4-3
二組みの戦いがいまはじまろうとしている。
ひとつは、魔術師導同士の、もうひとつは戦士同士の戦いだ。
ウルトスは、ゆったりと剣を中段に構える。
もっともオーソドックスで、スキのない構えだ。
シンカは、自分の剣技にはかなりの自信を持っている。一対一の戦いになったとき、まず不覚をとることはない。しかし、ときどきは油断できない相手、危険な相手、あるいは適いそうにない相手と出会うこともある。
そのときは、逃げる。自分は戦士として相手を倒すことを第一の目的にしているわけではない。だから、肝心なのは、相手の技量を見極める力で、それについては誤りは許されなかった。
ウルトスの技量は、昨晩の戦いでだいたいのところは把握している。
純粋な技量、あるいは経験という面から見れば、おそらく自分より上だろう。
しかし、今回にかぎっては「逃げる」という選択肢はありえない。
アーニアも、半眼で呼吸を整えつつ、全身の力をできるだけ抜き、鞘に収まったままの剣の柄に手をかけた。
魔術師の戦いは、審判の「はじめ」の合図ではじまるのだが、その声がかかるまでには、通常ある程度の時間をもたせる。両者ともにそこでそれなりの準備をするのだ。
魔術の展開自体は、開始の声がかかってからだが、どのような魔術をどんな順番でどのように展開するのか、のおおまかなイメージを練っておき、それに対しての魔術がスムースに発動できるように、精神をとぎすませ、集中力を高める。
アーニアは、結局、何か小細工を弄するのはやめることにした。
そういうものは、すべて父には見破られる。
魔術の力を左右するのは、もちろん第一には技術だ。しかし、実際にそれを使う段になると「気持ち」の問題が大きく左右する。
いまここで急に技術を高めることなどできはしない。
であれば、いまアーニアにできることは、自分の力を最大限に出し切るそういう環境と戦術を選ぶことだ。
アーニアは、それに父親を信用していた。
父はこういうところで、変に曲げたことをしてくるタイプの人間ではない。アーニアに全力を出させて、それを打ち破ることが、ここでの自分の役割と思っているだろうし、そうであれば、アーニアに全力自体は出させてくれるだろう。
だったら、存分にやらせてもらう。
いまの私の全力をぶつける。
心を落ち着ける。
自分が組むべき術式をはっきりと、しかし、部分に固まらずに全体としてイメージする。
ふたりの用意が十分に整ったことを知ったオルゴは、自分の心を落ち着けるべく小さく息を吸い込んで、しばらくそれをとめると――どうか、このふたりのどちらにもケガがありませんように!――「はじめっ!」戦いの開始を告げる声を発した。
アーニアの目の前に、たちまちにして、薄い光を帯びた円形の盾〈障壁〉が展開される。
十ばかりはあるだろうか。ひとつひとつの盾が美しいのはもちろんのこと、それが形作る秩序だった陣形の姿はさらに見事だ。
そこにミルドの魔術弾が、次々と着弾する。
魔術と魔術がぶつかり合う独特の衝撃音と激しい光が交錯する。
(見事だ)
とミルドは思う。これだけの水準の障壁を、これだけの数、これだけ見事な形で配置するなど、おそらくルイドでも最高の腕前だろう。
アーニアはほとんどの魔術に通暁するオールラウンダーだが、その最も得意とする分野や、結界術であり、その応用であるこのような魔法障壁の展開だ。これについては、ルイド最高の魔術師を自認するミルドを凌ぐほどの力量を持っていると言っても過言ではないだろう。
障壁の合間を塗って、ときおりアーニアの魔術弾がミルドに迫る。
だが、それもミルドの側の障壁によって阻まれる。
(しかし、攻撃の方はまだまだ甘いところがあるな)
とミルドは判断する。
