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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第7章  勇士達への子守唄~ララバイ~
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第110話  ~騎士団の闇~



「それじゃあ、ゴルト盆地には?」


「うん、魔王マーディスの遺産が潜伏している気配はなかったんだって」


 傭兵職を一日休んだチータに、ゴルト盆地への進軍結果を語るアルミナは、割とあっけらかんとしている。このぶんなら、恐らくその時の進軍で犠牲者が出たと言うこともなく、任務は良い形で達成されたと見てもいいのだろう。


 チータがルオスに赴いている間、第14小隊は聖騎士二人を指揮官とした連隊の一員として、コズニック山脈の奥深くに進軍していた。シリカ達が主戦場としたのは、隊全体においては最前列より少し後ろの位置だったが、一番前を駆けた聖騎士達の導き出してくれた結論は、そうだった。


 そもそもゴルト盆地まで踏み込むのはもう少し後日となる見込みであったはずなのだが、魔物達の層の薄さから、予想外に進軍できたのが先日の話。結果として、目標到達地点まで辿り着いてしまったのは少々の誤算だったが、ともかく聖騎士達の指揮のもと、ゴルト盆地の調査は完遂されるに至った。


 身軽な魔王マーディスの遺産とて、軍勢を移動させることは一朝一夕で出来ることではない。引き連れた魔物達を含め、拠点の完全放棄にはやはり時間がかかる。先日からゴルト盆地への進軍など、向こうから気配を感じ取られ得る要素はあったにせよ、調査の結果としては、ゴルト盆地が現在ないし少し前までの魔物達の拠点であろうとは、とても思えない状況だったという。


「そうなると、もう一つの候補だった場所が?」


「今はそれが濃厚なんだってさ。創騎祭が終われば、きっとすぐ突入任務が命じられるって、シリカさんも言ってたよ」


 ゴルト盆地という魔物達の拠点候補が削れた今、騎士団参謀部が絞り出すもう一つの拠点候補。コズニック山脈奥地のアルム廃坑こそ、魔王マーディスの遺産達が巣食う魔窟であるとの可能性が、今は最も強く見込まれている。そしてそこに人類が踏み込む時こそ、その推察が合っていようが間違っていようが、ひとつの大きな節目になるだろう。


 今後の展望がここまで明確に決まっていることも珍しい。参謀部では日々先のことを予見し、遠い先の任務まで考察されているのだろうが、任務を受ける側の小隊にまでその見越しが伝えられるというのは、いつ何が起こるかわからない日々の中では稀有なことだ。騎士団本部も当の進軍計画には、相当力を入れているということである。


「その時はちゃんと出陣してくれよ~? お前いねえと俺がしんどいんだからよ」


「すいません、もう我が儘は言いませんので」


 チータ不在の中でけっこう頑張ってくれたらしいマグニスに、チータは深々と頭を下げる。アルミナに聞いた限りだと縦横無尽の活躍ぶりだったらしく、日頃のけだるい姿を戦場ですら晒す彼からでは、なかなか想像できないものだと感じたものだ。とはいえ、マグニスには手厳しい口角を立てやすいアルミナまでもがそうして賞賛していたということは、やはりそれが真実なのだろう。


 それはそうと、チータが気になるのはシリカがいないこと。そうした今後の展望を語るにおいては彼女の口からのことが多く、シリカもそうした態度を示すことが多いはず。そうした説明を、アルミナに聞いておいてくれとだけ言い残し、朝早くから騎士館に向かったシリカの行動は、あまりチータの知るシリカの人間像とは一致しない。


「隊長はやっぱり忙しいのか」


「シリカさんは法騎士だからね。創騎祭の準備で、やることも多いんじゃないかな」


 数日後に控えた、エレム王国の一大イベント。遠き帝国ルオスに住んでいたチータでさえ、その名を耳にしたことのあるお祭りは、それほどまでに名高いものだ。











 今はエレム王国と呼ばれる、騎士団擁するこの大国。この大きな国とて、始めからこれほどまでに大きかった一国だったわけでは当然ない。遥か昔、エルピア海に隣する3つほどの集落が併合し、周りに比べて多少村人の数が多い程度の集落となった時、それら3つの集落の頭文字3つを取って、エレムの集落と名付けられたのが始まりだった。


