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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第7章  勇士達への子守唄~ララバイ~
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第109話  ~チータの里帰り~



 小隊に属する傭兵である立場にして、一日の休暇を隊長に求めることは、チータにとっても安くない我が儘だった。自分からシリカにそれを申し立てるのを憚るぐらいだったところを、お節介にもアルミナが先にシリカに口を利いてくれたらしく、シリカがチータに事情を聞く形となったのだ。


 尋ねられて、一度ルオスに帰りたいと主張したチータに対し、シリカはその事情をあっけなく受け入れてくれた。チータからすれば、予想外なほどにだ。コズニック山脈攻略の一端を担うという、重い任務を背負うであろう第14小隊を、この大切な時期に自分の都合のみで離れるというのには、チータだってもっと難色を示されると思っていたのに。


 こちらのことは任せて、自分の都合をしっかり片付けて来いという、シリカの言葉。それを謹んで受け取ったチータは、この日決意と共に魔導帝国ルオスにその足を踏み入れていた。






「なー、シリカぁ。やっぱチータがいねえと不安だぜ」


「そのぶんお前が積極的に働いてくれればいいだけの話だ」


 クロムとチータを欠いた6人で、コズニック山脈の奥地、ゴルト盆地に向けての進軍に踏み入る第14小隊。絶対的大黒柱の一角であるクロムに加え、出来る仕事の多い魔法の専門家がいない状況に、マグニスは口をとがらせている。ぶつくさ言う彼をいさめるのは、当然シリカの仕事。


 マグニスの言うことももっともで、先日よりも山脈の深い部分に踏み込む今日は、より厄介な魔物との遭遇が予想される。進軍する連隊の兵の総数も千を超え、指揮官は聖騎士グラファスと聖騎士クロードの二名で構成されるという周到ぶりだ。それだけ危険な地に、信頼できる魔導士を欠いて乗り込むことは、確かに不安要素に他ならない。


「マグニスさんもいい加減、全力で働いて下さいよ。チータも頼もしいけどさ」


「たるい。楽をさせてくれ」


 チータが第14小隊の中衛後衛を一手に引き受けているから、マグニスはいつだって肩の力を抜いて先陣に並んでいる。戦場にぽつぽつポイ捨てされた煙草の吸殻は、十中八九この人の産物だ。命を懸けて誰もが臨む魔物との激戦区で、ぷかぷか煙を吐く余裕のある傭兵なんてマグニスぐらいのもの。サボり癖を隠さないマグニスにアルミナが忌憚なき苦言を呈しても、やる気のない返答が返ってくるだけだ。


 チータ不在に一抹の不安を感じるのは、誰もが同じこと。ただ、いつも全力を出してくれないマグニスがそのぶん頑張ればいいだけ、という想いもまた共通されたものなので、第14小隊内では大きな懸念が打ち消される形となる。


 それに。


「前は私とユース、ガンマで抑える。マグニスは中衛で、アルミナとキャルのサポートを兼ねてくれ」


「へいへーい」


 何気なくいつもどおりの布陣を口にするシリカの内面、かつてより成長したユースとガンマに対する信頼があることは確かだった。当の二人にそこまで伝わっていないのがマグニスには惜しかったが、数ヶ月前よりも変わり映えた小隊の全容そのものには、マグニスも余裕を感じている。


 クロムというベストパートナーを欠いた今でも、シリカが大きな不安を感じない。それは下の突き上げ目覚ましい現状の為せる産物だ。今は騎士館で休むクロムも、この現状には喜んでいることだろう。











 以前魔導帝国ルオスを訪れた時に比べ、随分と街も落ち着いたものだ。前回はルオス三大名家の当主が被告人として吊るし上げられていた側面もあって、街中どこかしこがどよめいていた。後には歴史書にさえ残るであろう出来事だっただけに、今の静かな姿を取り戻したルオスと比較し、あの事件がいかに大きなものであったかを再認識する。


 チータからすれば、元より悪人であろうと感じていた父が、ようやく裁かれただけの話だったから。世間様が騒ぐ様相と、自分の観点の差には正直複雑だった。


 そんなチータが向かったのは、ルオス帝国城の一角だ。罪人を収容する刑務所に近いこの施設は、チータのような二十歳を迎えたばかりの者が、本来望んで一人で立ち寄るような場所ではない。


