1-2
「……だから、魔術の発動と構築には、一定の時間がかかる。したがって、実戦で魔術弾をうつにしても、また、結界を作るにしても、つねに状況を把握しつつ、瞬時に的確な対応ができるようにならなければならない。また、一方では、特定の魔術を構築するまえに、パターン化された原‐構築を意識下で行なうというのも有用だ。これは優れた近代魔術師であれば、無意識にやっていることだが、意識して訓練することによってより効率的に身につけることも可能だろう」
ディスタは、ここまでしゃべると、いったん言葉を区切って、講義を受けている学生を見渡した。
(ちゃんと理解できているのはどれくらいるんだろうか)
理解できているのかどうかはともかく、女子学生の多くは、ディスタの講義を楽しみにしていた。
なにしろ、ディスタは抜群の美男子だ。
年齢は二十代の後半。独身。
精悍さと品のよさをあわせもった容貌で、やや長めの黒い髪はよく手入れされている。
ただ見た目がよいだけではない。
この〈学院〉ルイド支部の中でも、一、二を争う優れた近代魔術の使い手である。将来は、ここの学術長、さらには支部長になるだろうか。あるいは、ウィーズやソサリアに招かれて、そこでさらに高い地位につけられるのかもしれない。
ディスタは講義を続ける。
「では、その原‐構築において重要なことは何か。……誰か?」
誰も答えない。
「アーニア、君はどう思う?」
指名された生徒が立ち上がる。
一見すると、特にどうということのないただの小柄な地味な少女だが、よく見ると目鼻立ちは実に愛らしく整っている。
髪は肩までの長さ。特に印象的なのは、その目に宿る知性的な光だ。
「各種の術式に変換される以前の魔力は、本質的には区別されえないということです。したがって、原‐構築をする場合、術式に特殊な方向づけを的確に行わないと、当初の目的であるスムースな魔術の発動どころか、かえって無用な混乱を招いてしまうことになりかねません」
「さすがだ。アーニア」
額に手を当てて、大げさに首を振る。
一方、まわりの生徒たちは声もあげない。
見事な回答をしたはずの少女に対しての視線も冷たい。
しかし、アーニアと呼ばれた少女は、反応を特に意に介してもいないようだ。自分が同年代の魔術師のほとんどに、また、教官の魔術師たちの少なくない人たちから疎ましく思われていることは知っている。
嫌われるのもある意味仕方がない、とアーニアは思う。
富裕な、あるいは家柄のよいところの子弟が集まるこの学院の中で、生まれは劣っている。ここにいられるのも、幸運にもこの学院最大の実力者の養女となったことによる。他人とは友達づきあいもしないし、教官たちに対してもあまり愛想のいい方ではない。
そんな自分が、あまりに熱心に魔術に取り組み、優れた成績を上げているところを見れば、気分を害する人間がいるのも当然だろう。
でも、そんなことにかまってはいられない。
彼女の目指すところは高い。
最高の近代魔術師になる、というのがその目標だからだ。
ディスタは、アーニアに対して非常によくしてくれる教官のひとりだ。
(まあ、ちょっと)
とアーニアは思う。
(気をつかってくれすぎて、かえってどうかな、と思うこともあるけど)
(あと、ちょっとキザっぽすぎると思う)
しかし、講義がおもしろいことについては、このルイドの学院でも抜群だから、アーニアはそれを楽しみにしている。
特に今日の講義は興味深かった。
彼女がちょうどいま、考え、追求しているある魔術技法と関心がかなり重なり合っていた。
(つまり、一度構築された結界や障壁でも、それを魔術弾に変換することは十分可能だし、それを理論化・一般化することもできるのよね)
アーニアは、いずれはこの街を出て、ウィーズやソサリアで、さらなる研鑽と、そして実績を積みたいと思っている。
そうして、近代魔術の水準を上げることに貢献し、歴史に名前を残したいのだ。
そこで、いま考えている課題が、その魔力変換についての理論と、その実践だ。ときどき時間を見つけては、自分自身でもそれを試してみて、実際に何度か成功している。まだ、いつでも完璧に、というわけにはいかないが。
(これがうまくいけば、偉大な魔術師としての輝かしい第一歩になる)
