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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第7章  勇士達への子守唄~ララバイ~
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第115話  ~創騎祭③ 若き勇士の挑戦譚~



「ユースもやる時はやるもんよねぇ。あんな容赦のないスイング久しぶりに見たわ」


「ルザニアって子、明日の舞台に支障が出てはいけないってことで、医療所に搬送だもんな」


「いや、あの……俺も余裕なくって……」


 創騎祭初日の暮れ、家に帰ったユースはアルミナとガンマにからかい倒されていた。起きたことを聞こえ悪く吹聴して遊ぶ二人の語り草は、冗談だとわかっていても、ユースとしては気が気でない想い。話を聞き及ぶシリカやマグニスも、ちゃんと事情はわかっているので笑って聞いているのみだが。


「ま、まあまあ……真剣勝負だったんでしょ……?」


 フォローを入れてくれるキャルが、ユースにとってどれだけ天使に見えることか。一応全員わかっていて、起こった出来事を種に談笑しているに過ぎないし、キャルも頭ではわかっているのだが、それでも一応フォローを入れる誰かがいないと話が終わらない。今回はその役を、キャルが買ってくれた。


「冗談はさておいて、良くも悪くもあの件は話題性あったみたいよ。第44小隊の女騎士ルザニアっていえば、私でも聞いたことあるぐらい、騎士団内では有望視されてた子っぽいしさ」


「実際、同ブロック内ではユース以外に全勝だったようだし、それに勝ったとなれば、すぐに過ぎ去る話題とはいっても一日はもつだろうな」


「ボコっちゃったことも含めてな」


 アルミナ、チータ、ガンマの見解どおり、あの場に居合わせた者達の中では、元より注目度の高かったルザニアを、法騎士シリカ様の一番弟子が破ったことが、ひとつの濃い思い出となって残る。それが仲間うちで語り合われるにおいて、ユースの容赦ない一撃も同時に語られるだろう。


 騎士ユーステット=クロニクスについて周囲に知られていること。

  ・法騎士シリカ様の一番弟子である

  ・巨大な魔物ミノタウロスを単身撃破できる実力者である

  ・女が相手だろうと容赦なくみぞおちに全力の一撃を入れた ← New!!


「やめてくれ……マジで反省してるから……」


 勝負の場では容赦しないが、頭が冷えると当人としては、とんでもないことをやらかしてしまった心地になるものである。女の腹を木剣で殴りつけて胸が張れたら、もはや単なるサディストだ。


 医療所で顧問魔導士の治癒魔法なども受け、何とか持ち直したルザニアに、駆け込んだユースがひたすら平謝りしまくっていたのが、家に帰ってくる前の騎士館最後の思い出。もちろんルザニアだって、勝負の場で起こったことなんだし、全く気にしていないという顔だった。騎士団に入団して戦う道を選んだ少女、それぐらいの腹は据わっている。むしろ彼女も、やたら謝られて困っていたように見えたぐらいで、ユースに付き添ったアルミナも、両者の気まずさを苦笑いしながら見届けていた。


「まーそんなに気に病むことじゃねえだろ。戦う道を選んだ女が相手なんだしよ」


「マグニスさんは女好きな割には、女性に対して見方が辛辣なんですね」


「初めての時は痛いもんだしな。男がそういう手ほどきをしてやらなきゃいけねえ時もあるんだよ」


 処女三人揃った前で、堂々とこんな口を利いてくるマグニス。もう呼吸レベルでセクハラジョークが口から出てくるんだから、アルミナも諦めたように溜め息をつく。


「言っておきますけどルザニアちゃん、マグニスさんも気に入るレベルの美人顔ですよ」


「ああん? おうコラユース、美人の腹をどつき倒したってのは、聞き捨てならねえ愚行だぜ」


「美人じゃなかったらどついていいってこと?」


「美女には優しく、ブスは蹴飛ばせ。常識だろそんなの」


 クズ過ぎる発言にキャルがちょっと引いた顔をしても、マグニスは平然とした表情だ。冗談ではなく本気でそう思っているからこそ、この態度。ちょっと彼は一度修羅場にでも巻き込まれ、本当に一回刺されでもして天誅受けた方がいいのではなかろうか。