 当時も魔物は出没したもので、戦う力を持たない民族は、魔物が侵攻してくることあらば、集落を捨てて逃げ延びるか、里と共に滅びるしかなかった時代だ。エレムの集落の民族はこれを潔しとせず、武器を取り戦う自衛団を創設した。これが後に言う、エレム王国騎士団の始祖と呼べるものだ。


 武器を自らの手で鍛冶し、それらの扱い方を学び、次代へ引き継ぐべく極意を伝え、長年に渡ってエレムの集落を支えてきた自衛団。今よりも平均寿命がもっと短かった時代、自衛団創設組の頼れる精鋭達が老いて戦えなくなっても、若い意志が彼らから学んだ戦い方を手に、さらなる勇士として集落を守り続けていく。時の流れと共に洗練されていく戦い方、武器の扱い方などに伴い、エレムの集落の自衛団は力を強め、未踏の地の開拓にも徐々に手を広げることが出来るようになっていった。


 移民も盛んだった当時、頼れる自衛団ある安定した里には、人が集まってくる。強さに憧れる本能は少なからず人にはあるもので、移民して自衛団の強さを知るや否や、入団を希望する者もいた。そうして自衛団は拡大され、人の数が増えれば新たな発見もある。今のエレム王都という広い都だが、現在の8分の1ほどの大きさの集落となる頃には、自衛団に属する者の数も、それ以上に集落に住まう者の数も相当なものになっていた。もはやその頃には、集落とは呼ばれず村と呼ばれていたものだ。


 技術者によって武装を固めた自衛団の姿は、戦う力を持たずに安寧に暮らしたい人々にとっては、まさしく平和を守る英雄そのものだ。当時人々が愛読していた書物の中に、今で言う英雄伝説のような夢溢れる活劇が多かったのは、そうした自衛団の姿を追うような楽しみがあったからに他ならない。人々が憧れるエレムの自衛団は、村がさらに大きくなって街と呼ばれる頃には、当時の自衛団の長の決断により、エレムの騎士団という名に変わっていた。今となっては歴史的な出来事である。


 住まう人々の数が増えれば、統率者の存在が重要視され、統治方法も求められてくる。時代の変遷とともにエレムの政治体制も何度か姿を変えてきたが、王国制が完全に確立し、エレム王国の誇らしい名が刻まれた時、エレム王国騎士団という今でも名高い名が生まれたのだ。


 当時で既に長い歴史を持っていたエレム王国騎士団が、炎竜サラマンダーの群れが王国を襲撃した際、犠牲あれども見事撃退したことは、歴史的な出来事だった。サラマンダーとは火を吹く巨大な竜で、当時は一匹で人里を焼き払い滅ぼすだけの力を持つ怪物だったのだ。それが数匹の群れでエレムを襲ったあの日、人間の手でそれを打ち倒したエレム王国騎士団の培われた力は、やがて離れた人里広くにまで知れ渡り、エレム王国の名を上げることに繋がっていく。


 エレム王国に人が集い、人里は広がり、安定した暮らしが人々から信頼される国を形作る。何年もの時の末に、今ほどの地方一帯を統治するようになったエレム王国が生まれるまで、その背景には騎士団の存在が確かにあった。エレム王国の歴史は、騎士団と共にあったと言って、なんら過言はないだろう。漠然と今も人々の信頼を寄せるエレム王国騎士団だが、時を見返せばその存在は、王国を支え育ててきたたとえようもない功績を持つ、偉大な集団だと言えるものだ。






 エレム自衛団がエレムの騎士団という名に変わった数百年前の夏の日は、今でもエレム王国にとって、歴史的かつ極めて特別な日だ。今でもエレム王国では、毎年夏になると騎士団の名が生まれた日に王国のルーツを祝い、盛大な祭を開催している。それが"創騎祭"と呼ばれる、エレム王国の祭の中では、年末年始の祭にも勝るとも劣らない一大イベントだ。


