第10話 ~魔法学入門~
「命の三大要素、『肉体』と『精神』、それを繋ぐ『霊魂』。その霊魂にはたらきかけて精神力を具現化したのが『魔力』。魔力を元素と絡めて発現させたものが『魔法』です」
エクネイスの宿に泊まった朝早く。宿の一室で椅子に腰かけた法騎士が、目の前の少騎士に『魔法の定義』を問うて帰ってきた答えがこれだ。模範回答を聞いて、師は満足そうにうなずいた。
「霊魂にはたらきかけ、魔力を生み出すという過程については未だ抽象的な部分が多い。解析の完遂されていないその部分を定義とするのは、いささか尚早ではないかという意見は未だ根強いが、魔法を使える者の殆どがこの定義を肯定する事実から、現在ではこの定義が最も有力とされているな」
シリカがユースとアルミナに語っているのは、魔法学の基礎知識。騎士であり魔導士でないシリカとて、その学問で得た知識は戦闘においておおいに役立てているのだ。
霊魂にはたらきかけて魔力を具現化する。これが魔法を使いたい者にとって最初の壁と言える。自身の中にある、霊魂という見えない存在を認識し、イメージを持つということは、魔法を使った経験のない者にとって簡単なこととは言えないだろう。
エレム王国の北方に位置する、魔法学に極めて長けた2つの街の優秀な学者達によって、『霊魂にはたらきかけて魔力を具現化する』ことを、少しでもイメージしやすくなる方法はいくつも考案されている。煙草を肉体と精神、蝋燭の火を霊魂と見立て、その間に漂う煙を魔力と見てイメージを作る"煙羅法"などが代表的なものだ。瓶を肉体、その中に入れた水を精神と見立て、その瓶を下から炎で加熱し、その炎を霊魂と見立てる"蒸発法"という手法もある。この手法では、沸騰することによって生じる気泡を魔力と見立てるのだ。
様々な手法を試していると、やがて自身の中にある霊魂の存在をおぼろげながら実感でき、それを精神と関わらせる手段に辿り着く、と言われている。この段階までにかかる時間は本当に人それぞれで、1日で出来る者もいれば、数ヶ月を要する者もいるそうだ。コツとしては、『自分にも絶対に魔法が使えるはずだ』と強く信じることだという説もある。そうした想いが精神が魔力を生み出す大きな支えとなり、魔法の発現に繋がりやすいということらしい。
「私が先日戦ったサイクロプスは、その単眼から魔力の凝縮体である光弾を放っていた。着弾した瞬間に炸裂するというはたらきを担って放たれた弾丸は、普通の剣で切ろうとしても、剣に触れた瞬間に炸裂してしまう。つまり本来、剣で切断など出来ないものであるはずだな?」
ユースもアルミナも次の言葉を楽しみにしながら、短くはいと答える。
「私の騎士剣がミスリル製であることはお前達も知っていることだな。このミスリルにはそもそも、霊魂にはたらきかけ、精神から魔力の発現を促す性質がある。これを何というか、アルミナはもう知っているかな?」
「"親和性"ですよね?」
「そう。ミスリル鉱やオリハルコン、動物の角や植物などにもよく見られる性質だ」
強力な魔法を使おうとしたり、長い時間魔法を使い続けようとすれば、多くの魔力が必要となってくる。火を油でより大きくしようとすれば、より多くの油が必要なのと同じことだ。しかし、形を持たない魔力とて物理的な資源と同じく、その絶対量には限度がある。何せ、己の精神から絞り出す形で魔力を抽出するのだから、人が無限に汗をかけないのと同じでどこかに限界がある。
魔力を大量に発現させるということは、それだけ霊魂に仕事をさせるということで、負荷は当然霊魂にかかる。そして霊魂は、肉体や精神の原動力のようなものであり、過度の負担を霊魂にかけると身体に異常をきたしたり、精神に著しい悪影響を及ぼすことになる。多くの魔力を扱える高位の魔導士という存在は、経験や、精神のたたずまい方などの学習により、霊魂に負担をあまりかけない形で魔力を抽出することに長けている。だから優秀な魔導士というものは、多くの魔力を生み出しても霊魂が疲弊しにくく、したがって身体や精神に損傷を及ぼすに至りにくいというのが通説だ。
