第4話 失って初めて気づく生産の9割、そして辺境で生まれる最高傑作
「まずは、新しい工房の基礎作りからだな」
レオンが鑬を振り下ろし、開拓予定地の地面を深く掘り返した直後だった。
ゴボァッ、という鈍い音とともに、足元から白い蒸気が噴き上がった。
「うおっ!?」
ダグラスが飛び退く。地面の裂け目から湧き出してきたのは、泥水ではない。澄んだ熱湯だった。
硫黄の微かな香りが辺りに漂う。
「これは……温泉か」
レオンは目を丸くした。辺境の地脈には豊富な魔力が流れているとは聞いていたが、まさか自前で温泉を掘り当てるとは思わなかった。
「温泉って、あの王都の貴族が保養地で入るっていう、あれですか?」
アリアが不思議そうに湯気を覗き込む。
「ああ。これを使わない手はないな。よし、予定変更だ。最高傑作の前に、まずは大浴場と共同食堂を作る」
レオンの即断に、ダグラスが呆れたように笑った。
「おいおい坊主。せっかく金が入ったってのに、自分たちの風呂から作るのか?」
「当然だ。最高の仕事は、最高の休息から生まれる」
レオンは真剣な顔で頷いた。
「それに合わせて、この村に新しい制度を導入する。『有給休暇』だ」
「ユウキュウ……?」
聞き慣れない言葉に、二人が首を傾げる。
「働かなくても給料が出る休みの日、という意味だ。交代でしっかり休んで、温泉で疲れを癒やす。それがこれからの俺たちのルールだ」
前世で過労死したレオンにとって、休息の義務化は絶対に譲れない一線だった。倒れるまで働くような環境は、二度と作らない。
数日後。レオンの知識と二人の技術が合わさり、立派な木造の大浴場と、広々とした共同食堂が完成した。
初めての有給休暇を取得したダグラスは、湯船に肩まで浸かりながら、極楽だと言わんばかりに息を吐き出した。
「はぁーっ……生きててよかったぜ。こんな贅沢、三十年の職人人生で一度も味わったことがねえ」
「お前さんが倒れたら、村の生産が止まるからな。しっかり休んでくれ」
隣で湯に浸かるレオンが、苦笑しながら手ぬぐいを頭に乗せた。
その日の午後。食堂で湯上がりの冷たい果実水を飲んでいると、村の入り口が騒がしくなった。
見慣れない十数人の男女が、疲れ切った顔で立ち尽くしている。彼らの服は汚れ、足取りは重い。
「あの……ここは、ちゃんと休ませてくれる村だって、行商人の噂で聞いて……」
先頭に立っていた若い職人が、すがるような目でレオンを見た。
彼らは皆、過酷な労働環境から逃げ出してきた者たちだった。
「ああ、本当だ。よく来たな」
レオンは彼らを食堂へ招き入れ、温かい食事を振る舞った。
「ここでは無理な労働はさせない。まずは温泉に入って、ゆっくり寝てくれ。仕事の話はそれからだ」
十分な休息と栄養を与えられた移住者たちは、数日もすると見違えるように顔色を良くした。
彼らもまた、かつては優秀な腕を持っていた者たちだ。心身の健康を取り戻したことで、本来の能力を遺憾なく発揮し始める。
村の開拓は、レオンが想定していた以上の驚異的なペースで進んでいった。
一方その頃。
王都から少し離れた中継都市にある、冒険者ギルドの掲示板前。
そこには人だかりができ、怒号とざわめきが交錯していた。
「ふざけんな! あそこの領地から仕入れた剣、ゴブリンを三回斬っただけで折れやがったぞ!」
「こっちの革鎧なんて、ただの布切れと同然だ。危なく死ぬところだった!」
掲示板の中央に貼り出された真新しい羊皮紙には、ギルドマスターの署名とともにこう書かれていた。
『粗悪品の流通による被害多発につき、ゲオゲオ領との一切の取引を当面の間停止する』
「あそこの工房、昔はもっとマシなもん作ってたはずだがな」