「チータ=マイン=サルファードです。グレゴリー=フォン=サルファードとの面会は認められるでしょうか」


 番人に身分を示し、城内に入っていくチータ。いくらか面倒な手続きを経たとはいえ、面会を認めて貰えた。大罪人の身内の面会は、両者魔導士だけに良からぬ思惑を邪推されがちだが、ルオス城の警備は極めて堅固である。仮にチータが、父の脱獄の手助けをしようと動いたとしたって、鎮圧させられるぐらいの周到さは持ち合わせていよう。所詮はたとえ話だが。


 教えられた道筋を歩き、父が収容されているという一室に向かっていくチータ。周りに人がいようがいるまいが、いつも無表情の彼。そんな顔色の奥に、これから顔を合わせる人物に対する複雑な想いが渦巻いていることぐらい、チータをよく知る者ならば誰でもわかることだ。


「……あ」


 そんなチータに前方から向かい来る一人の人物。思わず声をあげたのも、そちらの人物だ。


「――姉さん」


「……お父様に、会いにきてくれたの?」


 こんな場所を訪れたチータの目的に、それ以外のものはないだろう。それでもチータの実姉、ミュラーが確かめるようにそう問わずにいられなかったのは、それほどこの場所に弟が来てくれることが予想外だったからだ。


 無言で小さくうなずくチータに、優しげな姉の笑顔を返すミュラー。父に反意を示してやまなかった弟の今に対し、嬉しい想いを抱いていることがよくわかる。


「僕は父さんを許したわけじゃないですよ」


「ええ、許す必要はないと思う。それでも、こうしてくれただけで私は嬉しいわ」


 2,3のやりとりを交わして、チータの後方に去っていくミュラー。連日彼女がここを訪れていたことは、世間を敵に回す弁護人という立ち位置に就いてでも父を守ろうとしていた彼女の姿勢から、充分に推察できることだ。そのミュラーの思惑の真は今でもわからないし、疑問すら感じる。


 父に会えば、それもわかるのだろうか。血に苦しみ続けた魔導士にとって、人生の節目とも言える時が目の前に迫っていた。











 今しがたまで娘と面会していたサルファード家元当主は、面会室にそのまま腰を据えている。ミュラーとの面会が済み次第、独房に戻るはずだった彼がしばらくここに残ったのは、チータという面会要望者が訪れていたがゆえである。


 面会室の扉を開いたチータの前、一つの机と二つの椅子が置かれただけの殺風景な面会室の中、その人物は待っていた。入室して会釈も挨拶も一切見せぬまま、椅子に腰掛けたチータの正面、腰掛けた年老いし父グレゴリーが、無言でチータを眺めている。


「……久しぶりですね、父さん」


「……ああ」


 本当に久しぶりの再会だ。師であるティルマが罪科にかけられ、家を見限ったチータがサルファードを飛び出したあの日以来、一度として顔を合わせることなどなかった。あれから数年経っての再会だが、年経た大人も年月重ねれば顔も変わるものだとチータは実感する。


「なぜ、私に会いに来た?」


 言葉続かず短い沈黙が生じたその時、話すきっかけを作ったのは父の方だ。その言葉は本来、死罪にかけられる父が、面会に来た息子に問うようなものではない。両者が正しく認識するように、チータがグレゴリーを憎んでいる今でなければ。


「……僕にもわかりません」


「……そうか」


 チータの言葉は本心だった。どうしてあれほど憎んでいた父に、傭兵稼業を休んでまで会いに来ようと思ったのかは、今でも答えが出ていない。朝早くからエレム王都を出立し、日帰りで遠いルオスへの旅をするなんて強行軍、馬車に乗る中で自分でもどうしたものだろうと何度も考えたものだ。


「第14小隊で出会った仲間のうち一人は、血の繋がらない人を母と呼び、愛せる人でした。その血を分けたあなたとこうした関係である自分の在り方に、疑問を感じたのは事実です。……きっかけは、そんなところですかね」


 それが、とりあえずの答え。グレゴリーは黙って聞いている。


「ただ、あなたに対する想いは変わりませんよ。先生のことを、忘れてはいませんよね」


「ティルマか。確かに彼女には、残酷なことをしたものだ」


「やはり、仮説は正しかったんですね」


 サルファード家の悪事の一端に届きかけたティルマに、あらぬ罪を被らせて裁かせた悪行を、今やグレゴリーも隠そうとはしなかった。裁判の後に引っ張り出された証拠の数々を鑑みても、やはりあれは真実明かせばそういうことだったのだろう。