ここしばらくは、アーニアと模擬戦をやっていないが、魔術弾の威力を見る限りでは、こちらの方は以前からあまり進歩がないようだ。
(得意なところを伸ばすのもけっこうだが、こういう戦いでは、結局は総合力が問われる。今回はいい機会だ。そこのところについて、少し手痛い指導をしなくてはなるまい)
だが、油断は禁物だ。
ミルドは、いまアーニアの魔術弾、あるいは魔術波を防ぐのに十分であるよりもさらに少し余裕を持ったレベルで防御することにした。
他から邪魔の入る恐れのない一対一の対決であれば、地力で上回る側は、まずは「負けない」体勢を築くのが原則だ。
アーニアの守備は、ほぼ完璧に近い。
だが、攻撃と防御をひとりの人間が行うこの形式では、ずっと守備に専念しつづけるわけにもいかない。
相手の防御を崩すために、ちょっと焦った攻撃をする。そうすることによって、一瞬自身の防御にスキができる。
こういうことは実によくある。
そして、ミルドは、アーニアの防御の水準の高さをよく知りながらも、彼女には、まさにその攻撃を焦って、わずかに守備に緩みが出るという弱点があることをよく知っていた。
もちろん、それについてはいままで口を酸っぱくして指摘し、指導してきた。
だが、身についてクセになってしまった弱点というのは、そうとわかっていてもなかなか矯正するのは困難なのだ。
だから今回はそこを突かせてもらう。
それが、安全で、かつ勝利に近いやり方のように、ミルドには思えた。
シンカとウルトスは、「はじめ」の声がかかっても、しばらくは動かなかった。
シンカの構えは「居合い」だ。
(なるほど)
ウルトスは感心していた。
なかなか堂に入った構えだ。
居合にもいろいろな流派があるが、これは〈流蓮流〉の構えだろう。防御に主軸をおきつつ、こちらがスキを見せれば一気に飛び込んできて一撃で勝負を決める。
多人数での戦いには向かないが、邪魔者なしの一対一であれば、もっとも有力な構えのひとつといえる。
戦いが長引けば結局は実力や経験の差が出る。
だが、このような超短期戦となれば――特に相手のクセなどがあまりよくわかってないケースでは――偶然のかみ合わせが結果を大きく左右することもある。
よく考えられた選択だ。
ウルトスは、昨夜の作戦で、シンカの技量を自分より少し下、と見ている。だが、あの瞬発力と集中力、反射神経はあなどれない。
それに〈流蓮流〉は、それほどポピュラーな流派ではないが、使い手にあったときのおそろしさはよく知っている。
(むかし、流蓮流の達人に教わったこともあったっけ……)
(いや、あれは教わったというものじゃないか)
にらみ合いはしばらく続いた。外から見ればたいした時間ではないだろうが、真剣勝負の戦士にとっては、かなり長い時間だ。
それに、永遠に睨みあいを続けることはもちろんできない。
冷静に考えれば、この状態がずっと続いて困るのはシンカの方のはずである。
たとえば、ディスタが助けを呼んで戻ってきたら。あるいは、誰か人が通りががっただけでも、シンカに不利になることはあっても、ウルトスに困ることはない。
(だが、まさか、勝負を挑んでおいてそんなことはできないよなあ)
それに、時間をおけば、相手の構えにスキはできないにしても、小さな「ほつれ」が兆すのではないか、と思っていたが、シンカは最初の構えをずっと維持していた。
この少女は、きっと「待つ」こと、集中力を保つことについては、天性の才能の持ち主なのにちがいない。
このまま、戦いを膠着させた場合、緊張の糸が切れるのは、もしかしたら自分の方が先になるかもしれない、とウルトスは思った。
(年をとったり、第一線から離れるとこういうところがいけなくなるのよねえ)
相手に気づかれないよう、初撃にあわせて、全身のリズムを整え、全身に力を溜める。
(はっ!)