 3日後に創騎祭を控えたこの日、シリカは法騎士ダイアンの自室に招かれていた。創騎祭では上層階級の騎士に、若い騎士が挑戦するようなイベントもあり、シリカは騎士団全体で言えば、ちょうど中間に位置するような階級にある。上には聖騎士様や勇騎士様、下には高騎士や上騎士という立場で、法騎士という立場は非常に仕事が多いのだ。昨年も一昨年も、シリカは聖騎士様に挑戦したり、高騎士の挑戦を受け付けたりと、なかなかのハードスケジュールを組み込まれたものだ。


 ダイアンに呼ばれたのも、今年の方針を伝えるためのものであるとわかっている。法騎士となって数年経った今、昨年以上に大変な仕事が待っているんだろうな、と、シリカは少々の覚悟を固めて、法騎士ダイアンの待つ部屋をノックした。


「どうぞ」


 失礼します、の一言と共に部屋に踏み入るシリカを迎えたのは、なんら予想を裏切らない人物。少し予測と違う面といえば、少々彼の顔からは陰が見えたことぐらいだ。いつだって、年下の妹をからかう楽しみを胸に抱いたかのような、悪戯めいた顔でシリカを迎えるダイアンが、こんな顔で彼女を迎えるのは珍しい。


「創騎祭が近くて忙しいであろう中、よく来てくれたね。お詫びするよ」


「いいえ、そんな……え、お侘び?」


 忙しい中来てくれてありがとう、ならわかる。忙しい中来てくれてごめんなさい、は妙だ。立場が逆ならまだしも、上司であるダイアンが、シリカに対してそんな言葉を使うのは不可解なこと。シリカも思わず、数秒遅れで問い返してしまった。


「まあね。……君にはちょっと、面白くない話を聞かせようと思って呼んだんだ」


 ダイアンは、シリカにとって面白くなくても自分にとって面白い話なら、楽しい内容だと称して話し、シリカを困らせる。その彼が"面白くない話"と形容する話題とは、少なくともダイアンがシリカに対し、喜んで話したがるようなものではないということだ。


「創騎祭は騎士団員にとって、騎士団の先人達の偉大さを再認識する日であり、同時に自らの立場の重みを思い返すための日である、というのが建前だ。まあ、実際のところはそんなの気にしないで、みんなお祭りを楽しんでくれればいいと思うんだけどさ」


「いや、まあ、それは常に念頭に置くべきことではあると思われますが……」


「生真面目に受け取るならそれは結構だ。僕はあんまり、そんなの重視してないんだけどね」


 くすくすと笑うダイアンだが、明朗な笑顔ではない。今から話すことに対して、どうしても明るい気分になれないことが隠されていない、彼にしては活気の仮面が剥がれた顔。


「……そういう日を迎える前に、一度君に話をしておきたくてね。法騎士スズの話をさ」


 シリカの目の色が変わったのは、その名を聞いた瞬間だ。シリカにとってはあまりにも特別な名で、ユースにとってのシリカと同じく、シリカにとっては永遠の憧れの人とも言えた人物。そして同時に、数年前に落命したと言われた法騎士スズと、ゼーレの街で交戦した魔物陣営の有力者、凍てついた風カティロスの素顔が一致したことが、脳裏を一瞬で駆け巡る。


「座ってよ。落ち着いて、話をしたいからさ」


 ダイアンは部屋にあるソファーを指差し、シリカを座らせる。彼女と向かい合うソファーに同じように腰を降ろしたダイアンは、ふぅと一息ついて、顔を上げるとシリカを真っ直ぐに見据えた。











 曇り空。今にも雷が鳴りそうなほど、真っ黒な積乱雲が空の上に居座る、ほの暗い昼下がり。コズニック山脈の一角、ニッツ峡谷と呼ばれるその場所に、一人の人物がたたずんでいる。


 彼女は人間だ。魔物の陣営に与した後、その身を人ならざるものに変えたライフェンや、人の姿を捨てて魔物へと変えられ百獣皇アーヴェルの手駒となったセレナとは異なり、人間のままにして魔王マーディスの遺産に組する身となった人物。藍色のバンダナで隠した顔からは、無感情な瞳も相まって、誰もその胸中を読み取ることが出来ない。


「貴様は暇が訪れれば、すぐにここに現れるな」


 かつて法騎士スズの名で人々に愛され、今は凍てついた風の名で人々に恐れられる者。冷徹な瞳で峡谷の底を高みから見下ろすカティロスに後ろから語りかけるのは、今の彼女の新たな主だ。


