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法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第6章  過去より巣立つ序曲~オーバーチュア~
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第97話  ~遠きあの人の今~



「え、こっちでも?」


「そーよぉ。ホント大変だったんだから」


 ゼーレの街での攻防戦を終えた後、ルオス帝都で一晩明かしたユース達が、エレム王国に帰ってきたのは夕頃だった。初めてルオスに行った頃は、見知らぬ帝都との出会いに胸を躍らせる部分もあって印象に薄かった部分だが、やはりルオスとエレムは距離がある。


 特にゼーレの街で脚を負傷したユースにとって、長い旅路は精神的に堪えたものだろう。幸いにも傷は浅く、ルオス帝都で魔導士様に治療して貰ったこともあって、今は歩くにあたって不自由することもなさそうだが、やはり少々の違和感は残る。大事を取って騎士館の医療所に通いつつ、今日明日ぐらいは任務も訓練もお休みとするのが妥当な判断だろう。


「急襲だった割には、街への被害も少なかったあたり、騎士団の危機管理能力は流石だわ。敵の兵力考えりゃ、さすがにエクネイス単体じゃ防ぎきれたかどうかもわかんねえしな」


 そしてルオス地方に赴いていたユースが、魔王マーディスの遺産率いる軍勢に遭遇したのと同じく、こちらでも同じことが起こっていたというのだ。エレム王都の南、エクネイスの小国は南にコズニック山脈を構える地であり、魔王マーディスがそこを拠点としていた頃から防衛力に安定性のある国である。エレム王国騎士団ほど大規模な軍勢は構えていないが、地の利と城砦施設、優秀な人材によって長年、南からの魔物の侵攻を防いできた実績を持つ。


 エクネイスの北に王都を構えるエレム王都としても、エクネイスが南からの魔物の侵攻を防いでくれるのは有難い。そうした側面もあって、エレム王国とエクネイスの国は同盟国家としての繋がりが深い。エクネイスはエレムの砦としての役割も果たしつつ、管理する鉱山から得られる産出物を交易品として提供してくれるし、エレム王国もエクネイスの危機に駆けつける助力は惜しまない、という間柄だ。魔王マーディス存命の時代以降、両国の繋がりはかつてより強固なったものである。


 しかしマグニスが言うように、ユース達がゼーレの街で戦っていた時とほぼ同時、エクネイスの国を襲った魔物達の数や、相当なものだったという。それこそ長年人里を守り通してきたエクネイスの都が、騎士団の助力なければ持ち堪えられたかどうかわからなかったと言うほどなのだから。国ひとつ攻め落とせる魔物の軍勢といえば、敵将がよほど大きいか、数が相当だったというかのどちらかだ。


「こっちでは、黒騎士ウルアグワや凍てついた風も出てきたよ。もしかして、そっちも?」


「ボス一人出てきたってのか。お前らよく助かったな」


「いや、こっちはアルケミス様がいてくれたおかげで……」


 帝国の優秀な兵達ありとはいえ、急襲かつ黒騎士ウルアグワも現れたというのは、街の滅亡を予感させる縮図である。大魔導士アルケミスの参戦がなければ、本当に危なかったというのは妥当な観点だ。


「こっちはそこまでの親玉は現れなかったけどな。ただ、獄獣の番犬がいたってのにゾッとしたが」


 マグニスいわく、エクネイスを襲った魔物達は、獄獣が好んで使役するような魔物の軍団だったという。要するに、オーガやミノタウロス、ヒルギガースのような、巨体とパワーを以って武器を扱う魔物の集団だ。一概に括れるものではないが、おそらく地力で言えば、黒騎士ウルアグワの率いる軍団よりも強い魔物の集まりであり、そんな魔物達が大挙を率いて街を攻めてきたという事実には、居合わせていなかったユースもそれを想像して鳥肌を立てる。


 そしてそれらの指揮官にあたっていたであろうのは、獄獣の右腕と呼ばれる、番犬アジダハーカ。凍てついた風カティロスに並び、魔王マーディスの遺産3匹に次いでの猛者と言われる怪物だ。これを聞いたユースとしては、そっちこそよく無事でいられましたねという気分である。


