1-5
アーニアは翌日、ニッケスとテテロサの訓練の様子を見せてもらった。
戦士の訓練もいままでに見たことがないわけではなかったが、今度の作戦ではチームを組むのだし、一流の水準の戦士――父がこの作戦に選んだのだから、二流ということはありえない――というのがどのような技術を持っているのか、自分の目でも確かめておきたかったのだ。
学院内には、戦士用の訓練場のようなものはないので、ふたりは学院の裏庭で汗を流しているという。
ひさしぶりに、アーニアは午前中魔術の訓練や研究、講義への出席などをやめにして、冬の穏やかな日の光を浴びて裏庭に向かった。
毎日毎日魔術漬けになっている状態は、自分の不安を隠すのに最適の方法だと思っていたし、事実それはそうだったろうが、思い切って魔術から離れてみると、それはそれで案外気持ちよかった。
裏庭からは、カキンカキンという剣のかち合う音と、それにまじって「はっ!」「ほっ!」「ふっ!」というリズミカルな掛け声が聞こえてきた。
ニッケスとテテロサが、実戦のような打ち合いをやっている。
剣は模擬刀だろうし、本気で相手を討ち取ろうと思っているわけではないだろうが、アーニアの目にはそれはまったく容赦のない真剣なものに思えた。
と、ニッケスがアーニアに気づいたらしい。彼の視線が一瞬、テテロサから外れた。
「それっ!」とテテロサの強烈な一撃が、ニッケスの剣を叩き落とす。
「うおっと」とわれに返るニッケス。
「なによそ見してんだよ」とテテロサは言って、「あ、アーニアか。おはよう」
アーニアの方を振り返って挨拶する。
「おはようございます。テテロサさん、ニッケスさん」
「お、おはようっす。アーニアさん」とニッケス。
「おいニッケス、女に見とれて不覚とるなんて戦士としてどうなんだ?」
「い、いや、見とれていたわけじゃねえよ」
「まあ、しょうがないか。アーニアさん、かわいいもんね」と、テテロサは言ってアーニアに笑いかける。アーニアはちょっとどきっとした。
「か、かわいいなんてそんな……」
「うんにゃ、すごいかわいいと思うよ、あたしから見ても。まー、ちょっと真面目すぎるというか地味っていえば地味って感じでもったいないけどねー。でも近代魔術師のエリートさんじゃしょうがないか」
そう言われてテテロサの姿を見ると、さすがに昨日ほどのチャラチャラした装飾品は付けていなかったが、なかなか派手な色合いの装備をしている。おしゃれにはかなりのこだわりがあるらしい。
「でもまあ、こいつの名誉のために言っておくと、いまのはちょっと油断しただけで、なかなかの腕だね」
「いや、なかなかのっていうか、俺とあんたでは俺の方がちょっとだけ強くないか」とニッケス。
「あたしはあたしの方が少し上だと思ってるよ。ということはだいたい五分なんだろうね」とテテロサが返す。「ところで、アーニア、あたしたちに何か用があって来たの?」
「いえ、用があるわけじゃないけど、少し見学に……」
「へえ。それはうれしい」といいながら、テテロサは汗をぬぐい、剣を鞘に収める。
「それはうれしい。俺の剣さばきも実戦で使う機会があるかどうかわからないからな。一度いいところを見せておきたかったんだよ」
先ほど、いいところを見せ損なったニッケスが、こちらも剣を収めながら、それでもうれしそうに言う。
「いやさあ、アーニア、あたしたちもあちこちで近代魔術師と仕事をする機会があるけど、ほとんどの魔術師は戦士の戦い方や力なんかにあんまり注意なんか払わないんだ」
アーニアが見学に来たというのに、ちょうど休憩にでもするつもりなのか、テテロサは話を続けた。
「おかしいと思うでしょ? いっしょに仕事をする仲で命を預けあっている仲だもん。でも、共同で訓練するなんてことはないんだよ。あたしたちはやった方がいいと思っている。でも魔術師たちはやらない。魔術師が参加する作戦は、すべて魔術師たちが指揮することになっているし、そこであたしたち戦士の意見はほとんど聞かれない」