 クロムがいれば、マグニスのゲス発言も上手いこと拾って、冗談めいた会話に崩してくれるのだが、今はクロムが夜警でここにおらず、柔らかくマグニスを止める者がいない。アルミナが本気で機嫌を悪くする前に、シリカもそろそろその辺にしておけと手を振る。はいよはいよと煙草に火をつけるマグニスをじとりと見つめるアルミナを鑑みるに、シリカのアフターケアはぎりぎり間に合ったと見ていいだろう。


「ルザニアちゃん、シリカさんに憧れて騎士団入りしたって聞いてますけど、あの子が予選通過して挑戦権を得たってことは、あの子の挑戦する相手もなんか予想つくよね」


「まあ、確かに。隊長だろうな」


 面識あろうとなかろうと、年下の女の子はちゃん付けで呼ぶ。アルミナの語り口は日頃から常に、他者に対して気さくである。そのアルミナの推測を後追いで肯定するチータの見解も自然なもので、今からでもそれはわかることである。


「……まあ、それなら私も心構えをしておこうかな。そう言って貰えるのなら、恥ずかしい戦いぶりをその子の目に晒すわけにはいかないからな」


 自分に憧れて騎士団入りしたということを聞き、少し照れくさそうな顔を"作って"笑うシリカ。何気なく自然に演じたその顔は周囲にそう認識されたものだが、シリカ本来の性格からすれば実は不自然な反応。自分に憧れて騎士団入りしたという話を聞いたら、相手の期待や夢を裏切らないようにしたいから、今の言葉を重い顔で言い放つはず。それが生真面目な彼女の自然体だ。


 ダイアンに、自分が法騎士に選ばれた理由の一角に、若き芽が騎士団に誘える形を促す目的があったと知った直後のシリカにとって、そうした事実には実に複雑な想いだった。戦人として生きる道を選んできたシリカも、女として捨ててきたものがいくつだってあるのだ。そうした道へルザニアを導いたのが自分であることは、自分を法騎士に選んだ騎士団の思うつぼであることも手伝って、どうしてもルザニアが選んだこの道を案じずにはいられない。普段ならば、本人が選んだことなんだから別に意を介さないようにするし、同じく自分に憧れて傭兵となったアルミナのこともそう割り切っていたのだが、今はちょっとタイミングの悪い知らせだった。


「そんで、ユースは誰に挑戦するんだ? 明日の克上祭には出れるようになったんだろ?」


 そこまでシリカの真意を読み取れぬまでも、今の話にシリカが面白さを感じていないと察知したマグニスが、さりげなく話題を転がしてシリカを逃がす。何年もの付き合いからくる、ささやかな演技も見破って気を遣う友人の機転には、シリカも恭しい目線を送って感謝する。別にいいよ、と鼻を鳴らしたマグニスとの意思疎通は、他の誰にも感じ取れない二人だけの会話だ。


「え? ユースはシリカさんに挑戦でしょ?」


「俺もそうだと思ってた。克上祭の舞台で、シリカさんとの真剣勝負かなって」


 アルミナとガンマの予想が公開される。マグニスは二人に聞こえないよう、喉の奥で笑っていた。予想でも何でもなく、お前らは単にそれが見たいだけだろと。賭け事でもよくあることだが、予想と希望はよく似通う。


「んなわけないだろ。シリカさんとは訓練で頻繁に手合わせしてるのに、なんで俺がわざわざ克上祭で挑戦しようって思うんだよ」


「えー、つまんない。大舞台でシリカさんとユースの対決見たいっていう人、結構いるよ?」


 名高い法騎士シリカと、その一番弟子と知られる若き雄の真剣勝負。それは確かに、傍から見れば好カードであるし、騎士団内でそれを期待している者もいるだろう。アルミナのそうした見解は間違っていないし、アルミナと付き合いの深いプロンあたりも、ユースとシリカの両方と縁が出来た今となっては、そのぶつかり合いが実現すれば、いの一番に駆けつけてくれるだろう。


