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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第6章  過去より巣立つ序曲~オーバーチュア~
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第99話  ~血の裁判~



「……私が小さかった頃、カルルクスの里を訪れた緑の教団の人達は、精霊の信仰をアマゾネス族に強要しようとしていました。あれは、布教活動と言うにはあまりにも乱暴だったと、私は思います」


「具体的には?」


 証言台に立つキャルに対し、問いかける形で次の言葉を引き出すエルアーティ。年端もいかない少女に一人ですべてを語れというのは、あまりにも難しい注文だ。


「精霊様を信仰しなければ、綿の雨が降り注ぐ。御伽話のように、私たちのような子供に吹き込んだのは、緑の教団の方々です。当時、子供だった私達は、みんなそれを恐れ、お父さんやお母さんに、緑の教団への入信をお願いしていました」


 内堀に毒を撒くように、里の子供達に恐ろしげな情報を吹き込む。何も知らない子供達はそれを恐れ、大人達に信仰の重要さを語るのだ。しかも、子供達は子供達同士でその話を広げていくのだから、そうした噂話の出所そのものは、子供達の頭からは消えてしまい、辿れない。


「あなたはその噂、誰から聞いたの?」


「緑の教団の一人……銀の葉のエンブレムを持つ、黒髪を後ろで括った大人でした」


 グレゴリーは顔に出さず、胸中に苛立ちを覚える。その人物には見覚えがある。ルオス南部に位置する緑の教団支部、そこで神官を務めていた者の一人に、カルルクスの里を抱き込むように指示した覚えがある。そしてその教会の神官は、銀の葉のエンブレムを身に着けていた。


 子供一人に噂を伝えれば、そこから毒は広がるのだ。キャルは、毒を撒く井戸に選ばれた少女だった。だからキャル以外の誰もが、そんな口伝の出所が、緑の教団の人物によるものだとは知らなかった。


「あなたは当時、緑の教団の大人にそれを聞いたことは、お父さんやお母さんには明かさなかったの?」


「……"精霊様が私だけに、密かに教えてくれた秘密の噂話だ。誰がこれを伝えたなどとは、決して誰にも言ってはいけない。話せば精霊様の怒りに触れ、すぐにでも綿の雨が降り注ぐだろう"――私がその教団の人に言われた言葉が、それでした」


 子供は信じた。愛する里を滅ぼしたくないから。その上で、いつか来るであろう綿の雨を防ぐため、子供達同士で力を合わせて、緑の教団に与するべきだと唱えたのだ。


「そんな話は嘘だと、緑の教団に不信感を募らせていた大人達は、私達の言葉をはね返す。里の平穏を願う私達は、どうして大人達はわかってくれないんだって、大人達を疑う。あの頃のカルルクスは、大人達と子供達の心が真っ二つに割れ、どこもぎくしゃくしていたように思います」


 あの時、緑の教団にそんな話を吹き込まれたとさえ自分が打ち明けていたら、あの時の里の空気は生まれなかったかもしれない。"緑の教団が作った"嘘だと確信が持てれば、大人達も子供達にそうした言葉を使って説得できただろう。実際、村の大人達もそれを疑ってはいたのだが、どの子供に聞いても噂の出所がわからず仕舞いで、大人達も解決に踏み出すことが出来なかったのだ。


 怖がりな子供ほど、いつ綿の雨が降り注ぐのかと落ち着かず、毎日が気が気でない。愛する我が子がそんな風に怯える姿は、どこの親にとっても嘆かわしくつらいものだ。緑の教団への疑念を抱きつつも、我が子の心の平穏のために、教団に入信することを選んだ大人もいた。結局笑うのは、入信者を得た緑の教団なのだ。


「……私は今でも後悔しています。あの時勇気を出して、すべてを打ち明けることが出来ていれば、あれほどカルルクスの里を混乱させるようなことは無かったんじゃないかって……話を聞いてくれたエルアーティ様は、幼い子供にそんなことが出来るはずがなかった、って言ってくれたけど……私の中ではずっと、悔やんでも悔やみきれない思い出です」


