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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第7章  勇士達への子守唄~ララバイ~
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第107話  ~休暇⑤ 一刻千金~



 海に隣するマールの郷。そのはずれには、海の神様を祭る祭壇があり、観光地としても有名だ。エレム王国にも大いなる恵みをもたらすエルピア海、そのそばで人々の安らぎの地として輝くこの郷は、海への感謝を偶像崇拝を以って捧げる風習がある。


 ゆえに凶星とは無縁と言われるこの地だが、そんな中でもちょっと鬼門なスポットが作られるのは、行楽地として流行った地の宿命なのだろうか。郷のはずれにある大きな南国植物の林は、自然を放置する形で人の手が届いていないのだが、真夜中になると生い茂る木々や植物、郷の光の届かぬ場所のせいで、真っ暗闇の林となる。


 別に怖い噂が何やらあるわけでもないのだが、暗くてじめじめした場所を歩くというのはそれだけで不安を駆り立てられるものだ。というわけで、行楽地として郷を訪れた人々の一部が、ちょっとした安全な肝試しを営む場所として愛されているのだ。実際に足を踏み入れてみると、木々のざわめきやぐにゃりと曲がった植物が生み出す光景のせいで、なかなか自然の演出が利いた場所だと誰もが証言するプレイスポットである。


 その林の入り口に立つ、一組の男女。夜風に冷える潮のそば、水着姿でたたずむ二人は、片やぽつりと溜め息をつく緊張感のなさ、片や生唾を飲み込んで闇の先を凝視している。


「ま、まったく、キャルったら……肝試しっていうから、どんな所かと思ったら、ねぇ?」


「ねぇ、って何だよ。何がねぇなんだよ」


「た、ただの林じゃん? 別にどうってことないじゃん?」


 強がりが透けて見えるので、ユースはすっかり無表情。元々アルミナが、幽霊やらお化けやらの類を嫌うのは知っているが、それ抜きにしても見え見えだ。


「はいはい、それじゃ行こうか。案外広いらしいし、早くしなきゃ帰りが遅くなるぞ」


「ちょちょちょ……っ、ま、待ちなさいよ! 一人で勝手に行くんじゃないわよ!」


 要するに、一人にしないでよ、と。行間を読むのがめんどくさい友人だ。











「おーい、チータ。準備は万端か?」


「ええ、いつでも」


 林の高くに潜む、3つの人影。真っ暗闇の中で、声を殺して密談するマグニスとチータは、今回の面白イベントに対し、特等席を座ることを選んだ。どちらもけっこういい性格をしているもので、些細な事で怯えること間違いなしのアルミナを、すぐそばで見てやろうという魂胆だ。ひどい話である。


 そのゲス様思想に乗っかる野次馬に、キャルの姿もあるというのが意外なところ。人が困ったり嫌がる顔を見ると、まるで自分のことのように感受する心優しい少女が、お化けの苦手な親友が困るであろう数分後を、待ち構えるようにここにいる。


「俺達は容赦なくアルミナをビビらせにいくが、いいのか?」


「……いいですよ。ちょっとぐらいお仕置きしてあげたいもん」


 アルミナをここへ送り出す刑を定めたのもキャルだ。実は結構、ここしばらくでアルミナに対しては鬱憤が溜まっていた。基本的にアルミナのことは大好きなキャルだし、何をされても何だかんだで許してしまうのだが、ほんの少し前、勝手に自分を題材にした小説を作られたことは、もうわざわざ責めはしないものの、今でもちょっと引っ掛かっていた。根に持つ、というほどでもないが。


 決め手はやはり、こんな水着を選ばれたことだったのだろう。アルミナはどう思っているのかは知らないが、キャルにとってはやっぱりこの水着、死ぬほど恥ずかしい。腰骨がすーすーする感覚は、直立するだけでむずむずするし、誰かの視線を感じると、その場に座り込んででも隠したくなる。今はパレオを巻いて隠してあるから普通にいられるが、これを取り払われたら恥ずかしくて太陽の下を普通に歩けない。布面積が僅か変わるだけで、年頃の少女にとっては一大事なのだ。


 ちょっとぐらい仕返ししてやっても、ばちは当たるまい。そうしてささやかな復讐劇の幕を落としたキャルのそば、便乗して意地悪心を全開にするマグニスとチータが、キャルの見えない角度で顔を合わせ、非常に小さく笑った。それはそれはもう、悪意に満ちた顔というやつである。