「聖騎士グラファス様がいてくれてよかったわよ。私は見てないけど、ずっと番犬を抑えてくれてたのはあの人だったっていうし」


「……俺はその近くで戦ってたけど、手が出せなかった。もしかしたらあいつ、兄貴より強いんじゃないのかって思った」


 体躯に見合わず凄まじい瞬発力を持つアジダハーカがいる戦場に、アルミナやキャルのように接近戦の心得を持たない者が立てば、何も出来ないまま殺されてしまうだけだ。前に進むことが出来なかったアルミナとキャルは、番犬の姿を見る機会がなかったが、前線を駆けたガンマはその姿を一度見ている。そして彼がその強さを信じてやまないクロムと、番犬の強さが肉薄するように思えるほど、アジダハーカの持つ強者の気迫は凄まじいものだった。


 マグニスは騎士団にも街にもさして愛着なく、アルミナとキャル、ガンマの生存さえ確保できればそれでいいという素直な価値観に赴くまま、第14小隊を導いていた。ゆえにこそ戦況の移ろいには敏感で、戦場の光景は広く見届けている。自身も数多くの魔物を討伐していた身ではあるが、若い三人よりも冷静に状況を見ていたもので、今はそこから導かれる敵の思考を推察するに至っている。


「黒騎士がルオスを、獄獣がエレムを同時に襲撃、ねえ。敵もいよいよ刀を抜いて、侵略戦争に踏み出す心積もりをしてきた、というのが普通の解釈なんだがなー」


 話をひとしお切り上げて、魔物達の動向についての話にシフトするマグニス。犠牲者なしの戦いではなかったため、あまり前の話が続くとそういう視点に目が移り、場が沈む。それよりも先のことを考えた方が建設的、というのがマグニスの隠された真意である。


「普通の、ということは、何か裏があると?」


 マグニスの放つ一般論に対し、問いかけるのはチータ。魔王マーディスの遺産が動き出したことに、今後も魔物達の襲撃があることまではチータも危惧するが、そこから先の展望まではまだチータも考えに至りきっていない。


「本気で人里落とすつもりなら、獄獣ないし百獣皇の出動もありそうだしな。まあ、当のお二人さんは人里に顔を出すのを嫌う傾向にあるらしいから、別にそいつらが来ないのはおかしくないんだが」


 マグニスにも、正直なところはわからない。ただ、見えている事実から安直な結論を導き出すのは危険な気がして、やはり考えてしまうのだ。


 魔王マーディスの遺産達は計算高い。そうでなければ、魔王マーディス討伐からのここ十年、人類の三大国家が結託して臨む、遺産狩りの目をかいくぐって潜伏できるはずがない。しかも今回は、そうした潜伏を自ら解いての人里襲撃だ。何か、隠された真意があるとしか思えないのだ。


「まあ……今後は気が抜けなくなるな、ってとこまでしか結論作れねえんだがな」


 シリカが騎士団に報告書を届けて、帰ってきたら同じことを言うだろう。日常の中にも常にあった、いつ連中が現れて人里を血に染めるやもしれぬという、静かな緊迫感。それが現実として目の前にあった先日二件の急襲劇は、そうした不安を駆り立てる。


 仮初めの平和、という言葉がよく似合う。討伐を果たされて早十年、魔王マーディスの残影は、未だ人類を漠然とした不安に陥れるのだ。











「……これ、マジなの?」


「……はい」


 そして、報告書を騎士団の参謀上司、法騎士ダイアンに届けるシリカの胸の奥に渦巻く不安は、ユース達の抱くそれとは比較にならない。その理由もすべて、報告書には書いてある。


 騎士団報告書は、王国の安寧を支える騎士団に、確かな情報を伝えるためのもの。憶測や、不確かな情報を書くことは推奨されることではない。そんな書面にシリカが書き記した内容とは、それがもしも真実であるならば我が目を疑いたくなるようなことだ。


