魔王と呼ばれた英雄と天使と呼ばれた治癒使いの優しい物語〜坊ちゃま、老執事の観察と暗躍もお忘れなく
本日、私が長くお仕えする辺境伯の邸に待ちに待った花嫁様が到着される。
(ようやく……。ようやくでございます。
グランベルト様、ナターシャ様。ようやく、お坊ちゃまに幸せが訪れます。見ていらっしゃいますか?)
現辺境伯当主ルーベルトの後ろに控える老執事は空を見上げ、心の中で泣いていた。
老執事は顔は澄ましながら邸の下から登ってくる馬車に視線を向ける。
(坊ちゃま……。硬直し過ぎです……)
老執事は坊ちゃまと呼ぶ当主の背中を見つめる。
数歩、ゆっくりと前に進み当主に小さな声で助言をする。
「ルーベルト様、硬直し過ぎです。お顔が強張っておりますし、魔王の顔になっております。そんな表情では、花嫁様に逃げられてしまいます。
深呼吸して気持ちを落ち着かせ、花嫁様の馬車が着くまでは愛猫のティア様を思い出して下さい」
老執事はそう助言すると、後ろに下がり元の位置にて静かに待つ。
当主であるルーベルトは老執事に言われた通りに深呼吸を数回し、何やら考えている。きっと愛猫のティアを思い出しているのだろう。
強張っていたルーベルトの口元が小さく上がった。
邸の門をくぐり花嫁を乗せた馬車がルーベルトの前で止まる。
御者がゆっくりと馬車の扉を開けた。
ルーベルトは長い足を運び、扉の前で手を差し伸べる。
馬車の中から小さく細い手がゆっくりと差し出され、ルーベルトの手にそっと触れる。
馬車を降り、現れた花嫁に邸中の使用人の溜め息が漏れた。
淡い栗色の髪はふわふわ揺れ、茶色の瞳はくりんとした可愛らしい花嫁姿があった。
花嫁と花婿である辺境伯が並ぶと、親子程の身長差がある。
花嫁は成人したてのように、少し幼い顔立ちである。
「ようこそ。花嫁殿」
ルーベルトは少しだけ口角をあげ挨拶をする。
「お久し振りです。お出迎えありがとうございます。ルーベルト様」
花嫁はルーベルトの顔を見て柔らかな笑みで挨拶を返す。
(魔王と呼ばれたルーベルト様に、ようやく天使がやってきましたな)
老執事は雲一つない空を見上げ、前辺境伯夫妻へと報告をする。
これから始まる。甘くもむず痒い辺境伯の邸で、初な夫婦の新婚生活が始まるのだった。
〜✿✿〜
今から7年程前の事。
ルーベルトが18歳になった年に、辺境伯で突如スタンピードが起こった。
騎士として辺境伯当主のグランベルトは先陣をきった。
妻のナターシャも女騎士として名を馳せており夫に続いて討伐に参加する。
当主夫妻は領民を守る為に、前線に自ら立ち戦っていた。
次期辺境伯となるルーベルトは初のスタンピードとなった。
幼き頃から魔物の討伐や近隣の賊と戦ってきたルーベルトは、初めてのスタンピードにも関わらず、一切恐れる事なく魔物の群れへと突撃した。
ルーベルトは魔物と戦う中で何か様子がおかしいと気が付き、急ぎ両親がいる前線へと走った。
(空気が違う……。なんだ?この禍々しい圧は……。魔物は奥から放たれる圧から逃げているのか?)
走りながら辺りを伺う。
辿り着いた先で見たものは、黒き竜に無残に殺された両親の横たわった姿であった。
黒き竜が両親を踏みつけようとする姿に、我を忘れたルーベルトは剣に魔力を流して竜の足を切り落とした。
黒き竜とルーベルトの戦いが始まった。
少し遅れて騎士団が到着するが、辺りの地獄絵図に動けずにいる。
「竜を引き付けている間に、両親を連れて逃げてくれっ!」
竜の鋭い爪を剣で受けながら、騎士達に両親の亡き骸を連れて離れるように伝える。
騎士達も自分達ではルーベルトの足で纏いになると判断し、辺境伯夫妻の亡き骸を抱き脱出する。
「坊ちゃま!森の外にてお待ちしています!必ず、必ずお戻り下さいっ……」
騎士達は亡き骸とともに森を抜けた。
森の外に待機していた騎士や冒険者達は辺境伯夫妻の亡き骸を前に呆然としていた。
「森の奥にて黒き竜の存在を確認した!坊ちゃまが今戦っておられる!もし……もしも黒き竜が現れたなら、我らが盾になるべく生命を懸けよ!
