表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
法騎士シリカと第14小隊  作者: ざくろべぇ
第6章  過去より巣立つ序曲~オーバーチュア~
100/300

第94話  ~逃れられない血が憎く~



 魔法学者ルーネと、サルファード家の末男のチータの会談の二日後、シリカ達は魔導帝国ルオスに赴いていた。エレム王都からルオスの帝都までは遠く、昨夜のうちに王都を出発し、夜道を馬で駆けた末の到着だ。昨日の真昼はゆっくり出来たとはいえ、なかなかの強行軍である。


 人選も先日以上に絞られ、シリカとユースの騎士二人、主要参考人のチータの三人だけだ。他の四名は王都に残る形となったが、今日はどこか騎士団の別の隊に傭兵として混ざる形で任務を果たすだろう。残った四人は前衛、中衛、後衛それぞれを得意とするようばらけているし、どこの隊に混ざっても柔軟に立ち回ってくれるはずだ。アルミナはシリカの下、ガンマはシリカかクロムの下で働きたがる主張が強いが、毎度そんな駄々を認めるわけにもいくまい。


「それにしても騒がしいな。予想していたことでもあるが」


 シリカの言うとおり、ルオスの都は慌ただしかった。とはいえそれはごく一部で、ここ、サルファード家の屋敷の周囲は、それが顕著に現れている形だ。


 サルファード家という名家を中心としたスキャンダラスな一件は、ルオスの民達にとっても興味深く、報道を生業とする者達にとって、この上ない飯の種。新聞を発行する身の者達が、常に押しかけようと企んでやまぬサルファード家の本陣は、記者や野次馬に常に囲まれている。


 そうした騒ぎを鬱陶しいと感じつつも、サルファード家の門に冷淡な足を進めるチータ。門番は朝から屋敷に群がる連中を追い返すのにお疲れといった表情で、チータのような少年が真っ直ぐこちらに歩いてくる姿にも、辟易とした目を返してくる。


 それがサルファード家の少年と気が付くまで、向こうは随分時間がかかったものだが、手に持つ象牙の杖と、父の面影を持つ顔は、まさしく数年前に屋敷を飛び出した誰かさんのそれ。おかえりなさいませを言うより先に、門番の表情が引きつった。


「姉さんはいるのか?」


「えっ、あ……お、お坊ちゃま……!?」


「ミュラー姉さんはいるのかと聞いているんだ」


 どもる門番に容赦なく、知りたいことだけ尋ねかけるチータ。話を聞けば、その人物はちゃんと今日も屋敷にいるらしく、父の方はどこかに出かけているという余計な情報まで入る始末。


「そうか。門を開けろ。後ろのお二方も、僕が招待する方々だ」


 有無を言わせず門番に門を開かせ、シリカ達ともども屋敷の中に進んでいくチータ。シリカに会釈された門番は、今この状況で屋敷に見知らぬ者を立ち入らせることに胃を痛めていたが、後からシリカが法騎士の階級章を身に着けていたことを思い出し、その時ようやく血の気を引かせた。


 サルファード家を憎むチータが、騎士団との繋がりを得て実家に帰ってきたのだ。僅かでも事情を知る者にとっては、崩壊の序曲が耳に聞こえたようにしか感じられなかった。











 掃除が行き届いていない。朝も昼も夜も人の出入りが多くなったせいか、召使い達も清掃が追いついていないことが目に見てわかる。あるいは雇い主の没落が目に見え始め、使用人達も仕事に身が入らないのかもしれない。屋敷の中は、華々しかったサルファード家の歴史が色褪せ始めていることを、わかりやすく風景色に表していたものだ。


 十数年暮らした屋敷の中を迷い無く進むチータを、視界に入れた召使い達が次々驚いた表情を見せる。何の反応も示さない若い召使いは、恐らくここ最近雇われた新人でチータの顔を知らないのだろう。そんなことはどうでもいいと思いつつ、ついそうした光景に意識を散らせてしまう程度には、忌む古巣とはいえ帰ってきたことに、チータも望郷心を馳せているということだろうか。


