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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第7章  勇士達への子守唄~ララバイ~
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第113話  ~創騎祭① 平穏~



 顔を洗って朝食済ませ、家を出たらばほらそこは。


 日頃におけるエレムの王都の朝は、そろそろ人が増えてきたかなというぐらいに人通りがある。それが祭の当日を迎えたという要因一つで、平常時の真昼時といい勝負をするほどの人混みが目の前だ。毎年エレム王都で祭を迎えてきたユース達でさえ、改めて見るとこの光景にはわくわくしてくるのだが、遠いルオス暮らしでエレムの創騎祭に来たことがなさそうなチータはどうだろうか。


「……凄いな。ルオスの豊緑祭にも勝るとも劣らない、ここまで大きな祭は初めてだ」


 春のルオス豊緑祭、夏のエレムの創騎祭、秋のダニームの賢蘭祭、冬のラエルカンの建国祭。各国が誇る、その地特有の最大のお祭りは、住まう者にとっては他のどの国にも負けないほど華々しく感じる。規模の大きなルオスの祭、厳格さと奔放さが絶妙に混ざり合う優しき荒々しさに満ちたエレムの祭、世界一華やかとさえ言われるダニームの祭、日々のせわしなさを忘れて慎ましやかに行われる落ち着いたラエルカンの祭と、それぞれ異なる特色が季節ごとに、各都市にて味わえるという形だ。


 長年ルオスで年一度、豊緑祭を見届けてきたチータにとっても、初めて経験する創騎祭の空気は新鮮だった。ユースやアルミナは、自分達の祖国のお祭りをルオス育ちの彼が賞賛することに無性に誇らしくなったりするが、彼らがルオスの祭を目にすることあらば、同じことを感じることだろう。4大祭事と呼ばれるこれらは、どこも他にはない魅力を太陽の如く放っている。


「俺はそれでもダニームの賢蘭祭が一番好きだなぁ。みんなにも一度、見せてあげたいよ」


「あ、私は昔行ったことあるよ。街いっぱいすんごく綺麗に彩られるんだよね」


「そうそう! お偉いさんのゲージュツとか全然わかんない俺だけど、それでもなんか凄いって思うもん!」


 第14小隊の若い5人は、賑やかになりつつある街を歩きながら、何気なく世間話を連ねる。ダニームに生まれ育ったガンマが祖国のお祭りを誇り、アルミナが話を広げ、耳を傾けるだけのユースやチータ、キャルも想像力を駆り立てられる形だ。


 シリカは法騎士として、年末祭の時のように街の警備に当たっている模様。クロムも本調子ではないとはいえ、この際だから警備の仕事を請け負いながら、街を回って一人で楽しんでいる模様。酒さえ飲まなければ、まあ充分な仕事が出来るだろう。マグニスは朝からすでにいなかったので、明朝から女でも引っ掛けに遊びに行ったに違いない。


 5人で街を歩く第14小隊だが、とりあえず行くあてもなくぶらぶらと。ただ、先頭をすいすいと歩くアルミナの足取りがあまりに流暢で、行きたい先がありそうなのはよく見えた。ひとまず他愛ない話を重ねながら、アルミナに付いて行くような形での団体行動だ。











「結局間に合ったんだ?」


「余裕です!」


 王都中心よりも少しだけ、脇道に逸れかけた一角にそれはあった。特設のブースとも言えるような仮店舗の数々に、多量の本が並び売られている。ざっと見たところ、恐らく多くが小説冊子。


「あっ、あった!! わーい、発行されてる!!」


 並べられた書物の中から1冊を選び出し、売り子の商人から同じものを3冊買う。同じものをだ。


「ナルミさん、3冊も買ってどうするんですかね」


「1冊は自分用、1冊は予備、1冊は人に貸す用よ」


 ナルミ=アストマイダー名義で、トネムの都の出版社に自作の小説を投稿するアルミナの習慣は、どうやら今でも続いていたらしい。2週間ぐらい前には、キャルいわく普段より1時間ぐらい夜更かしして自作小説の最後の推敲をしていたようだが、どうやら創騎祭で発行する際の締め切りに間に合わせて入稿できたらしく、自分の書いたものが立派な冊子となったものを、こうして手元に置こうというわけだ。


