、人間を餌として見下す傾向が多いし、こうした知能を持つ魔物というのは精神的な隙が無く、手強いものだ。


 果たして、そのスプリガンの想像力は充分なものだったのだろうか。ドミトリーが自分達の射程範囲内に入った瞬間、その手に握る魔力で地を揺らそうとしているスプリガン達。怪力と生命力に加え、攻撃魔法も使えるスプリガンの恐ろしさは、長年に渡ってそれを難敵と定められてきた大きな要因だ。


 だが、その間合いの一歩前、ゆっくりと歩いていたドミトリーが、凄まじい勢いで地を蹴った。速度が3から100まで跳ね上がったようにも感じる、タイムラグのない急加速は、対面するスプリガン達のみならず、周囲の騎士達の度肝を抜いたはずだ。驚かないのは勇騎士ゲイルぐらいのもの。


 一体のスプリガンに至っては、度肝を抜かれた自覚を得られたどうかも怪しい。あまりの速さで急接近したドミトリーの大剣は、二匹まとめて敵をなぎ払う軌道で勢い良く振り抜かれていた。一匹は運良くか、後方に跳ねてそれを回避したが、もう一体は反応さえ出来ず、その胴体を真っ二つにされていた。


 僅か生き延びても、末路は同じ。あの巨大な武器を握った人間が、あれほどの速度で距離を詰めてきた事実への戸惑いを拭いきれないスプリガンは、困惑に囚われて次への行動が遅れる。着地して気付いた頃、頭上から自らに振り下ろされる大剣を視界に入れたのが、このスプリガンにとって最後の光景だ。


 勝負は一瞬だった。法騎士でも手を焼く相手と定義されるスプリガン、それを二匹同時に相手取って、まさしく瞬殺してみせたドミトリーの姿には、未だその決着を目で見ても、頭で認識しきれていない騎士が殆どだ。騎士団に属していれば、今の自分の力量では届かない上官の姿に慄くことも多いものだが、こんなに強い人間を見たことのある者はそうそういない。


 先日、克上祭の舞台で勇騎士ベルセリウスと戦っていたドミトリーの大剣捌きは、多くの人々の目を魅了したものだ。その大剣が真なる殺気を宿し、見世物ではない形で振るわれた時、醸し出す戦慄とはここまで違うものなのか。そう、誰もが感じずにはいられない。


「ふむ、なまってますな」


「年が年だしな。そろそろ俺、自分のことを"ワシ"って言うべき年頃なんだろうし」


 全盛期のドミトリーを知るゲイルだけが、軽口と柔らかい笑顔でドミトリーに話しかける。老齢の戦人が冗談めいて笑い合う光景だが、周囲の騎士達からすれば、その高次元の会話には入り込む余地もない。強者だけの世界とは、そこだけが隔絶された空間のように感じられ、何者も寄せ付けない。それが一般に言う、格の違いというやつだ。


「さあ、行くぞ。あまりちんたらしてると、寝る時間がなくなるからな」


 高齢ながらよく通る声で、ドミトリーが明朗に周囲の騎士に語りかける。止まっていた時間がようやく動き出したかのように進軍を再開する旅団の中、ゲイルはドミトリーから離れ、別の場所にて隊を導く動きへ移っていくのだった。


 今の光景を見た誰もが、感じたはずだ。圧倒的な実力を持つ近衛騎士様や勇騎士様を味方に持ち、さらには圧倒的なこの兵力。敗北の予感などせず、必ず勝利を得られるだろうという確信に近い想いが、騎士達の胸を満たしていく。それは危険な任務を前にして不安も抱いていた戦士達に、勇気という名の何にも勝る武器を授けるもの。それを自ずと生まれさせただけでも、3旅団合同の師団の総指揮官、ドミトリーの存在は大きかった。


 絶対的勝利の予感。ただ、近衛騎士ドミトリーと勇騎士ゲイルがその胸に宿す想いは、そうした楽観的なものではなかった。自身の力量に正しい自信を持つゲイルが、近衛騎士ドミトリーを味方に持つ事実を加味しても、手堅い勝利を青写真に抱けるような心地にはなれない。


 知っているからだ。魔王マーディスの遺産という存在が、どれほど厄介な存在かを。かつての魔王を討伐した今となっても、その恐ろしさは脳裏に焼きついて離れないものだった。






 近衛騎士というのは、王都の守りを磐石とする騎士団最強の盾であり、本来こうして遠征に加わることなどない存在である。それが今回、敢えて出陣に踏み切ったのは、それだけ魔王マーディスの遺産を掃伐するために挑むこの任務が、騎士団にとって大きな意味を持つからだ。かつてのベルセリウスの上官にあたり、魔王マーディス討伐において最大の功績を為したと言われる最強の騎士、ドミトリー。それが山脈への進軍に加わることは、この戦役の重要性を象徴的に物語る要素と言っても過言ではない。


 かつて魔王マーディスを討ち果たした英雄二人を含む軍勢で、魔王マーディスの残党を狩る任務を構成する。それは魔王討伐の日からも長く続いてきた、晴れきらぬ、魔王の遺産との戦いの日々を終わらせるという、騎士団の意思表明でもあるのだ。本当に、この戦役ですべてが終わるとは限らない。それでもそれに向かって前進しようという意図を布陣に描くことが、騎士達の意志を自ずと強固に統合する。そうした特別な意図のもと、この例外的な布陣は構成されている。


 いつの世も、時代の節目には、普段と違うことが起こるものだ。近衛騎士の出陣という、ここ数年行われなかったことの実施は、運命に言わせれば、雨の前に太陽に(かさ)がかかるようなものである。それはこの日、すべてを終わらせる日々の始まりを思い描いた軍師達、その手で魔王マーディスの遺産との決着を目指す英雄達の想いが成した、ある種の偶然。運命の気まぐれで、元来起こり得ない出撃任務が現実となったこの日の出来事は、何かの前触れなのだろうか。


 魔王マーディスが人類を苦しめた10年以上前。魔王マーディスの遺産を追う人類の10年戦争。激しく波打ちながらも膠着状態だった歴史が、この日を境に動き出す。


 今はまだ、誰も明日を知らない。

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