「ウルアグワ様」


 平和を強く望むエレム王国の民のために、命を懸けて戦ってきた騎士人生。それを捨て、人類の滅亡を招く死神とまで言われる、極悪非道の黒騎士に仕える今の彼女の姿を、かつての女傑を見てきた誰が想像できるというものだろうか。


 振り返らずに谷底を見下ろしたままのカティロスの目に、やはり感情らしきものは宿っていない。しかし思い馳せる時には必ずここを訪れ、同じ一点を見据える彼女の眼差しには、必ず何か意味がある。騎士団の前にその素顔を初めて晒した数日前を思い返すと同時に、騎士であった自分を思い返すカティロスの眼差しの先、何があるのかウルアグワは知っている。


「ここが貴様にとって、始まりの地だったな」


「……終わりの地でも、ありました」


 かつて法騎士スズが死に、凍てついた風カティロスが生まれた地。法騎士と黒騎士が初めて対面し、闇への道に法騎士が呑まれたこの地を、未だにスズの魂は忘れていなかった。
















 "私"は、才覚があると言われていた。24歳にして法騎士の地位に就いた私のことを、周囲の誰もが歴史的瞬間だと持て囃した。同時期に騎士団入りし、共に剣の腕を高め合った"彼"も、私が法騎士となったあの日には、まるで君が遠くに行ってしまったようで寂しいと言っていたな。


 思えばあの頃から、歯車は狂っていたのかもしれない。"彼"が言ったように、まだまだ未熟であると自認していた私の想いとは裏腹に、周囲が私に注ぐ目線は違うものだったのかもしれない。


「スズ隊長。ニッツ峡谷まで、間もなくです」


「そうだな」


 側近のあいつ――高騎士ジーンの目が、私や"彼"のように、上官を上官として見るような目ではなかったものに、もっと早く気が付いておくべきだったのかもしれない。戦場が近付くに連れて、何か違う何かを期待するような目であったことが、今ならわかるのに。


「あまり深入りをするんじゃないぞ、ジーン。お前は功を狙うあまり、前に出過ぎる傾向にあるからな」


「……わかっていますよ」


 私よりも10も年上で、未だに高騎士止まりであったあいつが、私にそうして指示されることも面白くなかったのだろう。案じたつもりで向けた言葉に、舌打ちするように返してきた顔は、当時緊張感からくる神経の立ちようだと思っていたが、本質はそこではなかったんだろうな。


 ニッツ峡谷に辿り着いた私達の前には、数多くの魔物がいた。魔王マーディスの遺産が率いる、屍兵の群れを掃伐するための任務に、382人の兵を率いて出陣した私達の前は、すぐに魔物でいっぱいになった。デッドプリズナー、ソードダンサー、ギガースゾンビ――ウルアグワ様の率いる魔物達が、私達の数以上に群生している様には、任務の成功が人類にとって相当な前進に繋がると信じ、意気込んで戦場に赴いたものだ。


 犠牲者も少なく、魔物の数も減ってきた頃、突然の出来事だった。峡谷の彼方から、後方の騎士に向かって、上空より流星の如く襲い掛かった黒い影。油断していた上騎士の首を一瞬で跳ね飛ばしたあの姿に、当時は強い驚愕を必死で抑え、冷静さを取り戻そうと努めたことが思い出せる。


「た、隊長! 黒騎士……っ、ぐばっ!?」


 絶叫に近い声で私に緊急事態を告げようとした騎士の頭を後ろから串刺しにし、喉の奥から真っ黒な魔剣をぎらつかせる黒騎士の姿が、戦場いっぱいに恐怖をもたらした。誰もが当惑する中、黒騎士に向かって直進した私が、二刀の短剣と黒騎士の魔剣を交わせる形を完成させる。


 互角だったように思えた。私の攻撃をウルアグワ様はことごとくはじき、回避し、されど私も決して退かず、魔剣を振るわれるたびにそれを打ち返したものだ。一秒の間に何度の火花を散らしただろう。


 気付いていなかった。そうして黒騎士を攻め立てる私が、部下との距離をおかされていたことに。遠方からウルアグワ様に向けて矢を放つ部下達が、やがてその手を止めていたことに。