 何も言わずにシリカとユースが少年の後を追う中、ひとつの扉に差し掛かる。中では二人の人物が会談しているそうだが、気に留めずにノックするチータに、どうぞの一言が返ってくる。高い声だ。


 部屋に足を踏み入れた三人の前にいたのは、口髭と軍服が似合う貫禄いっぱいの男。それに対面するようにソファーに腰掛けた女性は、チータにとって懐かしい顔だ。


「おかえり、チータ。久しぶりね」


「そうですね」


 室内でチータを待っていた女性は、他の使用人達とは違い、驚いた素振りもない。今日、チータがこの家を訪れることを、彼女と目の前の男だけが知っていたからだ。


 実の姉に対しても、慇懃無礼な敬語を投げかけるチータに反し、目の前の女性は微笑ましげに笑う。チータと7つも年の離れたサルファード家の長女、ミュラー=マイン=サルファードは、対面して座る魔法剣士ジャービルに、不束な弟でしょう? と笑いかける余裕を見せた。


「こちらの話は概ね終わったところです。あとは姉弟水入らず、心行くまで」


「すいません」


 先程までミュラーと対談していたと思われるジャービルが、腰を上げて部屋を出ようとする。思わずチータがそれを引き止めたのは、少しでも情報が欲しいからだ。姉との席のためにジャービルを追い出す形を詫びるため、すいませんの一言を放ったのではない。


「サルファード家への判決はどうなりそうですか?」


 ルオス皇帝の側近かつ、ルオスの司法議会の要人でもあるジャービルがミュラーと語り合っていたとすれば、その話の内容は想像に難くない。裁判となれば、ジャービルがここで語らっていた内容も、サルファード家の未来を定めるであろうし、チータとしては興味深い。


「まあ、黒であろうな。覚悟は決めておいて貰う」


 本来そうした暫定的なことを法の番人が事前に漏らすことは推奨されないが、チータに関して言えば他人事ではない。ジャービルはそれだけ言い残し、シリカやユースにも一礼した後、部屋を去っていく。


 残された四人。ジャービルの尋問を受けていたミュラーは、はぁ~と深い溜息をついた。上下一体の薄いスリーマーで体を覆い、肘まで届く長手袋と膝上まで包むストッキングを纏うミュラーは、絹のマントを羽織っている。肌の露出は少ないが、太ももだけが、しかも短いスカートの下に露出しているような形も相まって、ユース辺りが目のやり場に困っている。上半身に目線を移そうと思ったら、胸もやたら大きいもんだから逃げ場がない。


 健康的な肌色に対し、服に入った灰の刺繍を除けば全身を白に基調した服装は、細身の長身も相まって実にスマートだ。スタイルのいい貴族というのは見る者を魅了する華にも欠けておらず、目を泳がせるユースに、集中しろと言ってシリカがこつんと方を小突く。


「姉さん、状況は?」


「アウト。サルファード家終了のお知らせ」


 実家が崖から半身落ちかけている事実を、肩をすくめて平然と言ってのけるミュラー。生まれた家が没落の前にあって、嘆く素振りも見せないのは、単なる諦観からやけになっているわけでもなさそうだ。


「お父様への処断がどうなるかが争点ね。禁固は免れないでしょうが、死刑あるかどうかってのがキーポイント」


「死罪にならない可能性があると?」


 魔王マーディスの遺産と手を組み、綿の雨を降らせていたとなれば、町を滅ぼした罪科と危険な思想を鑑みて、死罪となるのは妥当である。ライフェンあたりも、もしも存命で人の縄についていたならば、誰がどう弁護しても禁固挟まずの死刑だっただろう。


「ライフェンが綿の雨を降らせていた集団の糸を引いていたことは、諸々の調査から事実と断定されているわ。でも、お父様とライフェンの間に繋がりがあったかと言えば別問題」


「あなた本気でそんなこと言ってるんですかね」


「本気よ。私がマジじゃなかったことなんて一度も無いわ」


 ライフェンの父であり、思想も似通う父が、ライフェンの悪行に無関与だったなどという馬鹿な話を、チータには信じられない。ましてサルファード家は緑の教団に深く関わる名家だ。ライフェンの行動を推奨していたかは百歩譲って別としても、その動向を知らなかったとは思えない。