 前科ありゆえ問題は内容。ユースが貸してと一言言うと、アルミナが買った自作小説のうち一冊を貸してくれた。ぱぱっと目を通した限りだと、前回のように小隊の誰かをモデルにしたという雰囲気ではなさそうだ。相変わらず恋愛小説のようだけど。


「弓使いの主人公、って見た瞬間は、キャルがモデルかなって思ったんだけど」


「こないだキャルに釘刺されてそれはボツにしちゃった。けっこういい内容だったと思うんだけどなぁ」


 惜しげにそう言うアルミナを、右脇からじとりと見上げてくるキャル。自分をモデルにした恋愛小説を広く公開なんてされたら、恥ずかしくて天下の往来を歩ける心地ではなくなってしまう。やめてよね、という無言のプレッシャーに、わかってるわかってるって、と、たじたじ気味に手を振るアルミナ、もとい作家のナルミさん。


「でも実は、どこかにキャル要素組み込んだりしてたり?」


「……事前に私がチェックしてるから大丈夫」


 なかなか周到。どうやら本当に嫌だったらしい。その上でキャルがオーケーを出しているのなら、内容と鑑みてもキャルがモデルの主人公、というわけではなさそうだ。


「それはともかく、この主人公は誰がモデルなんだ?」


 という問いも出てくるのだが。チータの問いに対し、アルミナは一瞬聞こえないふりをしたように見えたが、少し遅れて反応して、別に誰がモデルでもないよ、と返してきた。なんだかちょっと、誤魔化そうとして間を置いたようにも見えるし、天然でそういう反応だったようにも見える。これはかえって、今のが嘘なのか本当なのか、なかなかわかりづらい。


「本当か? お前前科持ってるからなぁ……」


「ホントだって。流石に前回ので懲りたしね……って何その目。誰も信じてない感じ?」


 アルミナを見る4人の目が総じて細い。なんだろう、彼女の反応自体は白いのだが、日頃の行いのせいなのか、いまいち信が置ききれない。アルミナは露骨にむくれた顔を作ってみせてきたが、そんな顔したってダメなものはダメである。


「もう……別になんでもないってば。ほら、見たいものも見れたし次行きましょ」


 この小説市場で、他人の書いたものを買うのは明日にするつもりのようだ。創騎祭は2日間ある。今日のところは自作の小説の製品版だけ確保して、お祭りを楽しもうという算段なのだ。


 お祭り巡りは計画的に歩かないと、行きたいところを限られた時間内で回れない。同じ大きなお祭りを何年も経験すれば、自然と行動に沁みついてくる知恵というやつである。











 真昼時を前にして既に、市場は大盛況の様相だった。昼食時を前に市場巡りを済ませようと考えるのは誰もが考えることが同じのようで、やはりこの時間が一番混雑する。間違いが起こらないよう目を配る、警備役の騎士達も大変な時間帯だ。


「お、法騎士シリカ様! ご無沙汰しております!」


 人混みの間をすり抜けて見回り歩くシリカに声をかけたのは、30歳を前に商人として脂の乗り始めた行商人だ。日頃コブレ廃坑で店を構えることも多い商人ウォードも、この稼ぎ時に創騎祭に足を運んでいた。


「ご無沙汰しております。こうした場所で会うのは初めてですね」


「毎年創騎祭には出店してるんですが、なかなかシリカ様の巡り場とわっしの店が出会う機会に恵まれなかったようですね。今年はいい場所に出店できたおかげもあって、縁があったようで」


 中央市場という最大の人通りを前に出来るこの場所は、多くの商人が出店を希望する場所だ。希望を承った政館が様々な選考基準をもとに、あるいは最終的には抽選も視野に入れるそうだが、この場所を確保できることは商人にとってたとえようもなく大きな収穫である。儲かってますか、とシリカが尋ねるまでもなく、にじみ出たウォードの機嫌よさげな顔から好景気がうかがえる。