 エルアーティとの取り決めでは、話す予定のなかったこと。それを思わず口走ってしまうほどには、あの頃の日々はキャルにとって胸を切り裂くものだ。彼女の声が震えながらも、胸を張って毅然と強く声を発する姿には、さっきまで煩かった傍聴人も言葉を失うだけの迫力がある。キャルの言葉を聞き受けたミュラーも、今のキャルに反論することは罪深いとさえ思える心地だった。


「ありがとう。そこまででいいわ」


 キャルの限界が近付いていることを悟ったエルアーティが、予定を早めて話を打ち切る。キャルが話したいなら、裁判官から待ったがかかるまで、いくらでも話させるつもりだった。だが、これ以上キャルにあの場で語らせることは、もう彼女にとって精神上よくないことだとはっきりとわかる。ただでさえ、つらい思い出を思い返させて証言台に上げているのだ。


 証言台を降りたキャルは、入ってきたドアに向かう中、一度立ち止まってエルアーティに深々と頭を下げた。顔を上げたキャルの目が赤くなりかけていることを見受けたエルアーティは、一度彼女に歩み寄る。両手を回してキャルを前から抱きしめると、背中をその掌で優しく二度叩くのだ。その時キャルの耳元でエルアーティの囁いた、ありがとうの一言は、一族の無念を晴らすための言葉を紡いでくれた、少女への報いだ。


 口の端を絞りながらも笑顔を作ったキャルが、法廷から退出する。誰一人、この次の言葉を繋げない。キャルの言葉の意味を法廷にいる者全員に、少しでも長い時間噛み締めさせたいエルアーティは、次に言葉を放つべきなのが自分だとわかりつつ、あえてしばらくの沈黙を挟んでいる。


「証人の言葉を疑う余地はあるかしら? カルルクスの里の生き残りは、世界各地にいる。その彼らの中には、今の少女の誠実さを胸を張って主張できる者もいるでしょう。どうしても彼女の言に信用が持てないならば、今度はそうした人物を証人に呼んでこなきゃいけないかしら?」


「……疑いませんよ。時間の無駄です」


 ミュラーもそうとしか返せない。難癖をつけてやっても構わないが、どうせ時間を費やせばそのうちエルアーティは証明方法をすぐにでも作ってくるだろう。証人を疑って時間稼ぎしても仕方ない。


「銀の葉のエンブレムを掲げる、ルオス教会の神官。それって、サルファード家に直接関与する教会よね? あなたもサルファードなら知っているでしょうけど」


 キャルに噂話を流した神官は、いわばグレゴリーの配下のようなものだ。サルファード家が管轄する教会の神官など、当主グレゴリーにとっては雇い部下に近い。そしてつまり、カルルクスの里に悪しき噂を流した人物がいることは、グレゴリーとの関連性を示唆する。


「その人物が誰なのかはわかっているし、まあ調査を重ねれば繋がりも見えてくるでしょうね。以上を以って、私の弁論は終了とさせて貰うわ」


 手元の手帳を閉じるエルアーティ。ミュラーは一瞬、呆然とした。思わぬタイミングで、話を切ってきたからだ。


「……異議を申し立てますが。その神官様と、グレゴリー氏に繋がりがあるとあなたは主張したいのですか?」


「そう確信しているけど、証拠は無いわ。安心なさい」


 ミュラーも言葉を失った。その神官とやらが、グレゴリーと手を結んでいる証拠でも拾い上げてきたのかと想定し、それに対して反撃する心構えをしていたのに、エルアーティはその理論を推さない。


 証拠も無いのでは、単なる推測だ。アマゾネスの少女を証言台にまで引き上げておいて、最後の詰めで駒を捨てるような真似をするエルアーティに、懐疑の念が止まらない。この人物は、そんな中途半端な形で矛を鞘に収める人だったか? と。