 林の中に、小さな魔物や毒虫が潜んでいる可能性は無いでもない中、丸腰水着姿で歩くというのは、ちょっとだけユースにとっても不安要素だ。そういう見込みが無いとされる場所ではあるし、それでも万一有事のことあるならば、マグニスやチータが動くという配慮も為されているのだが、それはユースには知らされていないこと。アルミナとは違う緊張感ではあるが、少々ユースも周囲に神経を使う緊張感を持っている。


 木々をかきわけて進むユースの手に握られているのは、拳ほどの大きさを持つ大粒の蛍懐石だ。何もせずとも淡い光を放つ不思議な物体だが、魔力を注いでやれば、放置するよりやや強い光を放ってくれる特性を持つのである。アルミナは戦闘時において魔力を扱うこともないため、魔力の扱いにおいては先んじているユースが、その役を買う形になっている。アルミナもユースが自分の位置を見失ったりしないよう、自分用の蛍懐石をぎゅっと握っているが、これはお守りぐらいの意味だ。


 ユースの握る、魔力を受け取った蛍懐石は、一粒にして数歩先を照らすぐらいの光を放ってくれる。蛍懐石が光を放つのは物理的な力ではなく、蛍懐石そのものが放つ魔力の為せる業。魔法学において、魔力というのは霊魂にはたらきかけて精神を具現化したものとして定義されるため、だとすれば蛍懐石が魔力を放つということは、蛍懐石そのものに精神や霊魂があることの証明でもあるのではないか、という通説もある。


 ユースの"光を放つためのもの"でない魔力を受け取り、それに呼応してさらなる光を放つ蛍懐石の特性は、蛍懐石そのものが、光を放ちたいという精神を持ち、受け取った魔力でその精神をさらに強く顕現する、という現象に思えてくる。人の目から見れば実に神秘的である蛍懐石の特質は、ユースも扱いながら、興味深い想いを抱かずにいられない。こんな不思議がまだまだそばにたくさんあるのだから、その謎を解き明かしたく学者を志す人々が多くこの世にいることも、なんだかわかる気がする。


 そんなことを想い巡らせながら歩くユースは、その時点で随分心にゆとりがあると言えよう。今の状況にそんなことを考える余裕もない子が、たどたどしい足取りでユースの後ろを必死でついていく。


「ね、ねえ、あれ何……? さっきから動いてるんだけど……」


「木が風で揺れてるだけだろ」


「じゃ、じゃああれは……? 人の形……」


「葉っぱが組み合わさってそんな感じに見えるだけだって」


 怖いなら周りを見渡さず、ユースの背中だけ見て歩けばいいだろうに、なんでもない周囲の光景にいちいちびくつきながら歩くアルミナ。めんどくさいなぁと感じるのがユースの本音ではあったのだが、振り返れば心底不安げな彼女の顔がそこにあるので、そうした本音を言うのも憚られてしまう。


 それが余計にめんどくさい。


「ほら、さっさと行こう。早くここを抜けられれば、それですぐ終わるだからさ」


「う、うん……」


 手を差し出すユースの手を強く握り、ユースが怯えきった彼女をエスコートする形だ。なんとも微笑ましくて、もう一歩発展すれば野次馬には面白い光景なのだが、現時点では両者の間にそうした感情が一切ないので、これまたなんとも。少なくともアルミナは、そんなこと意識する余裕がない。




「よしいくぞ、チータ。俺の後に続けよ」


「了解」


 大変面白い状況になってきたので、まさしくここがタイミング。樹上の悪人二人が、小声で交わす作戦会議は、下の二人に届くことなく悪意の交換として為されるのだ。




 暗い林の中を歩いていた二人の足が、ぴたりと止まる。厳密にはアルミナががっちりとそこに足を止め、前に進もうとしたユースを引き止めたのだ。いきなりの力に引っ張られたユースが、後ろに体勢を崩しそうになったぐらいである。


「ちょ、ちょっと……何あれ、何あれ……」


 震えた声と手でアルミナが指差す先には、林の中に漂う火の玉のような何か。意志なき様を表すように空中にふよふよと浮かぶ明かりは、向こうに明かりを持つ人間がいることを予感させるものではない。人魂に見えるのもわからなくはないのだが。


