数字の魔術師
「なんか、コーヒーの良い香りがしますね!」
そう言って、その日本人形の様な出で立ちの少女は、興味深そうに周囲をキョロキョロと見回す。
コンセプト・カフェ“金枝篇”の店内。
一行はフレンチ・メイド服に身を包んだ店主、薬師丸クイナの好意に甘えて、勉強会に来ていた。
彼女はバーカウンターの向こうで頬杖をついて、微笑ましげに神薙透子の様子を眺める。
「良いねぇ、若いって。」
そう言って、ため息をついた。
「そう言えばクイナさんって何歳なんですか?」
「王君。失礼。」
きっぱりと瑞羽が釘を刺す。
「…煙草、吸っていいかな…?」
そう言いながら、メイド服のポケットからライターと紙巻き煙草の箱を取り出した。
一行の答えも待たずして着火し、モクモクと湧き出す煙の障壁の向こうに隠れた。
「アイスコーヒー、作ってあるから勝手に飲みなよ。」
煙の奥からそう、悠達に告げた。
「私、取ってくるよ。」
何かの責任を感じたらしい洪健が、率先してアイスコーヒーを取りに席を立った。
「…なんか雰囲気良いね、ここ。」
天野愛が悠の隣で、勉強道具をテーブルの上に広げながら言った。
「そうよ。そして、ここにいれば“悪夢”から護って貰える。」
「?」
愛が、憂鬱そうに語る悠の横顔を不思議そうに眺めた。
悠は数日前から通っているこの、拠点“金枝篇”の店内を見回した。
“悪夢”の中で展開された、あの光景と寸分違わない。
数日前ようやくここで薬師丸クイナと“初めて”顔合わせをしたのだ。
既に見知った人物に対して、初めましてと挨拶をするのは、奇妙な感覚だったのを悠は覚えている。
「お待たせ!アイスコーヒーしかなかったんだけど、良いかな?」
意味ありげな気持ち悪い笑みを浮かべて、洪健が戻って来た。
手に持った盆にアイスコーヒーが入ったグラスが人数分、並べられている。
「私配ります!」
透子は立ち上がって、一人分ずつグラスを、全員の前に並べた。
愛は女優の様な美声で高らかに言った。
「じゃあ手始めに。四元数から!」
✝
…勉強会は、ほぼ愛の独壇場で終わった。
学級の学力の底上げ等、建前にすらならない嘘っぱちだった。
彼女は難解かつマニアックな数学の定理を、悠達全員に講義した。
ウィリアム・ハミルトンというイギリスの数学者を、愛は尊敬しているらしかった。
「数字の魔術師…。」
悠は呟く。
彼女の学校でのあだ名だった。
数学において、愛の右に出る者はいなかった。
教師ですら歯が立たなかった。
そして数学が絡むと、彼女は暴走する。
聞きながらこくりこくりと、透子は呆気にとられた様に相槌をうつ。
やがて愛が図で、説明を続けようとした時、彼女はポツリと呟いた。
「眼、視えたら良かったな…」




