障壁と距離を超えて
「私の手を取って。」
手荷物を持った悠に、瑞羽は告げる。
「嫌です。」
即答して、差し出された手を払い除ける悠。
自分の身体を守るかの様に腕を組んで瑞羽を睨みつけつつ、ピッタリと壁に背中を張り付けている。
「変な意味じゃないわ。安心して。」
彼女は尚も片手を差し伸べる。
ためらいつつも悠は、瑞羽の白い手を取った。
その瞬間、全てが暗闇に覆われた。
そして悠は奇妙な感覚に包まれる。
それは空間を落下する感覚に近い。
空を舞い降りる一枚の羽根の様だ。
悠はそう感じた。
「手を離しちゃダメよ。」
瑞羽は言う。
悠は大きく頷き、彼女の細い手を握り続けた。
やがて不思議な落下感は浮上感へと変わり、土が、木々が、明るい日差しが、虚空の彼方から浮上して、周囲の視界を埋めた。
「……!」
目を見張る悠に、瑞羽は言った。
「私は神の“影”、神獣スレイプニル。海も空も、虚空すらも駆け抜けて、世界を渡るわ。」
「影…」
悠はあの日、感じた感覚を思い出した。
奇怪な化け物と邂逅したあの日、怪物が死んだ後。
瑞羽の先導で元の世界へと帰還した。
人と生き物と、明るい陽の光がある日常へと。
薄暗い夜道を三人で歩く間中ずっと、不思議な落下感に包まれていた事を、彼女は思い返した。
「あの…」
ためらいがちに悠は瑞羽に問う。
「私にも、そういう不思議なチカラがあるんですか…?」
「もちろん。」
瑞羽は即答する。
「神話領域に存在出来た時点で、それは確定しているわ。王君もそうよ。神の“影”同士はね、不思議と惹かれ合うの。私はそういう縁みたいなモノを辿って、貴方のいる場所に辿り着いた。そう。始めから運命の赤い糸で繋がり合っていたのよ。」
「赤い糸…!」
一抹の不安が悠の頭をよぎり、無意識に繋いだままだった手を振りほどく。
気にも留めない様子の瑞羽はポニーテールの後ろ髪を揺らして歩いていく。
悠はためらいつつもその後を追った。
早歩きしながらも辺りをキョロキョロと見回す。
場所は悠のよく知る公園の中。
一瞬で移動してきた事について、未だに実感が沸かなかった。
「空を見てご覧。」
瑞羽は振り返って頭上を指さす。
悠は釣られて上を見上げる。
見渡す限りの青空が視界に広がった。
「何かあるんですか…?」
悠は当惑して尋ねる。
「よく見て。」
瑞羽は尚も続ける。
「……。」
「見続けるのよ。そのうち来るわ。“それ”がね。」
困惑しつつも悠は、言われた通りに青空を見上げ続ける。
青い、青い空。
疑問を感じつつも、その淡いグラデーションのスクリーンを凝視し続ける。
…やがて、雲一つない快晴の空を見続けたせいか、目がチカチカしてくる。
明かりが点滅する様に明暗が感じられ、頭に血が昇った感覚になり、そして…
「はむ」
首筋を噛まれた。
14年間の生涯で一度も上げたことの無い様な大絶叫が、悠の口から響き渡った。
カラカラと小気味の良い声で爽やかに笑い、瑞羽は歩いて行った。
「…………。」
顔を真っ赤にしつつも悠は、その細い背中を急いで追いかけて行く。