「中央市場はなかなか多くの所税を持っていかれるそうですが?」


「とうに元手が取れている始末でさぁ。この場所引き当てた時点で、ショバ代渋るつもりにもなれませんや」


 俗っぽい問いかけでさりげなく、面白おかしくウォードの景気を尋ねるシリカ。普通に聞くよりもこうした方が、洒落っ気があって商人との会話もはずむ。ウォードも地価に文句をつけない商人としての発言で、気前のいい人柄を演出できるので都合がいい。


「法騎士シリカ様もおひとつどうですか? きっとお似合いかと思いますが」


 コブレ廃坑では、坑夫に売る食料を主に取り扱っていたウォードだが、ここでは髪飾りやピアスなどのアクセサリーを主に扱っているようだ。日頃扱うものと異なることを考えれば、この日だけに備えて入荷してきた品々なのだろう。それは同時に、いざとなった時に普段と違う品揃えをぱっと揃えられるウォードの人脈の広さと、それらを恐らくいい値で仕入れてこられる手腕の証明でもある。


「いやぁ、私は……そんな柄ではありませんし……」


「そう仰らないで。せっかくお綺麗なのですから、あまり謙遜されては勿体ありませんよ」


 品揃えの中からウォードが、蒼い花を模した髪飾りを探し出し、シリカに勧めてくる。反射的に値札を見てしまう辺り、シリカも世帯じみた面がつい出てしまうが、示された値段はお安く設定されている。お祭りの場で客の財布の紐もゆるいであろうこの好機ながら、こうした安価の商品も置いてある辺り、押し引きの具合を心得たウォードの腕が光っている。


「桔梗の髪飾りです。花言葉は気品、誠実、そして従順。騎士として生きる貴女には、この花の髪飾りがすごく似合うと思いましてね」


「はは、なるほど。確かに騎士たる者には必要な気質ですね」


 快い笑顔を返すシリカだが、別に買うつもりがあるわけでもない。声をかけてきたのは向こうだし、別に冷やかしにもなるまいという話だ。仮にも仕事中の身だし、あまりお買い物に時間を割くつもりになってないあたり、変な誠実さを持っているとも言えるが。


「そして、変わらぬ愛。桔梗の花言葉として知られる中でも、これが一番シリカ様に相応しいと思うんです」


 シリカがひくっと硬直した。愛だのなんだの言う言葉にはやはり女性として敏感になるし、自分に髪飾りなんて似合わない、と決め打っていた思考も、すべてが頭から吹き飛んでしまった。


「祖国、小隊、家族。シリカ様と顔を合わせることの少ないわっしめにも、日々を戦うシリカ様が近しい何かに、深い愛、変わらぬ愛を持っていることは察せますや。そんなシリカ様を体現するものがあるとするならば、こうしたものが一番だと思うんでさ」


 欠けた歯を見せてにかっと笑うウォードの言葉に、嘘を感じさせないのがたいしたものだ。売り物を勧める商人、リップサービスが一切ないというのは見方甘過ぎだが、そうした気配をまったく見せてこないのもまた、商人の顔使いの為せる業である。余程の詐欺師でもない限り、完全なる嘘をここまで朗らかな笑顔で口に出来る者などいまい。


 だからウォードも、リップサービス込みではありつつも、本音を少なからず込めて話しているという見方でいいのだ。どうしても人を疑いたいのなら、どうせ売りたいからそんな調子のいいことを、で済ませてもいいのだが、こんなめでたい場でそんな見方に偏るのも無粋な話であろう。


「……気の利かせた選び方をしてくれたんですね」


「知らぬ仲じゃあないつもりですから。あ、でも値切りには応じられませんよ? 他のお客さんの手前でもありますからね」


 ししっと笑うウォードの語り口に、シリカもくすっと笑う。笑い声が小さいのは、向けられた言葉に真剣に思索巡らせていた証拠。変わらぬ愛、という言葉にはやはり美しさを感じるし、その花言葉が自分に相応しいと言って貰えたことは、やはりシリカにとっても嬉しいことだった。


「ひとつ、頂けませんか」


「あいよっ! 毎度あり!」


 表に現れたウォードの人柄の良さを信じるかどうかと、買うかどうかは別問題。それでもシリカは財布を取り出し、桔梗の髪飾りを買うことを決めた。仕事中の堅物の騎士様に、髪飾りを売り果たしたウォードもたいしたものである。