「それはそれでいいだろ。別に作戦を練るのなんかめんどくさいだけだし」とニッケスが口をはさむ。
アーニアは何も言わない。
「まあねー。指揮権があっちにあるのもいいし、それに魔術師の魔術の方が作戦上はるかに複雑で頭のいる使い方をしなくちゃならないというのもわかる。だから、戦士なんかは、魔術師をちゃんと守り、魔術師の指揮でちゃんと敵を攻撃してくれればいい。なにも難しい仕事じゃない。できると評判の戦士を捕まえて、あとはきっちり命令を聞いてくれればいいってね」
「おい、テテロサ、そういう言い方ってさ……」ニッケスは困惑している。
「あー、たしかに愉快な言い方じゃなかったね。その点は申し訳ない。でも、アーニア、あんたはデジメルさんのところの娘で、将来を嘱望されるエリートで、若くて、そしていまここにあたしたちを気にかけて見に来てくれた。だから、ちょっと言っときたかったんだよね、それに……」
アーニアは少し恥ずかしかった。別にそれほど強く彼らのことを気にかけてここに来たわけではなかったからだ。
「それに」とテテロサは続けた。
「ここは、――ルイドはとてもいいところだ。デジメルさんにも会ったけど、娘をしっかり頼むと言われて、手まで握られたよ。あのディスタさんって人も」と言ってそこではにかむような表情になって、「丁寧に作戦を説明してくれたし。まー、しかし、彼はちょっとキザったらしいというか、エリート意識あるタイプだけどね。でも、美男子だし、イヤな人じゃないよ。いや、むかしウィーズの学院にも行ったことがあるけど、あそこはなんだか雰囲気悪かったね。近代魔術師がいちばんえらいと思っている連中ばっかりだったよ。まー、実際魔術師はえらいと思う。思うけど、もっとちゃんとした態度ってもんがあると思うのさ。なんかイヤな言い方になってしまったけど、それがあたしの言いたかったことだ」とここまで言ってテテロサは一息ついた。
「もちょっと、うちらの稽古見ていくかい?」
アーニアはうなずいた。
はじめて間近で見る一流の戦士の剣さばきは、この道が魔術にも劣らないほど、深く興味深いものだという印象を、アーニアに与えた。
翌日も、翌々日も、アーニアはニッケスとテテロサのところに行った。
ニッケスはまんざらでもなさそうな表情をしてアーニアを出迎え、テテロサも彼女を歓迎してくれた。
稽古の後に聞く話も、アーニアには新鮮で刺激的だった。
「まあ、おれとかテテロサなんかは、フリーの戦士だからさ、それこそあちこちの街も行っているし、いろんな戦いを繰り返しているわけよ」
「そうね、あたしもこの国は北から南までだいぶ歩いたね。故郷にはだいぶ帰ってないけどさ」
「テテロサさんの故郷ってどこなんですか?」とアーニア。
「この国じゃないんだ。南の小さな島国でね。のんびりしていいところだけど、どうものんびりしすぎている。ちょっと刺激が足りなかったし、それにあたしは十三のときにはもう自分の村じゃあいちばんケンカも剣術も強くなっちゃって、もっと広い世界を見ようと思って飛び出してきたんだ」
「おれも十三のときは無敵だったなあ」とニッケス。
「ニッケスさんはどこから?」とアーニア。
ニッケスはよくぞ聞いてくれましたという顔で答える。
「コクリキの町だよ」
アーニアはコクリキという町の名前を知らなかった。
「北の方にある町だっけ?」とテテロサ。
「当時のおれがいちばん強かったんだから、まあ小さい町だった」とニッケス。
「そうだね。あたしもほんとに世間知らずだったよ。〈錬成〉もなしで剣術やってたんだから」
〈錬成〉というのは、戦闘を本格的にやる人間なら当然知っているべき基礎技術で、生命力=魔力を独特のやり方で体内に満たすことによって、肉体の強靭さ、俊敏さ、あるいは感覚の鋭敏さを格段の水準に引き上げることができる。