「いや、そんなこと言われても……もう、挑戦したい相手は決めてあったしさ」


「誰なんだ? 私としても、気になっていたんだが」


 シリカもユースが自分に挑戦してくるなんて不合理も思っていなかったし、そうなれば誰に挑んでみたいのだろうかという興味は強かった。それに伴い、周囲の視線がユースに集められる中、妙に緊張した面持ちにユースが変わってしまう。


「いや、まあ……笑わないでくれると嬉しいんだけど……」


 その言葉の意図は、あまりにも大きな相手との格の違いを意識したもの。勝利を掴むことが目的とするならば、あまりにも無謀な挑戦であるその答えを、憚りながらもユースは口にする。


 誰も笑うようなことはしなかった。確かにそう言いたくなるのがわかるぐらい、格高いお相手に挑戦する覚悟だとわかる。だからって、それを馬鹿にするような者はこの小隊にいない。











 克上祭2日目の真昼時、いよいよ創騎祭のメインイベントが開催される。騎士館の離れに立てられた闘技場は、年に一度のこの創騎祭か、時々行われる騎士団の演舞の公開にしか使われない、年間でも使用頻度の低い建物だ。建築物を造るにあたってかかる費用も馬鹿にならないというのに、数百年前にこの闘技場がわざわざ建てられたのも、創騎祭の重要性がエレム王国に強く認識されているが故だ。年に一度の祭のためだけに建物を一つ造るのは、そうした重き意図なしではあり得ない。


 創騎祭2日目の昼前に市場が最大級に賑わうのは、午後になればこの闘技場で行われるメインイベントを観たい人々が、お祭り最後の買い物を楽しむためだ。正午を過ぎた途端に人の動線は一気に闘技場へ向き、収容人数も大きいこの闘技場が人でいっぱいになる。驚くべきは、観客の確保が絶対的に確信されているこの催し事に対し、観戦費用も取らずに無料開放されている点。入場客から硬貨一枚取るだけで莫大な儲けになる大イベントだというのに、長年通して徹底的に無料入場が認められている事実からも、この祭事の良心的さが表れていると言えよう。


 今年も闘技場は超満員。克上祭2日目のイベントを敢えて観ず、閑散となる市場を悠々と巡る層を除き、数多くの人々が押し寄せた観客席はまさしくすし詰めだ。若き騎士達が、練達の上層騎士に挑戦するイベントというのは、それだけ騎士団を崇める客にとって価値のある見世物である。


 法騎士や聖騎士、勇騎士のような、庶民にはご挨拶するのも緊張するような戦人の戦いぶりを、近くその目で見られる機会。それはもう、騎士団愛好者にとっては堪らない光景となる。






 闘技場の待合室で、昨日と変わらず緊張した面持ちのユースは、何度も武器と盾を見つめて精神を集中させていた。数分前に法騎士様に名を呼ばれ、闘技場へと向かっていったルザニアは、今はもうシリカとの戦いを終えているのだろうか。この部屋でルザニアと再会し、始めは昨日に引き続いて謝罪から入ったユースだったが、本番が近付くに連れて二人とも緊張で胸がいっぱいになって、今日まで頑張ってきた思い出を回想して交換するなど、気を紛らわせ合ったものだ。結果的に、女の子と話すのがすごく苦手なユースが、ルザニアと仲良く話せていたというのが、密かに珍しい光景だった。


 そのルザニアも、自分より少し前に大舞台に飛び立ち、この場所で一人残ったユースは、最後の緊張感に目まいすら覚えたものだ。シリカより強いとわかっている人物に、挑戦の意志を表明したのは少なからず畏れ多かったし、そうした以上は無様な姿を見せるわけにはいかない。強き先達を駆り出した立場として、全力を以って敬意を払う覚悟はもう出来ている


 騎士団入隊試験、エレム王国騎士団5つの難題、第四問。騎士としてではなくあなた個人が、人として最も大切にすべきだと思うことは何か述べよ。


 胸を張って毎回、向上心の文字列をそこに書いてきたユースの魂は、ここで得た機会から必ず何かを掴んで帰ろうという決意を固める。勝利が目的ではない。明日以降も続く戦いの日々に向け、必ずや実を先人の剣から得ようという挑戦心が、静かな炎となってユースの胸に宿る。