「おや、着けて行かれないのですか?」


「や、さすがにそれは……ちょっとまだ恥ずかしくて……」


 仕事中に買ったものを身につけるなんて、で済むところで、つい本音。思うところが色々あり過ぎて、考えて態度を表すことが出来なかったのだろう。


 桔梗の髪飾りを見つめるシリカ。お気にいられましたか、と話を繋げるウォードに対し、シリカが返した言葉は少し意外なもの。


「――他にも、こうしたアクセサリーはありますか?」


 騎士としての顔ではなく、一人の女性としての柔らかい笑みを浮かべて尋ねるシリカ。思わず一瞬その変容にはウォードも驚いたが、すぐに売り物の数多くを引き出し、ひとつひとつを指差して売り所を説明する。高くもない中から順に説明していく辺り、付き合いも加味した優しさが表れている。


「こちらはスイートピーです。花言葉には、優しい思い出、永遠の喜びなどがあって――」


 ほんの少しの間だけ、仕事を忘れて商人の語り口に耳を傾ける法騎士。近隣に立つ他の警備の騎士達も、少しぐらいは構うまいと微笑ましく仕事に集中してくれたものだ。年に一度のお祭りの場、こうしたささやかな楽しみを、騎士だけが味わっていけない道理などないと、みんな思っている。


 しばらく後には、シリカが彼ら騎士に軽く頭を下げる光景も見られるだろう。お祭りならでは、堅物の法騎士様がお買い物に目を輝かせていた光景というのも、周囲の騎士にとっては楽しい思い出の一つだ。











「……どう?」


「完璧! 文句言う客がいたらびっくりする!」


 昼食時、アルミナ達が足を運んだのはエルステッド孤児院だった。無料で来訪者に昼食を出してくれるこの場所は、王都中心部とは離れたところにあるので客足も比較的少ないが、知る人ぞ知る秘境としてやはり来訪者の数自体は多い。なにせタダ飯。


 毎年それを催し事とするエルステッド孤児院には、可愛らしい一人の少女が必ずお手伝いに来る。それが第14小隊一番の料理上手のキャルであり、去年の彼女の活躍のせいなのか、今年は去年よりも客足が増えてしまっている。孤児院の主であるリアラも、これには嬉しい悲鳴だ。


「うふふ、忙しくなっちゃったねぇ」


 孤児院を訪れ、子供達と触れ合う人の数が増えることを心より喜ぶリアラにとって、儲けの入らない多忙など苦でもなんでもない。年老いたゆえ素早い調理は出来ないものの、年の功で得た効率の良い動きと無駄のない足運びで、素早く次々に家庭料理を生み出している。


 そもそも例年より、母の味を思い出す温かいリアラの料理だけで、祭の際のエルステッド孤児院には固定客があったのだ。そこに料理上手のキャルのレパートリーが増えてしまえば、人が集まってくるのはごくごく自然なことである。もういっそ二人でお店出しちゃえば? とガンマが冗談めかして言うが、あながちそれも悪くない話がしてならない。二人とも金を取れるレベルの料理を作るんだから。


「ごめん、台所に戻るね。リアラさんも大変だろうから……」


「うんうん、いいよいいよ~。暇が出来たらまた何か持ってきてね!」


 ぱたぱたと調理場に駆けていくキャルに手を振りつつ、スプーンの運びが加速するアルミナ。この日を前にして数週間、料理の研究に力を入れていたキャルのことは知っているが、元からある腕前がさらに洗練されていて、食が進んで仕方ない。太るぞ、とユースが一言挟んでも、お構いなしでかつかつ胃袋を満たしていく。


「お前も手伝ってあげればいいのに、って思うんだけどな」


「私が料理ダメなのは知ってるでしょ」


 この孤児院で育ったアルミナが、一切料理の手伝いをしない理由はそこにある。アルミナは味覚が駄目なのだ。昔アルミナがパスタ作りに挑戦し、溶けてるんじゃないかっていうぐらい、ふにゃんふにゃんのパスタを茹で上げた時から、第14小隊の間でその事実は認識されている。アルミナ自身も自分の腕には相当絶望しているらしく、努力しようという気配もない。それでいい。


