4 守りたいもの
鶏舎で作業に勤しんでいると、遠くの空で雷がゴロロ……と鳴った。
顔を上げてみてみれば、竜が棲むといわれている山頂の上に、黒い雲が渦巻いている。
(初めて見る雲)
とぐろを巻いている、とでも言うのだろうか。ちょっと不穏。
しかし、私を追いかけまわした鶏は、鶏舎で何の心配も無さそうにうつらうつらとしている。
動物がそわそわしていないのなら、取り越し苦労でしょう。
さて。
伯爵令嬢でもある私が、なぜひとりで鶏舎の仕事をしているかというと……。
今日は兄が四人とも屋敷に揃う日だから。
それに伴い、使用人全員が忙しいから。
籠二つ分の卵を厨房に届けたのが私なくらい忙しい。
ついでいうと、厨房の使用人が私に気づかなかったくらい忙しい。
令嬢オーラゼロっていうのも、モブキャラっぽい。
できれば兄たちにTKGを振舞いたかった。
けれど、毒見する勇気を奮い立たせることはできず……。
安心要素が見当たらないのだ。
魔法で毒検査とかできるのだろうか。
それって何属性魔法になるんだ。聖魔法?
とりあえず、なんとか毒見を成功させたい。
そんなことを考えながらも、緊張はしていた。
自分が追放モブキャラ設定なことを思い出してから、一緒に住んでいない兄達と会うのは初めてだからだ。
王宮騎士団所属の次男、フリードリヒ・ノーテル。
魔法学校の寮に入っている三男、ヨアヒム・ノーテル。
美兄が四人揃ったシーンは、眼福であろう。
そんなスチルは無かったけれども。
むふふ、と笑ってしまう。
ただ、屋敷の使用人は全員張り切っていて、正直その熱がしんどい。
それぞれの使用人に推し兄がいるのだろう。
同担拒否みたいな戦が起こっていないことを祈るばかりだ。
ま、私には関係ないけれど。
「よいしょっと」
小さな体で餌を補充し、水を入れなおすと、鶏舎の掃除完了だ。
私の仕事はこれからが本番、手袋越しに地面に手をついて魔力を流す。
素手は絶対ダメ! とお母様に言われている。
この手袋は魔力を流しすぎると逆流する仕様で、お父様が魔道具士に作らせたものだ。
お陰で気絶をすることはない。
それでも毎日魔力を限界まで流しているせいか、調整はうまくなってきた気がする。
(土が良い感じなんだよねぇ)
魔力を流して帰ってくるエネルギーがとても心地よい。
こうやって伯爵領の土が良い感じになれば、収穫量はどれくらい上がるかな~。
ていうか、やみくもに流しているだけだけど、もうちょっと効率を考えたいな~。
商会を作れるくらい、何かこう派手な成果はどうやったら上がるのかなぁ~。
五歳の仮面を被った成果主義な三十歳が考えていると、後ろから声を掛けられた。
「セシル!」
作業を中断することなく、声がする方を振り向くと、愛馬に跨ったフリードリヒお兄様がいた。
きっと久しぶりに会っ愛馬と散歩をしたくなったのだろう。
それにしても、いやぁ、ますます体格が良くなっている。
王立騎士団所属、半端ない。
私は地面に魔力を通しながら考えた。
TKGは、フリードリヒお兄様にとっていい栄養になるんだろうな。
昔、生卵を飲んでいる人もいなかったっけ。
マッチョイムズと卵は、相性が良い感じはするんだけどな。
じっと見つめていたせいか、フリードリヒお兄様が破願する。
「お前が迎えにいないから、探しに来たぞ。皆がお前はここだろうと言ったんだ。本当に魔力を流しているのか」
「おかえりなさいませお兄様。ご明察ですわ。少しお待ちくださいませ」
「ああ、わかった」
フリードリヒお兄様は、私の作業を中断させることはなかった。
近くの柑橘の木に愛馬の手綱を括り付け、果実をもぎり食べ始める。
蜂蜜色の髪と、ヘーゼルナッツ色の瞳。
フリードリヒお兄様と私の髪と目の色は同じ。
だからかお兄様はどんなに私が我儘だろうが、特に可愛がってくれている。
追放の時に助けてくれたのかなぁ。
本当に、私はどんな追放をされたのだか……。
しばらくして魔力を流し終えた私はもっさりとした服についた土を手で払いながら立ち上がった。
「お待たせしました」
「せっかくだ、セシル。鶏舎を説明してくれ。随分と臭いが軽減しているな」
お兄様! ご興味を持ってくださるところがさすがです!