辺境の地を抜けられれば先は王都。
王都にだけは絶対に向かわせられない!」
騎士団長が高らかに宣言する。
騎士団や冒険者達が一斉に声をあげる。
冒険者の中には魔法を得意とする者が多くいて、このスタンピードにも集められた。
治癒を得意とする冒険者は小さな体の少年と辺境伯に仕える執事だけだった。
少年と執事は傷を負う騎士や冒険者を癒していく。
暫くすると、魔物の群れは少なくなり森全体が静寂に包まれた。
騎士も冒険者も、全員が森をじっとただ見つめていた。
風が吹き、草木の揺れる音しか聞こえない。
静寂の中、辺境伯子息ルーベルトの帰りを待った。
森で一体何が置きたのか解らない。
辺りが夕焼けに照らし出される頃、森の中から体を引きずりながら歩いて来る人影が見えた。
ルーベルトだった。
老執事が「坊ちゃまっ!」
と、叫びながらルーベルトに抱きつき、倒れこむ体を支える。
ルーベルトの右脇には紅い大きな魔石が抱えられていた。
だが、ルーベルトの全身は大きな傷だらけ。大量の出血に顔に刻まれた竜の爪痕……。
騎士や冒険者が呆然とする中、治癒をしていた少年が騎士達の横を走り抜けルーベルトの側に駆け寄った。
少年は全身血塗れで傷だらけのルーベルトに執事と一緒に治癒をかけていく。
皆が少し離れた場所からその光景を眺めていると、突然眩い光に包まれた。
その場にいた者は目を開けていることが出来ずに目を固く閉じてしまう。
光が消えたのを瞼に感じ、視線をやるとルーベルトの隣に少年が寝かされていた。
「この少年がありったけの治癒をかけてくれました。ルーベルト様の深手は治癒出来ましたが、傷は修復するには至りませんでした。ですが、この少年のおかげです。皆、感謝するように」
老執事が言葉を告げ、少年を騎士団長が抱き上げ全員で邸へと帰った。
大規模ではないにもかかわらず、前兆のないスタンピードを鎮圧させるには沢山の犠牲を払った。
辺境の騎士団は半分近くの死者をだし、逃げ遅れた領民にもかなりの被害をだした。
そして本日、辺境領での悲しき弔いが雨の中で執り行われていた。
当主のグランベルト、夫人のナターシャの葬儀。
それから魔物の犠牲になった者達の合同の弔いを領地をあげて同時に執り行われた。
辺境伯夫妻の葬儀は、子息のルーベルトの目覚めを待っていた。
葬儀の日は冷たい雨の中。
皆の涙を雨が消していく。
呆然と立ち尽くし墓を見つめるルーベルトを皆が見守る。
老執事が呆然とし動こうとしないルーベルトを連れ邸へと戻った。
老執事はルーベルトを私室に入れると使用人達に後を任せた。
老執事は一人墓地へと足を運んだ。
辺境伯伯夫妻に最後のお別れをする為に、再び墓地に戻っていた。
遠目から辺境伯夫妻の墓前に視線をやると小さな塊が見えた。
音を立てずにゆっくり近付く。
それは地に顔を伏せ降りしきる雨の中、大声で泣きじゃくるあの治癒魔法を使う少年がいる。
少年は亡き辺境伯夫妻に感謝と別れの言葉を告げながら、ずっと泣いている。
老執事はこの少年に興味を持った。
冒険者である少年。治癒魔法が使える珍しい少年を調べ上げる事にした。
この日から、老執事の観察が始まったのだった。
19歳になったルーベルトは、正式に辺境伯の若き当主となった。
黒き竜の討伐から数ヶ月。王都では、当主となったルーベルトを
【竜殺しの英雄】【若き魔王】様々な二つ名が流された。
ルーベルトの婚約者である侯爵令嬢のルクレシアは、ルーベルトの英雄としての名声を誇らしく思っていた。
だが、その誇らしい思いは崇高な思いではない。
ただ、英雄の婚約者である立場を誇らしく思っていただけ。
ルーベルトの見舞いとして辺境に訪れたルクレシアは、ルーベルトの顔の大きな傷跡を見て暴言を吐いたのだ。
スタンピードが落ち着いた頃、侯爵家にはルーベルトは名誉の負傷を負っている。その為、この婚約を解消しても構わない。
そう記し、侯爵家に伝えていた。
侯爵家からの返事は、娘は果敢に戦い竜を討伐した婚約者を誇りに思っている。
そう記された書簡が届いたのだった。
ルーベルトは婚約者であるルクレシアを好いてはいなかった。どちらかと言えば嫌っていた。
王都でも有名な我が儘令嬢であったからだ。
だが、陛下の勧めもあり婚約が整う形となった。
スタンピードの一年程前の事である。
「こんな傷がある自分でも良いと言ってくれるならば、婚約を継続しよう」
ルーベルトも今迄のルクレシアへの見方を変えようとしていた矢先の出来事だった。
「なんですの!その醜い傷跡わ!私の婚約者がこのような傷のある者など耐えられませんわっ。その傷が消えるまで結婚は致しません」