 法騎士がユーステット=クロニクスの名を呼びに参じ、はいと静かに答えたユースが、闘技場のバトルフィールドへと歩いていく。二十歳を迎えたばかりの若い騎士にとって、これまでの人生の中で最大の舞台とも言える場への出発だ。











「挑戦者、騎士ユーステット=クロニクス!!」


 ユースの登場に静かにざわめく会場の中心、本克上祭のジャッジを仰せつかった聖騎士が、若き雄の名を大声でアナウンスする。それは最前列の客にようやく伝わるほどのものであったが、前列の客の歓声と拍手に誘われるように、その空気は一気に会場全体に派生していくのだ。声を大きくする魔法でも扱えようものなら色々都合がいいのだろうが、毎度アナログなコールにジャッジの立場も大変である。ここまで数戦の間にも声を張り上げてきたらしく、そろそろ喉が枯れてきているようだ。まだまだ先は長いのに。


 超満員の観衆の前に晒されることなんて、ユースにとっては初めてのことだ。当たり前のようにこの空気に呑まれそうになり、心臓がばくばく鳴る。別に観客のために戦うわけでもないのだが、数多くの人前で戦うという独特の空気は、理屈で説明できない重圧を感じてしまうもの。


 しかし、それも短い間のこと。正面から歩いてくる、偉大な先人の姿を見て、ユースの意識はすべてそこに集中する。その人物が闘技場に現れるに伴い、雲まで届こうかという歓声が会場を包んだが、それも今のユースにとっては意識の外の出来事に過ぎない。


 選手コールも会場の大歓声にかき消される中、対面した人物はゆっくりとユースに歩み寄ってくる。着物姿に袴を纏い、草履と長尺の刀を携えて表れた老練の剣客が放つ気質は、これから彼と戦うユースにとって、周囲の大歓声をゼロにするに充分なほどの緊張感を感じずにいられぬもの。


「ここへ立つのも久しぶりだ。ここ数年の克上祭、私に挑戦しようという者は現れなかったからな」


 克上祭で、挑戦相手として声をかけられやすい者は決まっている。二剣を扱う法騎士カリウスや、名を馳せた女騎士であるシリカなどもその一部で、ユースのように向上心に満ちた若き騎士は、名指導者として有名なラヴォアス上騎士に挑戦することも多い。クレバーで効率的な戦い方を得意としていた法騎士ダイアンも、現役当時には引く手数多だったそうだ。基礎に忠実でまさしく騎士のお手本のような戦い方を得意とする勇騎士ベルセリウスも、今はあまりに尊ばれた立場になったせいで声がかけられなくなったが、法騎士、聖騎士時代にはよく挑戦相手に選ばれていたという。それら以外で言うなら、階級の低い上騎士や高騎士が、まさしく下克上を狙う騎士に牙を剥かれやすい。


 そうした華にスポットがあたる一方、高い実力が知れ渡る上に畏れ多さも唱えられる立場になった騎士達は、こうした克上祭では蚊帳の外になりやすかった。たとえば、豪腕無双の聖騎士クロードの戦い方は、手を合わせても参考になる気が誰もしないし、下克上を狙うにしたって壁が厚過ぎる。毎年克上祭が来る度クロードが寂しそうな顔をしていじけるのは、若い騎士と手合わせして少しでも後続の者の成長に手添えしたいのに、自らの人気のなさゆえ声がかからないからだ。


「寂しがりの盟友のぶんも併せ、君との戦いに全力を尽くそう。それが私を選んでくれた君への、最大の礼儀となると信じている」


「よろしくお願いします……!」


 距離をとって騎士剣を構えるユースの眼前、小さく頷いて刀を抜く聖騎士。若き頃の騎士ベルセリウスの師であったと言われる騎士団の古参、聖騎士グラファスが、老練な顔つきの瞳に、静かな闘志を宿して刀を構えた。


 今までユースが手を合わせてきた騎士の中でも、間違いなく最強であろうと言える人物との対決。観衆の声も耳に入らぬユースの真上、正午過ぎの太陽が熱戦を予感させるような夏の日を差す。


「聖騎士グラファス=イーチファーグ、対、騎士ユーステット=クロニクス――はじめ!!」


 ざわめく会場の中心、二人だけに聞こえる開戦のコールが、一気にユースの足に火をつけた。ジャッジのコールなど聞こえもしない観客達は、矢のように駆けたユースの姿に開戦を認識し、コールより数瞬遅れて歓声をあげる。


