滑る軟泥、息壌
「ごめんなさい。」
すぐに、愛は透子に謝罪した。
何でもない様子で透子は首を振り、愛に答える。
「良いよ、別に。」
「……。」
悠は自分の左手を眺めつつ、黙り込む。
やがてボコッと、泡が浮き上がる様に呟き声を漏らした。
「…人と違うって、怖いよね。」
「悠?」
心配そうに、愛が彼女の顔を覗き込む。
「そうですね。」
澄み切った声で、透子は応じる。
「ただ、自分が自分である証しですから。今は受け入れています。」
淡い色の瞳を、漠然と悠の声がした方へ向けて、そう言った。
「……。」
悠は利き手ではない方の手で、アイスコーヒーが入ったグラスを掴み、眺める。
透き通った、薄い水色のガラスを店内の調度品ランプの淡い光が優しく透過して、そしてその黒いコーヒーの液面に自分の顔を映し出す。
物憂げな、それでいてどこか拗ねた様な、持て余し気味の感情を拗らせたおさなげな表情。
その背後にそれはいた。
無数の目玉が埋め込まれた、黒い粘液状の“なにか”が浮かび上がって、背後に映り込んでいた。
「なっ!?」
「!」
「!?」
驚いて悠は振り向く。
つられて洪健と瑞羽もそれに続く。
彼らはそれを見た。
壁一面に張り付いて、全体が波打つ様に蠢く様は、コウモリの大群を思わせる。
黒光りする表面に周囲の光景を反射して、テカテカと汚らしくきらめく。
真っ黒な、未生成の石油か、またはタールか。
所々に触手なのか、液体が垂れつつある過程なのか分からない突起が、びょんと伸びて房になり、絡み合い、溶け合って融合する。
そのどす黒い、血膿が詰まった膿疱を思わせる色をした粘液状の物質に、まるで沸き立ったかの様に、ぶつぶつと目玉模様が浮き上がっている。
それらは端から中央まで、びっしりと表面を覆っていた。
末端の方では米粒程の大きさで、段々と豆粒程の大きさに膨れ上がり、中心付近ではテニスボールぐらいの大きさになって、ぼこぼこと散らばる。
そうした大小様々な大きさの“目”が、おぞましく奇形の如くに広がる不規則性の大平原となって、悠達を見つめていた。
「皆、離れて!」
瑞羽は叫ぶ。
「どうしたんですか?」
合わせて、怪訝そうな声が聞こえて悠は、その密やかな声を発した当人の顔を見て驚愕する。
「神薙さん!?」
立ち上がり、透子の小さい手を取りながら悠は問いかける。
「どうして?」
「悠、疑問の解決は後。」
瑞羽がピシャリと悠に言い放つ。
「加勢するよ。」
不測の事態にまるで、威厳を保った長老の様に動じない様子の洪健が言い放った。
瑞羽はコクンと頷き、何処かから自身の愛銃を取り出す。
ゆっくりと距離を取りつつ、安全装置を、外して構えた…
✝
「えっ?」
突如として二人っきりになってしまった店内で、天野愛はひたすらに狼狽する。
「えぇっ!?」
「ちっくしょう、盗られたか。獲物を。」
そう言って、クイナは灰皿に吸いかけの煙草を押し付けて舌打ちする。
愛は突然、消失した友人達の姿を探して視線を泳がせた。
クイナと自分の他、一瞬にして誰もいなくなってしまった店内を、ぐるりと見回して一周し、そして叫ぶ。
「えぇぇぇっ!?」




