1-8
(明日はいよいよ作戦決行だ)
アーニアは、高まる緊張といい知れない胸騒ぎを抱いて、学院で打ち合わせをした帰り、ある場所に立ち寄る。
勉強や研究、訓練に疲れたとき――ひとりになりたくなったとき、アーニアはそこにおもむく。
父親のことは好きだし、尊敬してはいるが、家では、心からはくつろいだ気分になれない。
そこは、街の外れの廃墟だ。かつては何かの神殿だったらしいが、それが何らかの事情で取り壊され、放置されてからもう数十年にもなるらしい。
人気のない、寂しいところだ。
誰にも邪魔されず、ひとり静かにもの思いにふけることができる、アーニアの秘密の場所だ。
かつては何かがすえられていただろう台座に腰を下ろして、アーニアは漠然と思いをはせる。
旧魔法への襲撃という明日の任務のこと。
そして、自分の将来について。
あるいは――。
はじめての任務を言い渡されて、あれこれの思いが深くなっていたためだろうか。それとも、いつも人気のないこの場所に安心しきっていたためだろうか。アーニアは、直前までその不穏な気配に気づかなかった。
いや、そういった条件にもかかわらず、実際に襲いかかられる前に、かろうじてそれを察知したことの勘と運のよさを言うべきかもしれない。
ともかく、よくないことが起きつつあることを、アーニアは知った。
「誰?」と声をあげる。
しばらくの沈黙のあと、気配の主たちが、わらわらと姿を現した。
「誰って言われてもなあ」
「見てのとおりというか」
男たちが姿を見せた。
声の主の言うように、「見てのとおり」だった。
あまり裕福とも、洒落ているとも言い兼ねる、粗末な服装。
だが、問題は服ではなく、彼ら全員の顔に表れた下卑た表情と、すさんだ雰囲気。
間違いなく、ごろつき、ならず者、あるいは、職業的犯罪集団といった輩だ。
「こんな人気のないところで、そんな可愛らしい顔して、いい服着てぼんやりしてるなんてなあ」
「こりゃお嬢ちゃん、あんたが悪いんだよ」
アーニアは、さっとあたりを見渡した。
前方に三人、後ろに二人。
合計五人。すでに囲まれている。
「そんなにおびえなさんな。おびえても仕方がねえんだから」
男のひとりが品のない声で言って、笑った。
アーニアは、おびえているつもりはなかった。
しかし、いま冷静になって状況を見渡してみると、それが非常にまずいものであることがわかった。
相手は五人で、それもみな武器を持っている。
しかも、すでにここまでの接近を許してしまっている。
近代魔術は、もちろん、実際の戦闘に対しても非常な強力な武器になる。しかし、それもある程度距離があるときだ。近接戦用の魔術もなくはないが、複数人を相手にするのはなかなか難しい。したがって、近接戦用の護身のために武器での戦い方を学ぶ魔術師も少なくはない。だが、アーニアには武器術の心得もなかったし、第一、いまは素手だ。
窮地といえた。
(どうしよう……)
「最悪の事態」が、頭をかすめる。
とそのとき、集団のひとりが手にした棒のようなもので、アーニアを突こうとした。
とっさに身をかわす。
(これ、本気だ)
いまのは、殺気立った一撃ではない。戦闘相手を仕留めようというわけでもない。本当にそうしようとしていたら、よけきれたりはしなかっただろう。
でも、相手に痛みを与えて、自分たちが本気で害意を持っている、ということを示すための暴力だ、ということははっきりと伝わった。
その害意から逃れようと、アーニアは駆け出そうとしたが、当然のごとく、逃げ道はすでにほかの男に塞がれている。
ほかの方向を探そうとして、足がもつれた。バランスを失ってその場に転んでしまう。
「できるだけ殺したりはしない方針なんだけど」
「おれたちのことをしゃべられても困るかなあ……」
下卑た声が聞こえる。
そのとき、ごきん、という音がした。
ひとりの男が、ふらりとゆれて、その場にうずくまった。
アーニアはその隙に体勢を立て直して、相手の男から少しだけ逃れる。
男のそばに、小さな石ころが転がっているのに気づく。
ならず者たちが、石の飛んできただろう方向に目を向けると、ちょうどひとりの少女が、物陰から歩み出しているところだった。
アーニアもそちらの方に顔を向ける。
そこには、ひとりの少女が立っていた。
年はアーニアと同じくらい。
青みがかった長い髪に、切れ長の目。白い肌はまるで何かの陶器のようだ。
美しい、とこんな状況にいるにもかかわらず、アーニアは思った。
「あんたたち、そこで何しているわけ?」
少女が言った。
「おいおい。なんだ、おまえは?」
男のひとりが訝しげに言った。
「おまえこそなにしてるんだ? お嬢さん?」
少女は険しい表情で言う。
「いちおう警告しておいてやる。すぐに失せろ。そうすれば追いかけてまで、ケガをさせたりはしない」
ならず者たちは呆れたように首を振った。
「おい。どうする?」
「どうするって、まあ……」