「しっかしすごい客入りだな~。リアラさんとキャルだけで追いつくのかなぁ」


「うーん、野菜切るぐらいは手伝った方がいいのかな。それぐらいなら私も出来るし」


 平常時の定食屋の真昼時にも勝る客入りを、ご老体のリアラに任せていいものだろうかと悩み所。客もタダ飯の出てくる早さにけちをつけることはあるまいが、少しぐらいは負担を減らしてあげたいなというアルミナの想いはないでもない。一方でリアラの性格上、遠慮してくるであろうことも予想できてしまうので、踏み込み所が難しい。


 それも含めて他愛ない話を重ねている第14小隊の4人だったが、ふと孤児院の入り口から歩いてくる一人の少女の姿に、チータが気付いた。一般客に紛れるんじゃないかと思えるぐらいさりげないもので、ある意味気付いたのは偶然に近かったのだが。


「……あら? 皆さんもここに来られていたんですか?」


「あ、ルーネ先生!」


 誰がどう見ても子供にしか見えない体格の賢者様の来訪だ。周囲の客もそれに気付いて振り向くが、逆に言えば今まで気付いていなかったのかという話。それぐらい、俗世の空気に馴染んで目立たない風体なのだから、ある意味凄いものだ。


「ルーネ様もここでご飯を?」


「例年は忙しくて、ここを巡る時間には恵まれなかったんですよ。一度来てみたくって」


 アルミナが引いてくれた席に、ぺこりと頭を下げて腰掛けるルーネ。目上の人に対する行動をごく自然にしただけなのだが、アルミナが年上に見えるので傍から見ると面白いものである。


 多忙な中でもガンガン料理を生産するキャルが、アルミナ達の席に料理を持ってくる。ルーネに気付いたキャルは、偉人との再会にちょっと恐縮しつつ、ご無沙汰していますと頭を下げた。ルーネも態度は同じで、わざわざ席を立って頭を下げる辺りが彼女らしい。


「ルーネ様、どうぞ。私達はもう充分食べましたし」


「え、いいんですか?」


 そうは言いつつ嬉しそうなルーネと、緊張気味の顔を表に出すキャル。自分の作ったお料理を賢者様に食べて貰うだなんていう機会が計らずして訪れたことに、料理を運んできたトレイを抱きしめて固まる。


「えぇと……あんまり自信はないんですけど……ちょっと固くなっちゃって……」


「いいえ、そんな。いただきますね」


 手を合わせてスプーンを握ったルーネが、海産物と飯を炒めたパエリアを口に運ぶ。穏やかな顔を常に貼り付けた賢者様が豹変する5秒前。


「――美味しい! 何これ、すごい!!」


 語彙力乏しい月並みな賞賛は、想像を超えた感動にぶつかった時、往々にして起こり得るもの。目を輝かせて次々とご飯を口に運ぶルーネの姿は、姿に似合って本当に子供っぽい。素早いスプーンの動きに反して、こぼしもせず口の周りを汚しもしないあたり、日頃の行儀の良さが表れているとも言えるが。


 忙しさのあまり、ちょっとご飯を焦がしてしまったこともあり、キャルは不安だったのだが、なんのなんの絶品の味にはルーネも満足のようで、その答えは態度からも明らかだ。ほっとした表情のキャルの手前、あっさり多量のパエリアをたいらげたルーネは、明日死んでもいいとさえ言わんばかりの満足した顔で、はぁ~と息をつく。