「ティルマの罪科はもう免除されている。今はもう彼女に通達も届き、望むならルオスやダニームに帰ることも許されるだろうな」


「だからと言って、あなたの罪が洗われるわけではありませんから」


「承知している。明るみになった以上、それは致し方ないことだ」


 やがては断頭台に送られるような人物に、なじるような言葉を投げるのは、一般には冷たいことだ。それでもチータがそうせずにいられなかったのは、敬愛してやまなかった師の人生の大切な時間が奪われたことを、どうしても許せないから。失った時間は、二度と帰ってこない。ティルマのそばでもっと色々なことを教えて貰いたかったチータだって、間違いなく被害者だ。


 それに対するグレゴリーの返答も図太いもので、つまりは言い換えれば、ばれなければ罪にはならなかったとも捉えられるものだ。潔癖な者ならば嫌悪感さえ覚えるような盗人たけだけしい発言だが、彼らしいなと捉えて聞き流せるあたり、チータも清濁併せた考えは持っている。


「それにしても……良心は痛まなかったんですか。あれだけの悪事を重ねてきて」


 ふと思いついた疑問だが、心底気になることだった。自分が知る限りでも、いくつもいくつも悪行を重ね、露呈しそうになれば人を嵌め、隠蔽する。最近知った中には、アマゾネス族の住まうカルルクスの里を滅ぼした綿の雨を、裏で糸を引いていた事実も含まれているのだ。何百何千人もの人間の人生を狂わせ、命さえ奪うことすらあったであろう罪の数々。それを続けてきた父の感性には、いくら想像力で補おうとしてもチータは理解を示せない。


「良心か……いつの間にか、忘れてきてしまっていたな」


「いつの間にか、ですか……」


「私とて、サルファード家に財を積むために悪事を行うことに、胸を痛めた過去はあったように思う。だが、何度もそれを繰り返しているうちに、そんな感情を抱くこともなくなっていったな」


 初めて万引きを行った少年は、その時必ず悪事をはたらいた自覚があるはずだ。それが常習化した時、果たして罪の意識が残っているだろうか。グレゴリーの言葉は、それに通じるものがある。


「財を積むための悪事とは、あなたにとってそれほどまでに重要だったんですか」


「私にとってはそれが全てだったよ。失われかけたサルファード家の威信を取り戻すことがな」


 魔王マーディスの討伐によって名を上げた、ズィウバーク家とソルティシア家。今だからこそルオス三大名家と呼ばれているものの、それまではソルティシア家とサルファード家の二大巨塔と呼ばれていたものだ。両家の格は別方向に高く等しかったが、魔王マーディスの討伐によってその均衡は崩れ、サルファード家が三番手の名家になってしまったのが実状だった。


 貴族にとって、名声と地位は重要なのだ。特にサルファード家のように一度上り詰めた家というものは、表面上は尻尾を振られていても、裏では妬まれ、没落を望まれる。上が潰れれば相対的に自分が上れる、という思想が人にはあるからだ。隙あらばサルファード家を陥れてやろうと企んでいるような輩も、貴族の中には潜伏していただろう。だから家の地盤を徹底して固めようとしていたグレゴリーの思想は、同じ貴族として育ったチータにとって、理解できぬことではない。単なる自尊心だけでなく、己の身と命を守るために、地位というのは必要なものだ。


 それがそもそも社会のひずみであると、チータもグレゴリーもわかっている。人類すべてを脅かす、魔王マーディスの討伐は間違いなく朗報だったというのに、それによって地位を落としたサルファード家がその事実を疎み、地位を取り戻すために悪事を重ねてきたという話なのだ。これでは、誰が悪魔なのだかわからない。


「ライフェンが百獣皇アーヴェルと繋がりを持っていたことまでは、私も流石にしばらく知らなかったことだ。知った時になお、利を思い咎めなかった私は、もう戻れぬ場所にいたのだろうな」


「……今になって気付けただけでも、あなたは幸せなんじゃないですかね」


「……そうかもしれないな」


 兄ライフェンは、死の間際まで己の行いを悔いなかった。それに相応しく無残な最期を遂げた彼には、今にして思えば、人の心を捨てて帰ってこれなかった人間に対する、哀れみの念も沸いてくる。


