第11話 ~法騎士シリカと4人の騎士~
「はー、帰ってきた! 3日間離れてただけでも、懐かしく感じるなぁ」
夕暮れ前にエレム王国に到着した、シリカ率いる傭兵の少女がぐぐっと体を伸ばして声をあげた。活気が落ち付き始めて涼しげな風の吹く街に、アルミナの元気な声はよく響く。
目の前にある第14小隊の共同生活所と言えるこの家は、シリカの私有家であり、ユースとアルミナ含む6人の小隊メンバーも、この家で生活を共にしている。個室も多く、小隊メンバー全員揃って食卓を囲めるような大きな居間もある。おまけに家の裏には大きな倉庫があり、その内装を小隊初期メンバーの3人で改装して、広い訓練場に仕立て上げてある。
庶民の感覚からすれば、居住区だけ見ても結構な豪邸と言える家だ。一室は勿論シリカの個室、その隣の部屋とそのまた隣の部屋は、小隊結成時から――当時は分隊と呼ばれていたが――シリカと運命を共にしてきた2人の男が、それぞれの個室として持っている。そのまた隣の部屋がユースの暮らす部屋で、ここは小隊の、とある少年傭兵と2人で相部屋。さらに隣の部屋にはアルミナが、小隊のもう一人の傭兵少女と相部屋で暮らしている。
ユースも騎士館の宿舎で5人の同僚と相部屋で過ごしていたあの頃、第14小隊に移籍した時はこの裕福な部屋割に驚いたものだ。しかも小額ながらも部屋賃を取る騎士館の宿舎にさえ勝り、こちらはシリカが家賃すら取らない。衣食住の頭文字は自己責任としても、あとの二つに関しては恐ろしく恵まれているというのが、第14小隊を客観的に見た形容であろう。
まあ、家の裏にある訓練場で連日悲鳴をあげる宿命が生じるぶん、そこまで天国でもないのだが。それにはシリカの部下としてこの小隊に属する6人のうち4人が、口を揃えてそう証言するはずだ。
名残惜しくエクネイスを離れたものの、楽しく遊んだ思い出を想い返すとつい、うきうきした表情が顔に出るアルミナ。任務初日には危うく命を失う手前までいった過去も、今となっては後日再会する小隊の仲間達へのいい土産話になるだろう。
「さて、二人はもう休んでいいぞ。私はこれから騎士館に向かい、報告などを済ませてくる。帰りは遅くなるだろうから、夕食は自分達で作ってくれ」
そう言ってシリカは、腰元の財布から、夕飯の食材を買うためのお金をユースに渡す。このやり取りはよくあるのだが、毎度このたびユースは複雑そうな顔をする。まあ、家賃無料で住まわせて貰っている立場で、こうした時の夕食費まで頂くのは、流石に本来気が引けるからだ。
初期にそういう主張をした時以来、いいから受け取れと押し切られているのだ。シリカいわく、そうした一丁前の主張が出来るようになるには、せめて一人前の騎士になってからだとのこと。具体的に言えば、騎士昇格試験に通って、少騎士から騎士になれということだ。
「じゃあアルミナ、行こうか。ちょっと時間も遅いし、市場も品切れ多いかもしれないけど」
「あんまり脂っこいのやめてよね。太るのは嫌だからさ」
「お前、俺に作らせるくせにそういうことはしっかり言うのな……」
シリカにぺこりと頭を下げて、ユースとアルミナは夕暮れ前の市場へと出かけていく。見送るシリカは非番の時用の、柔らかい笑顔で見送った。
「さて、と……」
二人が出て行った後、居間の棚からまるっとした饅頭を取り出し、口に含むシリカ。これからそこそこ回る場所が多いため、腹ごしらえをしておくなら今のうちだ。
拳ぐらいある饅頭3つをたいらげて、ふうと息をつくシリカ。これから行く先々と回る順番を思索した後、出発前に鏡の前で少し崩れた鎧の形を正し、騎士剣をぴしっと鞘に収め直して、さあ行くかとばかりに玄関の方を向く。
「…………」
5秒ぐらい迷ってから、やっぱりあと一つ饅頭を取り出して、シリカは急ぎめに食べ終えた。
「さて、何か言うべきことがあるのではないか?」
予想していたご挨拶に、シリカは無表情を貫いた。丁寧にまとめた報告書を献上し、それに目を通したナトーム聖騎士の放った第一声がこれだ。
「申し上げるべきことは、すべてそちらに」
「なるほど。言いたい事はすべてこの報告書を読めばわかる、と」
