第112話 ~待つのが祭~
創騎祭2日前。それはそれはもう、騎士団員にとっては目まいのするような多忙の日である。
年間最大級のエレム王国の祭事を行うにあたって、お祭り当日の市場は大賑わいとなる。めでたい祭事の魔力は、多くの人々の財布の紐を緩ませるからだ。日頃は貨幣一枚で買えるような街角の間食さえも、倍、3倍の物価で出回る不条理、それを多くの人が皮肉りながらも、めでたい空気にほだされて散財するのだから、お祭りの持つ独特の磁場は面白いものだ。
王国主催の王都で年一度開かれるそんなお祭りの場は、商人たちにとっては命を懸けてでも売り場を勝ち取りたい戦場だ。各町各村、あるいは他国からさえも多数の人々が訪れる上、日頃よりも随分と気前のいい人間ばかりが列挙する大きなお祭りで店を出せば、その日一日で向こう3日ぶんの儲けが確保できる可能性も全然低くない。商人を名乗る者は、各地の祭事に関して情報を握っていないようでは商才が無いと言ってもいいぐらいだろう。
創騎祭2週間前からすでに商人達の席取り合戦は始まっており、店を構える希望場所などの提示や商品の検問などを経て、1週間前にはそれらもしっかり決定されている。大挙する商人達の要望などにひたすら耳を傾けねばならない、王宮の政館で働く執政官達は、先週あたりには激務で過労寸前だったという話だ。千や二千じゃ利かない商人の声をまとめて、1週間で結論を出そうとすれば、もっと時間が欲しいというのが一般論。それでもやってのけてくれるのだから、政館の人間もたいしたものである。
決定した市場の様相は、騎士団に届けられる。当日に、定められた法規に則っての商いがしっかりと取り行われているかを見定める仕事を行うのは、王国の守護を司る騎士団だからだ。そしてその仕事を各騎士団員に割り振るのが、騎士団の頭脳の仕事なのだが。
政館から情報の数々を貰ってから5日経ち、開催2日前になっても全然作業が追いつかないのである。この手の多忙期間においてはよくあることで、これも例に漏れず毎年恒例のことではあるが。
「はっはっは、これはやばい。第37中隊、先の遠征で負傷者12名ほどいるそうだね」
裏返った声で、けらけら笑って法騎士ダイアンが口にする。招かれて同室しているチータも、彼の表情を見て、反応に困る。顔は笑っているが明らかに目が笑っていない。
エレム王国第37大隊、それは総勢63名で構成される部隊であり、今はエルピア海の向こうの町へ遠征している部隊だ。お祭り当日にはその隊も帰ってくることになり、ダイアンは彼らに任せる仕事も割り振るつもりでいたのだが、63名に預けるはずだった仕事を51名でやれなんて言えるはずもない。怪我人を働かせるのは流石にブラック過ぎてまずい。
「もっと早くに言えって話だよねぇ。ねえチータ君。ねえ」
「ええ、まあ。はい」
報告書類を半ば投げやり気味に机に叩きつけたダイアンの態度からも、相当気が立っているのは見え見えだ。すぐに別の書類を取り出して、別視点から状況を見渡すダイアンの脳裏には、学者も顔負けの凄まじい計算が一瞬で行われている。
懸けた12名の穴を第41小隊に補わせるとして――その際そちらの隊が本来担当していたはずの仕事を回すために他の隊から人員を補充して――連絡のつきやすい傭兵はどこにいたか――こちらの要望が受け入れられなかった場合の保険も揃えて――もう、とにかく考えることが多すぎる。日頃から人事をしっかり把握している者にしか出来ない計算が、山積みだ。
「はいこれ、第41小隊に渡してきて。帰りにこっちは第27分隊へ。そのついでにこっちの書類を聖騎士ナトーム様に渡してきてね」
即効で書類を纏め上げたダイアンが、チータにそれらを押し付ける。傭兵として騎士団に加わって以降、ダイアンと縁の深いチータは、この日こんなふうに小間使いとして存分にこき使われていた。まあ、チータはシリカの部下であると同時にダイアンを師とする立場なので、彼の部下でもあると言える立ち位置だ。日頃少ない光景だというだけで、別段異質なものでもない。