扇子の先をルーベルトに向け、そう言い放ったのだ。
侯爵家からの付き添いの騎士や侍女達は、令嬢の暴言に顔面蒼白であった。
不作法だが、付き添いの侍女達が令嬢の体を押さえつけ口を塞いだ。
竜殺しの英雄。陛下のお気に入り。民衆達からの高い信頼を得る英雄。
その辺境伯への暴言。
許される事ではなかった。
ルーベルトはルクレシアに婚約破棄だけを伝え、後の事は侯爵家に任せる。
そう伝えると部屋を退出した。
残された騎士や侍女は床に伏して謝罪をした。
「ルーベルト様の傷は、領地を守りまた黒き竜が王都に向かわぬように命懸けで戦った傷です。
貴女如きがルーベルト様へ言って良い言葉ではありません。いえ……誰一人として、ルーベルト様を貶める事はこの辺境の地に住まう全ての者が許さない!!
この事は許すつもりはありません。即効お帰りください」
老執事はそう告げた。
侯爵家の使いの者達はルクレシアを引摺りながら馬車に押し込み、早々に帰って行った。
それからは、ルーベルトは辺境領以外で笑わなくなった。
態度も冷酷さを纏い、人を寄せ付ける事がなくなってしまった。
両親を亡くし当主として奮闘するなかで、婚約者に暴言を吐かれた事は立ち直れていない心の棘となっていた。
幼き頃からの知り合いには、それなりの対応をするが、それ以外には冷酷さを貫いた。
陛下が後継を心配し、幾人かの令嬢との見合いを打診してきた。
陛下からの命とあれば無下にも出来ず、仕方なしに見合いを行った。
ルーベルトは令嬢達に魔力でほんの少し圧をかけ冷たい態度を崩す事は無かった。
令嬢達は「噂」を聞いていた為、怯えて会話どころか顔すらあげない。
全て顔合わせは数分で終わり、婚約が整うことは無かった……。
陛下の紹介も十人を越える頃には、ルーベルトは23歳となっていた。
ルーベルトとて、結婚願望が無いわけでは無い。
両親のようにお互いを支え合い尊重する夫妻に憧れはあった。
だが、最初の婚約者との出来事がトラウマになってしまったのは事実である。
傷は薄くはあるが、大きく左の目から頬を切り裂いた跡が残ってしまった。
顔つきも元々がきつい表情である為、無表情の顔を見た者は「魔王」とそう呼んでいる事も知っていた。
傷を恥じる事も、傷跡を疎ましく思った事も一度も無い。
両親の亡き骸を守り、領地領民を守り抜いた証である。
ルーベルトは鏡を見ながら、顔に残る傷を見つめていた。
今日もまた陛下からの命で婚約者候補との見合いをしなければならなかった。
ルーベルトは大きな溜め息を吐くと、老執事へと声をかけた。
「顔合わせは午前中だな。その後直ぐに森に向かう。馬の支度をしておいてくれ」
ルーベルトは見合いの後に森に狩りに行く事を伝えた。
何時もなら見合いの後に予定を入れても何も言わない老執事だが、今日の彼からの返事は違うものだった。
「今日は森に行く事はないと思います。さぁさぁ坊ちゃん。行きますよ!」
やけに張り切る老執事に、ルーベルトは対処出来ずにいた。
言われるがまま、邸の中庭に向かう。
中庭には見合いの席が設けられていた。
そこには席に着かず、ルーベルトを待つ令嬢がいた。
体も視線もルーベルトだけをじっと見ている。
ルーベルトが近付いても視線を逸らすことのない令嬢……。
小さくふわふわな幼き令嬢を見て、ルーベルトは気掛かりな事があった。
(自分を恐れてはいないが……幼過ぎるのではなかろうか……)
ルーベルトに幼女趣味はない……。
(親や陛下に言われて来たにしろ、私のこの顔にも圧にも怯え無いのだな……)
ルーベルトが席に着いたが、令嬢は立ったままだ。
老執事がルーベルトに小さな声で助言する。
「坊ちゃま。ご令嬢に座るようにお言葉をかけて下さい」
ルーベルトはハッとなり、令嬢に座るように促した。
令嬢はふわりと笑みを浮かべ、席に着いた。
可愛らしい笑みに、ルーベルトの心臓がドクリと跳ねる。
だが、いつもの冷たい雰囲気を纏っていたのでバレることはなかった。
老執事が二人に紅茶を出す。
「お二人でお話を」
そう告げると老執事はその場を離れた。
(何を話せば良いのやら……)
ルーベルトはお見合いは沢山していたが、会話などしてこなかったため会話の糸口が見つけられずにいた。
中庭では暫しの沈黙が続いていた。
居心地が悪くなりルーベルトは紅茶に手を伸ばし、口にする。
それを確認した令嬢も手を伸ばし紅茶に口を付ける。
カップに口を付けたまま、ルーベルトは幼き令嬢をこっそりと観察する。
(所作は美しい。それに私が紅茶を口にするまで待っていたのか?
