4-2
そこには、ミルドがいた。ディスタにウルトス、それにオルゴも。後ろには、フードを目深にかぶった小柄な男がいた。
「お父様!」
「アーニア、ここで何をしている!」
「何って、それは……その……」
「いや、答えてもらうまでもなかった。すでに先ほどからの会話はすべてこの男から聞いた」とミルド。
と、ミルドの後ろにいた小柄な男が、フードをはずして顔を見せた。
「バスペス……さん」とシンカ。
「罪状の軽減と引き換えに、〈遠聴〉でおまえたちを探す手伝いをするという取引をした。ちょうどおまえがなにやらつぶやく声が聞こえてきたので、ここにたどり着いた。その後の話も聞いた」とバスペスは言った。こういうことをするのはいかにも気が進まないのだが、といった気持ちをにじませた口調だった。
「悪い取引ではないだろう」とバスペスに冷たく言ったのはディスタだった。
「アーニア、私はいまたいへん混乱している」といかにも苦しげな様子でミルドは言った。「〈魔導具〉の話はしばらく置こう。彼女が言うのが事実かどうかも、いまは確認しようもないことだ。それより、おまえは、本当に魔法者、なのか」
「……はい」アーニアははっきりとうなずいた。
ディスタの顔がゆがんだように見えた。
ミルドは、目をつぶってかぶりを振った。
「そうか。いや、もしかしたらそうかとは思っていたが。それにその女の脱獄に手を貸したのもおまえか?」
「はい」これもきっぱりと答えた。
「なぜだ」
「私の魔法者としての力を消し去ってくれる、と思ったからです。それに、彼女はあのままだと死刑になりました。なにも死刑にすることはありません」
「アーニア、それはまったく理由になっていないぞ。〈刻印〉を持つ者の再犯は死刑に値する。それに、自分の忌まわしい力を消したいからと言って……」ディスタが苛立ったように言葉を挟む。
「ディスタ、すまないが、ここは私にしゃべれせてくれ」とミルド。「非常に残念なことだが、罪は罪だ。彼女は捕らえるし、おまえにも何らかの罰があるだろう。しかし、私はできる限りのことをする。おまえの将来を台無しにするつもりもない。だから、大人しく結界を解いてこちらに来い。おっと、シンカといったな、アーニアを人質にしようなどと考えるなよ。おまえも大人しく投降すれば、なんとか死刑を免れさせるよう、尽力することを約束する」
死刑を免れさせる? アーニアはその言葉に少し反応した。
「学術長、いくらなんでもそんな約束は……」と、ディスタが言う。
「ああ、ディスタ、それにアーニア、おまえたちは学院の事情をあまり知らないからな。シンカが死刑になるものだと頭から決めてかかっている」とミルド。「このような事態になってしまっては仕方がない。本来ならば、おまえたちのような若輩者には教えるべきことではないのだが、話しておこう」
ミルドは話を続けた。
「学院の最も重要な仕事のひとつが、旧魔法と魔法者に世の秩序を乱させないということだ、というのはおまえたちも知っているとおりだ。だが、われわれは、魔法者たちを憎んでいるわけではない。常に更生の機会は与えている。それに優れた魔法の力は、残念ながら、なまなかな近代魔術師たちのそれを上回る。そこで、優れた資質を持ち、学院に忠誠を誓うものであれば、学院が彼ら彼女らに、それ相応の地位を持った仕事を与える」
「刻印持ちでもですか?」とディスタ。
「すべてのとは言わんが、そうだ」とミルドはうなずく。
「もちろん、この話は公にはできない。いざとなれば、罪を軽くしてもらえる抜け道がある、となれば、たいして考えもせず旧魔法に手を染める愚か者たちの数も増えるだろう。それに、学院の仕事といっても、こちらも当然表だった仕事でもないし、輝かしい地位を与えるものではない。しかし、報酬もあるし、考えによってはこの世界の秩序を守るために必要な崇高な仕事でもある」
「暗殺とか、スパイみたいなこととかね」シンカが口を挟んだ。
「詳しいな。驚いた」とミルド。
「ぼくもいろいろ見てきているからね」
「ならば話は早い。シンカ、投降しろ。私がとりなしてやるから、学院のために働け」
一同の視線が、シンカの顔の上に集まった。
アーニアも、すぐ隣りにある彼女の顔をみた。少し迷いの色があるようにも見える。
「うーん……、ちょっと時間ちょうだい、というわけにはいかないよね」