タイミングは、シンカの方が一瞬勝った。
ウルトスの初撃が動作するその直前の刹那、シンカは、ウルトスの身体に生じた一種の緊張感の高まりを見逃さなかった。
ウルトスほどの戦士ともなれば、攻撃にうつるタイミングを相手にそうそう読ませはしない。しかし、今回は、ウルトスが自分では気づいていない誤算があった。
このイレギュラーな状況と、自分の方がわずかに強いはずだという余裕から、彼女は状況をじっくり「考えた」のだ。
シンカは、ウルトスの考えがまとまる瞬間を感知しようと、ただひたすらそれだけを狙っていた。
だから、なんとか第一撃は、相手より半瞬だけ速い、という望みうる最高のタイミングで放てた。
シンカの剣は、その軌跡を見せず、ウルトスの身体に届く。
ざっ。
剣が肉を抉る感触がたしかにある。
この初撃が勝負を決めなかったのは、ひとえにウルトスの技量と経験によるものだろう。
ウルトスの踏み込みは浅かった。浅くなるように、身体の中の何かが彼女を留めた。
相手の剣が、利き腕の二の腕のあたりを深くえぐっている程度ですんだウルトスは、足を踏ん張ってその場で体勢を立て直すと、剣を左手――利き腕ではない方に持ちかえ、その手応えからまだ立ち直っていない、シンカにあらためて、剣を振り下ろした。
シンカがそれをかわす。完全にはかわしきれない。
太もものあたりに激痛が走る。
手創を負ったふたりはまた間合いをとりなおす。
傷の深さ自体は、ほぼ同じだろう。
しかし、どちらのダメージがより深刻かといえば、利き腕にダメージを受けた方だろう、とシンカは判断する。
一方のウルトスは思う。
(やられた。しかし……)
(こういうこともあるかと思って、左腕も十分使えるようにしておいて、本当によかった)
アーニアとミルドの戦いは、両者ともに防御に重点をおいているように見える。
拮抗した熱戦になっているように見える。
だが、ミルドは、戦いの流れが徐々に自分の方に傾いてきているのを感じていた。
障壁は、度重なる魔術攻撃を受ければ、次第に耐久度を失い、やがては消滅する。したがって、術師は戦いながらも、タイミングを見計らいつつ、また新たな障壁を次々に補充し、展開しなくてはならない。
ところが、その障壁の再生産において、アーニアの方にやや陰りが見えてきている、とミルドは見た。
おそらくは疲労だろう。
魔術を行使することは、たいへんに精神力を集中する行為だ。
それはいわゆる〈魔力〉と言われる独特の精神的な力についても言えるし、集中力のような一般的なメンタルについても言える。
アーニアは優秀な魔術師、大秀才ではあるが、惜しむらくは、このような真剣勝負を経験するのはほとんどはじめてだ。
訓練と実戦はちがう。
その緊張度や精神的疲労は、比べ物にならない。
もちろん、それは慣れや経験によって、いい意味でかなりの程度、実戦を訓練の水準に近づけることができる。
だから、ミルドはそのキャリアで、十分に余裕をもった戦い方ができるだろう。
しかし、アーニアはどうか。
緊張や、過度の気負いが、訓練よりはるかに早いペースで、彼女の精神力を食いつぶすということはまさにあってもおかしくないことだった。
ばしゅっ。
いまの一発は、戦いがはじまってから、いちばんきわどいところまで行った。
展開されている障壁は、術者からの遠近に応じて、いくつかの層にわかれていると考えてよいのだが、ミルドの魔術弾は、いま、アーニアが展開する、最も術者に近い層に届いた。
(まずい……。思っているより持たないかもしれない)
アーニアの顔にあせりがうかぶ。
ミルドはそのあせりの表情を見逃さない。
はっきりと自分がいま優勢に立っていることを自覚する。
攻防はウルトスが押していた。
(左腕でも、ここまで……!)