質問を質問で返さなかったシリカの態度に、ナトームは眼鏡の奥に見える目をきゅっと細めた。まぶたの間からうかがえるその目には、感情をうかがわせない冷たい色が妖しく光る。
「サイクロプスの討伐を済ませたのは任務初日。2日目にそれをエクネイスに報告したのはまあいいとしよう。3日目、貴様らに騎士団としての活動記録らしいものが見られないが」
「エクネイスの町宿にて、休息を取っておりました」
報告書に書いてあることをそのまま暗唱するシリカ。机を挟んで対峙する、革張りの椅子に腰かけた聖騎士は、その言葉を聞いて口の端を絞る。
「貴様らの任務はコブレ廃坑の調査だったはず。エクネイスへの報告はその一環として見られるが、廃坑に触れもせず、エクネイスで丸一日休息を取った貴様らの行動を、私はどうとればいい?」
これも任務の一環だと主張するのかな、とその後につけ加え、上目使いで直立したシリカを凝視するナトーム。彼が次の言葉を放とうとしたその僅かに前、シリカが先に口を開く。
「廃坑の異変の根源たるものと判断できるものを見つけ、その後、これ以上廃坑に深入りすることは得策ではないと判断した故にです。ご尊重頂けないでしょうか」
「答えになっていないな。廃坑の調査を任された貴様らが、廃坑に触れずに24時間を過ごした事実を、任務と捉えられるものであるかを聞いたんだが」
ナトームの問いかけの数々に、ここまでほぼ即答で返していたシリカも、ここで少し間をおく。無意識ではあったが、目線も僅かに下に下がるシリカ。
「……3人のみでのコブレ廃坑調査だったので、これ以上は限界があると判断したのです。サイクロプスやワータイガーとの遭遇も受け、深入りを避けた判断はご理解頂けないでしょうか」
「それを2日目の昼に判断し、帰りが3日目の夜になるとする根拠の説明にはなってないな」
言い訳だと言わんばかりにナトームはシリカの反論を切って捨てた。
「ならば昨日の晩に帰ってきてもよかった、と私は思うがね。法騎士の地位にあり、比較的自由に動ける貴様にしてもらいたい仕事は山ほどあるんだ。自分の立場をわかっているか?」
「……申し訳ありません」
また少し間をおいてから、シリカは返答して頭を下げる。勿論ナトームに言われたようなことはシリカにもわかっていたが、ここはこう返すのがベストだと判断したようだ。
「まだ若いようだし、君を縛る国を離れて暇が出来れば、解放感に負けて遊びたくなるのはわからなくもない。しかし、自分がいかに騎士団にとって重要な位置にいるかぐらいは自覚すべきだということだ」
心中穏やかではなかったが、シリカは無言で耐える。理解し譲歩したふりをして心外な心象を押し付けてくる解釈は、シリカにとっては自身の中にある信念を土足で踏みにじられた心地になるが、これも覚悟の上で先ほどは頭を下げたのだ。ここは耐えるしかない。
歯噛みするシリカの心中を見抜いたかのように、ナトームは畳みかける言葉を連ねる。
「それとも何かな。貴様は、貴様ら3人を信頼して任務を任せた私の命令のせいで、3日目は休息を取らざるを得なかった、とでも言いたいと?」
「それは違います……!」
まるで自分がナトームのせいにでもしようとしているかのような示唆に、流石にシリカも顔を上げて強く反発した。少し感情が表に出てしまったが、それを突くほどナトームも露骨ではない。
「ならば貴様自身の判断で、休息を選んだことの意味をよく考えることだ。客観的に見て貴様の行動が、職務怠慢でしかないことは明らかなんだからな」
「……はい。申し訳ありませんでした」
法騎士シリカの職務怠慢。そう結論付けられたこの場の評定だったが、シリカはここが落とし所だと判断し、後は何も言わなかった。これ以上この話を伸ばしたら、より話の流れは悪化するからだ。相手がどういう人物なのかは知っている。
「貴様の任務態度はしっかり上層部に報告しておく。構わんな?」
「……よろしくお願い致します」
シリカは深々と頭を下げ、回れ右をして聖騎士ナトームの部屋を後にする。シリカが去った後、見送った彼の手は人事調査書にまっすぐ伸び、もう片方の手に握られたペンがその紙を走った。