「当然だ。いまここで殺されるのがいやなら、投降するしかない。この戦力差がわからないほどの愚か者でもあるまい」
それはそのとおりだ、とアーニアは思った。
ディスタ先生やオルゴ先生だけでもたいへんな相手なのに、その上いまは父までがいる。もしかすると、魔術師だけの一行であれば、戦士であるシンカの戦い方によっては万分の一の好機を作り出すことができるかもしれない。ただし、実際には向こうにも歴戦の勇士ウルトスがいる。
昨晩の作戦では、かろうじてシンカは脱出しかけた。しかし、あれは状況もシンカに味方した。いまはちがう。あまりにも局面がすっきりしすぎている。
なにかないか、なにかないか、なにかないか……。
シンカの顔を見る。つとめて表情には出さないようにしているつもりだろうが、相当困っている様子だ。
このまま投降するしかないのだろうか。そうすれば、私は、また学院に戻ることになるだろう。父はなんとか、私の不始末をもみ消してくれるのかもしれない。以前のような不満のない学院での日々が帰ってくるのかもしれない。
でも、もう私はもう、それだけでは満足できそうにない。
魔法者であることをねじ伏せるために、勉強し、訓練する日々を送ることはもうできないだろう。
それに、彼女はどうなるのだろう。
死刑には処せられない――そうであれば、ひとまずはめでたしめでたしということになるのだろうか。
そんなことはない。
ここで負けを認めてしまっては、私はもう彼女には一生会えないだろう。
シンカだって、学院の汚れ仕事なんかやりたくないに決まっている。それに彼女だって、もう私と会えなかったりしたら、ひょっとしてそれを残念に思ってくれるかもしれないじゃないか。
考えろ。何か手段を考えろ。
シンカに私を人質にとってもらうというのはどうだろう。しかし、それでどこまで逃げ延びられるだろう。それに強行突破でやられてしまうことも十分ありえる。
何か、何かないのか。
「……わかった。投こ……」とシンカが言いかける。
「ちょっと待って!」アーニアが割って入った。「お父様、私の、私の魔法がどんなものだか、ご存知ですか?」
「いや、知らない。が、おまえがしゃべりたくないなら聴かなくてもいい」
「いえ、お父様、お教えします。私の力は、〈視界にある人を念じるだけで殺す力〉です。私はいま、そう望めば、お父様を含めここにいる人をすべて瞬間的に殺すことができます」
「ばかな」とオルゴが言った。
「いえ、本当です。お父様、お父様なら思い当たる節があるはずです。一〇年前のあの日、なぜ私だけが生き残ったとお思いですか? あの凄惨な現場で、小さな女の子がひとりいて、まわりには特に傷もない夥しい死体がある。何か奇妙だ、とお思いになったはずです。あれは、あれは、私がやったのです」
しばらく沈黙があった。
「ハッタリだね」とウルトスが断定的に言った。「旧魔法はなんでもありって言われているけど、そんな力はめったにない」
「いや……。たしかに……、あれは不可解な事件だった」とミルドが絞りだすような声でいった。「アーニアの言うとおりであれば、説明はつく。実際、当時、私もアーニアは魔法者なのではないか、そして何らかの力でこの状況を切り抜けたのではないか、という疑念を持った。だが、結局、私は娘を調べたりすることはなかった。娘が魔法者であることは怖かったし、それにおまえをあんな目にあわせたことが恐ろしく、その事件のことは今までずっと忘れようとしていたのだが……」
「ミルド……」とウルトス。
「先ほど聞いたふたりの会話では」とバスペスが控えめに情報と推測を提供する。「どういう魔法かをはっきり言っていることはなかったと思います。しかし、「呪われた力」とか、あとは武器に類するものだとか、力の行使は一方的だとか言っていました。〈念じただけで瞬時に人を殺す〉力についての会話として不自然ではないようにも思えます」
「くそっ」
ディスタが思わず汚い言葉を使った。
「それで、アーニア、その力でおれたちを殺して、で、この場から逃げるつもりかい?」とオルゴが聞く。
「いえ、私はそんなことはしません。私はこの力をもう二度を使わないつもりですから」とアーニア。「でも、どうしても、となったら使うかもしれませんね」