したがって、なんの訓練もしていない一般人と職業戦士とではその戦力に大きな隔たりがあるし、さらにいえば戦士同士の力量についても単純な身体的能力の有り様以上に差が出ることにもなる。
「それで、最初は、魔獣狩りの仕事でなんとか戦士として食っていこうとしたんだけど……」
「いきなり魔獣狩りか。若いっていいねえ」とテテロサがまぜっかえす。
「それだよ。最初に青虎みたときには、肝をつぶしてさ。あれ、ほんとに青いんだよなあ。それが木の間をゆらゆらと……」
「いやー、こわい。それはこわい!」とテテロサが笑い声をあげる。
「そんとき、いっしょにいた、というか師匠と慕ってた男もさ、実は青虎見るのがはじめてだったらしくて、俺が「し、師匠、あ、あお、あお……」と言ってそいつの方見たらもういないんだよ」
「ひええええ。それで?」とテテロサの合いの手。
アーニアも息をつめてその話を聞いた。
ニッケスとテテロサは、いろいろな話を聞かせてくれた。
王国のおえらいさんを護衛したところ、そのおえらいさんが護衛を巻いて逃げ出してしまった話(愛人のところで見つけた)、剣術好きの貴族が催した剣術大会の話(ウルトスという人はそこで優勝したこともあったらしい。テテロサが憧れの気持ちを込めて話した)、幽霊船らしきものを見た話、旅の商人と同行して、米や小麦の相場をどうやって読むかについて教えてもらった話……などなど。
そのどれもがアーニアには、自分の世界とは別のもののように生き生きとして輝くようなものに思えた。
「テテロサさんも、ニッケスさんもすごい……。ほんとに、いろんなこと見て聞いて、いろんな人と会って、いろんな仕事してるんですね。わたしなんか……」
「いやあ、そういう仕事だからね」とテテロサは言ったが、アーニアは、いつも自分が過ごしている学院内での勉強や訓練が急に味気ないものに思えた。
そんなアーニアの表情を見てとったのか、ニッケスは軽い感じを装って誘ってみる。
「じゃあさ、アーニアさん」ごくっ、とつばを飲む音。「そんなら、ちょっと俺といっしょにあちこち旅でもしてみる?」
「あ、いやそれはちょっと……」とアーニア。
「バカ。いくらなんでも、口説く相手としては身分が違いすぎるだろ」
笑いながらテテロサが言った。
アーニアとの楽しいおしゃべりのあと、水浴びをして汗を流し終えたニッケスのところへ、学院の小間使いらしき人間がやって来て、声をかけた。
「ニッケスさんですね」
「ん。そうだけど」
「あなたに、わが支部長のタンカイ様がお会いになりたいそうです」
(俺に? なんだろう)
ニッケスには、心当たりがなかった。
「ニッケスくん、だったね」と部屋の主が声をかける。
なるほど、ルイドの街の学院支部の支部長室ともなれば、これほど立派な作りなのか、とニッケスは感心していた。
「あ、はい。そうです。なにか俺に話があるということで参上しました」
しかし、なぜ一介の戦士であるこの自分が、この支部長に呼ばれたのか、ニッケスにはまったく見当がつかなかった。
「ああ、わたしの自己紹介はまだだったか。名前くらいは聞いているかもしれないが、ここの支部を預かる責任者のタンカイだ。以後よろしく」
ニッケスは、差し出された手を握る。意外にもごつごつした感じの手だ。
タンカイの年齢は、だいたい五十くらいだろうか。背は低く、少し太り気味のように見えるが、地位のせいもあってか、品の悪い感じはしない。顔は大きく、目がぎょろっとしているが、イヤな印象を与える容貌でもない。いかにもお偉いさん、というあたりだ。
「まあ、とりあえずかけたまえ」タンカイはそう言ってニッケスを座らせると、机を挟んで自分も椅子に腰かけた。
「今回の作戦に、君が参加してくれることになって、わたしはたいへんうれしい。君の経歴などは、ミルドから聞いている。若いのにかなりの修羅場をくぐっているようだし、いままでいっしょに仕事をしてきた仲間からの評判もいい」