お!紅茶が口に合ったのだな。うんうん、執事の選ぶ茶葉は美味しいのだ)
ルーベルトは令嬢をじっと見ていた。
令嬢は視線を感じたのか、ルーベルトへと視線を移す。
令嬢は怯えると予測したルーベルトだが、令嬢は頬をポッと赤らめ一度視線を下げた。
(頬を赤らめた?照れている?まさか……)
ルーベルトは視線を逸らさないまま、カップを置いた。
令嬢が顔を上げ、ルーベルトへと話しかけた。
「私はミシャ・アンガー。アンガー男爵家の長女です。
年齢ですが、幼く見られますがこれでも行き遅れと言われる年齢です……」
ミシャと名乗る令嬢が自己紹介をしてくれた。
最後の方は小さな声ではあったが、ルーベルトの耳には届いた。
ルーベルトはミシャが幼女ではない事にホッとした。
そして、何故自身がホッとしたのか解らず心の中では慌てている。
「辺境伯様の事は勝手ながら存じております。スタンピードで辺境領、そして王都を守って下さった英雄です。
あの時、辺境伯様が命をかけて下さらなかったら私の命も沢山の命も散らされた事でしょう。
遅くなりましたが。
黒き竜の討伐、前辺境伯夫妻の本懐を遂げれたこと、お慶び申し上げます」
令嬢は立ち上がり、深く頭を下げた。
ルーベルトは呆然としていた。
竜の討伐を、復讐を、この様に言ってくれた者など身近な者以外にいなかったのだ。
しかも、令嬢となると怯え会話もせず顔も見せずに顔合わせは終わる。
夜会に出てもおなじ対応で、ルーベルト自身を見てくれる女性はいなかった。
この様に温かな言葉を貰った事は初めてであった。
ルーベルトの頬を涙が伝う。
胸にミシャの優しく温かな言葉が染み込んでくる。
温かなその言葉は、ゆっくりとルーベルトの心を溶かしていく……。
ミシャは黙ってルーベルトの側に来ると、
「失礼します」
一言伝えると、ルーベルトの頬に優しくハンカチをあてた。
ルーベルトはミシャの行動で自分が泣いていた事に気が付いた。
ルーベルトはミシャの手からハンカチを受け取り、テーブルへと置いた。
ミシャの両手を掬い上げ優しく握ると、ルーベルトと視線を合わせたまま見つめ合った。
2人の手は自然と繋がれている。
「ミシャ嬢。そう呼んで良いだろうか」
ルーベルトの問いに、視線は合わせたままミシャは小さく頷いた。
「私の事は、ルーベルトと呼んで欲しい」
ミシャは頬を赤らめ、また小さく頷いた。
ミシャが頷く度に、ふわふわな柔らかな髪が揺れる。
「ミシャ嬢は私が怖くないのか?私の顔の傷は恐ろしくはないのか?」
ミシャを真っ直ぐに見つめるルーベルトからそう問いかけられた。
ミシャは首を振りルーベルトに自身の気持ちを伝える。
「ルーベルト様のお顔が恐ろしいと思った事は、一度もありません。
凛々しく雄々しい顔つきで、傷はなんとお伝えすれば良いのか……。不謹慎な言葉ですが、私には傷跡すら格好良く思えるのです」
ミシャは真っ赤な顔で、ルーベルトに気持ちを伝える。
恥ずかしいのであろう、瞳には薄っすら涙が浮かんでいる。
だが、ルーベルトに必死で気持ちを伝えようとする姿は、とても可愛らしい。
「ミシャ嬢、ありがとう。傷の事は不謹慎とは思わない。その様に言って貰えた事は嬉しく思う。ありがとう」