あるいは肉体を強く鍛え上げ、霊魂の疲弊によって影響が出る部分を肉体のみに逃がし、耐えられなくなるまでの時間を稼ぐという、なかなかアグレッシブな魔法使いもいる。魔法と剣術を両方扱う魔法剣士や、魔闘士などがよく取る手法がこれだ。そうでない魔導士の多くは、精神を強く保つ自己管理能力に富み、霊魂から及ぶ影響を精神の方に逃がすという手法を取る。肉体派の魔法使いと、精神派の魔法使いがいるということだ。
しかしいずれにせよ、しばらくの修練が必要なのは事実である。霊魂に負荷をかけ、やがて慣れれば魔法を扱いやすくはなるのだが、慣れぬうちはなかなか大変なものだ。初めて自身の霊魂が疲弊した時には、その時感じる違和感たるや相当なものである。何せ肉体と精神の両方に負担が形となって現れるのだから、この強烈な違和感や恐怖と付き合っていくことに前向きになれず、魔法を扱うことを諦める者も数多い。これが魔法を使うための2枚目の大きな壁だ。
そこで人間達にとっておおいに助力となるのが、親和性を持つと言われる物質の数々である。親和性を持つ物質は、近しい霊魂にはたらきかけ、魔力の抽出を手助けしてくれる物質なのだ。魔導士の多くは、親和性を持つ物質で作られた杖を持っている。それは、その親和性を持つ物質を手に持つ限り、それが自身の霊魂にはたらきかけて魔力の抽出を助けてくれる故なのだ。そのおかげで、霊魂に与える負荷を抑えた上で、大きな魔力を生み出せるという仕組みなのである。
親和性が高いとされる物質は、より強い力で魔力の抽出を助けてくれる。たとえば現在すでに発見されている鉱物の中で、最も親和性が高いとされているマズカレイドという鉱石がある。群を抜いて高いその親和性は、ほとんど霊魂に負荷をかけることなく魔力の抽出を容易とさせ、未熟な魔導士でもこれを手にすれば、簡単に大きな魔法が使えるだろう。それだけに非常に貴重な鉱石であり、これを手にできる魔導士など世界で指折れる数ぐらいしかいないというものだ。だから一般の魔導士は、そこまで高い親和性は持たないものの、入手しやすい物質で杖を作る。
「ミスリル鉱で練成された私の剣も、親和性を持つ道具だ。私もさほど魔法の扱いには長けていないだけに、これにはかなり助けられている」
ミスリル鉱もまた、親和性を持つ物質である。ミスリルそのものの金属としての強さや軽さも優秀であり、親和性を持つことから、ミスリル製の武器は非常に価値が高い。反して鉄や銅など無機物と断定できる物質の多くは、親和性がほとんどゼロに等しい。魔法を使う戦士にとっては、ミスリル製の武器というのは一度は手にしてみたいものである。
ただ、やはりその利便性からもわかるとおり、ミスリル製の製品は高価だ。一度手にすれば一生使い得るだけに大枚を払う価値はあるが、そもそも先立つものがなければ手も出せない。だから一般の魔導士達は、もっと安値で手に入れられる素材で杖を作る。それは木であったり、動物の角であったり。あるいはそうした杖の先に、ほんの少しミスリルの宝玉を埋めたり。
過去に魔法学者達が取ったデータによると、もともと命があったものは、親和性が高いという傾向が掴めているそうだ。高価なミスリル鉱よりも、安値で仕入れられる樫の木の杖の方が、実の所親和性が高い道具であったりするし、動物の角や牙などで杖を作っても高い親和性を確保できる。ミスリル鉱を親和性の持つ物質としては挙げたが、魔法のみで戦うことを本職とする魔導士にはこういった物質の方が愛される。完全にミスリル製の杖を扱う魔導士がいれば、それはほぼ酔狂だ。
「私の精神から抽出された魔力を、親和性を持つこのミスリルの剣に纏わせることはさほど難しいことじゃない。そして魔力を纏った物質は、魔力そのものに介することが出来る」