「一応ちゃんと話を纏めましょうか? 裁判官さん、もう少しだけお話させて貰うわね」


 はいもいいえも聞かず、エルアーティは次の言葉に移る。とことんマイペースな人だと誰もが感じる。


「グレゴリー=フォン=サルファードは、ラッフルズファミリーと手を組み、ティルマ=ハイン=リクラプトに無実の罪を着せた。それは、彼女がサルファード家の秘術たる緑色の狐火(ベルデフルクス)の極意の一端に気付いてしまったから、口封じのために。そしてその緑色の狐火(ベルデフルクス)は、アマゾネス族の里であるカルルクスの里を滅ぼした魔法である。そしてカルルクスの里から緑の教団に入る者を引き込もうとしていた神官は、グレゴリーの配下であり、彼の指示のもとそれを行った。以上が、私の導き出したサルファード家の悪行の全容よ」


「……一部、信憑性のある部分もありますが、推測止まりのものもありますね」


 ミュラーの指摘は間違っていない。証明されていない箇所も散見するのだ。この弁論でグレゴリーを有罪とするのは、ミュラーの抵抗次第では充分免れ得る範疇。こんな錆びた武器を持って法廷の場に飛び込んでくるなんて、とても賢者の所業とは思えない。勝ち戦にこそ乗り込むのが、戦う論者の動きではないのか。


「今は推測止まりだけどすぐに真実となるわ。あなた、司法取引って知ってる?」


 エルアーティの表情が、今日一番妖しい笑みに満ちる。弁論上では優勢に立つはずのミュラーが、この表情に言い知れぬ不安を覚えたのも致し方ないことだ。


「ラッフルズファミリーといい、緑の教団の神官といい、サルファード家を敵に回すことはさぞかし恐ろしいでしょうし、今まで随分長いことサルファードを庇ってきたものね。ただ、あなたに死刑判決が下っても、連中は固い口を閉ざしたままでいてくれるかしらね?」


 司法取引とは、被告人と司法の場が取引をし、被告人が罪状を認めるか、ないし黙秘してきた黒い真実を自白することで、被告人への刑を軽くしたり、いくつかの罪状を取り下げる制度である。端的に言えば、いつまでも真実を語ろうとしない罪人に、罪を軽くすることを条件に司法が歩み寄り、真実を聞き出そうとするためのシステムだ。


 サルファード家の悪事を知る者も、それを語りたがらないのは、自らが黒くなるからのみならず、告発することによってサルファード家に目をつけられることを恐れてのこと。現当主であるグレゴリーが死罪となれば、サルファード家は完全に崩壊する。そうなれば、司法取引を持ちかけて、周囲の悪人達から真実を聞きだしやすくなるだろう、とエルアーティは言っている。


「私ははっきり言って、サルファード家がどうなろうと知ったことではないのよ。私が求めるのは、常に真実の究明であり、過程にある副産物などに興味はないわ」


 そう言ってエルアーティは、ミュラーに背を向け、法廷を去る方向に歩いていく。見送るミュラーも、彼女の真意が読めぬ気味悪さに困惑しつつも、本当にそれで終わりなら、勝訴は取れると見えた。いくら賢者と名高い者の言であっても、あれだけで父を終身刑に追い込むことなど出来ないはず。司法取引とか死罪とか、絵に描いた餅を語るエルアーティの姿は、今のミュラーにとっては絶望視するレベルの強敵には感じられなかった。


「あとは任せたわ。殺してきなさい」


 法廷の扉を開けたエルアーティが、はっきりとそう言う。扉の向こうに消えていくエルアーティ、そして入れ替わりで姿を現した人物が、安堵しかけていたミュラーの危機感を一気に煽る。