「い、凍てついた風が、ね……君にしては、面白い冗談を言うようになったね……」


 ダイアンの態度がすべてだ。冗談を報告書に書くような者など、いるはずがない。わかっているのにそんなことを言ってしまう時点で、目の前の文字列を受け入れたくない想いが溢れている。


「……何かの間違いであればいいと、私もそう思っています」


「いや……ごめん。これもまた、受け入れるべき現実なんだろう」


 報告書をたたみ、封書として収めるダイアン。これがやがて、騎士団上層部に届いた時、上の連中はどんな顔をするだろうか。


「ナトーム様に報告しておくよ。これが本当ならば、騎士団にとってはかなりの前進だ」


「それは……そうですが……」


「冷徹に言うなら、事実であった方がいい。騎士団や帝国が長年手を焼いてきた暗殺者、凍てついた風の手の内が、この情報から一気に見えてくるかもしれないんだからね」


 物事を冷静な頭で受け止めれば、シリカよりもダイアンの方が切り替えは早い。カティロスの素顔を見てから一日余り経った今でも、頭がまとまりきらないシリカの目の前、情報を手にして次のことをすぐに考えるダイアンは、やはり軍師向きの頭なのだろう。


「受け入れる覚悟をしよう。再び凍てついた風と相見えることあらば、君が彼女を討たねばならない日が訪れるかもしれない。……難しいかもしれないが、気持ちを切り替えて欲しい」


「……はい」


 部屋を去っていくシリカ。背中を見ただけで、先程まで見せていた暗い表情が、さらに闇に堕ちたことがわかる。見送るダイアンも、痛々しい想いで胸が

いっぱいになる。


 静かな部屋の中、誰も自分を見ていないことを確かめ、ダイアンも深くうなだれる。シリカもショックを受けたかもしれないが、ダイアンとて心に痛みを抱えなかったわけではない。


「……ナトーム様の言っていたことは、本当だったのかもしれないな」


 あってはいけないことが現実になった予感。それも、二つ同時にだ。今後の動きを考えるにせよ、一人ではその答えを導き出せぬと結論付けるのが、ダイアンには精一杯だった。











「ルーネ」


 珍しく、自らの居座る図書館から外に踏み出した魔法使いが、親友の部屋を訪ねた。広くない部屋の隅、机に向かって筆を走らせていた少女――見た目はそうとしか見えない賢者が、声の主の方を振り返る。


「エルア? もう終わったの?」


「残念なぐらい楽勝だったわ。あなたももう、終わってるでしょ?」


 雨雲の賢者エルアーティが、机に向かう凪の賢者ルーネに歩み寄る。仕事はとうに終わっているでしょうと問いかけられたルーネは、露骨に気まずそうな顔を見せた。


「ご、ごめんなさい……もうちょっと待って……」


「何よ、あなたもしかしてサボってたんじゃないでしょうね」


 ルーネの頭をよく知っているエルアーティにしてみれば、ルーネに預けていた仕事など、彼女ならすぐに片付けてしまえるはずだ。充分に時間はあったのに終わっていないということは、何かしら他のことに手をかけていたに決まっている。エルアーティの目が細くなり、ルーネがびくりと肩を跳ねさせる。


 元から小さいのにさらに小さくなってしまったルーネが、机の上に広げられた何かをエルアーティが見届ける。近くに小さな封筒を置く様、書きかけの文章、それが手紙か何かを作っていたルーネの数秒前を想像させてくれる。


「お手紙?」


「うぅ……そうです……ごめんなさい……」


 縮こまってしゅんとするルーネに、見えない角度でにまあっと笑うエルアーティ。自分の落ち度を認めた時のルーネは、ともかく申し訳なさで抵抗力が弱まる。そんな弱ったルーネを、あれこれからかうのが楽しみになっている辺り、エルアーティには賢者よりもやはり、魔女の異名の方が似合うのではなかろうか。


「はい、目を通しておいて頂戴。私だって、検算を誤ることはあるから」


 自身が纏めた文書をルーネに差し出すエルアーティ。内容は計算式ではなく、検算というのはあくまでものの例えだ。おずおずとそれを受け取ったルーネが、エルアーティの作り上げた書面に目を通す。


