昇る朝日
悠は、包帯がきつく巻かれた自分の左手と左腕を見た。
夕刻を少し過ぎた薄暗い病室。
風と雨がガラス張りの窓に打ち付けて、暗く陰湿な雰囲気を、白く殺菌された空間に押し付けている。
自然の風雨の匂いを隔てた、薬臭いその部屋の中で彼女は指が一本、少なくなったその手を軽く動かす。
予想した鋭い痛みと共に、こらえようもない程の激しい掻痒感が、外科手術により切除され、縫合された傷跡に満ちる。
祝原悠は、既に無くなった左手の小指の残滓を不思議な感覚で感じつつ、ここに至るまでの地獄を思い返した。
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…あの後、瑞羽の空間跳躍によって“神話領域”を脱するとあの自然公園だった。
洪健がスマートフォンで確認すると、あの時水に飛び込んだ瞬間から、一時間も経っていなかった。
…瑞羽はすぐさま全員を連れて、市内の総合病院へと転移した。
空間を移動する間の、朦朧とする意識の片端で悠は、瑞羽と洪健が会話するのを聞いた。
「…逆だったんです、最初から。私達が最初に見たのはダエーヴァ達が見せた幻覚。そこから現実の世界へ逃げたと思ったが、実際は逆だった。」
「…自ら敵のテリトリー、手の内へ転がり込んだってわけね…。そしてずっと“悪夢”を見ていた…」
…悠は、野犬に襲われた事になった。
彼女の両親が呼び出された。
同意書にサインがなされ、緊急手術が始まる。
母親も父親も、泣いた。
悠は笑った。
死んだと思った母が生きていた事実に、ただひたすら安堵の思いがこみ上げた。
…手術が開始され、皮一枚で繋がっていた左手の小指が、完全に切除される。
飛び出した骨が削られ、周りの皮膚で包まれ縫合されていく。
麻酔状態とはいえ、身も凍るような悪寒を感じた。
胃が震え、何度も中身をぶち撒けようとした。
悠は自身の“影”の主である神の存在を背後に感じて、必死に耐えた。
“火の女神タビティ”
瑞羽はその名を、悠に教えた。
古代スキタイ人の炉の女神。
それは暖かく南方から顔を覗かせ、夜の闇を打ち払う女神。
宇宙を創造したエネルギーそのもの。
彼女は自分が生き残った事に誇りを持った。
他ならぬ自分の神が自分の命を、肉体の、血液の温かさを護ってくれたのだ。
私は、特別な存在になった。
悠は目の前にいる二人を見る。
父親と母親が心配を通り越した悲痛な面持ちで、彼女を見つめていた。
開口一番に彼女は告げる。
「お父さん、お母さん。もう私学校行かないから。」




