16 ついに、TKG!
厨房に近づくにつれ、セシルとしては初めての、けれどとても懐かしい匂いがした。
炊き上がる米の、あの甘い匂いだ。
つまるところ、米が炊かれている。
レオンハルトもいるため、一応令嬢らしくしおしおと歩いていたが、私は走り出していた。
もちろん、レオンハルトは余裕で並走してくる。
「セシル?」
「なぜ、先に、米が炊ける匂いがするのかしら! と、思いまして!」
一緒に実験するって、言ったのに! 料理長!
走ってたどり着いた厨房では、土鍋の蓋がまさに開けられるところだった。
「料理長!」
「セシル様!」
熱量は同じくらい。お互いを呼びあい声がぶつかりあった。
「米と一緒にありました、炊き方の手順書があまりにも詳しかったのです。ぜひセシル様に召し上がっていただきたく、時間に合わせて炊かせていただきました」
「な、なんですって!」
レシピ、あったのかーい。
一生懸命に炊き方を思い出そうとしていた私の苦労は水の泡……。
でも、それを食す文化が無い場所に献上するんだから、そりゃレシピくらいつけるか……。
「これが、米なの? 真っ白だね」
ちょっと落ち込んでいた私はレオンハルトに、ひょいっと抱きかかえられた。
レオンハルトは十歳だけど、同年代よりも背は高い。
悔しいが、私を抱えるくらい、余裕だ。
一人で駆け回ることが多いから、こうやってレディ扱いされると恥ずかしい。
「殿下、一人でできますわ」
「うん。わかっているよ、セシル」
にっこりと微笑まれたら、お礼しか言えないじゃないか。
感謝を伝えると、「当然ですよ、レディ」なんて言ってくるから調子が狂う。
料理人も、料理場の使用人も、みんなほほえましい笑顔で見つめてくる。
この婚約はぁ、レオンハルト殿下が、おひとりで決められたことなんです!
……と、地球の裏側に届くくらいの大きな声で叫ぶのはまた今度にする。
今は、ご飯だ。
用意されていた脚立の上に立たせてもらう。
料理長が土鍋を目の前にずらしてくれたので、真上から米を眺めることができた。
真っ白に、ふっくらと炊きあがった米粒が、土鍋の中でほろりと立ち上がり、湯気の向こうで宝石みたいにきらきらと光っていた。
その光景を見た瞬間、料理長に『なんで一緒に実験をしてくれなかったんだー!』と泣きつくことはやめた。
素晴らしい、とても素晴らしい!
「料理長! 卵を! 地下の貯蔵庫から!」
私は何かにとりつかれたように叫ぶ。
貯蔵庫に向かうために脚立から飛び降りようとした私を、レオンハルトがまた抱きかかえて下ろしてくれる。
「さすがに飛び降りると、フェイ・ドラゴンの卵が割れるかもしれないからね」
それを言われると、ぐぅの根も出ない。
「お手を煩わせて、申し訳ありませんわ……」
それでも貯蔵庫に小走りで向かい、今朝の新鮮卵を籠にせっせと詰めた。
その籠を抱えて戻ろうとすると、また籠をレオンハルトにひょいと取られる。
「重いものは僕が持つから」
後ろを振り返ると、着いて来ていた使用人たちが安心したように頷いている。
なんてかわいらしいのでしょう、ほほえましいのでしょう、という表情だ。
もやもやしつつも厨房に戻り、料理長にご飯を一膳ずつ、陶器のお椀によそいでもらう。
全部で六膳できた。
TKGの好みは分かれるが、溶き卵形式で攻めていきたい。
私は、卵を割り、せっせとかき混ぜた。
醤油を垂らして、卵の色がほんのり琥珀色になるまでさらに混ぜる。
白身のとろりとした筋が消え、艶のある均一な液体になったところでようやく合格だ。
熱々の白米の中央にくぼみを作り、そこへ静かに卵を流し込む。
湯気に触れた瞬間、ふわりと醤油と卵の甘い香りが立ちのぼった。
箸でそっと混ぜれば、黄金色の卵が一粒一粒の米を包み込み、艶やかに光った。
「ほーっ!」
さすがに、にこにこ笑顔のレオンハルト以外がドン引いている。
え? まさか、卵を生で食べるの? みたいな。
「私が、大丈夫であることを証明します!」
「え?」
米粒を包む、黄金色の艶の前では、私はどんなリスクも引き受けるつもりだ。
使用人やレオンハルトが止める間もなく、私はTKGをかき込んだ。
「んーっ!」
口の中に入れた瞬間、ふわりと米と卵がほどける。
炊きたての米の甘さと、卵のまろやかさ、醤油の香ばしさが一緒になって広がった。
噛むほどに、じんわりと幸せが染みてくる。
醤油も、まじで醤油! すごい!