「じゃあ、アーニア、おまえのその力が本当だとして、どうするつもりだ」とミルドが尋ねる。
アーニアは考える。
父は、私の力が本物であることにかなりの可能性を感じているはずだ。しかし、ここでどこまでの要求ができるだろう。「このまま見逃せ」? いや、さすがにそれは通らない。ウルトスやディスタ先生はそんな要求を飲むくらいだったら、これをハッタリと断じて襲いかかってくるだろう。
それに私の力は、手加減などができるものではない。ちょっと威力を見せて信じてもらう、というわけにはいかないのだ。
試しに誰か一人殺してみせる? いや、それだけは絶対にやってはいけない。お父様やディスタ先生やオルゴ先生だけなく、あのバスペスとかいう男の人でもダメだ。
人殺しはよくない。
それに、そういうことをすれば、シンカの言葉を裏切り、自分を裏切ることになる。
となれば。
「お父様、わたしと勝負してください」
「……勝負?」意表をつかれた、という感じのミルドの声。
「はい。私は、思うところあって、このシンカと一緒に旅に出ます!」
シンカはびっくりして、アーニアの顔を見た。
ミルドも驚愕して、アーニアの顔を見た。
ほかのみなも口が利けなかった。
「お父様には感謝しています。それに、学院がどうこうというわけでもありません。私は、私の目で世界を見て歩きたくなったんです。このシンカといっしょに」
「いや……、おまえ、それは、まだ未熟な魔術師のくせに、何を……」
「お父様、私はもう立派な一人前の女であり、そして近代魔術師です。だから、ここで勝負してくださいというのは卒業試験のつもりです。私が勝ったら、私はもう学院には戻りません」
ミルドはため息をついて言う。
「アーニア、気はたしかか? 本当に私に勝てると思っているのか」
「はい。たしかです。勝てます」
少し挑発する。
しかし、もちろん、父に勝つのは難事だ。勝ち目は、3-7くらいか。いや、もっと悪いかもしれない。だが、この状況のままではいずれノーチャンスなのだ。
「よし、わかった。受けよう」
「ミルド!」「学術長!」オルゴとディスタが思わず声をあげる。
「いや、問題ない。第一、私がアーニアに負けるわけがない。このまま投降したところで、ある程度のおしおきはやむをえない。だったら、ここでその思い上がりとのぼせを打ち砕いて、痛い目にあわせるのも悪くない」本音を言っているのだろう。声にはいらだちも混じって聞こえた。
「ありがとうございます」
「礼を言われる話ではない」ぴしゃりと。
「それと、ディスタ先生とオルゴ先生にも、一切手出しはさせないと約束させてください。お父様に勝ってから、そちらの方たちに襲いかかられては困りますから」
「「アーニア!」」オルゴとディスタ。
「よかろう。当然の措置だ」とミルド。「オルゴ、ディスタ、これは命令だ。手出しは一切無用、いいな」
ふたりはしぶしぶうなずく。
「アーニア、キミはいい生徒だと思っていたのに……」
「すいません。ディスタ先生、目をかけていただいたのに。オルゴ先生も」
オルゴは肩をすくめてそれに答えた。
「オルゴには、おまえがケガをしたときの治療役を頼もう」
(ケガをするのは自分とは考えないんだ……)
とアーニアは思う。
ディスタは、この展開を、全体としてはもちろん好ましく思っていたわけではないが(アーニアの言うことは、たぶんにハッタリが入っているだろう。だいたい自分たちを後に残して学院を去ろうとするアーニアの態度には驚いたし、不快だった)、ただし、この父娘の対決自体には、非常な興味を覚えた。
なにせ、ルイドでの実力ナンバーワン(自分はナンバーツーだろう)とルイドで最高の秀才との戦い、それも真剣勝負なのだ。
そろそろ夕闇が迫っている。
戦いを行うには、ギリギリの時刻だ。
魔術師同士が、「一対一で戦う」という場合、それは通常、互いが自分自身を〈障壁〉で防御しながら〈魔術弾〉を打ちあうというスタイルを意味する。
防御だけなら〈結界〉の方が向いているが、それでは自分から魔術弾は撃てない。
それに相手がひとりであれば、魔術弾の来る方向ははっきりしているから、それにあわせて前方で障壁を展開させた方が、魔力も節約できる。
けれども、防御と攻撃を相手の出方を見ながらひとりでこなす以上、魔術のすばやい発動と的確な判断力が必要とされることは言うをまたない。