「……マグニスさんのイタズラだろ。あの人、火の魔法は得意だからな……」


 そりゃあ冷静なユースの目線から見れば一発で看破できることだ。お化け嫌いのアルミナの肝試し、この好機に悪意の塊たるあの人が、手も出さずにほったらかすはずがない。




「ほら行け、チータ。ここだぞ」


「ええ。開門――」




 ユースがそれぐらい見破ってくることぐらい織り込み済み。火の玉で動揺したアルミナが、それがマグニスの仕業だと気付いてほっとするまでの間が狙い目だ。チータが小声で為した詠唱が、アルミナの首筋の後ろに、極小かつ目立たない空間の亀裂を開く。


「はひゃあっ!?!?」


 その亀裂から冷えた水をちょろっと噴き出させた瞬間、アルミナが悲鳴を上げて飛び跳ねる。うなじに冷たい不意打ちを受けたアルミナの声は、突然の大声にユースまでびっくりする。


 入り江全体に響き渡るような悲鳴をあげ、アルミナがユースにしがみついた。何が起こったのかは知らないが、ユースもアルミナに驚いた。


「な、何だよ……! びっくりするだろ……!」


「だ、だって……なんか、急に……」


 軽くパニックを起こして、今何が起こったのかをユースにも伝えることが出来ないアルミナ。冷静な判断力を失っていることを確認すると、マグニスから次の追撃がすかさず入る。


 あわあわしながらユースの方を向いていたアルミナの視界、それは起こる。向き合ったユースの背中から、蒼い人影のような何かがにゅっと出てきた光景は、心臓が麻痺するんじゃないかと思えるぐらい、アルミナの胸をどくんと強く打つ。ユースにだけは見えない角度で起こったことだが、これも勿論マグニスの火術の一発芸。


 声にならない悲鳴をあげてユースの手を振り払うと、勢い良く後方に下がるアルミナ。その拍子に土から飛び出した木の根にかかとをつまづかせ、尻餅ついてその場に崩れてしまう。その際片手に握っていた蛍懐石を落としてしまったことにも気付かず、お尻の痛みも恐怖のあまりに吹っ飛んだ。


 痛く手を払われたユースでさえ、ただごとじゃないアルミナの反応には心配する想いが先立つ。落ち着けと手を伸ばして近付くユースだが、ユースの後方にはまるでお化けのような蒼い炎がゆらりと浮かんでいる。かすれた声で来ないでと言うと、アルミナは近付こうとするユースから、地を這ってでも後ずさる。




「よし、とどめだチータ」


「はいはい。開門――」




 チータが放った岩石弾丸(ストーンバレット)の魔法が、矢のようにユースの手元目がけて飛ぶ。石の弾丸は的確にユースの手に握られた蛍懐石をはじき飛ばし、林の闇の中へそれを勢いよく転がした。同時に光源を失ったユース達の周囲が、一気に何も見えない真っ暗闇となる。


「わ、ちょっと……! おい、こら……!」


 なんとなく今のも、悪意ある誰かさんの仕業だとわかったユースは、見えぬ相手にちょっと乱暴な言葉を投げつけた。仮に相手が先輩のマグニスさんであっても、これぐらい言って構うまい。どうせこんなことを器用にやるのは、チータあたりだと概ね読んでいたのだが。


 同時にユースの背中の後ろに漂わせていた蒼い炎もぱっと消したマグニスにより、明かりを失ったユースはアルミナを探すことも出来なくなる。正面近くで地面に腰を抜かしているアルミナがいるであろうことはわかっているのだが、視界がゼロだと一歩踏み出すのも少し怖くなる。


「アルミナいるだろ、返事しろ……すぐそっちに行くから……」


 返事なし。あまりの状況に、自分の声も届いていないのだろうかと、ユースが心配になった矢先、代わりにすすり泣くような声が聞こえてきた。かえって一瞬ぞっとする。


 まあ、それがアルミナの声であると改めてわかるのに、数秒かからない。その声のする方へ歩み寄るユースが腰を降ろし、手探りでアルミナを探す。何も見えない状況が災いし、恐らく太ももか何かかと思える柔らかい何かに触れ、ユースは慌てて手を引っ込めた。そこにアルミナがいるのはわかったが。