「積み上げた財は、主にミュラーに相続するよう手続きを済ませてある。お前にも相続権はあるようになっているから、その辺りはあいつと相談して決めればいい」


「結構ですよ。汚い金だとわかっていますし、受け取りたくはありません」


「まあ、そう言ってくるであろうことも予想はしていたがな」


「と言うか、姉さんは相続することを選んでるんですかね。相続するほど残るように思えませんが」


 グレゴリーが渇いた笑いを吹き出す。長く目を切っていた息子が、思いの外目ざとくなっている事に、彼がようやく見せたささやかな笑みだ。


「まあ、悪事の数々に対する補償で殆どが溶けるだろうな。それでもまあ、いくらかは残るだろう。それだけ、稼いできたからな」


 悪事によってだ。チータももう、今更突っ込みたくも無い。


「私の死刑執行が見送られているのは、サルファード家の莫大な財産の行く末を処理する段取りが完遂されぬからだ。ひと段落済めば、執行に移るであろうがな」


 膨大な金が行く末を失えば、経済の流れがおかしくなる。それほど多量の金を貯えていたのがサルファード家であり、その大金が死刑確実の人間をしばしとはいえ生き長らえさせているのだから、金の力というものは恐ろしいものだ。魔物と手を結び、民族ひとつまるまる滅ぼした大悪人ですら、迅速に葬ることが出来なくなってしまうというのだから。


「姉さんはサルファード家当主となることを選んでくれたようですが、大丈夫だと思いますか?」


「あれはたいした奴だ。地の底にまで堕ちたサルファード家だというのに、それでもあいつが一人で積み上げてきた人脈で、今後も付き合える法人を残している。私には無い才覚だよ」


 権力をかさに着て多数の人間を率いてきたグレゴリーには、没落した今ついて来る人間がいない。ミュラーはそうではなく、没落した事実残る今も、明日に向けて繋がりを持てる者がいる。普通、これだけ大きな問題を起こした元名家など、腫れ物触るように誰もが近寄りたがらないものだ。その上で、未来に繋がる縁を残してきたミュラーの手腕は、見事と言えるだろう。


「かつての隆盛には届かぬが、ミュラーの率いるサルファード家の再出発は為せるだろう。私もさほど懸念を感じてはおらぬよ」


「……あなたがそう言うのであれば、安心していいのでしょうね」


 グレゴリーはチータ以上に、貴族間の現実を知っているはずだ。そんな彼がその上でなお、今後のミュラーに懸念がないと言えるのであれば、きっとそれは信用していいのだろう。


「お前はミュラーによく似て、感情の先立つ奴だったな。貴族として、優秀ではなかったよ」


「なるほど。どおりで見放されていたわけですね」


「ああ。当時の私は、家督を正しく継げる人間にしか興味がなかったからな」


 サルファード家の利益のためなら、どんな悪行にも手を染めるライフェンこそ、当時のグレゴリーにとっては理想の跡継ぎだったと見える。その一方、聡明さと人との繋がりを保てる人情に満ちたミュラーが、ライフェンを裏で支えるという青写真だったのだろう。それで充分、後継者は足りていたのだ。


「ティルマをお前に当ててから、お前は変わっていったよ。私とは逆の理想にな」


「僕はそうした自分に誇りを持っています」


「そうだな。人としてなら、間違いなくその方が魅力的だ」


 別にチータは、父の理想から離れた自分を誇ると皮肉を言ったわけではない。ティルマという、人の心を汲み取って接してくれた人によって、少しなりとも他人を信じることを覚え、誰も信じることの出来ない寂しい人間だった自分が、変われていったことに胸が張れるのだ。だからこそ今になってなお、あるいは今だからこそ、あの人に対する尊敬心と感謝は絶やせない。


「家督を継ぐにはお前は不向きな人間だった。だが、貴族として生きぬのならば、お前のような生き方も悪くはあるまい」


「はぁ。褒められているのやら、相変わらず見放されているのやら」


「喜んでいるつもりだよ。私の息子には違いないのだからな」


「よく仰いますね」


「これは昔から思っていたことだ。家名を守ることに躍起になっていた時と、観点が変わったのは否定できぬがな」


 今更息子だと言われても、白々しく感じるのは仕方ない。愛の欠片も注がれた記憶はないし、たとえそれを他人が否定しても、お前に何がわかるんだと平然と言い返せる自信がある。甘い言葉を今更向けられたところで、父に対する想いが揺らがなかったことに、かえって寂しくも感じはするが。


「……まあ、僕が思っていた以上に、あなたが僕のことを見てはいたとは見改めましょう」


 だからと言って、自分のことをよく見て下さったお父様、だなんて発想に至るわけではない。これは、進んで真実から目を背けるような自分ではいたくないチータの、ささやかな譲歩に近いものだ。