あ、生きてて良かった。魔獣に襲われた時、諦めないで良かった。
幸せの実感を噛みしめていると、意を決したように料理人がスプーンを手に取った。
「お嬢様に何かがあったら、俺の責任ですから!」
決死の覚悟といった感じで、TKGを恐る恐る口に運ぶ。
目の玉が零れ落ちそうなくらいに目を開いた。
「これは、うまい! うまいぞぉ!」
料理人の目がピカーッと光って、ビームが出た、ように見えた。
それからブツブツと言いながら、新たに米を炊き始めたのだ。
やはり、彼は職人だった。土鍋を三つ、持って帰って良かった。
すると、使用人たちも食べ始めた。
うまいうまいと、こぼれるような笑顔を浮かべている。
おいしいっていう笑顔、本当に大好きだ。
私はレオンハルトに、TKGのお椀を勧めてみた。
「殿下はいかがいたしますか。今のところ、私のお腹は痛くありませんわ。それとも食中毒症状が出るかを待って、召し上がられますか?」
「……君は、またもや僕を救おうとするんだね」
レオンハルトは少し寂しそうに言ってから、お椀を受け取った。
「いただくよ。ありがとう」
それから王族らしく、スプーンで一口すくう。
上品に食べ始めると、表情をぱっと明るくさせた。
それを見て、私も嬉しくなって、一緒に表情を明るくさせた。
「……おいしい」
「でしょう! おいしいのです」
目をキラキラさせて、何度も頷いてしまった。
レオンハルトはもう一口食べてから、くすりと笑った。
「セシルが嬉しそうだと、なおさらおいしいね」
「それは良かったです!」
同じものをおいしいって言えるのって、結構幸せなことだ。
それに、この王太子も、年相応の表情ができるじゃないか。
ちょっとほっとする。
「殿下が米と醤油を私に下さったからですわ。ありがとうございます」
私のTKGの夢は、レオンハルトがいなければ、かなうのはもっと遅くなっていただろう。
レオンハルトはほんわかとした表情で、TKGを平らげた。
「……フェイ・ドラゴンが君を選んだ理由がわかる気がするよ」
「そうですか? 飛び降りるし、走るし、跳ねるし、人選、間違っていますわ。割れますもの、卵」
絶対に間違っていると、自信を持って言うと、ははっ、とレオンハルトが楽しそうに笑った。
ややあって、エミールお兄様が厨房にやってきた。
なんだか騒がしいから、様子を見に来たらしい。
かくがくしかじかで事情を話すと、王太子に得体のしれない食べ物を食べさせたのは怒られた。
でも、本気というよりは形式上、と言った感じだ。
もちろんレオンハルトは「僕食べたいと言ったのだよ」とかばってくれる。
非常にこそばゆいのである。
エミールお兄様がレオンハルトに「どのような味でした?」なんて尋ねている。
なんだかんだで良い関係が築けているようだ。
またお米が炊きあがり、ついに土鍋三つが稼働し始めた。
TKGはさすがにハードルが高いのか、他に顔を出してきた使用人は遠慮した。
では……と、醤油もあるし、焼きおにぎりを料理長に提案したら喜ばれた。
エミールお兄様はレオンハルトが食べたのならばとTKGに挑戦し目を丸くしていた。
今度はいつ食べることができるんだと、真面目に聞かれた。
TKG仲間が増えて嬉しい。
やってきたレオンハルトの護衛騎士、アルヴィン、リオネル、ガレスは卵もご飯もよく食べた。
お米五キロ、約66膳。
夕方までにはすっかり売り切れ。
米栽培を本当に考えたい五歳。
お父様とお母様に、どうしてそんな楽しいことに呼んでくれなかったのかと怒られたのは別の話。
そして、レオンハルトとエミールお兄様が、王都の魔法学園に入学のため、屋敷を出る日が近づいてきたのである。