「皆様、差し出がましくはありますが、しばしご静聴願いたく存じます」


 エルアーティの親友にして、賢者の双璧を担う魔法学者ルーネ。付き合いから、穏やかな人格の彼女をよく知るミュラーも、これと敵対するとなれば見方を変えねばならない。彼女がこうした戦いの場に立つ姿を見たことはないが、だからこそ未知なる敵なのだ。ましてエルアーティに並んで賢者と称される者が、その辺りのちょっと賢い学者と同格の頭であるはずがない。


 先程までエルアーティのいた場所に落ち着き、周囲各々に対し、順に深々と頭を下げるルーネ。裁判官、傍聴人、そして敵対するミュラーにさえもお辞儀を向けるほどだ。ただし、それでもグレゴリーには頭を下げなかった。これは間違いなく、意図された動き。


「単刀直入に申し上げます。グレゴリー=フォン=サルファード様。あなたは魔王マーディスの遺産、百獣皇アーヴェルと手を結んでいましたね?」


 嫌な話をする時のルーネは、周囲には悪い意味で話が早い。他者の命運を定め得るような疑いを、開口一番に言い放つルーネに、ミュラーも一瞬硬直する。


「フィート教会にてライフェン=マイン=サルファードが率いていた魔物の軍勢――つまりは百獣皇アーヴェルの率いる魔物の中に、メデューサと名づけられた魔物がいました。魔法都市ダニームのアカデミーにてその亡骸を検死した結果、それは生まれた時から魔物だった存在ではなく、元は人間であった痕跡が見つかったのです。その人物が、かつてルオス国内にて強盗行為をはたらき、エレム王国内で捕らえられた過去を持つ、セレナ=マイニレス氏であることも判明しています」


 どういう意味ですか、とミュラーが問いかけるよりも先にルーネが続きを語り、賢者のたたみかける時間が続く。想像だにしなかった角度からの話題にミュラーも言葉を失っているが、ふと父の方を見ると明らかな動揺が頬の引きつりに現れている。長年父の顔を見てきたミュラーだが、これはまずいと感じるには、あまりに充分な表情。


 ルーネが裁判官に渡した書類の内容は、見なくてもだいたい誰もが予想がつく。今の主張を、ダニームのアカデミーの学長あたりが実印つきで事実だと後押しする書面だろう。実際そうであり、それは法廷の場で凄まじい説得力を持つ魔法の一枚だ。


「セレナ氏は過去の強盗事件後、ルオスのカルコゲン家に引き取られ、召使いとして働いていました。そしてある日、買い物に出かけたきり、姿を消した。当時はルオスでも、逃亡ないし誘拐の結果を以っていなくなったものだと結論づけられていましたが、その本質は違います。あの日、サルファード家はカルコゲン家に、セレナ氏を引き取ろうという文書をお送りしていましたよね?」


 証人を呼びたいという目線を裁判官に送れば、裁判官もうなずく。来てください、とルーネが口にした直後、ルーネ後方の扉の奥から出てきたのは、初老の男性だ。


 カルコゲン家という小貴族の当主としてそこそこ名の通っているこの人物に、自己紹介は必要なかった。その証人が証言台に立ち、語り始めたのは、サルファード家に依頼され、召使いの一人を寄越したこと。表向きにはそれだけのことで、当時は何の話題性もなかったことだ。ルーネの主張と噛み合わせて、初めて証言としての価値を持つことだ。


 サルファード家が不利になり得るような証言など、どこの貴族も放ちたがらない。後から目をつけられれば、何をされるかわからないからだ。それでも小貴族のカルコゲン家がそれに踏み出したのは、二人の賢者がサルファードを滅ぼすだろうという読みあってのこと。嫌われ者は窮地に陥れば、容易く尻尾を切られるという例である。


「セレナ氏はサルファード家に招かれた後、姿を消した。それが事実です」


 証人が退出した後、無表情でそれを語るルーネの姿には、ミュラーにとっては気が気でない想いに駆られる。付き合いがあればあるほど、こんなに冷たい瞳で断罪の言葉を連ねるルーネの姿は、ずっと見てきた彼女の柔和な平静の顔とはかけ離れている。