ルーベルトは自然と微笑んでいた。
その柔らかな笑顔を間近に見たミシャは、ますます真っ赤になる。
(柔らかく小さな手。そこから伝わるミシャ嬢の熱量に絆されてしまうのは仕方ないのではなかろうか……)
言葉を選んではいるが、ミシャがルーベルトに想いを寄せている事は明らかだった。
令嬢と縁の無かったルーベルトにすら伝わるのだ。
ルーベルトは椅子から立ち上がると、テーブルではなく四阿に置かれたソファーにミシャをエスコートする。
ミシャをソファーに座らせ、ルーベルトは一人掛けの椅子をミシャのすぐ前に置き対面で話をする。
「ミシャ嬢は、私を昔から知っている様に思うが……会った事はないのだな?」
ミシャは頷く。
「では、ミシャ嬢は一方的に私を知っていたと?」
その言葉に、ミシャはハッとなる。
自分がルーベルト様を追い回していたと捉えられてしまった。
ミシャは顔を青褪めさせ、小さく震える。
(嫌われてしまった……)
ミシャはポロリと涙を流す。
ルーベルトが慌てて慰めようとするが、
「坊ちゃま。なんという言葉を選ぶのですか」
呆れた声で老執事が声をかけた。
「今の言い方ですと、お嬢様が一方的にルーベルト様を追いかけ回していたかのように聞こえます。
坊ちゃまは当主です。しかも、魔王とまで呼ばれているのですよ?目立つ坊ちゃまは誰もが知っています。それを……。言い方っ!!」
老執事からお説教を貰い、ルーベルトは慌ててミシャに声をかける。
「言い方を誤ってしまった。私はミシャ嬢を見た事が無かったのでどこで私を見て……その……想ってくれていたのか、気になっただけなのだ。全く他意はないのだ」
必死に言い訳を連ねる。
ミシャは鼻を啜りながら、小さく泣いた事を詫びた。
だが、ミシャが顔をあげる事は無かった。
ルーベルトは自分の語彙力の無さに、心の中で溜め息を吐く。
どうしたものかと、老執事に視線をやる。
気が付いた老執事が溜め息を吐きつつ、ミシャに問いかけた。
「ミシャお嬢様はルーベルト様の婚約者候補を降りられますか?配慮のないルーベルト様と婚約しても辛いだけかもしれませんよ? ミシャお嬢様には他に縁談がありますでしょう?そちらを選ばれた方がきっと幸せにして貰えますよ。」
ミシャは老執事の言葉にバッと立ち上がると両手に握り拳を作り声をあげた。
「嫌です!候補は降りません。私がどれだけ今日を待ち侘びたか、クロさんは知っているではありませんかっ!
他の方となんて嫌に決まっています。私は幸せにして貰う為に婚約したい訳ではありません!!私がルーベルト様を幸せにするのです。
クロさんは私の気持ちを知ってて候補を降りろと言うのですか?」
ミシャは怒りながら、泣いている。
泣きながら、とても怒っていた。
「クロ……。執事と顔見知りなのか?」
ルーベルトの呟きに、ミシャが我に返る。
口に手をあて、顔を青褪めさせると一礼をして走って四阿から出て行った。
クロと呼ばれた老執事もミシャから婚約を続ける言質を取りたかっただけで、責めるつもりは無かった。
ルーベルトにミシャの気持ちをきちんと知って貰いたかったのだが……。
失敗してしまった。
「ルーベルト様、話は後です。ミシャ嬢を追いかけなくて宜しいのですか?」
クロの言葉に、あ!!