「女でガキだしなあ」
「石投げてきたところみると、魔術師でもないだろうよ」
「しかも素手」
「これはなあ……」
その後、お互いに目配せしあうと、突然、ものも言わずに少女に襲いかかった。
ならず者にしては、妙に連携のとれたなかなかの攻撃だった、と後で振りかえってみて、アーニアは思った。
一方、少女の動きは――アーニアにはよく見えなかった。
ひとりの男が、「ぐえっ」といううめき声をあげて、身体を崩した。
と思う間に、ほかの男が、くるりと宙を舞って反対側から突進してこようとした別の男にぶつけられた。
それを見てひるんだ残りのふたりのうち、少女は自分に近い方に、すい、と近づいていって――ここはアーニアにもかろうじて見えた――相手の持っている金属の棒らしきものをぐいとつかむと、それをひっぱり、男の身体が泳いだところに蹴りをいれた。
棒は、少女の手に収まり、男はその場に倒れた。
ほとんど一瞬の出来事だった。
少女は、手にした棒をひゅんひゅんといとも軽そうに回転させてから、それを残るひとりの喉元にピタリと突きつけた。
「さて……。まだやるかい?」
男は、何が起こったのか、すぐには理解できなかったようだが、事態を把握すると、ぶんぶんと首を横に振った。
「降参ってことでいいかな?」
今度は、首が縦にコクコクと動く。
「じゃあ、とっとと失せな、チンピラ」
少女がそう言うと、男ははじかれたように飛びずさった。ならず者の一行のうち、まだかろうじて意識のある者が、意識のない者をかかえて、なるべく早くこの場を離れたい、という体で去っていった。
「で、ケガはなかったかな?」と少女はアーニアに声をかける。
「あっ。はい。あの、あの、本当にどうもありがとうございました。おかけでわたし……」
「いいってこと。それより、キミ、魔術師だよね?」
と言いかけて少女は少し不審げな顔を見せる。
「え、はい。そうですけど」
まあ、この服装を見れば(学院の人間にのみ着用を許されている服だ)、魔術師に見られるのが自然だろう。
「そうか、魔術師なのにねえ。……いや、そういうこともあるのか。あまり個々人の事情を詮索するもんじゃないよね。失礼」
「いえ、そんな」
アーニアには、この少女が何を不審に思っているのかわからなかった。
しかし、それにしても、いまの動きはすごかった。かっこよかった。
見たこともない体術だった。
あらためて少女の姿を眺める。
美しい顔と長い髪、背はアーニアよりだいぶ高い。あの動きを見たあとでは、すらっとした身体にとてもしなやかな力がこもっているように思える。
身に付けている服は、飾り気のない、素朴な布の着物だが、あまり街で見るようなものではなかった。
「あ、あの……」
「うん?」
「名前を、教えていただけますか」
アーニアは思い切って聞いてみた。
「あー、名前、名前ね。ぼくは、シンカ。シンカ・エルエメス」
「わたしはアーニア。アーニア・デジメル」アーニアは顔を上気させながら言った。「本当に、本当にありがとうございます、シンカさん。それで、あのお……、あなた、よくここにくるんですか?」
「いや、そうわけじゃないよ。キミを見つけたのはたまたまで。念のため、ここも見ておくかな、と思っただけ」
「念のため?」
「いや、こっちの事情。気にしないでよ」
「この近くに住んでるの?」
「いや、それもそういうわけじゃないんだ。いまはここに身を寄せているというか……。とにかく、無事でよかった」
そういうと、シンカは、ちらっと笑った。
唇からかたちのいい歯がこぼれて、アーニアは、息と心臓が止まる心地がした。
「じゃあ、ぼくはこれで」
去って行こうとするシンカを、アーニアが手を掴んで引き止めた。
手をとった瞬間、シンカがびくん、と跳ね上がった。
「待って!」とアーニア。
シンカは、そのまましばらく黙っていた。
「あの、その……、また会えますか……?」
シンカは、アーニアの顔をじっと見つめてから口を開いた。
「そうか。キミはそういう……」
「……会ってくれますか?」
「いや、キミはどうやら、見たところとても裕福そうなところの近代魔術師さんだ。ぼくとはたぶん縁のない人だろう。だから、もう会うことはないと思う」アーニアに握られていた手を引くと、シンカはそう言った。「キミは……なんというか、自分の運命を呪ったりすることもあるのかもしれない。でも、そういうのって、キミだけじゃないんだ、とぼくはそう思ってる」
「?」とアーニア。
「まあ、それはそれとして」シンカはさらりと身を翻して、こう言って去っていった。
「こういう人気のないところには、ひとりで出歩かないほうがいいよ。あのチンピラたちは、たんにキミが持っている金目の物だけが目当てだったんじゃないと思うし。キミ、見た目もすごく可愛いんだから、気をつけないと!」
シンカがどこかへ行ってしまってからも、アーニアは、彼女の最後の言葉を思い出して、知らず顔を赤くした。