確証の神話
「住手!」
そう叫んで、必死にポニーテールの少女の細身の身体に組み付いた少年。
王洪建は叫んだ。
「殺してはならない!」
「このっ…!」
少女は眉間にシワを寄せて、拳銃を握り締めたまま、洪健の手を振り解こうともがいた。
悠はハッとした。
凍りついた様に固まっていた自分の両足に血流が戻って来るのを感じる。
ためらわず立ち上がると、組み合う二人を気にもかけず、一目散に後ろへ駆け出した。
「…待ちなさい!」
ポニーテールの少女の、張り詰めた声を置きやって悠は走った。
忽然と姿を消した人間達の、日常の痕跡が残る街角。
茜色の寒空の下、走り抜けた先。
チロチロと弱々しい光で広場を照らす街灯の元で…“舌”が待ち構えていた。
「……!」
悠は立ち止まり、そして身震いする…
…仔牛程の大きさのある、赤いまだら模様の、薄い灰の色をした表面。
ヌラヌラとした滑る粘液で覆われ、妖しく光を反射して光る。
しっかりと目を凝らすと、無数の細かい柔毛で覆われているのが分かる。
仮に、素手でその表面を撫でたなら、と悠は着想する。
ザリザリした生々しい感触を想起して、その冷たくおぞましいイメージに胃袋が反応して収縮し、えづく。
死を連想させる夕暮れの、血塗れの色をした空の下、生命そのものを冒涜するかの様な、グロテスクな肉塊の一部が蠢き、のたくり廻っている。
「…あ、ああ……」
呻くように声を絞り出す彼女の背後から二人分の、砂利道を踏みしだく音が聞こえてくる。
横から、セーラー服の少女が悠に語りかけた。
「…これがこの宇宙の真実よ。私達の信じている日常なんてね、ほんの薄っぺらい、紙一枚なの。その裏側に“こいつら”は潜んで蠢いている。」
自分の両肘を抱きかかえつつ、悠は頷く。
少女は言う。
「恐ろしいかしら?私達人類なんてね、宇宙、もしくは“神々”に比べたらちっぽけなものよ。木の葉一枚の価値すらないわ。」
「それは違う。」
洪健が割って入って、言った。
「人間は偉大だよ。文明を作り、文化を作り、愛を、平和を作って来た。」
「…確かにね。」
フッと短く笑って少女は答えた。
「善と悪の闘争の場なのよ。この宇宙は。」
言うが早いか、彼女はかつて化け物の一部であった“舌”に向かって発砲する。
ぐちゃり、と生々しい音を立てて、肉片が弾け飛ぶ。
「……!」
「で、どうする?もし良ければここでの記憶を全部消去して、元の世界に送り返してあげるわ。」
悠は、かつて怪物だった物の残骸を横目にちらと見る。
開けてはならない扉を空けた、盗人。
あるいは都会に迷い込んだ田舎の鼠。
心の中身がためらいと恐怖と不安で、ごちゃまぜになる中で、やがて一つの結論を掴んだ。
「私は、ここでの出来事を忘れたくないです。」
少女は黙って彼女の言葉を拾う。
「何も知らないままで、こんな化け物に襲われるなんて嫌だ。闘う方法を知りたい。」
セーラー服の少女は煙を吹く拳銃を持ったまま、二人の向かいに立って言う。
「善思、善言、善行を選んだ者よ。私は善の勝利を確証する者。そしてようこそ。神話の世界へ。私は蔵岡瑞羽。言っておくけど、甘くないわよ。」