「腕のいい職人がごっそり抜けたらしいぜ。残った連中に無茶なノルマを押し付けて、ゴミみたいな武具を量産してるって噂だ」
「命を預ける道具だぞ。あんな領主のところとは、もう金輪際関わらねえ」
商人や職人たちが遠巻きに張り紙を眺め、冷ややかな声を落としていく。
そこに領主本人の姿はない。だが、一度失墜した信用は、取り返しのつかない速度で崩壊へと向かっていた。
辺境のホワイト村が活気づく中、不穏な影が忍び寄っていた。
豊かな村の噂——特に、金貨二百枚という莫大な前金を得たという話は、良からぬ者たちの耳にも届いていた。
「ヒャッハー! 防壁もねえ辺境の村なんて、ただの金庫だぜ!」
野盗の集団が、土煙を上げて村へと迫っていた。その数、およそ三十。
彼らは略奪を繰り返し、周辺の村々を震え上がらせてきた凶悪な盗賊団だった。
「あなた! 賊の集団がこっちに向かってきています!」
アリアが息を切らして駆け込んできた。
「慌てるな。想定内だ」
レオンは落ち着き払っていた。
「ダグラス、みんなに武器を配ってくれ。アリアは防衛用の魔力結界の準備を」
「おう、任せな!」
ダグラスが工房から持ち出してきたのは、彼が十分な休息の後に打ち上げた、最高品質の長剣や槍だった。
それを手にした移住者たちは、不安よりも不思議な高揚感に包まれていた。
「いいか、無理はするな。俺たちの目的は村を守ることだ。命を懸ける必要はない」
レオンの言葉に、村人たちが力強く頷く。
盗賊団が村の広場になだれ込んできた瞬間、アリアが起動させた魔力結界が淡い光を放ち、彼らの足を鈍らせた。
「なんだこれ!? 体が重いぞ!」
「今だ!」
レオンの合図とともに、ダグラスを先頭にした村人たちが一斉に動く。
彼らの動きには迷いがなく、何より体力が満ち溢れていた。過労でふらついていたかつての姿はどこにもない。
ダグラスの振るう大剣が、盗賊の武器を飴細工のように叩き折る。
「へっ、こんなナマクラで俺の打った剣に勝てると思ってんのか!」
アリアの正確無比な魔法支援が、盗賊たちの死角を的確に突いていく。
レオン自身も前世の知識を応用した体術と、自ら鍛え上げた短剣で、敵の指揮官をあっという間に制圧した。
「ひぃっ……! な、なんだこいつら……ただの農民や職人じゃねえ!」
圧倒的な実力差を前に、盗賊たちは戦意を喪失し、次々と武器を投げ出して降伏した。
戦いが終わり、縛り上げられた盗賊たちを見下ろしながら、レオンは小さく息を吐いた。
村人たちに怪我人は一人もいない。
「あなたのおかげです」
アリアが、ほっとした表情で駆け寄ってくる。
「みんなが万全の状態で動けたから、誰も傷つかずに済みました」
「ああ。健やかに暮らし、働く。それがそのまま、俺たちの力になるんだ」
レオンは、夕日に照らされる村を見渡した。
理不尽な搾取に怯えることなく、自分たちの手で築き上げた居場所。その基盤は、確かな強さとなって実を結び始めていた。
だが、この日の出来事は、単なる防衛戦の成功では終わらなかった。
凶悪な盗賊団を無傷で退けたという信じがたい話は、行商人たちの口を通じて、街道沿いに瞬く間に広まっていった。
『辺境に、まっとうに働けて、しかも絶対に安全な村があるらしい』
その噂は、過酷な職場で搾取され、絶望の淵にいる職人や農民たちにとって、暗闇に差し込む一筋の光だった。
彼らの視線が、一斉にこの辺境の村へと向き始める。
数日後、村の入り口に続く街道には、土埃を上げて歩いてくる人々の長い列ができつつあった。
押し寄せてくる彼らを、レオンはどこまで受け入れることができるのか。
新たな試練の足音が、静かに近づいていた。