「すっごく美味しかったです……! キャルちゃんが作ったんですか?」


「え、あ……は、はい……」


 真っ赤になった顔の下半分を、トレイで隠すキャル。賢者様を憧れの目で見る人々はよく見るが、料理の上手な少女を見るルーネの目が、その目によく似ているのが面白い。


「どうやって作ったのか、教えて欲しいぐらいですよ。企業秘密です?」


「あ、いえ……そんなことは……」


「今は忙しいから、ちょっと難しいんじゃないかなって思いますよ」


「あー……やっぱりそうですよね……」


 なんて残念そうな顔で溜め息をつくのかと。余程教えて欲しかったようだ。キャルの料理に対する感動の裏打ちでもあるとはいえ、これにはアルミナも苦笑い。


「ルーネ先生もお手伝いすれば、忙しいのもすぐ終わるんじゃないの?」


「えっ、そんなのアリなの?」


 仮にもお偉い様のルーネ。にししっと笑ってそれを提案するガンマだが、それは流石にと恐縮した顔を見せるキャルの姿も納得のいくものだ。


「私なんかじゃ……だってこれですよ?」


「へーきへーき、ルーネ様もハンパなく料理上手いから。っていうか俺も、久々にルーネ先生の作ったご飯食べたいし」


 キャルの絶品を口にした後で軽く自信喪失しているルーネだが、ガンマがルーネの席を引いて強引に立たせる。賢者様相手にこれが出来る人間はそうそういまい。


「キャルもいいだろ? ルーネ先生のお料理、見てみたくない?」


「それは……確かにすごく興味あるけど……」


「えぇえ? わ、私のお料理なんて……」


「いいからいいから! ほら、ルーネ先生も台所行って行って!」


 遠慮がちなキャルと謙遜全開のルーネだが、ルーネの背中をぐいぐい押すガンマが一気に話を動かす。一方で場の空気全体はガンマに味方しており、他の客も、ダニームの賢者様の作る料理がどんなものなのか非常に興味深く、その光景を密かに応援していたものだ。


 物理的に台所に押し込まれたルーネと向き合ったリアラは、ほんの少し驚いた顔をしたものの、過度に恐縮した態度は見せなかった。リアラも魔法都市ダニームの生まれ、ルーネとは既に面識がある。


「ええと、成り行きで……」


「ええ、ええ。一緒に頑張りましょう。お世話になりますね?」


 皇国ラエルカンにルーネがいた時からの縁がある二人は、挨拶もひとしおに台所に並ぶ。年の近い懐かしき友人と共同作業をする両者は、忙しさとは裏腹に温かく笑い合って手を動かすのだった。


 数分後、リアラとルーネの作り上げた金色のオムレツが、孤児院の客の多くに届けられる。キャル含めそれを口にした全員が、言葉を失うレベルで舌を巻いたことは、創騎祭の隅で語り草となる逸話である。











 ユース達がルーネの料理に舌鼓を打っている間、チータは一人で孤児院の外、その上空にいた。キャルの料理とリアラの料理を充分に堪能したし、お腹もいっぱいだったからだ。ルーネの料理に興味が無いでもなかったが、満腹の腹に無理に詰め込んでは美味しさを楽しむ暇もないだろう。円盤のような形をした魔力の凝縮体の上に立ち、孤児院に足を運ぶ人々の動線を、機嫌よく見守るのみ。


 それでも同席するぐらいしてもよかったとは本人も思っているが、一度空から祭の場を見下ろしてみたかったのだ。孤児院を出れば次に向かう場所は決まっているし、その時にはアルミナ達と一緒に歩こうと思っていたから、空から王都を見下ろすならこのタイミングが一番いいと思った。


 空から見た王都は人がいっぱいで、さっきまでそこを自分が歩いていたとはちょっと考えにくいぐらい、歩く隙間もないんじゃないかと思えた。賑わう祭りの街道を空から眺めることは、数多くの人がその空気を楽しんでいる証拠でもあり、平和の象徴だ。ルオスでお祭りがあるたびにも、空から街を眺めるのが好きだったチータの価値観は、そういう所に由来する。


 世を襲う魔物の脅威が決して無くなったわけではないのだ。そんな日々の中、こうして人々が安寧と幸福に満ち溢れた光景を目にすることは、チータにとって胸が温かくなるもの。人と関わり合うのを積極的には好まないチータだが、別に人間が嫌いというわけではないのだ。