体を入れ替える激しい動きのうちで、太ももの傷がときどきびくんと痛みを告げる。それ自体は耐えられないようなものでもないが、一瞬身体がこわばるようになってしまうのが怖い。
肝心なときに、この痛みで反応が狂わないといいが――。そのためには、なるべく早い段階で勝負をかけるべく、賭けにでなければいけない。
最初、うまいことポイントをあげて、あとはそれで押していけると思ったのに、やはり実戦はそんなに甘くない。
流蓮流は、基本的に相手に自分の動きを見せないことを主眼とした流派だ。人間の意識の仕組みを熟知し、その仕組みがうまく作動しないところに、自分の動きをなめらかにすり込んでいく。
自分の動きにぎこちなさが出ると、その効果は半減する。
いまのシンカの状態は、まさにそうなりかけていた。
このまま戦いが長引けば、勝ち目はどんどん薄くなるだろう。
(しかたがない。アレを使うしかないか)
シンカは覚悟を決める。
これは最後の手段だ。しかし、いまはまさにそれを使うときなのだ。
ウルトスは、自分が優位に立ちつつあることを自覚する。
(いい流蓮流の使い手だ)
だが、ウルトスはあちこちでさまざまな剣術の流派と戦っていた。よほど珍しいものでないかぎり、それぞれに対処する方法はわかっている。
これから何か相手にあるだろうか。
おそらく、ない。
剣の動きには理というものがある。
無理をすれば、結局は負けを早めることになるだけだ。
奇襲や、あるいはシンカが最初に見せたような居合術であれば、そこではたしかに一瞬のタイミングのあり方で、ある程度の実力差も覆ることもあるだろう。
けれども、このようにしばらく剣を交わしたあとでは、そして、相手の流派や剣のクセが見えてきたあとでは、長い戦いになればなるほど、実力の差が出ることになる。
シンカの剣が、ウルトスの髪をかすめる。
だが、かわす側からすれば、それはそんなにきわどくない。
十分に余裕を持って反撃を入れる。
シンカはそれを剣で受ける。流蓮流の考え方からすれば、これは本来軽く受け流して、またさらにカウンターにつなげたいところのはずだ。
だが、それができないとなると、いよいよ相手の状態もきつくなっているのだろう。
(このあたりでそろそろ)
とウルトスは思う。
(ジリ貧になるのを避けて、何かやってきてもおかしくない)
しゅっ。
胸をかすめるひと突き。
今のは鋭かった。
(勝負をかけてきたか)
ウルトスの集中力はさらに高まる。経験では、ここを乗り切れば、すぐに勝利が転がり込んでくるはずだ。
と、シンカがステップバックして、少し大きめに間合いをとる。
(ここか)
その身体が、ぐん、と沈みこみ、その足が大地を蹴る――おそらくは、激痛を堪えて――。
ぐっと引いた腕と剣が、まっすぐに突き出される。
全身をのせた、渾身の突き。
だが、その突きを可能にするためにとった間合いが、少し大きすぎたのだろうか、ウルトスは、その突きが自分の身体に突き刺さる前に、十分に伸びきってしまうことを見切った。
だが、その剣は、十分に伸びきる寸前に、シンカの手から離れた。
すっぽぬけ? 否、これはシンカの最後の技の――。
だが、ウルトスには、この体全体から飛び出さした剣に、なんとか対応できるだけの気構えと経験があった。
ここで少々体勢を崩したところで、相手は剣を手放してしまったのだ。急所にでも当たらない限り問題はない。
そのようにして、まさにその必殺の剣にむなしく空を切らせ、勝利を確信したウルトスには、異様な体勢から繰り出されたシンカの最後の武器、彼女自身の身体、その疾風のごとき蹴りを見ることはできなかった。
剣を突き投げたシンカは、そのまま腕を地面につくと、それを支点にして、逆立ちの形から、縦方向に蹴りを振り下ろした。
垂直の回し蹴り。
(竜尾脚!)
まったく異様な角度からくるその蹴りは――その前の剣がすぐれた牽制になっていることもあって、ウルトスの視界を一度もかすめることなく、その脳天を直撃した。
(――!)
ウルトスの意識が昏くなる。
蹴り下ろした足を地面につけて――ここでまた激痛――ウルトスのまさに目の前に立ったシンカは、その位置から放てる最大の打撃技に全霊を込める。
(青虎拳!)
硬い皮鎧の上からでも、十分に気が通ったことを、シンカは実感する。
とどめの一撃を存分に食らったウルトスは、もはや意識もなく、そのまま人形のようにその場に崩れ落ちた。
アーニアはいま、防戦一方だ。
展開する障壁の数はそれほど少ないというわけではない。
(しかし、配置が悪い)
とミルドは見ている。
(うわずりすぎている)
一対一の戦いの場合、障壁は自分自身のできるだけ近くに展開するのが鉄則だ。遠く離れたところえ防衛戦を張るのは非効率だし、それほど強いものを展開することもできなくなる。
しかし、魔力や集中力が落ちてくると、いつまでもその鉄則に沿い続けられなくなってくる。
術者によって、乱れ方はさまざまだが、アーニアの場合、それがやや自分から離れたところに展開されはじめるという傾向、すなわちうわずってくるクセがあることをミルドは知っていた。
(意外に、未熟だったな)
ミルドは、この戦いの最中、自分が少しだけ失望していることを自覚した。それだけの余裕も出てきたと言える。
(いや、はじめての真剣勝負と思えば、これで上出来なのかもしれない)
なにしろ、このルイドの学院で、自分とまともに勝負できる術師自体がまれなのだ。 アーニアはまだ若い。これからも、まだまだ学ぶことがあるし、どんどん経験を積む機会もあるだろう。それを考えれば、今回、あまり望ましくはない経緯ではあったが、このように自分の力を思い知るというのも、実はよい機会になるのかもしれない。
と、アーニアから、突如、いまの流れからすれば、非常に強烈な魔術弾が飛んできた。(うおっと!)