「急いでよ。ホント時間ないから」
釘を刺されてダイアンの部屋を出立するチータ。今のあの人とはあまり長く一緒にいたくなかったので、こうして働かされる方がまだましだと思えた。
「ふむ、到着。長旅お疲れ様でしたっと」
「ありがとうございます」
クロムとの挨拶を交わし、書類や金銭を手渡した商人は、率いていた二台の馬車を引いて王都の中央部へ向かって進んでいく。相手がこちらを振り返ってもう一度頭を下げたのに対し、クロムも小さく会釈するが、向こうが再び前を向いたと同時に、クロムは懐から1枚のメモを取り出す。ついでに煙草を一本取り出してくわえ、火をつけてだ。
「次はレットアムの村だな。時間もねえからとっとと行くぞ」
「まだあるんですか……もう4往復目ですよ……」
去年よりきつくないですか、と露骨に言い述べるアルミナだが、諦めろと笑って返すだけのクロム。マグニスなんかもう、無言で諦観モードに入っている。ガンマも退屈に飽きてきてどこかお疲れで、キャルだけが次の仕事に対して前向きな顔を崩していない。
お祭り当日には、各地から集まった商人達が王都に店を開く。前々日にあたるこの日は、殆どの商人にとっての会場入りの日だ。明後日の大商売に向けて、今日明日にすべての準備を整えるため、この日に王都入りする商人が多いのだ。この日と明日にかけては、王都の貸し倉庫と宿が大繁盛である。
しかし祭の前日、前々日の、王都へと向かう獣道は半端なく危険だ。山ほどの資金と商品を運ぶ商人が王都に集まるとわかっているこの日、それを狙う野盗にとっては、まさにカモがネギを背負って歩いている光景を何度も目にする機会となる。お祭り時の都に向かう商人には、邪悪な眼光を光らせた狩猟者の悪意が常に向いている。
アユイ商団のような大きな商団に属する者は、自分達で財や商人を守る手段を存分に備えられるが、そうでないカラ手の行商人などには自衛する手段が無い。傭兵をこの日ばかりは雇うというのも手段、だがそれ以上に、騎士団に護送を依頼する方が確実性が増す。そんなわけでこういった日には、各地からエレム王都に移動したいという商人の護送任務が殺到する。ある意味、騎士団にとっても稼ぎ時だ。
それでハッピーなのは懐が膨らむ騎士団と、安全に旅を済ませることが出来た商人だけ。いつの世も苦労している現場の人間の姿は陰に潜み、馬車馬のように働かされる騎士団員には光も当たらないのだ。
「ねー旦那、ちっと休みません? そろそろしんどいんすけど」
「アホかお前、顧客あと6組も残ってんだぞ。休んでるヒマなんてあるかよ」
この日王都に来たいと熱望する商人が、果たして何組いるのだという話。朝の早くから王都を出発し、商人の待つ地へ赴いて数々の商人を王都に導き続けているクロム達だが、昼過ぎまで働きまくってもまだ、王都への護送を願う者なら山ほど残っている。別の隊も多数出動して、そうした顧客を騎士団総出でさばいているのだ。中にはルオス地方の小さな村まで出勤し、朝早くから日暮れまでを日帰りで護送任務に営む隊もあるという話。
クロムを指揮官とする5人の分隊は、王都周辺の護送任務を数件請け負ったので、そんな強行軍を強いられることにはならなかったが、そのぶん往復数が多いので、別に楽でもなんでもない。早朝から昼過ぎの今まで同じ作業を繰り返してきたが、まだ半分済んでいないという事実が、クロムの率いる4人の顔に疲れの色を浮かばせる。体力面以上に、単調作業の繰り返しとその都度使わなければならない神経のすり減りが大きい。
「ほらお前ら、若いんだからきびきび働け。怪我人が指揮官やってんだぞ」
「怪我人、ねぇ……もう治ってんでしょ~?」