「お父様がライフェンを裏で操り、綿の雨を降らせていた主犯の一味であるならば死刑で結構。だけどそういう証拠があるわけでもないのに、死罪ってのはちょーっとやり過ぎよね」


「……あなたは、サルファード家の味方なんですね」


「知ってるでしょ。私は弁護人の立場にいるのよ」


 少なからず信を置いていた姉でさえ、あの浅ましい父の味方をするという事実に、チータは露骨に溜息ついて見せた。それが癪に障ったのか、ミュラーは大鹿の角を削った杖を膝元に置いてチータを見据え直す。


「勘違いしないで欲しいんだけど、私はお父様が裁かれるならば裁かれるで結構なのよ。悪事をはたらいた者が"妥当な"裁きを受けるのは、極めて望ましいことでしょう?」


「妥当な裁きが望ましいならば、どうしてあの人の罪を軽くしようとするんですか」


「軽くしようとなんかしてないわよ。客観的な事実に基づいて、正当な場所に落ち着かせようとしているだけ」


「僕にはそうは見えませんけどね」


「それはあんたがお父様に死んで欲しいって思ってるからでしょうが」


 姉弟ともなれば容赦のない言い草が平然と出る。ここ最近、ここまで堂々はっきりと自らの胸中を突きつけられることの少なかったチータは、久しぶりの感覚に一瞬言葉を詰まらせる。


「あんた今でもティルマさんのこと恨んでるんでしょ。お父様達があの人を嵌めたって」


「証拠がなければ、ほぼ確実にそうだと言える相手を憎むことさえ許されないと言うんですか」


「確たる証拠もないのに決め付けで憎しみの矛を向けるのって、あなたとしてはどうなのよ?」


「僕は先生と父なら、先生を信じます」


 証拠は無い。だが、チータは今でも信じて疑わない。恩師は卑劣な詐欺をはたらき、自らの望む私腹を肥やすような人物ではないと。そして当時の師を嵌めた人物がいるとすれば、それにサルファード家の当主たる父が一枚噛んでいることを。


「話が上手くいき過ぎなんですよ。先生が責められる罪科のすべては、父があの人をサルファード家から追放した後なんです。サルファード家の使用人から罪人が出れば、管理能力を疑われ、サルファード家の名が落ちる。そうはならなかったでしょう」


 サルファード家から切り離されたティルマが逆恨みし、恩を仇で返す形でサルファード家の財産を奪い取ろうとした、という理屈でその理由を法廷が解釈するたび、チータは腸が煮えくり返る想いになる。それを知っていたからこそ、サルファード家の弁護人の立場として、反論の余地を持つミュラーも、ここでは何も言い返さない。言ってもどうせチータは折れないだろう。


「先生だけでなく僕までが、強く先生の残留を願い出たのに、父が先生の追放を押し通した理由。それは先生の悪事をでっち上げる時期を、サルファード家に関わりの無い時期に一致させたかったから。そうすれば、先生が罪人となっても、サルファード家は後ろ指を差されなくて済む。違いますか?」


 今度はミュラーが口ごもる。ふぅと一息ついた後、予定していた言葉を言うのだが。


「私だってあの件に関しては、お父様達の方が遥かに臭いと思ってるわよ。だけど証拠がないんだからそれを武器にあの人を糾弾することも出来ないわけじゃない」


「あなたは変わりませんね。法と掟に基づいた判断を、常に軸に置く」


「あんたは変わったわ。誰かを信じるなんて、思えど口にする子じゃなかったもの」


「そういう僕にさせてくれたのがあの人だったんですよ」


「ええ、説得力満点。私の師も偉大な人だったけど、ティルマさんに育てられたあんたのことを羨ましいなって思うことだって多かったわ」


 ユースは、出会った後のチータのことしか知らない。その遥か昔から彼を知るミュラーの言葉に、妙な共感を抱くのは本来おかしなことだ。なのに、不思議とその言葉には納得できるものがあった。


「お父様の罪科は、緑の教団を操作し、不当な貯えで私腹を肥やしたことに重きが置かれるでしょうね。加えて数年前、ティルマさんの一件の件に対しても、ガサが入ると思うわ。こちらでもしも、そうした何か事実が見当たれば、お父様への裁きはより重いものとなるでしょう」