「終わりだ」


 上空にその身を浮かせたウルアグワ様が指を鳴らした瞬間、大局は決していた。峡谷の陰から突然、暗雲のような真っ黒な霧が噴き出したかと思うと、それが後方の部下の上空で凝縮し、邪悪なオーラを全身から放つ馬の姿に変わった。ウルアグワ様の愛馬、ナイトメアを見るのはその日が初めてだった。


 巨体に似合わぬスピードで空中を滑空するナイトメアが、次々と私の部下の頭を噛み砕く。抵抗する高騎士や上騎士の剣から逃れるように、空へその身を移したナイトメアがいななくと、亡骸に変わった騎士や傭兵が突然立ち上がり、さっきまで味方だった私の部下に襲い掛かるのだ。混乱する部下達の元へ舞い戻り、屍兵となった部下を切り捨てた頃には、私の部下は当初の半分以下にまで減っていたことが、報告なくとも見ただけでわかるような状況だった。


 ナイトメアにまたがり、上空から私達を見下ろすウルアグワ様が、当時どれほど憎く感じたことか。そして顔を見せぬ鉄仮面の下から、恐るべき言葉を私たちに投げかける。


「人間の命を奪った者は見逃してやろう。命が惜しくば、賢い剣の使い方をすることだな」


 それはつまり、味方を殺した者は助かるという、黒騎士のおぞましい囁き。誰もがきっとその言葉に戦慄する中、ふざけるなという目でウルアグワ様を睨み返したのを覚えている。


「舐めるんじゃねえっ!!」


 沈黙しかけた騎士団の空気を打破したのはジーンだった。ウルアグワ様に向けて怒号を返し、ナイトメアを見上げる私のそばにいた彼が、私と同じ位置に近付きながら怒鳴り声を重ねる。


「仲間を殺して自分の命を救おうなんて奴は騎士団にはいねえ! 誰がてめえの言いなりになんてなるかよ!!」


 私が抱いていた想いをそのまま代弁してくれたジーンのことが、この日ほど頼もしく感じたことはなかっただろう。かねてから、私に万一のことあらば第50大隊は任せる、と何度も言っていた私の見方は、決して間違っていなかったと、この時には確信に近い想いを抱いたものだ。だからジーンが私の背後すぐに近付いてもなお、奴の胸中にある悪意に、全く気付くことができなかった。


 頼もしき言葉に、私が愛用の短剣を握り締めたその時のことだ。命に代えてでも部下だけは生き延びることが出来るよう、全力を尽くそうと決意した私の想いが、最も皮肉な形で実現されたのだ。


「っ……?」


 たぎる胸の熱い想いが、背中に走った突然の熱と共に一気に冷え切っていくのがわかった。何度も戦場で経験した、深い切り傷を負った時の、鈍くも鋭いあの痛みが、背中いっぱいに走った瞬間の感覚は、今でも忘れられない。


 前にぐらつきかけた私が、本能的に後ろを振り返った時、そこにあったのは冷たい眼差しを宿したジーンの顔があった。何気なく視界に映った、奴の右手に握られた血まみれの騎士剣。背中に走る熱い痛みと、ぬるりとした血が私の背中から流れ落ちる感覚。それだけの情報が揃っていてもなお、ジーンが私の背中を切りつけたという事実が、すぐには認識できなかった。


「お……お前……?」


 私の言葉を無視するように、後方の射手に目を向けるジーン。奴が親指で私を指し示したその瞬間、恐怖に打ち震えていたはずの部下の目が、悪い決意の色に染まった光景が、人として見た最後の光景だ。


 直後、数分前まで私に付き従っていたはずの部下達から、私に向けて無数の矢が放たれた光景に、私は反応することさえ出来なかった。人は想像を超えた光景を目にした時、反応することも出来なくなるものだと、遅きに失して私は実感する形だったように思う。


 無数の矢と銃弾に体を貫かれ、のけ反って倒れた私は、真上にたたずむウルアグワ様を見上げていた。ごほりと口から血が漏れ、何が起こったのかもわからぬまま、目の前が真っ暗になっていく。それでも、今わの際に私の耳に入ってきた会話は、今でも頭にこびりついて離れない。