「……エルアが検算を間違えたことなんてあったかしら」


「一万回成功したことが、一万一回目に失敗することはあるのよ」


 魔法都市の賢者二人はここ数日、魔導帝国ルオスの要請で、司法に関わる仕事に携わっている。その司法の場というのはほんの数日後に行われる裁判のことで、二人が任せられたのは、被告人であるサルファード家当主の罪状に関する追究だ。勿論ルオスでも、司法の番人達がそれを詰めているが、今回の件は魔物、災害、過去、貴族と、あらゆる要素が複雑に絡まり合った上、裁判の日が近付いた今になっても、叩けば埃が出てくるような問題だ。


 裁判の日はもう決まっているのに、アマゾネス族を滅ぼした綿の雨にもサルファード家が関わっている可能性があるとか、過去に罪人として裁かれたティルマの一件が蒸し返されたりと、直前になってから山ほどきな臭い問題が出てくるのだ。その辺りを発掘してきたのもこの二人だが、事前にダニームの賢者二人に協力を要請しておいてよかったと、ルオスも今頃感じているだろう。与えられた情報、加えて自力で集めた必要な情報を収束し、真実に向かう時の賢者の思考力は、人並み外れ過ぎている。この二人が検事側に雇われたことは、サルファード家にとっては最大の不幸だ。


「――完璧。流石はエルアね」


「理論に破綻は?」


「情報に虚が無ければ、命題はすべて正確に証明されてるわ」


 エルアーティが担当したのは、サルファード家とその元使用人、ティルマ=

ハイン=リクラプトの関係性だ。帝国から寄せられる情報と、自ら集めた情報の数々、それらを総合して、数年前のティルマの罪状が真であるかどうか。それを証明することがエルアーティの役割だ。


「私はリクラプト家に愛着が無いから、客観的にやったつもりだけど」


「……その結果、こうなのね?」


 エルアーティの証明は、ティルマの無実を示すとともに、その首謀者がサルファード家に与する者であるという結論を出している。検算と言い表された、その証明過程における理論のほつれを探しても、見つからない。法廷にこれを突き出せば、ティルマの無実を司法に訴えるには充分だ。


 ティルマと繋がりがあり、仲の良かったルーネの目が滲む。無実の罪でルオスを追放され、エレムやダニームにも入国する資格を剥奪された友人の無念を想って。数年越しではあれど、彼女の潔白が白日の下に晒されるであろう喜びを抱いて。そしてそうしたところで、奪われ失われた数年間の時は帰ってこないことの悲しさを、誰よりも強く感じ取ってだ。


「途中まででいいわ。ルーネ、あなたのお仕事ぶりも見せて頂戴」


 感涙と嘆きに意識を捕われていたルーネを、現実に引き戻す一言。親友は任せられた仕事を完璧にこなしてきたのに、自分は仕事中に手紙を書いていて仕事終わっておらず。これは気まずい。


 しゅんとして書面を差し出してくるルーネ。受け取るエルアーティの、無表情に見えて目の笑っていること笑っていること。"出来てないの? ふぅん、私はちゃんとやってきたのに?"なんて言葉で揺さぶって、後で言うことひとつでも聞かせてやろうかなという企みが、すでに完成している目だ。


 だが、中身に目を通して見ればまったく違う結果だった。ちゃんと終わっている。ルーネが担当していた、アマゾネス族を滅ぼした綿の雨を降らせた者が、サルファード家に与する者であったという証明。さらにはその動機、証拠まで揃えて、司法の場で唱えれば間違いなく有力な武器になる内容だ。検算、もとい推察の精査を兼ねて目を通させられたエルアーティとしても、これだけ出来上がっているのなら、何一つこれ以上求めることなどない。


「終わっていない、というのはどういう意味?」


「……こっちが、終わってないの」


 もう一組の、数枚の冊子を差し出すルーネ。任せられた仕事を済ませたであろう後、ルーネが他に何をすることがあるのだと、エルアーティも首をかしげてそれを受け取る。


「気になるお話があったから、そこから展開してみたんだけど……もしかしたら、なんだけど……」


 不安げに言い放つルーネを完全に無視し、エルアーティはルーネの冊子に目を通す。一行目を読んだ瞬間から目の色を変えていたエルアーティは、冊子の中身に夢中になっている。