「……ライフェンとの繋がりは」


「証明されればお父様も死罪でしょうけど、そうはならないでしょうね。証拠がない」


「姉さんは、その事実を究明しようとは思わないのですか?」


「なぜ?」


「正しい裁きが妥当であると言うのであれば、父と兄の間に繋がりがあったかどうかに対し、真実を求めるのが正しい姿勢でしょう。あなたは父の死罪を決定付ける、父さんと兄さんの繋がりに対しては事実を求めず、繋がりがなかったことのみを強調づけている」


「だって私、弁護人だもの」


「どうして、悪事をはたらいたことが少なくとも事実である父を、庇うんですか」


 綿の雨のことはさておき、ティルマの件もさておいてもいい。最低でも事実として、父という人間が裏で悪行をはたらいてきた人間であることは、ミュラーも知らないわけではあるまい。それは断じて決め付けではなく、身内として彼を見てきたミュラーならわかっているはずのことだ。


「私の父だからよ」


「それだけの理由で……」


「それがすべてなの」


 ミュラーは苦虫を噛み締めるような顔を浮かべる。決して楽な立場にいるわけでないことは、状況からも明らかなことだが、それでもその立場に立った姉の心境は、チータには理解しきれない。


「父は間違いなく、悪人よ。それでも、私の父なの。罪科が客観的に判断されぬなら、死罪に落とすことを容認はできないわ」


「……サルファード家は、父が捕らえられた時点で没落ですよ。足掻いても、サルファード家は二度と救われない」


「寂しいけれど、致し方ないことでしょうね」


 姉が、サルファード家の握る利権に興味がないことはわかっていても、敢えてそうともとれる言葉をチータは作った。それに対し、心境明け透けに、寂しいことであると言い返したミュラーの言葉が、本音そのものであるとチータにも感じ取れる。


「僕は父に対し、何の憐憫の情も沸きません。あなたは、違うんですね」


「哀れんでなどいないわ。正しい形で裁かれて欲しいと思うだけ」


 チータとミュラーの間に流れる沈黙。シリカもユースも、口一つ挟めるはずもない。姉と弟の間にのみ流れる、歪んだ父への想いが交錯し、部屋を重い空気が渦巻く。


 そしてその沈黙を破ったのは、意外な声。


「ミュラー氏」


 先程この部屋から出て行ったジャービルが、再びこの部屋に帰ってきた。礼儀正しい彼にしては、ノックのひとつも挟まずにだ。部屋の空気に呑まれていたユースも、驚いてそちらを振り返る。


「……どうされましたか?」


「ルオスの南より、魔物達の軍勢が北上しているとの報が入った。貴女に、助力を求めたい」


 意識をチータ達に傾けていたシリカも、ジャービルの言葉に僅かな士気を纏う。ジャービルが何も言わずとも、協力する心積もりはこの時点で整えた。


 だが、ミュラーは応えない。ジャービルのような人物がこうした時に助力を求めるほどには、ミュラーも魔導士としての手腕は確かなはず。チータも知っている。


「……お引取り願えますか。私は、父にかけられた容疑を晴らすため、忙しい身ですので」


「お気持ちは察します。ですが、力無き人々の命が危機に晒されるこの局面です。ご協力願えぬか」


 ごく当然のジャービルの主張。ミュラーにしては、協力しなければいけない理由はないにせよ、こう言われては手を貸してもいい場面のはずだ。


「……お聞き届けることは、できません」


「姉さん」


 頑なに手を貸さぬミュラーに、チータが立ち上がって近付く。腰掛けた彼女を見下ろすチータを見上げ、ミュラーは断固とした瞳を返すのみ。


「戦えぬ人の命を守るために戦うことよりも、あの人を守る時間の方が惜しいと言いますか」


「……私が守ろうとしている人が父でなければ、あなたもわかってくれるでしょう? 身内でない人のために動き、家族を守るための時間を失うことは、私には出来ない」


「あなたが守ろうとしているのは、あの人なんですよ……!?」


「それでも、私の父なの……!」


 ミュラーの言っていることは、チータだってわかる。第14小隊の7人の命と、名前も知らない千人の命を天秤にかけろと言われたら、第14小隊の仲間達を取る。街ひとつ救うために助力しないというミュラーの考え方も、身内を守るために奔走したい彼女の気持ちはわからなくもない。