 しばらくの沈黙。両者とも、話すことを用意してきたわけではないのだ。ここまでは直近の話題を繋げる形で話が続いてきたが、きっかけを失えば両者口が止まるのは自然なことである。


「……執行は、いつになりそうですか?」


 命日を問うような質問を当人にすることは、一見残酷なものだ。ただしグレゴリーの罪科を思えばそれも業とは言えるし、加えて血族であるチータがそれを知りたがるのは、何ら冷たいことでもない。


「私の見込みでは、一週間そこらだろうな。概ね金の流れも整理したし、尋問に対する質疑応答も大方終わりを迎えている。そろそろ、といったところだ」


「そうですか。……間に合ったんですね」


「私も僥倖だと思っている。最後に一度でも、お前と話せるとは思っていなかった」


 そんな言葉は聞きたくない。やめて欲しい。


「ミュラーがここによく来てくれるのも、私にとっては幸福なことだ。ライフェンともう話せぬことと同じように、お前と顔を合わせることは諦めていたのだがな」


 あれだけ憎んでいた父でも、死が近づいていることを知った上でこうした言葉を向けられると、言葉に出来ない想いが沸いてくる。これこそが血の繋がりの為せるものなのだとしたら、チータにとってはやはりサルファード家の血は、痛い。


「思い残すことなど無いよ。こうした形になってからだが、己のしてきたことを見返すだけの時間は与えられ、罪深さを少なからず見直すことが出来た。裁きは妥当なものであったように思うし、その上でお前やミュラーの未来に懸念なくこの世を去れることは、私に見合わぬ幸福だ」


 自己分析で二週間ない余命だと言う中、落ち着いた顔を崩さぬ父の姿は、一般的な感性からすれば、狂ったか自棄になったかのどちらかだと感じてもおかしくない。そのどちらでもなく、自らの近き死をあるべきことだと受け入れた旨の発言を、チータは彼の真意として受け止める。


 己の正義に則るなら、いくらでも批難する言葉は思い浮かぶ。幾千の人間を不幸にしてきた人間が、そんな安らいだ死を迎えるのは理不尽な話ではないのか。今更父親面されてもこちらは迷惑なだけだ。悪人としての人生を受け入れてきたなら、最後まで悪人らしい態度を貫けばどうだ。死んだって惜しくない人間であり続けるぐらいの方が周りは一切迷惑しないはずだ。


 古くは師を奪われ、今は父が大罪人という十字架を背負わされたチータには、それだけのことを言ってもいい資格がある。これまでの日々、これからの未来を思えば、目の前の人物によって被る社会的な損失は、実家で養われていた数年を以ってしてもあがなえないものだ。


 それらの罵倒を、チータは口にすることが出来なかった。ほんの少し前までは、皮肉を重ねて父をあれだけなじっていたのに、血の繋がりを意識させる言葉を向けられただけで、それらの言葉が喉奥で詰まってしまうのだ。大人ぶって、感情を吐露すまいと努めたわけではない。


「――父さん」


 もう、言葉を交わす気にはなれなかった。これ以上多くの言葉を交わせば、己の中にある何かが曲がりそうな気がしてならなかった。最後、伝えたかった言葉だけを言いかけて、チータは席を立つ。


 これも言うまいとした言葉だったが、グレゴリーがチータから目を離さなかった。その眼差しに、息子との決別を惜しむような色が見えた気がして、一度封じた言葉をチータは掘り起こす。別に言うつもりはなかったけど、という態度を、ひとつの溜め息を挟むことで表してだ。


「僕はあなたが父であったことを、人生最大の不幸だと思っていました。ですが、この縁をいつかは糧に前向きに捉えられる自分であれるよう、努めていきたいと思っています」


 己が変われば、己を取り巻く世界も変わる。師に教えられた中でも、彼が最も信じる言葉だ。


「あなたのことは忘れません。いつまでも」


 関わりがあったことさえ、記憶から抹消してしまいたかった父。それを努めて記憶に刻み付けると意を決したチータは、既に変われたと言えるのかもしれない。チータ本人にすら無自覚なことであったが、己の変化を自覚できぬほど、その言葉は率直に胸の奥から溢れたものだった。


 頭を小さく下げて、面会室を退出するチータ。残されたグレゴリーは、弱い笑顔でチータを見送った顔から力を抜き、無表情のままにしてたたずんでいる。大罪人にして、血の繋がった息子に自らを決して忘れぬと言って貰えたことに対し、一人の男が感じた想いは計り知れぬもの。人が罪を真に悔いる時というのは、必ずきっかけが必要なのだ。罪深き半生を歩んできた貴族が、ようやく心通わせた会話を息子と為せた今、既に戻れぬ場所にいる。