 それに何のリアクションも示さず、目の前で嗚咽に近い声を漏らし続けるアルミナ。手探りを再開し、アルミナの頭の上に手を置くことに成功したユースは、腰を抜かしたまま泣きじゃくるアルミナの姿勢を正しく認識する。


「ちょっとー! マグニスさんか誰か知らないけど、これマジで中止! アルミナ本気で泣いてる!」


 流石にこれは駄目だ。これまで渋々付き合ってきたユースも、正しく空気を読み取った。




「あちゃあ、やり過ぎたか」


「ここまで苦手とは……まずかったですね、流石に」


 樹上から飛び降りようとするマグニスとチータ。だが、それよりも先に樹から飛び降りた影がある。この場にいたのは、いたずらの主犯二人だけではなかった。




「ほら、アルミナ落ち着いて。もう終わりだから、な?」


「ひぐっ……えぐっ……うえぇ……」


 二十歳も前だというのに本気泣きしているアルミナに、あやすように語りかけるユース。手を握ってやっても、握り返してこないぐらい、心が折れている。


「アルミナ……!」


 戸惑うユースに、後ろから蛍懐石を握った少女が駆け寄る。大粒の蛍懐石にありったけの魔力を注いでいるらしく、闇に包まれた林の一角が、ぽっかりと明るい光に包まれる。


「ごめん、アルミナ……ごめんなさい……! こんなに怖がるなんて、私……」


「ひうっ……ひぐっ……キャルぅ……」


 駆け寄るや否やアルミナに抱きついて、彼女の中では最大限の声を発して謝るキャル。諸々あって、アルミナの苦手を押し付けてお仕置きしてやるつもりが、明らかに彼女の精神の限界を超えていた。お化けが苦手なのはともかくとしても、頼れる姉に近く強い彼女が、ここまで折れてしまうとは流石に予想していなかったのだ。


「ごめ……ごめん、キャル……私、ふざけ過ぎて……」


「もういいの……! 私がやり過ぎたの……ごめんなさい……」


 アルミナはアルミナで、相当に懲りた想いだった。自分がお化け嫌いだと知っていてなお、こうした罰ゲームを持ってきたキャルが、ここ最近の自分に対して腹を据えかねているとしか思えなかったのだ。だから苦手な肝試しだとわかっていても、戒めだと思って踏み込んだし、それでキャルの気が晴れるならそれでいいと考えた部分もあった。


 でも、やっぱり怖いものは怖い。心が折れたら、気に病んでいたことも全部溢れてくる。なんとか勇気を振り絞って林を抜けた後、キャルにここ数日のことを謝れば許して貰えるだろうかと思っていたアルミナの思惑。怖がりつつも林を抜けたアルミナに、ちょっとは懲りたかとお小言を用意していたキャルの思惑。どちらもが一気に破綻した形だ。


 蛍懐石を握ったマグニスとチータが歩いてくる姿を見て、ユースは自分の方からつかつか歩いていく。向こうさん二名、ちょっと気まずそうな顔をされているようだが、近付いた瞬間にはユースも思わず手が出る一歩手前だった。なんとか暴力に表すのはぎりぎり堪えたが、目を見ただけでわかるその剣幕には、チータもマグニスも少し目を伏せた。


「やり過ぎ。マジでいい加減にしろ」


「あ、うん……これは反省するよ」


「……後でアルミナには謝っとくわ。マジで」


 悪乗り本来おおいに結構だが、結果こうなれば流石に後味悪し。大概のいさかいは身内同士だし容認するスタンスを全員が持っているが、一線越えればお叱りあって当然だ。こんなこともある。


 結局そのまま林から、泣きじゃくるアルミナを引き連れて4人が宿に返っていく。アルミナの腕にしがみついてずっと謝り続けるキャルを、表立って誰かが責めることはしなかったが、まあ本人も強く反省しているようだし、ここに関してはアルミナとキャル二人に解決させればいい問題だろう。


 その晩、女部屋でひとつの布団に、二人の少女が一緒に寝る光景が見られた。キャルがどうしてもアルミナのそばを離れなかったからであり、同室したシリカも流石にこの光景には苦笑いである。