馬の手綱を繰ってすいっとレットアムの村のある方向へ進んでいくクロムと、先行き遠さに白い目を浮かべた3人、どんな時でもやる気を失わない少女が馬を導いて続く。サーブル遺跡の一件から随分時間が経った今でもクロムの体調は本調子とは言い難いらしく、そのクロムがこの激務の先頭を担っているという状況なので、誰も文句を挟めないのがつらいところ。もっとも、身体能力向上の魔法を使っての無理が禁止されているだけなので、生身で戦うぶんには問題はないらしいが。
とはいえ体裁上はクロムも負傷者リストに載ったままの身。生身で戦えるというだけでも、そんじょそこらの上騎士高騎士より有力な駒となれるクロムだから無理押しされているが、本来ならばこうした負傷者リストに載った人材を働かせることは、騎士団としてもあまりしたくないところ。その無理を押してでも頭数を揃えたがる辺りからも、いかにこの日の祭の準備に対し、騎士団が人手を求めているかがよくわかるというものだ。
「ああ、それはこちらに。資材に不足はありませんか?」
「商品などの搬送はあちらへ。手続きが済めば、すぐにでも入庫できるはずです」
王都中央部で働く二人の騎士は、まるで商人の使いっ走りがさせられるような荷捌きを担っていた。市場に馬車と共に現れる商人の数々を案内し、持ち込んだ売り物の搬入先などへと流していく。商品などの細かい検問は向こうでやってくれるのでいいが、ここはここで仕事が多い。
商人の持ち込む荷捌きなど政館の人間にやらせてもいいものなのだが、王宮仕えの人間という人材の中で、最も象徴的に扱われるのは騎士である。祭事の際には、目先の儲けから良からぬ商いを持ち込む者も決していなくはない中、こうして騎士が市場の中枢に関わっていることを示す意味合いが強い。何かことがあれば騎士団が黙っていない、ということを、商人の視界に騎士を映すことによって示すのが、こうした人選の最たる理由である。
「……ふぅ。毎年恒例とはいえ、慣れない仕事は疲れるな」
「そうなんですか? シリカさん、すごく手馴れてるように見えますけど」
手元に握った、持ち場を訪れる商人達の名を印を記した書類と商人を見比べ、間違いがないように人をさばくユースは、全神経を仕事に集中し続けてそこそこ疲れてきている。所々言葉遣いが乱れて素の語り口が出そうになる場面もあって、ユースは自分でも余裕がない自覚があった。
そんなユースから見ると、シリカは向かい来る商人の方々全員を流麗に流しているから、彼女のそうした口ぶりは意外だったのかもしれない。本質はそうでなく、シリカも日頃やらない仕事に神経を研ぎ澄ませているので、実際のところ肩が凝って仕方ないのだが、周りにそう見せないように振舞えるあたりは、毎年この仕事をやってきた年の功と言えるかもしれない。年に一度の創騎祭の雑務だが、シリカは5度目、ユースは初めてだ。この違いは、ことの他大きい。
戦場では地平線の彼方から次々と魔物が襲い掛かってくるのだが、ここもそんな感じで、遠方から商人が次々と訪れてくる。気の抜けない連続した仕事に、シリカもユースも隙あらばちょくちょく息をふぅとつかずにはいられない。騎士様があまり人前に見せない方がいい顔だ。
「――およ? お久しぶりだね」
一人の商人がまた、馬車を引いてユース達の前に現れる。次なる案内すべき相手に歩み寄ったユースに、その人物は目を丸くして語りかけてきた。
「あ、ジーナさん。ご無沙汰しております」
「あはは、覚えててくれたんだ。お姉さんは嬉しいぞ」
年始に砂漠で会ったあの日と変わらず、タンクトップにアーミーパンツという、さぞかし動きやすそうな一張羅に身を包んだ行商人は、あの時は少年だった騎士に、馬を降りてぺこりと頭を下げた。相手が騎士、自分が商人という立場なので、その姿勢はとりあえず一貫する。