騎士館を去る前、シリカは騎士館の鍛練区に立ち寄り、第1訓練場に顔を出す。以前のようにそこで部下達をしごいていたラヴォアス上騎士がシリカに挨拶し、それに伴い彼の部下達が、シリカを見て急に背筋を正す。こちらの態度が先日よりも明らかに固いのは、前回の対面で彼女に流れる鬼上官の血を目の当たりにしたからだろう。
敬語で話しかけてくる元上官に謙遜する法騎士や、そんな彼女の態度を気にもせず低姿勢で接する上騎士の姿も、前回とさほど変わらない。前と両者の間で交わされる内容で異なるのは、世間話の一貫として、ナトームにシリカが報告書を届けたことが話題に上ったぐらいのことだ。
「ナトーム聖騎士どのですか。さぞ辛辣な言葉を受けたのでは?」
「いや、まあ……私も未熟なものでして……」
シリカは少し表情を暗くして言った。その目の色からは、ナトームに対する憤慨や反発心ではなく、自身の言葉が受け入れられなかった苦悩だけが滲み出ている。
「どちらが正しいかは、私には判断しかねます。私は現場にいたわけではありませんし、ナトーム聖騎士どのが何を申されたのかも知りませんので」
ある程度行間を読んでシリカに言葉を届けるラヴォアス。一方でこちらの言外には、悩みがあるならその内容を聞くぐらいのことはさせて頂く、という含みもあった。
シリカにもそのことは伝わっていた。長い付き合いで、彼がどういう男かはわかっていたから。
「……いつかはあの方も、わかって下さると思っています。何とか、自分の力で解決していきます」
「そうですか……良き後日談を聞けることを、僭越ですが楽しみにさせて頂きますよ」
傷だらけの肉体と分厚い黒髭をたくわえた大男ながら、ラヴォアス上騎士がシリカに見せたこの言葉と笑顔は優しいものだった。まるで独り立ちした娘の背中を見守る父親のような表情に、シリカも微笑み返し、ありがとうございますと小さな声で返したのだった。
「――ところで、シリカ様。ダイアン法騎士どのがお呼びのようですが、ご存じですか?」
「ええ、家に封書が届いていました。任務終了後、来るようにと」
「既にご存じでしたか。でしたら……」
こんな所で油を売っていると、とラヴォアスが繋げようとした途端、シリカが目に見えて肩を落とし、遠くを見つめた。
「……あの人が私を呼び出す時といえば、概ね何かしら私をからかう種を見つけた時ですし」
それを知っているラヴォアスは、見境なく大声で笑った。じとりとした上目遣いのシリカの目に睨まれてようやく笑いを止めたが、目がまだ笑っている。
「いや、失礼。確かに仰るとおりですな」
「寄り道ぐらいはさせて欲しいんです。心の準備が不可欠なので」
うなだれるシリカと、微笑ましくそれを見下ろすラヴォアスは対照的だ。快晴のような笑顔のラヴォアスと曇り顔のシリカ、窓から二人を見下ろす月は、にやにやと悪い笑いを浮かべる口を表すかのような三日月模様だった。
「……おや? シリカ」
件のダイアン法騎士の部屋へ向かう憂鬱気味なシリカを、不意に柔らかい声が引き止める。あまり浮かない表情だったシリカも、その声を聞いて目が覚めたように背筋を正す。
「――お疲れ様です、勇騎士ベルセリウス様」
瞬時に平静時の無表情を顔に貼り付け、声の主に向き直る。その最速でも手遅れだったらしく、シリカの表情を目にしたベルセリウスは先ほどまでのシリカの表情に突っ込む。
「浮かない顔だね。またナトームに何か言われたかい?」
指摘を受けたシリカは、明らかに返答に悩んでベルセリウスから目を逸らす。結果的にはそれも、問いに対して図星の反応だ。
「いつものこと、か。君が気にしていないのであれば、干渉はしないが」
「……お心遣い、深く痛み入ります」
あまり明るみにしたくなかったことをすべて看破され、シリカは露骨にうつむいて観念した。中庸を貫いてくれるベルセリウスでなければ話がこじれかねないデリケートな事情だったゆえに、彼が自分とナトームの上司でよかったとシリカはつくづく実感する。
「コブレ廃坑の調査結果はどうだった? 報告書よりも、君の口から聞きたいな」
これから会いに行く上司の部屋への道中に付き添う形で歩くベルセリウスが、暇を潰す程度に世間話を振って来る。シリカもそれに応じ、しばらく数歩は先日の話が続いた。
「サイクロプスにワータイガーか。3人で死傷者なく帰還できたのは幸運だったね」