「もー、キャル! あれはホントにないって! 死ぬほど怖かったんだから!」


「うぅ……ごめんなさい……」


 まあ、一夜明ければこんなもの。ちょっとここ最近、キャルに恨まれても仕方がなかったかなと思う部分はあったにせよ、お化け嫌いと公言済みの人に、あれはちょっと。


「そういう水着押し付けたのは謝るよ。でも、だからってあれはひどいってば」


「反省します……本当に、ごめんなさい……」


 しょんぼりして小さくなるキャルの姿は、充分に昨日の自分の判断を悔いているとよく伝わるものだ。アルミナもある程度、前後含めれば自分にも難点あった自覚はあるため、そこまで深く責める想いはなかったのだが、こういう時は両成敗気味に自分も腹を吐いた方が、後々双方後腐れないことは知っている。だから、言えるうちに想いの丈はぶつけておくのだ。


「だいたいアレ、罰"ゲーム"でもなんでもないし。単なる"罰"だし」


「まあ、全然"ゲーム"じゃねえよな。それは俺も引っ掛かってた」


 本題はずれて話題を逸らした時点で、アルミナももういいと思っている証拠だ。察したクロムも相槌を打って、この空気を流しにかかる。元より小隊いち接点の深い二人なのだから、こんな一件で仲がどうにかなるとも思っていないし、空気が柔らかくなりそうならほぐしておけばいい。


「さあ、もういいだろう。あと半日、時間は残ってるぞ」


 シリカが手を叩き、浜へと小隊を引率する。休暇最終日、昼頃に郷を立ち、夕頃にでも王都に帰ってゆっくり休む手筈なのだ。休暇最終日、時間の許す限り海に触れて帰らねば勿体ない。


「ノリノリだな、シリカ。休暇がようやく板についてきたぞ」


「なんだそれは。どういう意味なんだ」


「休暇だからって羽を伸ばすシリカさんも珍しく見えますしね」


 ユースのすかさず割り込んだ突っ込みに、シリカは軽くぺちんとユースの額を叩いて応戦。痛くもないお叱りに、ユースも額をおさえて小さく笑う。


「ほら、行こうぜー! まだまだやり残したこといっぱいあるんだ!」


 まだ人を投げ足りないガンマが、はしゃいで海へと駆けていく。やれやれとその後を追うシリカとクロムに次いで、ユースがそれに続く。敢えて一番最後にそれを追おうとしたアルミナの意図は、しょんぼりしたままで足取りの重いキャルを視野に入れてのことだ。


 ふぅと息をついてキャルに近付くと、彼女の腰に巻かれたパレオをばさっとはね上げるアルミナ。いたずら小僧のスカートめくりによく似た行動に、隠したい腰周りを一瞬丸出しにされたキャルが、驚いて一歩後ずさる。


「――ごめんね。私本当に、反省するから」


 キャルの苦手とする水着を押し付けたことに関しては、アルミナもやはり気にしている。その本気を照れ隠しするように、気まずそうに笑った表情が、二人の間柄においてはちょうどいい。双方の非を認め合い、謝る時間もひと区切りに、二人で仲良く遊べる時間をアルミナは何より望んでいる。


 何も言わずに、何も言えずにうつむくキャルの行動からは、その胸の内が読みづらい。そうした彼女にどう接するのが一番いいかを、最短で導き出せるのもアルミナだけだ。キャルの手を握り、顔を上げた彼女ににっこり微笑むと、その手を優しく引いて海へと歩いていく。


 気付けばアルミナの足取りよりも早くキャルが、いつの間にか横並びに。さりげなく手を離そうとしたアルミナの手を、すがる妹のように離さないキャルは、肌が触れ合うんじゃないかという距離までアルミナに近付く。後ろから見れば、誰もが甘えんぼうの妹が姉に寄り添う姿にしか見えないだろう。


 いつものとおりだ。たった一日噛み合わなかった程度で、最愛の親友同士の関係は崩れない。











「おーらっ、行くぞ!」


 昨日アルミナをいじめた奴らへの制裁だとばかりに、ガンマがマグニスを海にぶん投げる。浅瀬から海へと巴投げで放り投げた彼の怪力に、青年マグニスの体が浮いて飛んでいく光景は、なかなか見応えがある。


「――ぶへっ! 後頭部から落ちるって新鮮だわ!」


「次はチータの番だぞー! 逃げるなよっ!」


 ばしゃばしゃ浅瀬を駆けてチータに組み付いたガンマが、チータに正面から抱きついて思いっきり体を後方に逸らす。同時にその手のクラッチを離せば、豪快なフロントスープレックスの完成だ。マグニスよりも軽いチータの体が、面白いぐらい綺麗に飛んでいく。