学院では、攻撃力を極端に落とすことを厳格に守りつつ、この攻防が実践訓練としてカリキュラムに組み込まれている。
アーニアは、この攻防について自信を持っている。ルイドのほとんどの人間に遅れはとらないだろう。最近は、ディスタとやっても、4‐6で渡りあえるようになった。
けれども、今回の相手はミルドだ。
「魔術弾のレベルはおまえが設定しろ」とミルドが言う。
「レベル3でお願いします」アーニアは迷わず答える。
「わかった」ミルドも即答する。
「レベル3?」
いざというときの治療係として控えているオルゴが思わず声をあげた。
「それはちょっとやりすぎじゃないのか」
魔術弾は、その殺傷力によって、おおまかに四段階のレベル分けがされている。
レベル1は、人間が気づくという程度で訓練はすべてこの水準で行われる。レベル2ではショックがあり、ダメージが認められるようになる。
レベル3は、相手が戦闘能力を失う程度の衝撃を与える、というものだ。その上のレベル4は場合によっては死ぬ危険性があるというものだから、これは「死なないように気をつけながらお互いを存分に叩きのめす」という段階といっていい。
「そうでもしないと、気持ちにも区切りがつかないだろう」とミルド。「今回の出来事の大きさを鑑みれば、当然のことだ。それに、オルゴ、おまえがそこに居てくれれば、ちょっとしたケガをしたって安心だろう」
オルゴは困ったような顔をして、肩をすくめた。
「さて、それでは早速はじめようか」
ミルドと、アーニアは訓練のときと同じような距離をとった。お互いいちばん慣れている間合いだ。実力も十分発揮できるだろう。
「ではウルトス、合図を頼む」
ウルトスは、ふたりの会話中も何か考えていたようだったが、ここで口を開いた。
「合図はディスタかオルゴにやってもらおう。わたしはわたしでやることがある」
そういうと、彼女は自分の剣でシンカを指した。
「シンカ、あんたはわたしと勝負しな」
「おい、ウルトス!」とミルドが言う。「何を言ってるんだ」
シンカも不意をつかれたようだった。
「なんでぼくがあなたとやんなきゃいけないの?」
「まあ、一言でいえば戦士の意地だな」とウルトスはあっさり言った。
「昨晩は思わぬ不覚をとった。だがあのときの状況は、一対一で技量を比べ合うようなものじゃあなかった。いま、ここできちんと戦ってどちらの力が上か、証明したい」
「おい、ウルトス、おまえ、そういうことはもうやらないんじゃなかったのか」とミルドが呆れ顔でつっこむ。
「悪いね、ミルド。最近一線で仕事をする機会も減ってて、で、ひさしぶりにこんなイキのいいお嬢ちゃんとめぐりあったんだ。大目にみてくれ。それにこれはまったくうちらにメリットがない戦いでもないしな」ちょっとだけすまなそうにウルトスが答える。
それはたしかにそのとおりだ。アーニアとミルドだけが勝負した場合、万一アーニアがミルドに勝てばそれで、彼女たちふたりはここを切り抜けることができる。しかし、ウルトスとシンカが勝負することになれば、アーニアがここを去るためには、アーニアとシンカがふたりとも勝つ必要が生じるだろう。
ミルドは、まあしかたがないか、という表情で肩をすくめた。
「いや、ウルトスさん……だっけ? それ、なんでそんな勝負、ぼくが受けなくちゃいけないわけ?」とシンカ。
「アーニアが賭けているのは、自分の自由だ。言っとくけど、あんたは脱獄した死刑囚なんだよ。普通だったらこんな風に囲まれたら逃げ切れない。詰んでいるところだ。いま、アーニアがむちゃくちゃなハッタリを通したわけだけど、それだけで自分も自由の身になろうなんて、ちょっとばかり虫がよすぎる話なんじゃないかい? それにミルドはアーニアの力を真に受けているようだけど、わたしはそれを信用してない。そっちのハッタリをはいはいと全部受け入れる義務もない。だから、まあこれくらいの申し込みは受けてもらいたいね。どうだい、アーニア?」
アーニアはシンカを見る。
シンカは、アーニアを見て、こくんとうなずく。
「受けるよ」とシンカは、ウルトスに返事する。
「いいね。久しぶりに血が騒ぐよ。殺し合いをするわけじゃないが、しかし、死んでも怨みっこなしの真剣勝負。それでいいね」
シンカは黙ってうなずいた。