「仰るとおりです、本当に」
思い出しただけで肝が冷えた、という表情を隠さずシリカは答える。自身の安否ではなく、未熟な二人の生還を心より願っていたからだ。その意味するところを知るベルセリウスは、ご苦労様とシリカに告げた後、少し間をおいてから、本当に、と付け加えた。
「第14小隊を結成してから君にも直属の部下が随分増えたけど、彼らはどうだい? 1年も見てきたら、そろそろ色々思うところも出てくるだろう」
その質問に、歩きながら天を仰いで思索を巡らせるシリカ。頭の中に巡っているのは、6人の第14小隊の部下達だ。
「最近、騎士の称号を得た彼はどうだい?」
「クロムには特に言うべきこともありませんね。むしろこちらが、常に彼の前に立てる自分であるよう努めなければならない程です」
最も信頼できる第14小隊の勇士の名を挙げて、シリカは淡々と言葉を紡いだ。その言葉からは、彼女もその人物を、部下でありながら頼もしく感じていることが読み取れる。
「斧を携えたあの少年はどうかな。個人的には、最も将来有望な戦士なんだが」
「ガンマのことですか? 私も、彼はじきにエレム王国にとっても欠かせないほどの人材になっていくと思ってますよ」
シリカの脳裏をよぎる、とある快活で幼いその顔がシリカの口の端を上げる。小さな体で頼もしい部下の自慢が出来るのは、シリカにしても気持ちがいいというものだ。
「東方より連れ帰ったあの子は? 仲間達と打ち解けているかい?」
「はい。あの子がそれを実感してくれていればいいのですが」
背丈の小さい、おとなしい少女の顔を思い浮かべてシリカはしみじみそう告げた。その裏にある事情も聴き受けているだけに、ベルセリウスも想いを込めて、それはよかったと頷く。
「例の彼はどうだろう? そろそろ更生したかな?」
ベルセリウスがそう言った途端、シリカの目が明らかに憂いの色に染まる。今のような言い方だけで誰のことを言っているのかわかってしまうのが、シリカにとってもつくづく残念だ。
「いや、もう……どうにもならないんじゃないですかね、マグニスは……諦めはしませんが……」
げんなりした表情で応じるシリカと、それを見受けてくすりと笑うベルセリウス。熟年者に微笑ましく見守られている以上、そう深刻な問題ではないと見られるが、シリカにとっては上司の前で暗い表情を見せてしまう程度には面倒な問題のようだ。
敢えてまず、今エレム王国を離れている4人の第4小隊メンバーのことを尋ねたベルセリウス。勿論この後、先日シリカとともにコブレ廃坑に赴いた近しい2人の部下のことを聞き留める。
「あの元気いっぱいの女の子はどうなのかな。気概を見るに、頼もしそうではあるけどね」
「そうですね。アルミナは至らぬ部分もよく目立ちますが、着実に前進しようとする本人の姿勢もあって、日々よくなっているとは思います。勿論、まだまだではありますが」
上官として戒めつつも、芳しい評価を敢えて口にするシリカ。アルミナが今の言葉を聞いたらすごく喜びそうではあるが、きっと本人の前ではシリカはこれを口にしないだろう。当人の前であまり甘い顔を見せようとしないのは、かつてシリカが、お厳しいラヴォアス上騎士の姿を見て育った影響が表れているのかもしれない。
「いい部下達に恵まれているようで何よりだ」
「ええ。私もそう思います」
ベルセリウスの言葉に、シリカは笑顔で応じた。
シリカを招いた主、ダイアン法騎士の部屋が近づいてきた頃、ベルセリウスが不意に問う。
「少騎士の彼はどうだい? 君は彼のことを殆ど話してはくれないが」
「ユーステット少騎士のことですか?」
「ああ、確かそんな名前だった。彼の話を聞かないから、逆に気になるんだ」
シリカは一瞬立ち止まろうとでもしたのか、目に見えて歩速が落ちる。それに合わせてベルセリウスも足を遅め、次の言葉を探すシリカを待つ形で沈黙を貫く。
「……期待はしていますよ。ずっとあのままでは、困りますが」
しばらくの思索ののち、シリカは感情のこもっていない声でそう返した。彼女のことをよく知るベルセリウスにも、その言葉の裏にある真意ははっきりとは読み取れない。
「現状、どうかな。努力家だし、悪くはなく育っていそうだが」