「なんとかと煙は高い所が好きというけど」


 さすがにチータも少し驚いた。空から王都を一人見下ろすチータに、後ろから声をかけてくる人物がいようとは思いもしなかったからだ。


「思ったよりいい目をしているじゃない。馬鹿の眼差しとは形容しないでおいてあげるわ」


 空に浮く箒にまたがらず、ちょこんと腰掛けた少女の姿は、魔女の姿と形容して差し支えない。紫色の長髪が空の風にたなびいて、ダニームの図書館内で見た時よりもさらに軽く舞う光景が印象的だ。


「――エルアーティ様、ご無沙汰しています」


「いいのよ、私なんか見なくて。平穏溢れる景色を楽しんでいたのでしょう?」


 地上に目線を降ろすエルアーティの言葉に導かれるように、チータも再び地上に目を向ける。光景はさっきと何も代わり映えしないが、エルアーティが平穏溢れると言葉に表してくれたせいか、少し前よりそれがさらに、象徴的な光景に見えた気がする。


「エルアーティ様もこの眺めを見に?」


「人混みは好きじゃないけど、遠くから見るぶんにはね」


 チータとよく似て、あるいは彼以上に感情を表に出さないエルアーティの表情は、ここに至ってもやはり変わらない。さんさんと地上を明るく照らす快晴の光が、白い肌のエルアーティの顔を照らしても、無感情な瞳からその胸中を確かめることは出来ない。


「目に見える形で確かめぬ限り平穏を実感できないのは、今のような時代に限らず常なるもの。目の前の幸福に対し、人はいつでも鈍感なものだから」


 幸せはいつだって、後から気付くものだ。チータもかつて師と過ごせていたあの日々が幸せなものであったとは言えるが、あの頃は今ほど、その時間が尊いものだとは考えていなかった。


「だから人は祝うのよ。今の幸せを実感し、それを手放さぬために。守るべきものを忘れぬために」


 シリカも、ユースも、第14小隊の誰もが、今のこの時を無心で楽しんでいるだろう。それは後に必ず良き思い出となり、守るべき平穏の象徴として心に刻まれる。祖国を、隣人を、家族を守るために戦う心根は、日々の幸せあってこそ脈づくもの。


 騎士団の創設期を祝うと同時に、人々が笑って過ごせる日々の尊さを、現実というキャンパスに明瞭に描く創騎祭。そこに秘められた祭のメッセージは、語られぬままにして人々の心に刻まれること多く、今のようにエルアーティがその本質を言葉にしなくては、あまり表に語られぬものだ。


「魔王マーディスが存命の動乱の時代でさえ、祭が中断された年はなかったでしょう?」


「……そうですね」


 チータは幼かったが、大変な時代だった。どこかの街が滅ぼされたという知らせを聞いたことも少なくなかったし、帝国兵の死に国葬が行われた回数も多かった。幼心に、祭を開いている場合ではないんじゃないかと思ったことはあったものだ。


 それでも毎年春、年末年始に行われるルオスのお祭りでは、活気付いた街の光に人々が笑顔を交わし、幸せが帝都いっぱいに満ちていたものだ。今年の快晴の創騎祭とは異なり、雨の中行われた祭でさえ、その光景はいつも変わらなかった。豊緑祭の僅か前、同僚を魔物との戦いで失ったばかりの帝国兵でさえ、祭では酒場で馬鹿騒ぎを演じていたという話を聞いたこともある。


 そんな戦人の神経を疑ったことだってあるのだ。だけどエルアーティの語る祭のメッセージを聞けば、あの時の彼らの想いはそうであったのかと、数年越しに答えが見えてきた気もする。


「平和を愛し、それを尊ぶ心を持つならば、決して今の景色を忘れぬように。その心は平穏導かんとするあなたの魂を、より強きものへと変えるはずだから」


 魔力を生み出すのは精神と霊魂だ。魔導士たるチータは、信念と心根こそ、戦う者が絞り出す力を引き出す大きなファクターであることをよく知っている。エルアーティの言葉が空虚な綺麗事ではなく、魔法学に基づいた確たる理論であることは、明確な事実なのだ。


 箒を駆けさせ、エレム王国の王宮に向けて飛び去るエルアーティ。その背中を見送るチータは、相も変わらず食えぬ人だと小さく笑うのだった。

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