 未来は己の手で変えていけるが、過去は決して塗り替えられない。それが独り落涙するグレゴリーと、今日を胸に明日へと歩いていく決意を胸にしたチータの差だ。











「――おかえり」


 城を出たチータを待っていたミュラーは、里帰りした弟にその言葉を手向ける。小さな声で、深い意味なくただいまの声を返すチータは、渦巻く感情を敢えて表には示さない。


「……お父様と久しぶりに会って、どうだった?」


 裁判直前、ミュラーと言い合いになったことを思い出す。救いようのない悪人を庇おうと弁護人の立場に立った姉を批難し、それに堂々と言い返してきた彼女に失望しかけたあの日のこと。だけど今なら、ほんの少しだけ彼女の気持ちがわかるような気がする。本当に、ほんの少しだけ。


「……上手く言い表せない」


 答えを言葉にするのは難しい。一日そこらで、あの父に対する想いを終着させることは不可能だろう。顔を合わせて抱いた何かがあるのは事実でも、それが何かを固めるのは容易なことではない。


「でも、僕があの人の息子であることは、やっぱり変えようのない事実なんだって思うよ」


 他人だったら、あんな悪人に何の感情も抱かない。そもそも顔を合わせようなんて考えてない。いくら経験と知識に貪欲な魔導士という人種に生きる身でも、チータもそんな趣味はない。


「……それはあなたにとって、やっぱり不運としか思えぬこと?」


 チータが父を忌み嫌っていたことは、ミュラーが一番よくわかっている。敢えての問いを聞き立てるミュラーに対し、チータは顔を上げて素直な気持ちを返すのみ。


「もう、そうは思わない。それじゃあ何も、変わっていけないから」


 弟は変わったのだと、実感するには充分な言葉だ。自らも敬愛していたティルマという師に育てられ、今はエレム王国で新たな仲間達と生きるチータが、かつての自分が知る弟とは随分と違うものになったと、ミュラーは再び強く感じ取る。


 自らの過去から目を背けた者の手に、未来を切り拓く力は宿らない。いつか預言者エルアーティが少年魔導士を批評した言葉だ。今のチータは、果たして彼女にまた同じことを言われるだろうか。


「……血の繋がりっていうのは、不思議なものだと思うよ」


「そうね。私も同じようなこと、最近考えるもの」


 帝都を歩く、サルファード家の若き二人。どちらも父が、人類に仇為し、多大なる犠牲者を生み出した大罪人であることはわかっている。それを肯定するつもりもなければ、庇って正当化させるつもりも一切ない。それだけ同情の余地なしとわかっているのに、切り離せない想いが確かにあったのだ。ここ何日も、父との面会に時間を割いていたミュラーは、チータ以上にそれを実感しているだろう。


 だからこそ、得られるものは確かにある。人の縁に、無意味なものなど決して無い。そこに意味を見出すかは、繋がる縁の両端にいる当人達次第なのだ。そして、その真理をやがて実感する日に一歩近付いただけでも、少なくともチータにとって今日は前進の日であったはず。千里の道も一歩から、答えを出せずにうろつくだけでも、足を動かさねば人は前に進んでいけない。


 今も昔もこれからも、チータ=マイン=サルファードの名は永遠に変わらない。それがチータに課せられた宿命そのものであり、それと向き合うか目を背けるかは、チータが決めることだ。それが彼の人生を大きく左右する岐路であることは、今のチータには想像及べぬこと。それが良き道か、悪しき未来へ繋がる道かを問えば、それこそ誰にも答えは導き出せないことだ。


 ただ一つ確かなのは、チータは足を踏み出した。血を憎み否定していた過去に終止符を打つべく、父と顔を合わせたことの意味の大きさは、計り知れぬものだと言えるだろう。


「……姉さんは、父さんの子で良かったと思っている?」


「……思ってるわ。色々あり過ぎたけど、あの人がいたから今の私があるのは、間違いない事実だから」


 何も考えず、自然に口からついて出た問いに対し、淀みなく答えたミュラー。今や世界にただ一人、父の血を分かつ姉の言葉は、チータの胸に深く刻み込まれる。彼女の言葉の意味する真を、チータが理解できるのはまだ先のことだろう。今はまだ、それでいいのだ。

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