「へへ。そりゃあ少しほめすぎかもしれませんね。悪い気はしないっすけど」
「いやいや。ミルドが、自分の娘の初陣に付けるのに選んだ人材だ。もっと自信をもっていい。まあ今回は、ほかにもウルトスを呼んだり、リーダーをディスタにしたりと、少々おおげさな念の入れ方だとは思うがね。やっぱり自分の娘となると過保護気味になるのは仕方あるまい」そこでちょっと考えてひとりごとのように付け足す。「もっとも、ウルトスには自分が久しぶりに会いたくなったのかもしれんな。それに、アーニアとディスタをぜひくっつけたいという、そんな親心もあるだろうしな……」
あっ、やはりディスタとアーニアは親公認の組み合わせなのか、とニッケスは心の中で舌打ちする。しかし事実、美男美女でお互いエリートの近代魔術師、客観的に見てもお似合いなことは否定しがたい。さすがに自分に来るチャンスが大きいものとは思ってなかったが、がっかりさせられたことは事実だ。さらば、俺の玉の輿計画。
「それで、今日、俺をお呼びになった用件というのは」
「ああ、それだ。これはぜひとも引き受けてもらいたい。しかし、なにぶん内密の頼みなのだ。もちろん、なにかあくどいことだとか裏切りに類したようなことではないが、あまり他に知らたくはない。そういう仕事だ。たとえ、引き受けてもらえなくても、話自体は外に出してはいかん。今回の作戦のメンバーにも、だ。わかるね」
真剣味を帯びた声と表情だった。
「わかりました。俺にできることでしたらなんでもやります。話も絶対口外しません」
「たいへんけっこう。仕事自体は簡単だ。今度襲撃する寺院からあるものを持ち出してもらいたい。そしてそのものを私のところに持ってきてほしい。それだけだ」
「それだけですか」
「そう。それだけだ。モノがどんなものかを説明しておこう。私も実物は見たことがない。しかし、だいたいの形状はわかっている。杖だ」タンカイはそういって、両手で杖を構える仕草をした。「一見すると普通の杖だが、柄には古代文字が刻まれている。古代文字を見たことは?」
「いえ。ないっす」
「そうか。まあ、問題ない。見たこともないような奇妙な文字が刻まれている、というので目印には十分だろう。この杖が、あの寺院にある確率はかなり高い、とわれわれは推測している。むろん、絶対ではないが……。どこに隠されているのかはわからないが、襲撃当日の集会ではこの杖が持ち出される可能性はこれもかなり高いと思う。もし、その場で見つからなかったら、その場にいる〈司教〉か寺院の管理者に聞いてみてくれ。ただし、持ち出すにしても聞き出すにしても、なるべくほかのメンバーに気づかれないように、そっとやってほしい」
「何かやばいものなんですか、それって」ニッケスは少し不安になる。
「いや、そういうわけではない。もっともこれがどういうものかを説明することはできない。学院の機密事項にふれることだからな。ただし、これは決して何か悪いたくらみではなく、今後の近代魔術の発展に寄与する重要な資料なのだ。この仕事、ぜひとも引き受けてほしい」
タンカイはそう言って、ニッケスの目をじっと見つめた。
これだけ地位が高い人に、直接はっきりと頼み事をされると、妙な自尊心もわいてくるものだ。ニッケスはこの話を受けてもいい、と思った。
「わかりました。やってみます」
「おお、ありがとうニッケスくん」
タンカイが手を差し出して、ニッケスがそれを握る。タンカイの手の力は、最初の挨拶のときよりもやや強く感じられた。
「それで、それについての報酬はいかほどいただけるんで?」
「二千イェン出そう。それでどうかね」
「悪くないですね」
仕事自体の報酬も二千イェンだったから、ちょうど倍増しだ。ニッケスは、今回の仕事は非常にいいものにあたった、毎回こんな仕事ばかりだったらいいのにな、と思った。