となりミシャを追いかけたが、ミシャは既に馬車で帰ってしまっていた。
邸の玄関で呆然とするルーベルトに、クロが問いかけた。
「ミシャお嬢様の事をお聞きになりますか?この婚約を望まれないならば、聞く必要はありません。
ですが、ミシャお嬢様を選ぶ気持ちがルーベルト様にあるのであれば全てをお話致します」
老執事の言葉にルーベルトは邸の門を眺める。
(きっとミシャ嬢は泣いて帰ったはず。私を見て頬を赤らめ、あんなに丁寧に接してくれた令嬢はいない)
ルーベルトはギュッと目を閉じ、心を決める。
「私はミシャ嬢を選ぶ。婚約者に是非なって貰いたい。ミシャ嬢を迎えに行かねばならぬ。手短に頼む」
クロにそう伝え、ルーベルトは馬車の準備を急がせアンガー男爵家へと急がせた。
ミシャを迎えに行く馬車の中でクロからミシャについて話を聞いた。
昔、亡きグランベルトとナターシャが森に魔物討伐に向かった、その時森の奥に金色に輝く何かを見付けた。
急いで光のもとに行くと、そこには魔物に襲われたであろう者達が数人重なりあい亡くなっていた。
その亡くなった人達の間から漏れ出る金色の光を探し出すと、血濡れの赤子が現れた。
それがミシャであった。
グランベルトとナターシャは赤子が治癒魔法を放ち続けている事に気が付いた。
泣きながら、必死に魔法を放つ赤子を憐れに思ったナターシャが、赤子をあやし、必死に魔法を止めさせようとした。
子守唄を歌い、ゆらゆら揺らすと赤子は力尽きたのか眠りに落ちた。
二人は転移魔法で亡くなった者全員を邸の小さな森に移して、使用人達に知られぬように身元の判明出来るものを探した。
身元が解るものを所持してはいなかったが、服装や護衛騎士がいた事。
赤子の上に両親らしき二人が被さり、その周りを護衛騎士四人が覆い被さって亡くなっていた事。
その状況から貴族である事が解る。
そして、赤子が聖女と呼ぶに相応しい魔力持ちである事も解った。
だが、教会ではなく森に入っていた。
となると……、隣国から逃亡しこの国に亡命する為に森に入った可能性を考えた。
隣国の聖女の扱いは大陸中から非難を浴びている。
先代の聖女が虐待紛いの扱いをされ、民衆の前で亡くなったからだ。
聖女は教会から脱走し、祭りで賑わう広場で自ら自死をしたのだ。
その祭りには他国から大勢の使者も観に来ていた。
聖女は若い少女と公表されていたのだが、身なりはボロボロで痩せ細り、まるで老婆のようであった。
民衆からも使者からも非難を浴びた王家と教会は、火消しに忙しい。
聖女が亡くなった今、新たな聖女が産まれたはずだと血眼で探していた。
「赤子を聖女にさせないため、殺されないように逃亡したのだろう」
グランベルトはそう結論を出し、亡くなった者達を小さな森に墓を建て埋葬した。
そして、赤子を匿うことを決めた。
アンガー男爵家には子がおらず養子を迎える相談を受けていた。
バクタス辺境の領内に邸を構えている事も都合が良かった。
アンガー男爵夫妻は、生まれて間もない赤子の養子の話を喜んで受けてくれた。そして何より子供を庇い亡くなった両親や護衛騎士の分まで慈しむ事も誓ってくれた。
そして、赤子の強い魔力を抑えるための魔道具も渡したのだった。
そして、ミシャのことは男爵夫妻と辺境伯夫妻のみが知る事でミシャを隣国から隠し続けた。
赤子はミシャと名付けられ、男爵家で大切に育てられた。そして、時折訪ねてくる辺境伯夫妻からは貴族としての嗜みから教養まで沢山の事も学んだ。
そして、自身の出自のことも……。
ミシャは恩返しにと、変装をして冒険者となり治癒使いとして辺境領のために働き続けていた。
そんな日々を送るなか、初恋の相手となったのがルーベルトであった。
戦場で何度も会うにつれ恋してしまった。
身分差を考え、また恩人である辺境伯夫妻に知られてはならないと厳重に恋心に蓋をした。
「スタンピードでルーベルト様を治癒した少年がミシャ嬢です」
その言葉にルーベルトは大きく目を見開いた。
「葬儀の後です。私が前辺境伯夫妻の墓前に行くと少年が雨の中泥にまみれながら泣き喚き、感謝の言葉を墓前に伝えておられました。私はその少年に興味を持ち観察を始めたのが全てのきっかけです」
少年とミシャが同一人物だと知り陰から観察していると冒険者として過ごしていたのもあるせいか、クロはミシャに見つかってしまった。
クロはミシャに腹を割って話をした。
ミシャの過去、魔力の真実。
そして、ルーベルトへの恋心。
「その時に私は決めたのです。絶対にミシャお嬢様をルーベルト様の花嫁にすると。亡き辺境伯夫妻もミシャお嬢様ならば喜んで頂けると、そう思っております」
それからクロはルーベルトの良くない噂を社交界に流した。
「冷徹魔王」「女嫌い」見合い相手が断りたくなる噂を流していた。