 木剣などではなく真剣を用いて行われる、危険な手合わせだ。自身の剣が相手に届けば、取り返しのつかないことになってもおかしくない。現にこれまでもそうした事例は何度もあり、克上祭はその華やかさに反し、戦う騎士達にとってはまさしく死闘の場。それでもユースは、殺気と誤解されても構わぬ想いを剣に乗せ、その刃を届かせるための太刀筋をグラファスに振るうのみ。


 第一撃のユースの横薙ぎの剣撃を上に打ち払ったグラファスの刀が、上ずりかけたユースの胴元目がけて素早く襲い掛かる。左から胴体を真っ二つにせんばかりの一閃を、体を右に傾けて一寸でも距離を稼いだ末、盾を構えてそれを受けきるユース。ぶつかった瞬間に盾を振り上げ、グラファスの刀を上に受け流してだ。


 まるで自分の手足のように刀を操るグラファスの腕と手首は、ユースにはじかれた刀を巧みに操り、僅かに距離をとったユースに襲い掛かってくる。振り下ろし、けさ斬り、薙ぎ払いと、2秒間に3度の連続攻撃を繰り出すグラファスの姿は、戦場における彼の戦いぶりを日頃見ない観客にとって、興奮せずにいられぬ見事さだ。たとえ彼が、現時点でまったく本気でなかったとしても。


 退がり、しゃがみ、盾ではじき、その連続攻撃をさばいたユースは、決意素早くグラファスに向かい距離を詰める。完全に距離を取ってしまえば、また接近しての初撃をいなされて同じ展開を強いられるだけなのだ。ならばと逃げの姿勢はとらず、一気に攻め立てる道をユースは選んだ。正しい選択だ。


 身をひねってユースを回避したグラファスが、それとほぼ同時刀を振り上げてユースの手首を狙う。ずっとそうなのだが、当たる直前に刀を翻して峰打ちに切り替える準備は出来ている。老練のグラファスにとって、それぐらいわけのないことだ。周りから見ればそこまで見えないから、毎年彼に挑戦する者が集わないのだが。


 グラファスの境地には遠く及ばないユースとて、それは同じ。ぞっとする想い、死線と隣り合わせの戦慄が集中力を極限まで高め、自らの手首を切り落とそうと迫る刀に対処する。体がのけ反るぐらい腕を振り上げて回したユースの腕が、グラファスの刀から逃れる形をとると同時、それに伴いユースの半身がグラファスと正面向く形となる。


 隙でしかない状況を一瞬にして捨て去るべく、視界の端に立つグラファスに剣閃を放つユースの動きはグラファスの期待以上。振り抜かれたユースの騎士剣を、引き上げた刀で受け止めたグラファスにより、両者の腕に重い振動を響かせる。武器を合わせて力を拮抗させ、一瞬の膠着状態を二人が作った光景は、はるばるこの地を訪れた観客にとって、実に思い出深い一枚絵になる。


 そんな第三者のことなど意識にも介さない二人の騎士は、ほぼ同時に押し離れると、剣と刀を何度も打ち鳴らす。がむしゃらに、しかし腕に沁みついた太刀筋の数々を、一撃一撃隙を探しながら放つユースの攻撃を、すべてグラファスが受け返す。2度3度の攻撃を刀ではじき返し、カウンターの刃をユースの首元目がけて勢いよく振るうグラファスの容赦なさには、観客席最前列でユースを見守るアルミナ達にとっては肝が冷えて仕方ない。仮に刃がユースに届くことあろうと峰打ちに即座切り替えるグラファスの手腕を、遠目でも認識できるのはマグニスぐらいのものだ。


 体を沈めて首への斬撃を回避したユースが、グラファスの懐に潜り込むべく足を踏み込んだ矢先、前進に伴う視界の狭まりによって生じた盲点、横から猛スピードで返ってくるグラファスの刀がユースの鳥肌を立てる。完全に見えぬ角度から襲い掛かってきたその一撃をユースが予感できたのは、視界の中に手首を繰ったグラファスの微弱な気配を感じ取れたからだ。