「法騎士シリカ様ですね? ジーナ=バウムといいます。この度は、王都主催の創騎祭に胸を貸して頂ける立場として、この場を借りてお礼申し上げたく存じます」
「いいえ、そんな。我々こそ祭事を彩って頂ける立場として、感謝したい次第ですよ」
初対面の二人だが、挨拶ひとつとってもきっちりしたものだ。知己と話すジーナの姿しか見たことのないユースだったが、こうして見るとジーナの商人としての姿は、あっけらかんとした日頃の彼女の風体からはかけ離れて輝いて見える。
「搬入物資は宝石数種――道中は緊張なされたのでは?」
「あはは、本当にそうですよ。相当な資本ですし、ならず者に奪われたら人生終わってたんで」
創騎祭という稼ぎの場に、一世一代の想いで大枚をはたき、売れるものを入荷してきたジーナ。もしもこれを道中で野盗に襲われて失っていたら、文無しからの破産も見えていたという話。それはそれはもう、アユイ商団の入念な護衛などもがっちり頼って、ここまで来たに違いない。
「ジーナさん、宝石ってことはもしかして」
「んふふ、あの後上手くいったのよ」
遺跡から発掘した歴史的遺産をきっかけに、知り合いの宝石商に接近するという青写真を語っていたジーナだが、この舞台にそれを手にして乗り込んできたということは、つまりそういうことだろう。
宝石は、人脈が無いとそうそう安く仕入れられるものではないのだ。原価高では売り切っても儲けが小さく、売れ残れば赤字も確実という、リスクの高さが否めない。危ない橋を望んで渡るはずのない行商人が、武器に宝石を選んだということは、その辺りのジレンマの痛い部分を、少しでも緩和してから勝負に臨んでいるということを物語っている。
「証書を拝見させて頂く限りでも問題はありませんね。お手数をおかけしました」
「いいえ、こうした時には誰しも敏感になるのが当然なので」
入都の際にも持ち込まれるものの検問、ここでも検問、と、売り手側にしてみればなかなか窮屈な仕組みが出来ているものだ。ただ、やはり多くの人々が浮き足立つ祭の場だからこそ、事前のチェックは入念に行われ、間違いが起こる可能性を極限まで低めなければならない。小さな自治区のお祭ならばまだしも、国が主催する祭というものは、すべからくこうして厳しく取り仕切られる。
こうして臨時商店を開くだけでも、結構な場所代を王宮に払わねばならなかったり、細かくもない所で多くの制約がかかっているものだ。俗に言ってしまえばショバ代というやつだが、そうしたきっちりした統制のもとで市場を纏め上げないと、多量の金の流れによって経済が混乱する。一時的なものとはいえ、国家主催のお祭の場で動く金銭の波は、一日二日にして商業の流れを乱すだけの効果があるのだ。
なんだかんだ理由をつけて王国の懐も儲かるように出来ているから、話の端だけ聞くと嫌らしく聞こえるものだし、ショバ代がもっと安くなればとか、こんなに厳しくせずもっと気楽な商売が出来ればいいのにとか、商人間では酒の肴に愚痴の種になったりもする。もっともそれは表面的かつ利己的な表現であると各々自覚しており、経済のいろはを知る者であればあるほど、それに対する理解も深い。いちいち細かくチェックを受けるジーナを見るにつけ、商人様達は窮屈な想いをしていないかなと、お節介に心配しているユースだったりするのだが、ジーナならびに商人達はさほど気にしていないのだ。
「たっぷり稼いで帰るからね。上手くいったら、あなたにも何か奢ってあげるから」
「あはは、期待させて貰います」
知己であるユースに笑いかけて去っていくジーナの表情は、ここまでの道のりを乗り越えて、二日後の戦場に意気揚々と臨む商人の顔そのもの。ここまで来たらもう、彼女にとっては、祭は準備をしているうちが一番楽しい、という言葉が今の状況を最も的確に表しているものであると言えよう。