 それは本来の話。彼女が守ろうとしているのが、あの父でさえなければだ。


「……わかりました。僕は姉さんのことを、見誤っていたようですね」


 虐げられていた先生を色眼鏡で見ず、彼女と親しくなってくれたミュラーのことは、法廷では敵対し得る立場となった今も、見限る気にはなれなかった。それでも、あの父を庇うことに固執し、本来ならとっていたはずの行動もとれなくようでは、彼女に対する信頼も溶けていく。


 人里を襲う魔物がいれば、恐れず立ち向かってきた強い姉。少なからず、尊敬していたつもりだった。


「……あなたにも、いつかわかる時が来るわ。血は水よりも濃いと言われる所以がね」


「金は血よりも濃いと言っていた父を弁護するあなたに、そんなことを言われても耳に障りますね」


 チータはミュラーから目を切って、シリカの方を向き直る。行きましょう、とその目が語っていることぐらい、話の流れを踏まずしてシリカにもわかることだ。


「ジャービル様。私達も出陣させて頂きたく存じます。同行をお許し願いたい」


「恐縮ですが、お言葉に甘えさせて頂きたい。緊急事態ゆえ、あなた方の助力は本当に心強い」


 ルオスの危機に力を添えたいシリカと、その心意気に頭を下げるジャービル。ユースもすでに、自分のすべきことは自分の中で固めている。


「帝都の遥か南、ゼーレの街がその焦点となるでしょう。法騎士シリカ様方には、そちらへ赴いて頂きたい。帝国の精鋭達も、各地からそこに集うでしょう」


「かしこまりました」


 ジャービルに一礼し、シリカは足早に歩き出す。一刻を争うかもしれないこの局面、最低限の礼節さえ果たしたならば、すぐにでも動き出すべきだ。


 シリカが部屋を出た動きに追従したユースは、部屋の入り口で振り返る。チータが姉を見下ろしたまま動かずにいたからだ。だが、そのチータをユースが目に入れた頃合いに、チータはこちらに歩きだす。急く気持ちのユースに近付き、行こうと一言つぶやいたチータに、ユースは小さくうなずいた。






 二人の少年が駆けていく。見送ったジャービルは、椅子に腰掛けたまま動かないミュラーに近付き、腰を降ろして目線を等しい高さにする。


「……この血を呪うあの子の気持ち、よくわかります」


 ジャービルが何か言うより先に、そうつぶやくミュラーの表情は、憔悴しきったものだった。ここしばらく、父のために動き続けて疲れた体が、隠しきれずにとうとう顔にまで出た形なのだろう。


「じきに終わります」


「ええ……早く解き放って頂きたいものです」


 頭を抱えてうなだれるミュラー。自分は何のために、こんな状況に身を置いているのか。あのような父を守るために、どうして弟にあんなことを言われながら、動き続けなければならないのか。今の自分の在り方が、決して賢しいものでないことは、改めて己を見返さなくともわかるはずのことだ。


 あれが、父でなかったなら。ダニームの賢者様と手を結び、悪辣非道の裏を解き明かすことに、仕事を放り出してでも従事していただろう。誇らしく振舞えたはずだ。そう出来なかったのは、騒動の

渦中にあるのが、あの父だからだ。


 弱味を握られているわけでもなく、同情の余地だって一切ない。それでも、血の繋がりはそうした正義を踏みにじる。人を惑わす。己の行動に胸を張れない中でも、狂気と知れた感情が体を動かし、信じたくない道へ自分を押し出すのだ。


 弱さだとわかっている。チータのよく知る、自信家でいかなる時も背筋を伸ばして世界を歩いていた姉の姿は、もはや失われたものなのだろうか。自室でジャービルに気の毒な目を注がれるミュラーの姿は、自らの弱さを自責してやまない、ただの一人の人間のものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