私は鶏舎の衛生管理に努めたこと、飼料改善や、土魔法を使っていることを身振り手振りで話し始めた。
「土魔法を、土に流す……か」
「はい」
何やら考えているようだった。
鶏舎やその周辺を一緒に見て回っていたフリードリヒお兄様は、軽々と私を抱き上げる。
「お前が優秀で嬉しい。婚約者は最も優秀な者にせねばならないな」
「まだ五歳ですわ……」
女の幸せは結婚……ならば、相手の家格や、財産や血筋を見るしかないよなぁ。
就職活動だよなぁ、これ。
きっと渋い面を作っていたのだろう。
お兄様が私の髪に優しくキスをした。
「お前は美しいのだ。何も心配するな」
「はい。見つからなかったら、お兄様と結婚したいですわ」
にっこりと笑むと、フリードリヒお兄様の目じりがだらーんと下がった。
兄も私を溺愛しているらしい。
でもなぁ、美しかろうがなんだろうが、私は悪役令嬢取り巻きルートからの追放エンドがあるのだ。
本当に謎だ。
お兄様は私を馬に跨らせた。お兄様と相乗りで屋敷に戻る。
お兄様は剣や騎士団に興味はないかだとか、乗馬に興味はないのかだとかを、私に聞いてきた。
追放時に馬で早駆けできた方がいいし、剣が使えれば自分で自分の身を守れる。
冒険者ルートとかあるのかしら。
とりあえず、自立の道がそこにも見える。
興味があることを伝えると、お兄様は嬉しそうに頷いた。
「よし、稽古の算段もつけよう」
「嬉しいですわ!」
へらっと私は笑う。運動、よいではないか。
普通の健康体型は、ちょっとの油断で肥満体型へ転がり落ちるリスクがある。
少しだけ、少しだけ体重を気にしているだけだ。
その時、ゴロロ……と山の上で再び雷がなった。
先ほどより大きな灰色の雲が渦巻き、舞っているようにみえる。
「お兄様、雲がまるで竜のようですわ」
「ああ。あの山で雷がなると、竜が降りてくるというな。良かった。帰ってきていて」
竜はもう三十年近く表れていない。
この伯爵家は竜殺しの異名を持つ祖父を持つ。
竜が現れたとして、祖父に続けとばかりに、兄たちは喜んで退治するだろう。
屋敷に戻ると、作業服の私を見た母親が卒倒しそうになった。
どうして兄たちが帰ってくる日だとわかっているのにそんな洋服でいるのだうんぬん。
私はメイドに抱えられるようにして、風呂に運ばれ放り込まれた。
身体を磨かれ、新調したドレスを着て、少し遅れて入った久しぶりに使われた広間には、家族全員が揃っていた。
それだけではない。
お父様の弟である叔父――オスカー・ノーテルと、その息子である十歳になる従兄のユリウス・ノーテルまでいる。
ユリウスと目が合うとにこりと微笑まれた。
相変わらず穏やかな人である。
(あれ? 婚約者を決める家族会議とか言っていなかったけ。ということは……)
もう一度、従兄のユリウス・ノーテルを私は見た。
「セシル」
背が高く、立っているだけで場を締めるリヒャルトお兄様に声を掛けられる。
「遅くなりました」
そう答えて礼をして、顔を上げた。
フリードリヒお兄様は腕を組み、満足そうに私をじっと見つめている。
エミールお兄様は、にこやかな笑みを浮かべていた。
ヨアヒムお兄様はにこにこと機嫌が良さそうに、私に話しかけてきた。
「……少し会わない間に、随分と雰囲気が変わったな。鶏舎に入り浸ってるんだって? さっき、プリンを食べたけれどすごくおいしかった」
「プリンを気に入っていただけて嬉しいですわ!」
「その話はあとで。セシルの今後について、兄弟で話す必要があって家族で集まった」
お父様の声で、全員の視線が、また私に集まる。
私は背筋を伸ばし、あどけなく微笑んだ。
婚約者を決めるという名の、就職活動会議か。
適当に相槌を打っておこう、と思った時だった。
窓の外に黒い影が高速で横切った。
全員一斉にそちらを向き、母を除く全員が魔法で剣を出して手に持つ。
え、何でそんな好戦的な、と思った。
同時に湧き上がったのは、猛烈な嫉妬心と自己卑下の気持ち。
「????」
「竜だ!」
「母上とセシルはここに! 行くぞ!」
兄たちが窓から外へ飛び出していく。
え? どゆこと?
もやもやする心が自分を覆いつくそうとするのを、三十歳の私が止める。
あれが竜だとして、影が向かった先は、鶏舎だ。
鶏舎……。
私は目をカッと見開いた。
「鶏!!!」
「セシル!」
私は母の制止も聞かず、窓から飛び出した。
鶏が卵から卵を産めるようになるまで、半年の作業を、無駄にされてなるものか!
鶏の成長ステップを知っているか。
卵が孵化するまで、だいたい二十日。ひよこが若鶏になるまで数か月、産卵開始までトータル半年!
すべての卵が孵化すると、すべてが雌とは思うな!
雄はこの魔法世界でも、卵を産まないんだぞ!
私はこの半年で培った体力を使って、鶏舎に向かって走った。