「ワータイガーとの交戦した姿を鑑みるに、成長はうかがえます。ただ、あの程度で満足して貰っては未来がありませんからね」
好評価と厳しい見解が交錯する返答に、ベルセリウスはシリカの本音たる声を受け止めた強い実感を得る。表情を変えないシリカだが、決して不機嫌というわけではなさそうだ。
どちらも言葉を放たない沈黙が生じる。その後二人とも何をつぶやくこともなく、やがてシリカの足がダイアン法騎士の部屋の前に差し掛かった時、ようやくベルセリウスが口を開いた。
「君の口からあの少年のことを聞くのは、彼が君の小隊に入った時以来だったよ」
「……そうでしたか」
シリカはほんの少し申し訳なさそうな顔をして頭を下げると、目の前の扉を開いた。
「お、来た来た。ようこそシリカ」
「……ご機嫌そうですね」
ダイアン法騎士の部屋に足を踏み入れたシリカは、その軽い口調に思わずそう言った。挨拶より先にそんな言葉が出てしまっても両者気にしない程度には、関係も深いようだ。
「いやー、今日は随分面白い話があってね。一秒でも早く君に伝えたかったからさ」
30過ぎにしては若造りで、シリカよりも少し年上ぐらいの風貌を思わせるダイアン法騎士は、やや高い声で気前のよさそうな雰囲気を漂わせる。聖騎士ナトームと同じく今は参謀職に就くダイアンだが、貴族を思わせるような立派な服装に身を包んだあちらとは違い、カジュアルな私服に綺麗な黒髪をセットした風貌は、王都の遊び場にいる若い衆に混ざっていても違和感のない風体だ。薄いレンズを持つ眼鏡も、視力のせいだけではなく本人の着飾りの一貫である側面が強いことを、シリカはよく知っている。
「さっそく本題に移ってもいいんだが、それよりまず……」
「いや、本題に移って下さい。お願いします」
「そう慌てなくてもいいじゃないか。まずは土産話を聞かせて欲しいねぇ。たとえばそう、君がサイクロプスを討伐したという、コブレ廃坑調査の一件の詳細とか」
法騎士という立場は等しいものの、自分より年上かつ、早くから法騎士の地位に立ったダイアンは、シリカにとっては上司と言える立場だ。要求をはねのけるわけにもいかず、シリカは口頭で聞かれたことに応える。ただ、まだあまり細かくは話さなかった。たとえば、3日目は敢えてエクネイスにて休息をとったことなどは、まだ口にしていない。
「ふーん。ナトーム聖騎士はどこにケチをつけてきたんだい?」
「別にそんな……」
「いーや、彼が君に文句をつけないはずがない。正直にどうぞ」
見透かすようにダイアンがそう言うので、仕方なくシリカはその辺りも話した。3日目の休息に苦言を呈されたことを告げると、ダイアンはぷっと吹き出す。
「ブレないねぇ、あの人は。流石としか言いようがないや」
「もういいじゃないですか。それより本題を……」
「どうせ2日目に帰ったとしても、同じことを言われてるよ。任務は3日間だろうが、ってね。要するにあれに文句を言わせぬようにするには、2日目3日目と廃坑に深入りするしかなかったわけだ」
たった3人でね、と付け加えて、馬鹿げていると言わんばかりにダイアンは失笑した。
「あんな若い部下二人だけを連れて、サイクロプスも出没した洞窟の奥に突入するような君だったら、もっと前から部下を早死にさせてるよ。あるべき判断だったと思うけどな」
「いえ、まあ……それは特に気にしていないのですが……」
「戒める部分があるとすれば、馬鹿正直に休息を取ったことを報告書に書いたあたりかな。何とでももっともらしい仕事ぶりをでっちあげればよかったのにさ」
「いやいや、あの、報告書に嘘を書くのは……」
「わかってるわかってる。今のは流石に冗談」
からからと笑いながら話すダイアンに、シリカはほとほと参った顔。冗談だとはわかっているけど、だからと言って、はいそうですねと言うわけにもいかないんだから、こう返すしかないのだ。そういう自分の反応を見て楽しんでるんだから、この人は決して性格良くはない。
「言っておくけど、君は間違っていないよ。気に病むことはないからね」
そう言い放つダイアンに、シリカは額に手を当ててはぁと息をつく。
「お気持ちは嬉しいのですが……なんと言いますか……」