ルーベルトは(犯人はおまえか……)と、心の中で溜息を吐いた。
「ミシャお嬢様は男爵令嬢。ルーベルト様が何度も見合いを断れば順番は下位貴族へと移ります。それまでミシャお嬢様には待っていただいていたのです」
クロの話を聞いたルーベルトは「なるほど」
その言葉しか出てこなかった。ミシャと巡り会えたのはクロの活躍のおかげであった。
だが、不名誉な噂をこれでもかと流したのもクロである。
話が終わる頃にアンガー男爵家に到着した。
ルーベルトは馬車が止まると同時に飛び出した。ミシャの名を呼びアンガー男爵家へと不法侵入していく。
侵入者に驚くも、相手は顔の知れたルーベルトと老執事のクロ。男爵家の者はどうしてよいかわからず、邸は大騒ぎとなった。
「ミシャ嬢!」
ルーベルトの声を耳にしたミシャは庭の隅に隠れてしまった。
ルーベルトに嫌われたと勘違いしているミシャは必死で息を殺して隠れた。
だが、簡単にルーベルトに見つかってしまった。
ヒョイと抱えられ、ミシャはルーベルトの左腕にお尻を乗せ頬には大きくて温かな手が添えられている。
ミシャの心臓は今にも爆発するのではないかと、そう思うほどにバクバクしている。
大好きなルーベルトに抱えられ、すぐ目の前に顔がある。
「ミシャ嬢、私を慕い続けてくれてありがとう。私と婚約してくれないか?」
ミシャの瞳は驚きで大きく見開かれ、そして輝く雫が零れ落ちてくる。
ルーベルトの大きな手に擦り寄り、声にならない返事の言葉は何度も頷くことで答えた。
自分の手に擦り寄る可愛いらしい仕草を見て。
「可愛いな」
ルーベルトのとろけそうな甘やかな笑みを見た男爵夫妻は、娘の恋が叶った事に涙を流して喜んでいた。
ルーベルトとミシャの婚約は数日で整えられた。
クロがミシャの見合いの順番が来た時には書類は全て用意されていたのだった。
小柄なミシャは、いつもルーベルトの腕の中にいる。
ルーベルトの左腕がミシャの特等席となっていた。
お茶会も食事もルーベルトの膝の上に乗せられ、ミシャは顔を真っ赤にしながらも幸せそうに笑っている。
スタンピードで両親を失い、英雄と誉めそやされても心を閉ざしていたルーベルトの幸せな顔を見て、領民達も祝福をした。
結婚式まで沢山の出来事があった。
陛下に婚約の報告を兼ねて夜会に参加することとなったルーベルトとミシャ。
二人は揃いの衣装にお互いの色を使った豪華な宝飾品で身を包み、夜会へと足を運んだ。
クロのせいでありもしない噂が独り歩きしていたなかで、ミシャを愛おしく見つめ好意を隠さないルーベルトの甘やかな行動に周囲の貴族達は動揺していた。
「ルーベルト、よく来たな」
陛下の声掛けに全員礼をとる。
「顔をあげよ。今宵は英雄ルーベルトの婚約披露でもある。ミシャ嬢は男爵令嬢ではあるが治癒魔法の使い手であり、スタンピードではルーベルトを命懸けで治癒魔法を行使した貢献者だ」
陛下の言葉に男爵令嬢?と空気が一瞬変わったが、スタンピードの話を聞き会場は祝福の歓声で溢れた。
陛下も実はクロの共犯者である。
クロからミシャの話を聞き、見合い相手も断るであろう令嬢を用意していたのだ。
断った令嬢には陛下が裏で良い相手をこっそり合わせ、縁談を纏めていた。
なので、陛下はルーベルトとミシャが結ばれた事に満足していた。
祝福の言葉が贈られる中、ルーベルトとミシャはダンスを踊る。
「ルーベルト様。ダンスはナターシャ様から直々に指導を受けました。ナターシャと一緒に沢山踊りましたわ」
ルーベンはミシャが言わんとすることが理解できている。
足を止め、ミシャをきつく抱きしめる。
「ありがとう、ミシャ。貴女はいつも私の心を幸せな方へと掬い上げてくれるのだな」
ルーベルトは当主として話をする必死がある人もいる。ミシャから離れる事を嫌がったがミシャから挨拶に行くように言われてしまい渋々側を離れた。
周りの令嬢はミシャに声をかけたいが、社交界に顔を出したのが初めてのミシャに声をかけるための会話を探していた。
「田舎の男爵のくせに、英雄の婚約者になるなんて体で奉仕でもしたのかしら?」
そう声をかけてきたのは、ルーベルトの元婚約者のルクレシアだった。
「田舎者には傷のついた英雄がお似合いなのかしらね?」
クスクス笑うルクレシアに対してミシャは無視をする。
「あら?お耳も悪いのかしら?それとも貴族としての礼儀も知らないのかしら?」
「…………」
「なんとか言いなさいよっ」
ルクレシアは扇子でミシャの頬を打ち付けた。
ミシャはゆっくりとルクレシアに視線を向けると、無表情のまま淡々と言葉を伝える。
「貴女は何がしたいのですか?ルーベルト様に婚約破棄されたのは、貴女がルーベルト様の傷を醜いと暴言を吐き、そんなルーベルト様は自分に相応しくないと、そう言われたから破棄されたのですよ?
