静寂の世界
視線の先を見て、悠は絶句した。
地獄の底の、更なる底に押し固まった悪夢を盛り上げて、無理やり形成したかの様な目茶苦茶な造形。
それは視界の中で、あからさまに周囲と存在感のスケールが違う。
薄汚れた野生動物の、寄生虫にまみれた内臓を思わせるそれ。
おぞましき触手と撒き散らしたかの様な粒々の肉腫が表面を覆う。
しかし全体として、それの輪郭は人間に酷似していた。
そう。
それは一目見ただけで、己の皮膚を、筋組織を、内臓を掻きむしって潰してしまいたくなる程に、自分自身に似ていた。
おぞましき冒涜的なシルエットの、背の高い何かは、永久的かつ奇怪な変異を伴って、しかし依然としてそれは人間に似た何かで、それはその怪異な病変を自身に生じさせる可能性を感じさせる程に、ヒトに類似していたのだ。
本能的に感じた恐怖により、甲高く裏返った声で悠は叫んだ。
「委員長!逃げるわ…」
振り向いた彼女はまたも言葉を失った。
誰もいない。
愛も、その他の生徒も、道行く街の人々も…
文字通り人っ子一人いない、唐突な状況の変化に悠は動揺し、狼狽する。
「………えっ?」
「ボサッとしてないで!」
凛とした声が響いた。
先程のポニーテールの少女が一人、悠の前で、奇怪な怪物の前に立ち塞がっている。
彼女は苦々しそうに呟いた。
「渾沌か…厄介ね…。」
「こん…とん…?」
戸惑いつつも悠は謎の少女に尋ねる。
「あの、これって一体、何なんですか…?」
「…うるさい。すぐに安全そうな場所に隠れて。こっちの気を紛らわすなら、先に殺すわよ。」
歴戦の傭兵の様な、容赦の無い言葉。
しかし尚も悠は、少女の側を離れなかった。
おぞましい程の静寂と孤独感に包まれた世界。
その中で奇怪な化け物と対峙するという状況が、彼女に強烈な不安と恐怖を与えていた。
謎の少女の小さな肩が、異様に心強く感じたのだ。
「あの…その制服って青峰高校のですよね…?」
悠は少女が着ている深い青色をしたセーラー服を指して尋ねた。
彼女はゆっくり振り向く。
「貴方ねぇ、この状況、分かってる?」
幼子を見下す様な目つき。
その鮮烈な眼差しに、悠はたじろぐ。
麻痺しているかの様に、固まったまま動かなくなっていた両足に感覚が戻って来た。
彼女が少女の宣告に従い、何処か安全な場所へ避難を始めようとした瞬間…
唐突に黒い笑い声が空間に満ちた。
悠と謎の少女は見つめる。
怪物の、顔に当たると見られる部位がパックリと割れて、中から血が撒き散らされたかの様に赤い色が点々と付いた“舌”がにょろりと這い出た。
ポニーテールの少女は言い放った。
「…もう良いから、姿勢を低くして頭を守って。」
言うが早いか、彼女はスカートのポケットから硬質な丸い物体を取り出した。
手榴弾だ。
別にミリタリー趣味に明るい訳では無い悠だが、見た瞬間に分かった。
少女はそれに仕掛けられたピンを引き抜くと目を閉じ、すっと息を吸って精神を統一するかの如くに集中した。
「……!」