「サルファード家は、元罪人であり天涯孤独の身となったセレナ氏を手中に収め、百獣皇アーヴェルに差し出した。その末に彼女は魔物へと姿を変えさせられ、人類を脅かす存在とさせられてしまった。――彼女を魔物の姿に変えた者が、サルファード家であろうと、魔物達の頭脳であろうと、これは魔王マーディスの遺産に加担したことに変わりありません」


 メデューサとセレナが同一人物であることは、ダニームとルオスの両国が証言するだろう。そしてセレナの人としての行く末を知っているのはサルファード家のみ。悪あがきで、サルファード家に招いた後にセレナが姿を消して、後は知らないと喚いてみても、通用しないだろう。それを主張して押し通すには、ルーネやエルアーティを敵に回してでも証言を偽造してくれる、サルファード家に縁のない協力者が必要だ。今この状況下で、誰がそんな危ない橋を渡ってくれるだろうか。


 この主張は恐らく覆せない。対策を立てようにも、帝国と賢者の手はそれより速く動くだろう。そしてこの主張が通ってしまえば、百獣皇アーヴェルに加担したという罪を以って、グレゴリーの死罪はほぼ揺るがない。それだけ、魔物マーディスの遺産達に加担した罪というのは、司法の場で重く捉えられる。


「……異議を申し立てますが」


 ミュラーは起死回生を狙い、口を開く。名高き賢者を相手に、最後の抵抗だ。


「人が魔物に変えられる、という絵空事を、本気でこの法廷にて主張されるのでしょうか? 旧ラエルカンの生存者であるあなたには、"渦巻く血潮"なる技術の名も頭にあるのでしょう。しかし、そんなことが現実的に起こるとは、到底信じることが出来ません」


 ラエルカンで、人と魔物の融合した存在が産出されていたことは紛れもない事実。しかし、その技術の持ち主は、とうの昔に亡国と共に死に絶えている。人類でその知識を持っているのは、恐らく生存者かつその極意を頑なに秘匿していたルーネぐらいのものだ。


 史実があっても、人が魔物に姿を変える技術など信憑性を持たない。かつてラエルカンに赴き、そうした元人間を見てきた司法官も、そんな技術の有無を確信して言えるものではないのだ。事実がどういうゴシップを立てるにせよ、判決を導くにあたってそのファクターは不確定要素である。


「人が魔物に変えられる技術。そんなものが実在するという証拠なくして、その主張を通されるのは判決を定めるにあたって混乱を招くだけです」


 ミュラーは、ルーネが渦巻く血潮について一切を語りたがらないことを知っている。渦巻く血潮なる技術が過去に実在したことを証明するには、手段が二つしかない。そうした技術によって人の姿を捨てた人間を現代でひとつ生産するか、技術の全貌を書面に書き起こして証明するか。


 ルーネの性格上、今現代でその技術を行使することは絶対にない。被験者の人生を大きく左右するからだ。また、渦巻く血潮の技術をアルケミスにも断固として語らなかったことから、その技術の極意を書き起こし、人に見せることもしないだろう。エルアーティは緑色の狐火(ベルデフルクス)の練成組成式をルオス皇帝に語るという強攻策を敷いてきたが、渦巻く血潮に対するルーネの秘匿思想はそれとは比較にならない。そんなこと、するわけがない。


 だから、こうした態度に出る。相手の性格を見て駆け引きをするのはずるいとわかっていても、ミュラーにとってはこれが最後の綱だ。


「証明なら、出来ますよ」


 おもむろに法衣の袖をまくるルーネ。少女のような細腕が晒されたかと思えば、肘の下に包帯を一枚巻いた光景が目に入る。周囲がそれに注目する中、ルーネが懐から取り出したのは、宝玉から一本の細い針が飛び出したようなオブジェだ。