さて、それは参加者たる商人様のお話。ユースやシリカはまだまだお仕事が残っている。
「さあユース、気を引き締め直せよ。まだまだ来るぞ」
「ええ、もう。ホント終わり見えないですね」
ジーナを見送って前を見れば、長話している間に後ろの列がつかえかけている。祭の基本は、踊る阿呆に見る阿呆。この市場において、その踊る側にも見る側にも立たない裏方にとって、祭の準備をしているうちの時間帯は、一番大変な時間でしかない。
「だいたい話はつけてこられたと思います。多分、問題はないかと」
「いやー、助かるよ。よく働いてくれたね」
夕暮れ前までしこたまダイアンの小間使いで他方に書類と情報を運びまくったチータに、お茶をご馳走してダイアンは機嫌よさげに笑った。ひとまず仕事が落ち着いたらしく、ぴりぴりしていた時の彼でなくなっている。チータもちょっとだけ肩の力を抜けた。
正直その雑務の中で、何度かこの部屋に帰ってくるたび、ダイアンの目が鬼気迫るものであり、毎度話しかけるタイミングに困ったものだ。チータは自分の図太さに対して自覚があるからいいものの、これがキャル辺り内気な子だったら、あのダイアンには話しかけることも難しかっただろうな、と思う。それぐらい、さっきまでのダイアンは頭に角が見えていた。
「チータ君も、望むなら王宮入りしてはどうかな。君みたいな子がここに就職してくれると、本当に助かるんだけどな」
「僕は剣を扱うことが出来ませんからねぇ」
「騎士館じゃなくて、政館の方にさ。騎士団の内情をよく知った上で、デスクワークを勤められる人が増えると、本当に助かるんだ。騎士団はその性質上、オフィス暮らし向きじゃない人が多いからさ」
政館という名からは崇高な仕事に携わるイメージがあるが、用は結局のところ役所という意味合いが強い。最上層部に行けば王室という別次元であるが、そこは一般人が踏み入る場所ではないのだし、政館で働くということは、あくまで王都の役所で働くという意味合いで解釈して良い。
「騎士はいつでも戦場暮らしでしょ? 何かが起こって、戦えない体になっちゃった時、何を仕事にして生きていけばいいのか、っていう問題はつきものだ。だから政館の方も、騎士館から移籍してくる人材に対しては非常に寛容だよ」
「ダイアン様もそうでしたっけ」
「僕は騎士団参謀部に再就職した形だけどね」
ある一件以来、現役時ほどの戦う力を発揮できなくなったダイアン、ならびにナトームは、政館ではなく騎士館のオフィサーとして働く地位に就いている。これは彼らが騎士階級を持っているからであり、その役職が務まるのは法騎士や聖騎士の地位を持つ彼らのような者にしか出来ないことだった。
古来より騎士団には、生涯軍師という人物が存在しない。参謀部の椅子には、騎士としての長い戦人人生を歩んできたものしか座れないと決まっているのだ。本当に戦場に立って、戦人の経験を積んできた者ににしか、王宮から部下を放つ軍師の仕事は務まらないという観点からだ。戦場に立ったこともない人間の言うことを聞きづらい人間もいるし、少々内輪の心情を重視したきらいのあるしきたりでもあるのだが、結果としてそれで数百年騎士団が回ってきているので、それはそれでいい。
「いつ何が起こるかわからない騎士人生、戦場を駆け回るだけでなく、祭の準備などの機会に、内政に多少なりとも関わっておくことはプラスになるはずなんだよね。シリカあたりは、そんなのよりもうちで戦闘訓練とかしたいんだろうけど、それは生き方を狭めることでもあるからさ」
「僕と同い年の彼もそんな感じですね」
シリカやユースのように、近場にいた騎士にああした仕事を割り振るのは、執政部の苦労を多少なりとも理解させ、見識を広めるためでもある。縁起でもないことを考えたくはないものだが、戦人とし働けなくなった時、持った生き方がそれしかないとなれば、困るのはやはり本人なのだ。サーブル遺跡で傷を負ったクロムも、幸いにも今は復帰することが出来たが、星の巡りによっては騎士や傭兵として生きる道を捨てねばならなかったかもしれない。遺憾ながら、戦人にはよくある話である。