障壁がうまく反応して、特に危なげはなかったのだが、アーニアにはまだぎりぎり底力も残っているらしい。
となれば、油断は禁物で、ここで一気に決めてしまった方がよいだろう。
ミルドは、魔術弾の集中連射で、決着をつけることにした。
いまのアーニアの状態からすれば、この連撃を耐えきることはできまい。
多少のケガを負わせることになるかもしれないが、それはレベル3で戦っている以上仕方のないことだ。
また、ここでアーニアがイチかバチかの攻勢に出たとしても、それに対する防壁は十分な状態にある。
(わたしの勝ちだ、アーニア)
ミルドがいよいよ、最後の総攻撃に入ろうとしているのを見て、アーニアは身体が冷たくなるのを感じた。
(来る……)
身体を冷たく感じるのは、迫り来るミルドの攻撃に対する緊張からだけではない。 アーニアは極度に集中したとき、自分の中にそのような冷たさを感覚することがあった。
よい兆候だ。
その冷たい意識の中で、アーニアは、シンカとウルトスの戦いに決着がついたことを悟った。
シンカが勝った。
(シンカ、あんたはすごい)
わたしだって、とアーニアは思った。心の底に勇気が湧いて出たのがわかった。
ミルドの連撃魔術弾の第一射が、いままさに発射されようとしたそのとき、
「変換弾!」
アーニアが展開していた、障壁のすべてが、盾のかたちを失って、破壊エネルギーに姿を変え、それは多数の魔術弾となってミルドを襲った。
ミルドの展開する障壁は、アーニアを起点とした魔術弾に備えてのものだったから、それを完全に防ぎ止めるようには展開されていなかった。
数発の弾が、ミルドの身体に、衝撃音と光を発して突き刺さった。
ふたりの優れた魔術師と戦士が、ともに意識を失って倒れているのを、オルゴは見た。 どちらの治療を優先すべきか。
オルゴはまず、近くにいたミルドに駆け寄り、そのダメージが命にかかわるようなものでないことを確認すると、次にウルトスの方に向かった。
こちらにもさいわい大きなケガというほどのものはなかった。
じきに意識を取り戻すだろう。
「アーニア」ミルドのところに戻りながら、オルゴは言った。「見事だった。ミルドはちょっとこのまま寝かしておこう。命に別状はない」
「よかったです」とアーニア。
「それにしても、いまの術は見たことがなかったな。おまえが自分で研究したものか?」
「魔術展開の事前構成」ディスタが横から言った。
「はい。そうです。一定時間経つと障壁が魔力に戻るようにしておいて、その魔力を魔術弾に再転換しました」
「……無茶苦茶だな」とオルゴ。
「いえ、どんなふうに展開されるにしても、魔力は魔力です。それに、どんな魔術も、どのような形式を通って発動するかは術者が決定するものですし、それに……」
「理屈はそのとおりだ。わたしも講義で言ったとおりに」とディスタ。「だが、それをこんな形で実現するとは、やはりおまえは最高の生徒だ」
誇らしさと、嫉妬、そして、これほどの才能が去っていくことに対する無念の気持ちがせりあがってきた。
「考えなおさないか、アーニア。これができるなら、ウィーズやソサリアの一級の魔術師と比べてもまったくひけをとらない。近代魔術師として最高の栄誉を得ることができる」
アーニアは黙って首を振った。
「魔術の研鑽は続けます。でも、もう学院にはいられません」
沈黙するふたりにかわって、オルゴが明るめの声で言った。
「それにしても、これでやられたんならミルドも満足だろうよ。あいつのびっくりする顔を見るのが楽しみだな。お、あちらの方はそろそろ目を覚ましそうだ」
オルゴがウルトスに視線を向けると、彼女はちょうど頭を振りながら意識を取り戻したところだった。
「うーん。……う、うん」
顔をしかめてしばらくあたりを見回していたが、やがて、状況を悟るとぽつんとつぶやいた。
「負けたか」
いまだ意識が戻っていないミルドを見て、そのあと、そこに立っているアーニアを見た。