自分から婚約破棄したと噓をつきルーベルト様に瑕疵があるように噂を流していることを私達が知らないとでも?」
可愛らしく幼い容姿のミシャが、冷たく淡々と言葉を並べる様子に、周囲も息を呑む。
ミシャの頬からは一筋血が流れていた。
その姿は、恐ろしくもあり凛とした一人の淑女として輝きを放っていた。
「ミシャ!」
ルーベルトが走って側に来るといつもの癖でミシャを抱えあげ左腕に座らせていた。
ミシャの頬を撫で血を拭い泣きそうな顔で傷を見つめる。
ミシャは自分の痛みのように心配してくれるルーベルトが愛おしくて仕方がなかった。
ミシャはルーベルトの顔を両手で包み込みミシャと視線を合わせると、薄く残る傷跡に優しくチュッと口付けを落とした。
「愛するルーベルト様、お揃いですね」
と、甘く切なく笑みを浮かべてもう一度ルーベルトの傷跡に口付けをする。
ルーベルトはギュッとミシャを抱き込みミシャのお腹に顔を埋めた。
ミシャは両腕でルーベルトの頭を抱え込み髪に顔を埋めた。
お互いを深く思い遣る姿に、泣き出す令嬢もいた。
愛し愛され、慈しみあう。
令嬢達はうっとりと二人の姿に魅入っている。
ミシャは顔を上げると、ルクレシアに視線を向ける。
「貴女がルーベルト様を傷付け捨てたのです。今更よりを戻そうとしても無駄です。
貴女は家門の繋がりとして婚約者に選ばれたのかもしれない。でも、ルーベルト様自身には最初から選ばれてはいません。ルーベルト様は性悪に好意を寄せる愚か者ではありませんから」
何かを言い返そうとした瞬間、ミシャとルーベルトのやり取りを見ていた令嬢達から囲まれてルクレシアは責められ始めた。
お互いを慈しみ合う二人を邪魔するルクレシアを令嬢達は許せなかったのだ。
騒ぎが大きくなる中、陛下の指示により近衛騎士がルクレシアを夜会から退出させた。
ミシャとルーベルトのやり取りは、暫くの間お茶会で語られることとなった。
ルクレシアは生きる事を諦めたくなると噂される厳しい修道院送りとなった。
ルーベルトとの婚約破棄の時は謹慎処分と甘い判断だったことが悔やまれたが、ルーベルト本人がルクレシアと縁が切れれば何でもよかったのだと判断を誤ったのが原因でもあった。
ルーベルトは土下座でミシャに謝罪をする。
「謝罪の言葉より、これからも沢山甘やかしてください」
ミシャからの許しの言葉に全力で答えるルーベルトの姿が王都でも辺境伯領でも見られた。
甘やかな二人の姿を見ることが出来れば、一日幸せになれると噂が流れるほどであった。
幸せな気持ちになれるその光景を一目見たいと、辺境に来るカップルもいるくらいであった。
甘やかな結婚生活を過ごす中、離婚の危機が幾度もあった。
隣国がミシャが逃げ出した聖女だと、大陸の議会に訴えたのだ。
大陸の議会は各国が参加をし、国同士の問題を話し合う場とされる。
隣国と戦争一歩点前で、ミシャが隣国に向かうと宣言してしまう。
それに怒りが頂点に達したルーベルトが辺境軍を率いて隣国の王家を討ったのだ。
更に魔王としての名を上げ、ミシャは国の為に身を捧げようとしたと天使の名を上げる事になった。
またある夜会では「ミシャを崇める会」を設立したいと、ルーベルトの許可を貰に来た令嬢達と意気投合していた。
会の代表となる公爵令嬢と甘やかな顔で談笑するルーベルトを見たミシャは「浮気。公爵令嬢と恋に落ちた」と勘違いをし、夜会から姿を消してしまった。
三日三晩寝ずに探し続けるルーベルトを、魔王はやはり魔王であったと人々を震え上がらせる剣幕でミシャを探し続けた。
魔王の執念で見付けた天使は泣きながら魔王と喧嘩を始めた。
人々は陰からその様子を見逃さぬように、こっそり目に焼き付ける。
仲直りした二人はいつものようにミシャを抱きかかえ、立ち去って行った。
二人の様子は全て「ミシャを崇める会」によって記録され、本となり疲れた令嬢達の心を癒してくれるものとなった。
魔王と呼ばれた英雄はルーベルトは、天使と呼ばれたミシャの虜となり一生甘やかし続け幸せな人生を共に生きた。




