焼き尽くす業火
…透子は、一瞬ビクンと身体を跳ねさせた。
震える手でゆっくりと、自身の顔に手を伸ばす。
ブヨブヨの、奇怪な目玉模様に彩られた、黒い粘液が覆う頭部へと。
そして、その時初めて息が出来ない事に気が付いたかの如くに、激しくもがいて震え始めた。
「透子さん!」
ダン、と一歩を踏み出す音がした。
王洪健が一人、彼女に駆け寄り、彼女の顔めがけて片手から水を噴射した。
白銀色のしぶきが、岸壁に打ち寄せる波間の様に砕け散った。
虹色にギラギラ輝くタール状の表面に浮かぶ無数の目玉模様が点々と、全員を見つめ返した。
「……!」
洪健はその光景を見、自らの手で、おぞましい怪異を引き剥がさんと、意を決して再び一歩を踏み出した…
「待ちなさい。」
洪健は振り向く。
瑞羽が左手と拳銃で“狐の窓”を作りつつ、二人を睨んでいた。
「触れるのは危険よ。」
「でも、瑞羽さん。」
と洪健が食ってかかる。
「彼女、死んでしまうよ!」
「…何とか、神薙さんだけを、“神話領域”からフェイズ・アウトさせるわ…。運が良ければそれで脱せる…。」
…今や床に座り込み、激しく痙攣を始めている透子を前にして、瑞羽は集中力を高めながらそう言い放った。
「運が悪ければ…?」
「ガキ。集中乱してくるなら、殺すよ。」
底冷えのする冷たい声で、瑞羽は洪健にそう、答えた。
その時。
「《イーアペトスよ、地獄で焼かれろ!》」
熱。光。そして視界の端を埋め尽くす影。影。影。
背後からの声と共に部屋中の水分が、一瞬にして蒸発しかねない程の爆炎が巻き起こった。
焼き尽くす業火が光の渦を巻き、大地がめくれ、根こそぎ裏も表も焼かれ尽くしたかの様な焦げ臭い匂いが、部屋中を埋め尽くした。
「!」
「!?」
透子の顔を、頭を覆っていたグロテスクな粘液と目玉の集積体が、一瞬にして焼け落ちていく。
重度の火傷の跡がネロリと剥けるかの如く、彼女の顔から剥がれ落ちた。
その奥より、彼女自身の傷一つない顔が、ひっそりと現れ戻った。
二人は、振り向く。
燃え盛る光を反射する、黒光りするテーブル。
その上に彼女は立っていた。
両手を高々と掲げ、燃え盛る火を、その手に掴んでいた。
祝原悠はその燦然ときらめく輝きの上で、彼女自身の“女神”の言葉を、唯一無二の代行者として語る。
「…貴様ら、火の女神を差し置き、生贄を屠らんと欲すか。犠牲は先ず火に捧げるべきだ。火は、嫉妬深いのだから。」
「……。」
洪健は見つめる。
冷徹、かつ慈悲深く恐ろしい、火の女神そのものの写し身の姿を。
そしてそれを黙って見上げる蔵岡瑞羽の横顔を。
ずっと探していた、はぐれ羊をようやく見つけた羊飼いの様な目つきだ。
洪健はそう思った。
「あああぁぁぁっっ!」
耳をつんざく金切り声が聞こえた。
振り返ると神薙透子が、辺りを激しく見回しながら叫んでいた。
「み、視えます、視えます。眼が、視えます!」