もちろん、真に偉大な魔術師と認められるには、ただ研究に励んでいるだけでは十分ではない。第一線に立って、その力量を示すことも求められる。
友人を作ったり、嫌われないようにしているヒマなどない、とアーニアは思う。
そして、その「現場で力量を示す」機会は、十六歳のアーニアにも、いよいよめぐって来ようとしていた。
すべての講義が終わると、彼女は、学術長室に向かった。
〈学院〉に登校する前、父のミルドから「今日は大事な話があるから、午後の講義が終わったら、私の部屋に来るように」と言われたのだ。
部屋の扉をノックして名前を告げる。
「アーニア・デジメルです」
「入りなさい」
アーニアにしても、学術長室に入るのは久しぶりのことだ。
教官を統率し、教育・研究関連の責任者である学術長は、学院ルイド支部での第二の地位にあたる。もっとも、魔術の力ということでいえば、おそらくここで一番だろう。
アーニアの父でもあるミルド学術長は、書きものから顔をあげてアーニアを出迎えた。
「最近の講義はどうだ? おもしろいか?」
「はい。だいたいどの講義も興味深いです。充実した日々を過ごしています」とアーニアは答える。
「それはよかった。おまえの水準だと、もしかしてそろそろ退屈になってくるかもしれない、と懸念していたのでな。ここ、ルイドは田舎とは言わないが、ウィーズやソサリアに比べるとさすがに一歩譲らざるを得ない。もう十六になったことだし、そろそろウィーズあたりで勉強させてやりたいのだが……、まあ、もう少し待ってくれ」
ウィーズはこの国の首都で、学院の本部もそこにある。近代魔術の総本山にして最高、最先端の魔術都市だ。アーニアも偉大な近代魔術師を目指す以上、いずれはそこに赴き、そこで名を上げるつもりだ。
「ウィーズに行く前に、こちらでいくつか経験を積んでおく必要もあるだろう。実は、今日おまえを呼んだのは、その「経験」についての話なのだ。簡単にいえば、一週間後、おまえに学院外での任務をこなしてもらう。初出動というわけだ」
ミルドはここでいったん言葉を区切り、おもむろに時間をおいてから、その内容を明かした。
「任務の内容は、旧魔法の取り締まりだ」
アーニアは、特に表情を変えなかった、と自分では思っていたが、実際にどうだったかはわからない。
「はい。了解しました」
少し声がかすれていた。
このときが来るのを待ち望んでいたのだが、いざそれを告げられてみると、意外と現実味がない。とはいえ、身体の方は、十分に来るべき事態に早くも緊張を感じて、心拍数をあげ、また手からじっとりと汗をにじみ出させていた。
「旧魔法の取リ締りはたしかに危険もある仕事だ。だが、そこらの見習い魔術師ならともかく、いやしくもこの学院の将来を担おうという人間ならば、この任務をこなしておく必要がある。そしてアーニア、おまえはそういう責任のある人間だ。親の欲目で言っているのではない。おまえは、私がいままで見てきた中でも最高の生徒だ。才能もあるが、なにしろ努力家だ。いずれ、最高の近代魔術師となるだろう」
「過分なお言葉です」
口ではそう言ったが、アーニアにはそれを目指しているし、また、それに見合う能力と努力の自負もある。
「いや、たしかだ。おまえの父であることを、そして、このルイドの学院が、おまえのような魔術師を持ったことを本当に誇りに思っている。だからこそ、旧魔法の取り締りを見事にこなし、近代魔術師として誰からも認められる人間となってほしい。その後、ウィーズなどでさらなる研鑽を積み、より多くの責任ある任務をこなし、魔術を通してこの世界に幸福と秩序を与えてほしい。そう思っている」
任務である旧魔法取り締まりの作戦は、五日後に決行と決まった。
この程度の作戦であれば、五日間もかけて綿密な打ち合わせなどする必要もないように思われるが、ルイド第一のエリートにして、学術長の娘であるアーニアの初出動だ。彼女自身の安全のためにも、またその輝かしい実践の功績の第一歩のためにも、事はいつもより慎重に進められた。
アーニア自身は、このような特別な配慮はうれしくなかったが、心配性な父がこういうところで折れるとも思えなかったし、なにしろ自身でも緊張していたから、その不安を和らげるためにも、事前の丁寧な準備については文句を言わなかった。