「チータ君も、興味があるなら王宮への就職も考えてみてよ。傭兵としての君も頼もしいけど、君ならちゃんと勉強すれば、王国を支える器にもなれるんじゃないかなって僕は読んでるからさ」
「そう言って貰えるのは嬉しいのですが……」
「サルファード家のことなら全く気にしなくていいよ。僕らには関係のない話だから」
気にしていたことを言わずして見抜かれた形。まあ、察しのいい者なら気付いていてもおかしくもない話でもある。
「大罪人の実子である自分が籍を置くことは、いずれどこかに軋轢を生みかねない――君がそう考えているであろうことは自然な発想だし、勝手に気に病むのは結構だけどさ」
「気にせずにはいられませんよ。一度本気で、辞表を書こうか悩んだぐらいですから」
「それに関しては、踏みとどまってくれて僕は満足だよ」
目の前のお茶に口をつけ、ひと呼吸を挟むダイアン。敢えてのひと段落は、この後に紡ぐ言葉を考えるための、最短の時間作りだ。
「まだまだ騎士団には、君の知らないものがたくさんある。悩んだ末にここを去る時が来るとすればそれは君の自由だが、まだもう少しこの先を見てから考えてもいいんじゃないかな」
わかっている。厳格だと思えば柔らかい一面を持つ隊長も、飄々とした側面の内側に確かな熱を持つ二人の不良先輩も、真っ直ぐ過ぎてそばにいるだけで元気を分けてくる少年傭兵も、社交的な一面の裏に富んだ思慮を持つ彼女も、主張少なくとも優しさと知性に溢れた彼女も。最初は見下しそうになったけど、長く話せば目が離せずにいるあいつも。
そばで家族のように暮らしてきた彼ら彼女らだけとってしても、まだまだ計り知れないものが沢山あるのだ。この先を見たいと、好奇心ではなく愛着からそう思える自分がいることも、チータにとっては大きな発見に違いなかった。
「はい。今はもう、そのつもりです」
いつもの無感情な声。静かに真意を込めたその言葉を、ダイアンは満足げに聞いていた。
明日は創騎祭に向けての最後の仕上げだ。今日と同じく、誰もが大忙しだろう。変わることがあるとするならば、祭前日に滑り込みで王都に入る商人も今日よりは少なくなるだろうし、代わりに王都各地で仮設店舗の数々の創設が行われるため、それが忙しくなることが予想される。
ただ、明日は朝から一気にそれを片付けにかかる上、創騎祭前日にようやく王都入りする、遠征していた大人数の隊の数々も帰ってくる。人手も一気に増えるので、日付が変わる直前まで各手の止まることのない今日とは違い、明日は夕食後にでもすぐ寝られる日となるだろう。夜遅くまで働いた今日の翌日、つまり明日は、朝が苦しいと思われるが。
その山さえ乗り切れば、ぐっすり眠った後にお祭りだ。商人は利益を夢見て、王都に集いし人々は目の前の楽しみに明け暮れ、そして祭の騎士団にとっては、年に一度しか訪れぬ機会が待っている。
日々培ってきた力を存分に発揮し、2日間通して行われる創騎祭最大のイベントに、当日多くの騎士が血気盛んに臨むだろう。それはシリカやユースも例外ではなく、お祭り前日には明日が楽しみ、あるいは緊張感で眠れなくなるのではなかろうか。それだけの意味を持つ大きな催しが、この創騎祭には控えている。
すべての準備が終わった後に、誰もがその想いをようやく完全共有する。祭は準備をしている期間が一番楽しかったのだと。そして翌日の夢のような日々を経験すれば、やはりお祭り当日の思い出こそが何にも代えがたいものだったと記憶を上書きするのだから、人間というやつは現金だ。
約束された、明るい明日。楽しみにならずにいられるなんて、誰も出来はしない。