「くくくく……仲間に手を下さぬのではなかったのか?」


「な、仲間なんかじゃねえ……! そいつは俺達の上官だ! 俺達の命を救うためなら命も惜しまねえって言ってた奴だし、そのために死ねるなら本望だろうよ!」


 ウルアグワ様の高笑いを誘ったその言葉を最後に、一度私は意識を失った。それが確かにジーンの声であったにも関わらず、誰がそんなことを言っているのかと必死で思い巡らせるままにのことだった。






「捨てられたな、人間よ」


 ふと私が意識を取り戻した時、目の前にあったのは膝をつき、私を見下ろす怨敵の姿。人類の敵と呼ばれてやまぬ、憎き黒騎士を目の前にして、私の心は再び憎悪に包まれる。


 体が動かなかった。先程起こった出来事が現実のものと捉えられず、何か手品でも見せられた末に全身をずたずたにされたのかと誤認し、焼けるような傷の痛みを、目の前の黒騎士のせいにする。頭が、かつての仲間に傷つけられた事実を受け入れない。


「奴らは逃げたぞ。貴様を置き去りにしてな」


 嘘だと思った。こいつが約束を守るはずがない。言うとおりにしたところで、笑って皆殺しの道を容赦なく選ぶような悪辣な魔物のはず。そう頭の中で黒騎士の言葉を否定した瞬間、そんな理屈が成り立つ前提にある、かつての仲間達の行動の結果が頭を支配する。


 仲間達が自分の命を奪おうとした光景が、現実のものであると、心が受け入れず頭が理解する。口から漏れるかすれた息が、全身を貫く苦しみを、心を貫く痛みを増徴させる。何分、何時間、何日そうしていたかわからぬほど、その時間は永遠に近く感じられた。


「本望だったのではないか? 自分の命と引き換えに、仲間の命は助けられた。貴様ら騎士団は、そうした頭の作りをしているのだろう?」


 うすら笑いを浮かべるような声が、私の胸を締め付ける。言葉が、ではない。突きつけられた、私の命を奪おうとしたかつての仲間達が、そうした道を選んでなお平然と生き延びる道を選んだことにだ。











 どのようにして私の命が助かり、その後も歩けるようになったのかはわからない。ウルアグワ様の前で再び意識を失い、再び目を覚ました時、目の前には獄獣ディルエラが、百獣皇アーヴェルが、魔将軍エルドルがいた。そこがアルム廃坑の最奥地であることは後に知ることになったが、その時から私は、ここで過ごすようになった。面倒臭そうに、百獣皇アーヴェルがウルアグワ様に言われ、生臭い食肉を毎日私の元へ運んでくる毎日だ。


 ある日、山脈をナイトメアと共に闊歩していたウルアグワ様が、面白いものを見せてやろうと言い、私をナイトメアに乗せて空を駆けだした。邪悪な魔物にまたがることに抵抗があったのは当然だし、その時もナイトメアと並走するように空を駆けるウルアグワ様を、憎々しげに睨んでいたのを憶えている。


 コズニック山脈の浅部、セキシャーク山地に奴らはいた。100に満たない騎士団の中隊が、魔王マーディスの率いた魔物達の中でも弱卒にあたる魔物達を相手に、八面六臂の活躍を見せている。数匹のオーガに多数のジャッカルやインプを蹴散らす姿は、圧倒的勝利を物語る光景とは裏腹、自分が彼らを率いていた頃では考えられないような、容易な任務に打ち込むもの。魔物達の指揮官格にあたるであろう、一匹のガーゴイルに数人がかりでさえも苦戦するなど、かつて私がいた頃ならばあり得ない光景だった。


 第50大隊で、法騎士である自分の右腕として活躍していた高騎士ジーン。中隊の指揮官として部下を率いる長になったジーンは、最後には自分の手で魔物を討伐した手柄が転がり込むよう、小細工に満ちた指揮で兵を動かしている。これでどうやって、人間よりも力の強い魔物達に遭遇した時、正しく力を合わせて勝利できるというのだ。奴の活躍を何度騎士団報告書に書こうとも、奴に対する騎士団の評価が一考に上がらなかったことも、この時になれば一目で納得できたものだ。