 突きを放とうとした右腕の動きを中断してでも、左腕に装備した盾を引き上げてグラファスの峰打ちを食い止めたユースの動きには、グラファスも予想を覆され、ただちに一歩下がる。決着候補の一撃、ユースの延髄を狙った一撃が寸でのところで止まり、あと一瞬速くユースが追撃に転じていたなら、もしかしたら本当にグラファスに一矢報いていたかもしれない。


 振り上げる剣の一閃を放つユースに対し、一歩距離を取っただけでも相当な余裕を作ったグラファスが、あわやであったはずの追撃を余裕の刀でいなす。敵との距離を取れば、安全を確保できる一方で、攻勢には転じにくくなる。たった一歩の間合いでもそれは等しく言えることであり、最速でその距離感を作ったグラファスの経験豊富さには、数瞬遅れた今ようやくユースも気付く。練達の戦士が我が身を傷つけず敵のみを打ち倒してたその裏にある判断力の片鱗に触れただけでも、ユースにとってはたとえようもなく後に大きく活きる、教訓となるはずだ。


 恐ろしいのはたった一歩退いただけであって、さして距離が開いたわけではない点。グラファスの尺の長い刀の射程範囲内、レッドゾーンの渦中にあるユースを襲う危機感は、全身から冷や汗が吹き出そうになるのもうなずけるもの。勝負手をはじかれたユースの隙を見定めたグラファスの反撃が火を吹く一瞬前、ユースは反射的に後方に飛び退かずにはいられなかった。


 駆けるほどに速く下がるユースに高速で迫るグラファスが、凄まじい速度でその刀を振り回して襲い掛かってくる。洗練された太刀筋の数々は、すべてがユースの急所を狙い澄ましたものであり、1秒間に何発も振り抜かれる刀の攻撃を、騎士剣と盾の両方を必死で操ってはじくので精一杯。後ろに下がりながらの防衛戦は、足をつまづかせれば即座に命を落とす状況だけに足使いにも神経を使い、攻勢に転じるタイミングを見つけることが極めて困難だ。為すすべなく後退を続けさせられるユースが無数の金属音を放って持ち堪える姿は、傍目から見たグラファスの圧倒的実力をありありと示す一方、若き騎士の袋小路を体現する。


 どこで反撃に移るかを考えた時間は、ほんの一瞬。もとより背水の陣、思索を巡らせる暇など無い。グラファスの大降りの横薙ぎを頭を下げてかわしたその瞬間、ここ、という二文字だけを直感的に脳裏に浮かべたユースが、現状を打開するための一手を打つ。


 片足を軸にして、退がる勢いをすべて回転に費やして放ったユースの回転斬りは、シリカから学んだ柔軟な太刀筋の一つだ。聖騎士に抗うための不意打ちの一手は確かに効果があり、しかしその手腕は刀を素早く翻させ、横から襲い来るユースの騎士剣を食い止める。正面から向き合った上に自らの騎士剣がグラファスの横に抑えられたユースは、今のグラファスにとって何が最善の一手なのかを察知している。


 刀での突きは峰打ちに切り替えられない。この局面、敵を討つなら突きこそが最短であると知りつつもそれを打てないグラファスは、ユースの騎士剣を勢いよく押し返し、体勢を崩しかけたユースに最速のけさ斬りを放ってきた。


 先人の情につけこむわけではないが、その遅れはユースの狙いをより果たしやすい形を作った。突きが来てもこの手で返そうと心に決めていたユースは、グラファスの刀に対し盾を構える。間に合っている。


英雄の双腕(アルスヴィズ)……!」


 詠唱を口走れるほどの、短い余裕が生まれたのも幸運だ。重い力も押し返す、強い反発力を伴う盾を生み出す魔力は、グラファスの刀に媒介の盾が触れた瞬間に発動する。二十歳になったばかりの騎士とは思えぬほどの怪力で押し返されたような感覚に、刀をはじかれてグラファスの体が反る。歴戦の戦士でなかったら、今の衝撃で刀を手放していてもおかしくないインパクトだ。