親和性をほぼ持たない鋼の剣に、霊魂と精神から抽出した魔力を纏わせるのは、不可能ではないが少々骨の折れる作業である。剣の形に、自分で魔力の形を作って固定しなくてはいけないからだ。一方親和性を持つミスリル製の剣なら、魔力を纏わせることが比較的やりやすい。まるで磁石が砂鉄を引き寄せるかのように、魔力を引きつけ剣が支えて固定してくれるからだ。親和性を持つ物質には、こういった特性もある。
「サイクロプスの放つ魔力の凝縮体に込められた、『着弾した瞬間炸裂する』というルールを別の形で破りたい――たとえば切断したり反射しようとするならば、物理的な力ではなく魔力を以って、向こうの魔力を相殺しなくてはならない。私はあの時、ミスリルの剣に自らの魔力を纏わせ、光弾が持つ『着弾した瞬間炸裂する』というルールを魔力で破り、切断していた」
シリカは、例えば唱えることで炎や水を放つような、派手な魔法を扱うわけではない。こうして魔力を纏わせた武器を以って、敵の魔力を持った攻撃を打ち破る魔力の使い方を学んでいる。これによって、物理的な概念を超えて魔法で攻撃してくる相手にも対抗できるというわけだ。魔法を夢見る者達にとってイメージされるような"魔法"とは少し遠く感じられるものだが、定義に基づけばこれもまた立派な魔法であるといえよう。
「ねえシリカさん。魔法って、私にも使えるようになるのかな」
サイクロプスの光弾を切断したロジックをシリカが語り終えた時、アルミナがそう尋ねた。これに対する答えは決まっていて、シリカはうむと頷く。理論的に、魔法は誰にでも使えるからだ。
「俺も魔法を使えるようになれば、もっとシリカさんの力になれると思うんだけどな……どうして今まで、こういう話を教えてくれなかったんですか?」
ユースとアルミナがシリカに魔法学の話を聞くのは、これが初めてなのだ。実は今までにも何度かシリカに魔法について教えて欲しいと請うたことはあったのだが、その都度シリカはきっぱりと、まだ早いと言って断ってきたのだ。だから、今回のことは凄く嬉しいことではあるのだが。
「やはり魔法を扱うようになるには、多少は専門的に勉強する必要がある。私がやっていることはさほど難しいことではないのだが、それでもしばらくは練習したからな。そうした練習をするより、もっとすべきことがあるというのは何度も話してきただろう?」
ユースは騎士、アルミナは銃を扱う傭兵だ。まずは武器の扱い方や身の守り方を覚えることが先決だという話は何度か聞かされている。それ自体には納得していた。
「でも、教えてくれたってよかったとも思うんですよ。別に訓練をサボってまで私達、魔法の練習に没頭したりなんかしないですよ?」
実際にどうなるかはさておき、アルミナとしてはこう言いたい部分があった。それを聞くとシリカはちょっと苦笑し、
「いや、気持ちはわからなくはないよ。私だって、お祖父様に魔法を教えて貰いたくて何度もお願いしたことはあったんだ。実際、教えて貰って魔法を扱えるようにはなったんだが……」
シリカは二人から目を逸らして、ちょっと気まずそうな目つきになる。
「魔法……って、やっぱり憧れるものじゃないか。使い方を知ったら私も、昔けっこう練習に身が入ってしまってな。稽古は欠かさなかったが、夜更かしが増えたりしたんだよ。そうなれば、他のことに身が入りきらなくなってしまってな。肉体や精神に影響もあるし……」
経験則を語るシリカは、過去の未熟な自分を語ることに気恥ずかしい面持ちを浮かべる。彼女の言うことを非常に端的に言い換えるならば、魔法ってなんだかカッコイイから、使えるようになるとついつい練習したくなっちゃう部分があるよ、ということだ。
「アルミナが言う、魔法の使い方を知っても、訓練や任務などすべきことはちゃんとやるという心意気そのものは、嘘ではないと思う。だけど実際使い方を学んで知ってしまったら、ついそれに身が入り過ぎてしまい得るんだ。私の経験上な」