「しかも、2-0だ。完敗だな」と言って苦笑した。
「ところで、シンカ。最後のアレは、何が起こったか、まだわたしにはわからないのだが、それは剣術じゃないな」
シンカはうなずいて言った。
「武術です。武器なしでの」
「そうか。いや、話には聞いたこともあるが、実戦で使うやつは初めてみた。わたしもまだまだ青かったな」
「いえ、剣では負けていましたから」
「剣で勝負したわけではない。戦士として戦ったんだから、これはもう言い訳しようがないよ。けれども」とウルトスは、苦笑して言った。「これでどっちの力が上かはわかったんだ。目的は達成したよ。ところで……」
「……武の道を歩んでいるわけじゃないんだよな」
「はい。自分の身を守るだけのものです」
「そうか。惜しいな」ウルトスが言う。「いずれ、また手合わせ願いたいものだ」
「こんな状況でなければいいんですけど」シンカは、少し余裕が出てきたのか、軽口で答えた。
「さて、アーニア」オルゴが言った。「ミルドは、もうすぐ目を覚ますぞ、どうする?」
「目を覚まさないうちに、行きます」アーニアが言った。「別れを惜しむという状況でもないですし、それに、またいつか会えるんですから」
「そうか」
「ええ。こんなかたちで学院を飛びだして、父のところから去るのに、なんか変でしょう? でも、私はいろいろ世界を見て、それで、もう一度またここに来ることもあると思うんです。そのときは、今の私とはちがう私でしょうけど、それを父にも見てもらいたいんです」
「不思議なことにオレも」とオルゴ。「なんかそういうお前に会える気がするに、それがなんか楽しみになってきたよ」
「バスペスさん」とシンカが言った。「あなたには申し訳ないと思っています」
本心だった。
バスペスは、眉をひそめて、「世の中はいろいろあるからね。わたしだって、いまは結社を裏切っていると言える」と言った。
「杖はお返しします」
そう言ってシンカは、バスペスに杖――元〈魔導具・転移の杖〉――を手渡した。
「これがそんなにおそろしい代物だとは知らなかったよ」オルゴがさらにバスペスから杖を受け取って言った。
「ああ、ぼくたちの話はすべて聞いていたのですものね。でも、もうこれはただの杖です」
「オレたちがここに来たのには」とオルゴが言った。「この杖を取り返すためでもあったんだ。タンカイが、どうやらこれを欲しがっていてな」
「支部長も襲撃時にわたしたちにこの話をしてくれればよかったのに」とディスタが不満そうに言った。
「まあ、上の方には上の方の考えがあるんだろう。気に入らない話だが」とオルゴ。「しかし、もうただの棒っきれだしな。このお嬢ちゃんの話をして勘弁してもらうことにしよう」
「たぶんその人は、これが魔導具だったという話の方を、なにかの勘違いと思うだろうけど」とアーニアが言った。
「そうだな。信じにくい話だ」
「わたしも信じているわけではないです」とディスタ。「そもそも、魔導具の存在自体、あまり本気にはしていませんでしたからね」
アーニアが意を決するようにして言った。
「ディスタ先生、オルゴ先生、それでは、いままでたいへんお世話になりました」
「ああ、こちらこそ、おまえの成長を見ているのは楽しかったよ。しばらくは、さびしくなるな」とオルゴ。
「ディスタ先生も」
「ああ。残念だ」
「タンカイ先生や、ほかの先生方、みんなにもよろしくお願いします」
「大騒ぎになるな」とオルゴは苦笑する。
「では、さようなら。また会う日までのお別れです」
「元気でな、アーニア」
「さよなら、アーニア」
アーニアとシンカの姿が見えなくなってしばらくしても、ディスタとオルゴとウルトスはその場所を動かなかった。バスペスも所在なげにそこに立っていた。
「オルゴさん、そろそろ学術長を起こさないとまずいですね」
ディスタの指摘を受けて、オルゴはあわてて、ミルドに意識回復の術式をほどこした。