 途中から、徐々にエルアーティの口の端が上がってくる。悪意の笑みともとれそうなその表情は、ルーネの展開した理論から導き出される結果を見越してのことだ。仕事が終わっていないルーネをからかう、という楽しみのひとつを失ったエルアーティだが、今となってはそんなのどうでもよくなってしまったようだ。それだけ、ルーネの示した仮説は興味深かった。


「これ、本当である可能性が高いの?」


「……まだ、証明できてない。だけどきっと、あと一つ二つ要素が揃えば、真であると証明されてしまう」


 一方で、ルーネの表情は物憂げだ。普通、仮説を立てた学者というのは、自らの仮説が真であると証明できることを喜ぶものである。今のルーネの表情はそうではなく、自らの立てた仮説を真実である可能性が高いと見る一方、本音ではそれが虚であることを願うような顔。


 理由はいくつかある。一つの理由は、エルアーティがすぐに口にする。


「これが証明されれば、サルファード家当主は死刑確定でしょうね」


 ルーネが暴こうとする罪、未だ誰も閃きすらしていないサルファード家当主の大罪は、間違いなく万死に値するもの。法廷にこれが晒されることあらば、諸々の罪と合わせ、終身刑は免れないだろう。


 それをルーネが法廷に持ち込むということは、ルーネがサルファード家当主を殺すことに等しい。罪人の身から出た錆であるのは間違いないが、それもまた一つの真実だ。ルーネも見た目とは異なり、思考は練達の大人のそれだが、自らの導き出した推論が、罪人でも人の生死を左右する状況というのはやはり複雑な気分になる。自身はあくまで学者であり、断罪人ではないのだから。


「まあ、あなたにとっては諸々含め、間違った仮説であって欲しいのでしょうけど」


「……うん」


 ルーネにとって、もっと大きな理由。それは、こんな非道に手を染める人間がいるという事実を、現実として受け入れたくない想いからだ。故郷ラエルカンを一度滅ぼされ、魔物の恐ろしさをその肌でよく知るルーネ。だからこそ、そうした魔物を退けて今を勝ち取った人類の強さ、尊さを疑ってこなかった。人間すべてがご立派でないこともわかっているが、ルーネにとって人間とは、信じたい存在の最たるものだ。


 事実だとしたらあまりにも酷すぎる、サルファード家当主の罪。いつかこれをやる人間の現れる日が訪れる覚悟はしてきたつもりだが、現実としてその可能性を目の前にすると、ショックを隠せない。


「法廷に提出するのはやめておく?」


「……真だと証明できれば、必ず持ち込む。私にはそれを、隠し通すことなんて出来ない」


 サルファード家当主を死罪に導く告発文。それを発表することを厭わないルーネの覚悟は、自らの強い意志に基づき揺らがない。たとえそれにより、サルファード家に関わる者すべてに恨まれようと、ルーネにとってはそれ以上に、この事実を知らしめることへの意味が大きいのだ。


「ふふふ、"秘せし魔導士を信ずること非ず"――あなたは本当に、疑いようのない人ね」


「……やめて。私にそんな言葉は、あまりにも勿体無い」


 親友を心底疎ましい声で退けようとするルーネに、エルアーティも悪ふざけが過ぎただろうかと少し反省する。しかし敢えて前言を撤回しないのは、本音を口にしたのもまた確かだからだ。


「その件、私も少々追究してみましょうか。証明が未だ叶わぬだけで、真証明が目の前に見えている展開式にしか見えないわ」


「そうよね……やっぱり、これは……」


 いくら信じたくないことでも、事実であれば事実なのだ。受け入れる覚悟自体は、ルーネだって仮説を立てた時から決めている。道楽で人の罪科を憶測する趣味はない。


 机に目を落とし、深い溜め息をつくルーネ。ある人物に向けて書いた手紙が語る文面は、相手に対して明るい知らせを書く予定だったもの。嬉しい知らせを書くことに筆を走らせれば、今のこの気分も少しは晴れるだろうと気分転換のつもりだったが、鬱屈した感情が勝りすぎて、今日は続きを書けないだろう。