「――ぷはっ。背中から落ちさえしなければ、案外痛くないんだな」


「ほら、キャルも来いよー! 投げさせろー!」


 浜に辿り着いたキャルは、おずおずするが、ぽんと背中を叩くアルミナの方を振り向くと、いつもと変わらない優しい姉のような笑顔がある。


「行っておいでよ。案外楽しいからさ」


「……ん」


 他の誰に言われるよりも信頼できる相手、言葉。ガンマに駆け寄ったキャルを、元気いっぱいの怪力少年は、後ろから組み付いて膝裏に手を添える。腰を抱える腕と合わせて力を込めれば、背中を下にしてキャルの体が高く持ち上げられる。


 思わずキャルが下半身に手をやって隠した直後、後ろに倒れながらキャルを押し出すガンマの動きで、投げっぱなしバックドロップの出来上がりだ。さりげなくひねりを入れたガンマの配慮が、キャルを海に半身で落としていく。


「――んはっ」


 海から顔を出したキャルは、ちょっと恥ずかしかった空中姿勢を思い出してはにかむも、まんざら嫌な顔を見せた面持ちではない。確かにアルミナの言うとおり、安全な限りこれは意外と楽しい。


「まだまだいくぞー! アルミナの仇討ちだっ!」


「おいおい、お手柔らかに……だわあっ!?」


 話も聞かずにマグニスに組み付いて、払い腰で海に沈めるガンマ。次は自分の番かな、と思わず身構えるチータだが、アトラクションじみたガンマの投げ芸には、二日前とは違って随分と楽しめる心持ちになってきたようだ。無表情相変わらずの顔も、どこか柔らかい。


 これこそ正しく、制裁の罰"ゲーム"。砂浜で見守るシリカとクロムの目に映る、可愛い家族達の戯れ合う姿は、休暇最後の時間を締め括るにこれ以上ない光景だ。


「クソガキめ……調子に乗るなよ?」


「うん、そろそろガンマも投げられておく頃合いだよな」


 悪い笑いを浮かべてガンマに駆け寄るマグニスと、それに続くユース。キャルを投げて息をついていたガンマを、二人がかりで持ち上げ、海上で掲げる二人。


「えっ、あ、こら……!」


「いっけー! ユース、マグニスさん!」


 元気良く号令を唱えたアルミナの声の次、息を合わせてガンマを沖に向けてぶん投げるユースとマグニス。小さなガンマの体が太陽に照らされながら宙を舞い、頭から海に吸い込まれて水しぶきを高くあげた。海での遊びが佳境を迎えた狼煙にみんなが笑い、海面から顔を出したガンマも快活な笑顔を返すばかりだ。


 楽しい時間ほど、どんなに密度濃く過ごしても早く過ぎ去るものだ。休暇最終日を迎えるにあたり、目の前の光景が何にも勝る最高の幸せの象徴であるだけに、こんな日々がずっと続けばいいのにと心から思うシリカは、優しい笑顔の奥に一抹の寂しさを覚えたりもする。


「また、来ような」


 クロムがそう口にしたのは、きっとわざわざ想いを汲み取ってのことではない。彼もまた、思うところはシリカのそれと近いところだったのだろう。それだけ目の前の光景は、この小隊に愛着があればあるだけ、尊く感じるに値するものだったからだ。


「――そうだな。必ずみんなで、また来よう」


 難しい時代に難しい立場。完全なる安寧遠き中、戦人が再びこんな日を迎えられるかどうかなんてわからない。武器よさらばを現実とし、こうした日々を毎日過ごせる日は、今では手の届くとは思えぬ遠い場所にある。


 だから、それを目指すために戦うのだ。誰もがこうした幸せの日々を、懸念なく送れる未来のため。騎士団とは、そうした志のもと集まった者達の結晶だ。


 騎士としての想いを胸に刻み直すシリカの背中を、クロムがぽんと軽く叩く。彼の目くばせする先には、シリカの愛してやまない家族達の幸せな姿がある。あれを目の前にして、使命に縛られて今を見落とす愚は、あまりにも勿体のない話だ。


 今はただ、この時を。戦を離れた二人の騎士は、険のある日々とは程遠い安らぎを胸に抱くのだった。

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