 隙が出来たかどうかを確認すらしない。出来るはずだと信じて目の前の光景よりも早く騎士剣の突きをグラファス目がけて放つユース。積み上げてきた修練による速い突き、それに踏み込む絶妙なタイミング、これは相手がシリカであれば、本当に大番狂わせあっただろうとも言えた最高の一撃。


 だが、相手の判断速さはユースの腕を上回る。体をのけ反らされたグラファスは、体勢を崩さぬことに注力するのではなく、そのままのけ反った体の勢いに任せて後方に跳び、低い宙返りをするようにして距離を作った。ユースの鋭い突きは届かず空を貫き、60を越えた老体とは思えぬ軽業を目の前にしたユースの心に、驚嘆以外の何者でもない感情を刻み付ける。


 着地した瞬間、刀を振り抜いたグラファス。それは遠方から敵を切り裂く、真空の刃を放つ一撃。グラファスの放った真空の刃は、ユースの頬のそばを勢いよく通過し、遠方の石壁に傷をつける。そしてその刃は、ユースの命を屠るためのものではなく、一瞬、ほんの一瞬だけユースの意識を逸らすためのもの。鋭い何かが風切り音とともに、顔の横を勢いよく駆けていく事実は、事前に警戒心を固めていなければ、どんな者でも一瞬意識を奪われる。


 その一瞬が命取りになるのだ。わずか一瞬、頬のそばを通過した真空の刃に意識を取られたユースは、僅か距離があったはずのグラファスがまるで眼前に、瞬間移動してきたかのような錯覚に陥る。素早い敵から一瞬でも意識を逸らせば、そんな感覚に襲われるものだ。


 グラファスの細やかなモーションが、ユース目線、けさ斬りの刀が襲い掛かってくるであろう予測を引きずり出す。そしてそれは、刀を振るわずして所作だけで見せたフェイントであり、誤った予測に盾を構えようとしたユースの隙だらけの腹を、剣豪の刀の峰が勢いよく打ち抜いた。


 上から来るとしか思っていられなかったユースの全身から、腹部への激烈な一撃に伴って汗が吹く。何が起こったのかも認識できぬまま、膝から勢いよく崩れ落ちたユースの後ろ、刀を鞘に収めたグラファスの姿が、息を呑んでいた観客を活気づかせた。


「そこまで! 勝者、聖騎士グラファス=イーチファーグ!」


 ジャッジの声なくとも明確な決着に、闘技場の観客席は歓声に包まれた。峰打ちとはいえ音速かとも言えよう刀の一撃をみぞおちに受けたユースは、闘技場の地面に額をつけて悶絶することしか出来ない。さっきまで気にも留めていなかった観客のざわめきが、ゆっくりと頭の中に流れ込んでくる。それは致命傷を受け、戦えなくなった戦士が敗北を実感する開始点だ。


 立ち上がることは勿論、上体を起こすことさえ出来ずにうずくまったユースの前に、グラファスがゆっくりと歩み寄る。誰かがそこにいると認識できても、顔を上げられないユースの一方、グラファスはユースの頭に優しくその手を置く。孫の頭を撫でにいくような仕草に見える一方、ユースの頭に置かれた手から不思議と伝わるのは、決して相手を未熟者として撫でるものではないという感覚。


「私の若い頃を見ているようだった。良き一戦に、心より感謝する」


 それはこの会場にいる他の誰にも聞こえぬ、ユースだけが知る聖騎士の言葉。誰かの言葉に耳を傾ける余裕などなかったユースにも、その言葉が頭に流れ込んできた瞬間には、それが自分に向けられた誇るべきメッセージであったと目が覚めたものだ。


 ほっとしたのをきっかけに、安息から吹き飛びそうになった意識を、ユースは必死で繋ぎ止める。次の戦いを待つ会場の空気に倣い、担架を担いだ騎士団の医療班が駆けつけ、丸くなったユースを担架に乗せて、バトルフィールドから担ぎ出す。


 腹部を押さえて虚ろな目で外界に目を向けたユースの視界、運ばれる自分に並んで戦場を去るグラファスの優しい瞳が映った。挑戦を受けてくれた先人の器に感謝する想いを口に出来ないコンディションのユースには、会釈の代わりに目線を伏せるのが精一杯の行動だった。

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