 正しく結束力を見せればもっと大きなことを為せるだけの力があるはずなのに、不要な犠牲者を多数出した末にガーゴイルを討伐したジーンの中隊。地上に降りた私が岩陰から見届けていることにも、奴らは一向に気付かない。危険な山脈、黒騎士に急襲を受けて隊が壊滅寸前までいったあの時から、奴は、ジーンは何も学んでいないのか。


「やれやれ、楽な任務で助かるぜ。あの時からじゃあ考えられねえことだ」


「そうですよねぇ。スズ様の下にいると、厳しい任務ばかりで嫌になる毎日でしたし」


 戦場真っ只中で小さな酒瓶を開けたジーンと、へつらうように奴に擦り寄る上騎士――私の率いた隊ではジーンの横に常にいたあいつを見て、怒鳴り声が喉の奥までせり上がった。それが口から溢れず止まったのは、奴らの会話の中に私の名が出たからだ。


「騎士団暮らしなんて、決まった月給さえ貰って楽な任務こなしてる方が楽なんだよ。この辺りまで登りつめりゃあ、後は上手いこと上に倣えばなんとかなるってもんだ」


「ジーン様の尻尾はいい角度で振られますからねぇ」


「よせよ。お前にもそのノウハウは教えてやってるじゃねえか」


「へへへ、精進しますよ。上官様に媚を売って、抱き込まれる形が一番ですや」


 私には考えもしなかった発想。騎士団とは、人々の安寧を守るために命を懸ける者達が集う組織ではなかったのか。金を稼いで、自分の私腹を肥やせればいいなどという発想で、剣を握る者などいないと固く信じていた。日々飄々として、不真面目な発言ばかりして私に叱られていた"彼"でさえ、戦場に立てば命を懸けて部下を、守るべき力無き人を守っていたではないか。


「スズがいなくなって楽になったもんだ。上がいねえってのは、本当に羽を伸ばしやすいぜ」


「あんな頭の堅い年下の女にこき使われるなんて屈辱でしたよねぇ。消えてくれてせいせいしますよ」


 頭が凍りついたまま沸騰したのが、今でも思い出せる。自分がそう思われていたことに加え、その言葉をまるで極上の冗談を聞いた時のように、多くの騎士達が大声をあげて笑ったからだ。


「ただ、気になるのは法騎士ナトーム様ですね。ここ最近どうにも監視の目が厳しいような気がするし、スズを見捨てた我々のことにも勘付いているのかなと不安になりますよ」


「なぁに、どんなに追究来ようが、黙秘貫いておきゃ証拠は無しよ。誰も明かさねえ限り、事実が露呈することはねえよ」


「そうですか……ならば、気にすることはありませんかね」


「わざわざ真実を明かす必要はねえってことよ。お堅いばかりの法騎士様の生き様を利用して生き延びたことは、お前らも自慢してえだろうけどさ」


 しみじみとうなずく騎士ども、笑う傭兵ども、酒を飲む指揮官。その口から溢れる、酒場の馬鹿話のような会話を認識した瞬間、私の中で何かがはじけた。






 そこから数秒、記憶が飛んだような気がした。気が付けば私の周りには、ジーンを取り囲んでいた傭兵や騎士達の無残な死体が転がっていた。逃げ惑う騎士団員を、空から降り立ったウルアグワ様が次々と切り捨てていたのを視界の端に、正面にはジーンと、その側近たる上騎士。


 錯乱した顔つきと狂ったような絶叫と共に切りかかってきた上騎士に対し、動脈を切り裂いて応じることは極めて簡単だった。車輪のはずれた馬車のように崩れ落ちた上騎士を尻目に、今にも失禁しそうなほど怯えた表情のジーンを見据える。震えるその手が騎士剣に手をかけた瞬間には、私の獲物がジーンの首を跳ね飛ばしていた。


「これが騎士団、人間の本性だよ。貴様は知らなかっただけだ」


 ウルアグワ様の言葉が、この日真っ直ぐに私の胸に沈み込んだ。何一つその言葉に疑念を持つこともなかった私は、ナイトメアに乗って拠点にゆっくりと去り行くウルアグワ様の後ろに、ただ無言でついていった。


 短剣に沁み込んだ、騎士団員達の血。法騎士スズが本当の意味で死に、その後カティロスの名を与えられるまで、"私"が何者でもなくなったその日だった。

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