肩を持って貰えたはずのシリカの方が、気に病んだかのような表情を浮かべる。ダイアンは柔らかい表情のまま、ただし笑顔だけは一瞬封じて、次の言葉へ続いた。
「君があの人のことを悪く言われるのを、好まなく思うのはわかる。だけど彼は正しくないよ。もちろん、君がそれを鼻にかけて浮足立つのも望ましくはないけどさ」
シリカとナトームの間にある事情を知るダイアンは、知った上でシリカを切り詰める言葉をそのまま投げかける。上司の目の前である以上、他者への私的な感情を見せたくなかったシリカだが、さすがにこの言葉には何か思うところがあったのか、天井を仰いで寂しそうな表情を浮かべる。
「……あまり滅多なことは仰らないで下さい。上官どのの、上官どのに対する批判など、表に見たくはありません」
「別にナトーム様に伝えてくれてもいいよ。僕は僕で思うところがあるからね」
「そんなことはしませんが……」
顔色の明るいダイアンだが、その胸中に確固たる意志があることはシリカにもわかっている。その彼の想いの所以もシリカにはわかるし、かと言ってナトームを批判したくない理由は別のところにある。今のところ解決しようもない両者の関係の板挟みにあるシリカは、ともかく少しでも早くこの話題を切り上げたい想いでいっぱいだった。
「まあナトーム聖騎士のことはさておいて。君に紹介したい人がいるんだけど」
頃合いを察してダイアンは本題に移る。シリカはその流れ自体にはほっとしたが、次の話題の主題を聞いて即座に警戒してしまう。
人を困らせるのが好きなこの人のことだ。その本題に、どんな意図があるのか計り知れない以上、何かしら覚悟を固めておかないと怖い。
「傭兵希望者がいてね。来歴などを鑑みた結果、採用の方向で動いている。ただ、僕も忙しいし監査する暇がないんだよ。君には、彼を査定する役目を預けたい」
思ったよりは普通の内容だった。いつぞや、旦那様候補だよとか言って、どこぞの貴族を紹介された時よりは余程まともだと思えた。その話はしばらくして破談になったが、それに至るまでに丸三日潰れたのは悪い思い出だ。
「かしこまりました。その彼という人物は、どちらに?」
「騎士館の待合室で待たせているよ。迎えに行ってあげて欲しいな」
案件を伝えたダイアンは息をついて、話はこれで終わりだと示唆する。シリカもそれを察したが、せめてその前にいくつか聞いておきたいこともあるため、少し話を繋ぐ。
「どんな人ですか?」
「んー、君のところの少騎士くんと同じぐらいの年頃の少年だね。ちょっと陰があるけど」
ふむ、とシリカは答えを聞いて頭を巡らせる。明るくないタイプの少年との接し方となればどうしたものかとは思うが、それはまあ顔を合わせてから考えればいいことだ。
「傭兵希望の少年というのも珍しいですね。よほど腕に自信があるのでしょうか」
「ダニームから一人で歩いてきたらしいからね。そうなんじゃないかな」
シリカは少し顔色を変えた。北方のダニームの町から、このエレム王国までにはかなりの距離があり、その間の獣道や山道には魔物や野盗も出没し得る。そこを単身渡ってきたとなれば、それなりの実力か、よほどの幸運に恵まれていることが推察できるからだ。
「戦力としては申し分なさそうですね。採用を迷う所以があるのですか?」
「魔導士ってやつは気難しいからね。時間をかけて採用如何を決めたいと思ってるんだ」
「えっ」
一瞬間をあけて、思わずシリカは声を漏らした。人前で滅多に出さないような声だ。
「……魔導士ですか?」
「よろしく」
目に見えて凍りついたシリカの表情と、上機嫌なダイアンの表情は実に対照的だ。魔導士との対話など経験の少ないシリカにとって、この申し出は実に先行き不安にさせられる。そして、そんなシリカの心理をダイアンが予測していなかったわけがない。
「いい経験になると思うよ。頑張ってみて」
「……かしこまりました」
本物の悪意に満ちた指令を下すような人ではないはず。そうした信頼に則って、シリカはダイアンの紹介を受諾する。何かしら意図あっての試練を与えられているはずだと頭を切り替え、快諾とは言わぬまでもシリカは現実を受け入れた。かなり、不安はあったが。
ダイアンはずっと笑っていた。何かを楽しみに待つ、子供のように。