二人はなんだか納得してしまった。魔法を使えるようになればいいな、と思っていた時期が長かっただけに、使えるようになれば練習してしまいかねない気はしたからだ。
「とはいえ、二人ともワータイガーを相手にあれだけ戦えるようになるまでは成長しているのも見受けられたしな。触りぐらいは教えてもいいと判断したよ。……まあ、昨日の鍛練でも言ったとおり、まだまだ精進していかねばならないのは事実だがな」
二人の力量を見た上でシリカは釘を刺す。教えた以上、二人も魔法の練習をしたがるだろうし、ここの注意はしっかりしておかねばならない。多感な二人に、どこまで効いたかは怪しくもあるが。
実際、シリカから見て二人ともちょっとそわそわして見えたりもする。それもまあ当然だ。一度は憧れた大いなる力を、自分も得られるかもしれないという希望には、じっとしていられないものである。
そうした反応を見ると、まだまだ魔法なんかに浮気せずに地力を磨いて欲しいと思っているシリカも、話してよかったものだろうかと少し不安になったりもするのだが、二人の隠しきれない高揚感を目にして、過ぎたことは仕方ないと気持ちを切り替える。
「魔法の練習をするな、とは言わない。だが、独学だけはしないように。誰かに教えて貰った方が、確実に上達の早い分野なんだ。無理に独学でやろうとすると、浪費する時間が大き過ぎる」
ここはシリカも強く念を押した。さすがにユースもアルミナも、これには従うべきだと悟って、心持ち背筋を伸ばして言葉を受け止めた。
シリカはふうと息をつき、目を少し穏やかにして次の言葉に繋ぐ。
「私がお祖父様に教わった、霊魂と精神のつながりをイメージする手段は煙羅法だ。二人には今からそれを教えるから、一人で練習したいという時には、この手法でやるといい」
シリカは腰元の袋から蝋燭を取り出し、火をつける。そして煙草に火をつけて、二人にこれから教える手法の準備を整える。明らかに煙草の扱いに慣れていなくて、見るからに手付きがぎこちない。
「……びっくりするぐらい煙草似合いませんね」
「やめろ。好きで吸ってるわけじゃないんだぞ」
非喫煙家のシリカが煙草をくわえて火をつけたことがあまりにも新鮮で、ユースはちょっと吹き出してしまった。シリカがむっとしてそちらも睨みつけて、ユースもいけないいけないと表情を戻すが、気持ちがわかるだけにアルミナもちょっと笑ってしまう。
「それじゃあよく聞くんだぞ。煙草を肉体と精神、蝋燭の火を霊魂と見立てて――」
あれだけしばらく教えることを拒んできた割には、詳しく話を始めるとなるとシリカの方もなんだか乗り気に見えてくる。教えて欲しいと言ってくる相手に、自分が今まで学んできた知識を以って教えられる機会というのは、やはり熱も入るし楽しみだってあるだろう。ましてその相手がユースやアルミナとなれば、シリカにとっては尚更のことだと言える。
ユースは真剣にシリカの教えに耳を傾ける。煙草と蝋燭を交互に見ながらわくわくした目を隠せないアルミナは、シリカが何か言うたび、続く言葉をすぐに待つ。
未熟な二人のそれぞれの目の色を見て、いつも鋭い目つきと厳しい声で武術の心構えを説く上官の目が、ほんの一瞬、家族を見守る母親のような優しい目になった気がした。それに気付きかけたユースが、目線を蝋燭と煙草から逸らし、シリカの目を見ようとすると。
そこには、いつもと変わらない上官の真剣な眼差し。今、一瞬見えたように感じたあの目は気のせいだったのだろうか、と一瞬ユースは考える。
いや、気のせいなんかじゃない。日々見続けてきたシリカを思い返して、ユースはすぐに正しい答えを頭の中に思い描くことができた。
「ユース、聞いているか? 言っておくが、何度も説明はしないぞ」
その一言ではっと我に返り、ユースは慌てて目線を煙草と蝋燭に目を戻す。せっかく導いた正しい答えは、霊魂や精神に刻みこまれることもなく忘れ去られていった。
 