「……これが、人を魔物に変えるおぞましき技術です」


 ルーネが宝玉の先につけられた針、そこに纏われていた紙と布を解き、自らの腕に巻いた包帯を突き通し、針を腕に刺す。いったい何をしているのかと、誰もが怪訝な注目を寄せたものだ。


 次の瞬間のことだ。ルーネの腕に巻かれた包帯が、ざわざわとうごめきだし、ルーネが明らかな苦痛を表情に表す。傍聴人がどよめき始めた直後、その前に広がった光景は想像を絶するものだった。


 突然、ルーネの包帯を突き破って現れたもの。それは二匹の蛇の頭だった。どこからそんなものが現れたのかと、手品のような光景を目の当たりにした人々が、その出所を視認した瞬間に言葉を失う。傍聴人の中には、それを見た瞬間、小さな悲鳴を漏らした者もいる。


 ルーネの腕から生える2匹の蛇は、先程まで包帯で覆われていたルーネの腕を、真っ赤な血に染めていた。その光景からが語る唯一の真実は、ルーネの腕から生えてきた二匹の蛇が、少女のような柔らかい肌を内から突き破ったという、あまりにも現実離れした現実。


「っ……おわかり頂けましたか?」


 自らの腕から生える二匹の蛇を引きちぎるルーネ。牙を見せてもがく二匹の蛇の頭を、両方の掌で優しく挟むと、祈るように念じるルーネ。やがてルーネの身を離れた蛇は動かなくなり、残ったのは血まみれのルーネの腕と、そこから生える蛇の肉体の残りかすのみ。


「私はここに訪れる前、自らの腕に、二匹のヴァイパーの血を注ぎ、渦巻く血潮の技術で以ってそれらを抑制していました。今、その血の活性化を促す触媒をこの腕に注ぎ、その血を騒がせたのです」


 あらかじめ持ち込んでいた新しい包帯を取り出し、今の傷を隠すルーネ。息を呑む誰もが、言葉を発せない。


「人を魔物に変える技術は、確かに存在します。今、私が見せた技術を人間の全身に抑制要素なく巡らせれば、肉体を魔物の血に支配されるか、人体の拒絶反応によって肉体は崩壊するでしょう。……セレナ氏は、こうした力を注がれた結果、メデューサという魔物へと変わったのです」


 腕に巻く包帯が血に滲んでいく光景からも、その腕に凄まじい痛みが走っていることは明白だ。口の端を絞りつつも、毅然としてそう言い放つルーネの目には、呪われた技術によって人としての生を捨てさせられた一人の人間に対する、深い哀しみに溢れていた。


 だから彼女には、許すことができなかった。人一人の人生を曲げてしまうような技術を、あまつさえ魔物が笑う形で行使させたサルファード家。その首を差し出されたセレナの痛みを想えば、この事実に気付いてしまった以上、黙っていることなど出来ない。


「私が提示するサルファード家の罪状は、魔王マーディスの遺産への加担行為。罪人であった過去を持ち天涯孤独となった人間を、百獣皇アーヴェルに引き渡し、メデューサという名の駒に変えさせた。たとえ彼女をメデューサに変えた技術の行使者が誰であれ、サルファード家の行動が魔物達の戦力の増強を促したことは、紛れもない事実です」


 ミュラーは見誤っていた。渦巻く血潮の技術の公開を封じたはずだった賢者がとった行動とは、自らを被験者としてそれを証明する行為。そこまでするほどだと、誰が予想できるというのだ。


「以上を以ちまして、私の主張は終了です。正しき裁きが施行されることを願います」


 頭を深々と下げた後、グレゴリーと一瞬目が合うルーネ。未来を絶望視し、この短時間で10歳ほど老けて見えたグレゴリーを目の前にしても、ルーネの瞳に憐憫の情は一切宿らなかった。

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