「差し出し相手は、例のお友達かしら?」


「……うん。エルアが頑張ってくれるから、きっと無実は明かされるだろうって……」


 親友とはいえ、人様が人様に書く手紙の内容に勝手に目を通すようなことは、エルアーティもしない。親しき仲にも礼儀ありだ。その上で手紙の内容を察知できるのだから、エルアーティはルーネの性格をよく知っているということである。


 かつて謂れなき罪で祖国ルオスを追われた友人。彼女がチータの恩師であったと知ったのはつい最近だったが、エルアーティの論述が彼女の汚名を洗い流してくれるならば、それはきっとチータにとってもこの上ない喜び。それも含めて、今は遠き地に住まう彼女に昨今の動きを知らせたいルーネの想いが、一文字一文字に綴られた手紙だ。


「届くといいわね、叶った真実」


「……ええ」


 吉報の青写真を現実へと変えるため、二人の賢者は真実を解き明かす。ルーネは遠き友人のため、エルアーティは近き親友のため。目的を重ね合わせた二つの英知は深く噛み合い、それが生み出す数枚の書面が、僅か数日後にはルオスの司法を大きく揺らがせる。魔力もたざる証明論文が人の命運を左右するのなら、それもまた魔法書(グリモワール)と呼べる代物だ。


 裁判は三日後だ。そこで、すべてが明らかになる。











「ふん、こうなることも充分考えられたことだ」


「……予想通りだったんですか?」


 シリカから受け取った報告書を手渡した法騎士ダイアンの前、騎士団にとっては衝撃的な内容を記した報告書を見ても、眉一つ動かさない男。聖騎士ナトームにとって、この出来事も予想外のことではなかったのだ。


「法騎士スズの落命事変にはいくつも不審な点があった。確証こそなかったものの、あれが本来あるべき運命を、人の手によって曲げられたものであるとは知れたことだ」


「それでは、やはり……」


「法騎士スズは、騎士団の同胞に裏切られ、騎士としての生涯を終えた。だとすれば今や復讐者となり、騎士団の敵となることは、何ら不自然ではない」


 騎士団の闇。かつて騎士団の女傑と呼ばれた一人の人物の、哀しき末路。数年前、若くしてその命を散らせ、王都を騒がせたその名は、今もダイアンとナトームにとって深く記憶に刻まれたもの。


「黒騎士の飼い猫として動いているともなれば、魔物に魂を売り渡したと見ていいだろう。復讐の想いそのものは尊重してやってもいいが、人類の敵となるのであれば容赦はいらん」


 "凍てついた風"カティロスと名を変え、黒騎士ウルアグワの配下として動く、かつての偉大な騎士。人の心の裏につけ込んだ黒騎士の憎らしさを想うよりもまず、近しかった彼女が敵になった事実に、ダイアンも複雑な想いだ。ナトームの言う、かつての仲間を容赦なく殺せという発言も、軍師としての理性を除けば、元来の率直な想いからでは肯定したくないものである。


「……そうですね。やるべきことが、変わるわけではありませんから」


「結構だ。それでいい」


 かつて彼女と同時期に騎士団に入り、近しき年の友人として歩んできた法騎士ダイアン。誇れる友人であると互いを認め合い、過去には剣の腕を高め合ってきた仲間だった。五体満足でなくなった今、自身が彼女と戦うことはなかろうが、それは幸いであることなのか、あるいはもう会えぬ不幸なのか。






 騎士団入隊試験、エレム王国騎士団5つの難題、第一問。あなたが最も尊敬する騎士は誰で、その人物の何が魅力的であるか述べよ。


 "いかなる逆境に決して揺るがない、不屈の精神を持つ高騎士スズ"。


 若き日のシリカが、その解答欄に記した答えだ。かつて最も尊敬していた人物が、忌むべき黒騎士の配下となって今を生きていることに、法騎士シリカの心は深く打ちのめされていた。

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