蜃気楼
「アレが、小物…?」
悠は身震いしながら遠方の、影絵の様な光景を眺める。
途方もなく巨大な、影。
小さな子供が描いた、かろうじて手足と目鼻が分かるくらいの人間の絵を、そのまま拡大して深紅の背景に焼き付けたらこう見えるであろう、茫漠たるシルエット。
しかし戯画的ともとれるその巨大な人型の何かは、上空から振り注ぐ茜色の輝きに照らされた、荒涼とした大地に伸びる影や、その薄暗い色をした体表に浮き出る微かな陰影をもって恐ろしく、実体感を持ったアノマリーとして存在感を強調していた。
…悠はしばしの虚脱の後、自身が座り込んだまま、砂っぽい地面に手のひらを付き続けていた事に気付くと、慌てて立ち上がった。
「…それにしても凄いじゃないか、少年。」
薬師丸クイナは言う。
「こんなにも早く独力で“神話領域”への経路を開けるなんてね。私しゃ毎度毎度、迷いまくっちゃうから、基本的には蔵岡さんに頼り切っちゃってるんだけどさ。ねぇ?」
「……。」
話を振られた瑞羽は顎に手を当て、長袖のジャケットに身を包んだ洪健を見つめながら、何事か考え込んでいる。
何処か、腑に落ちない様子だった。
「蔵岡さん、どうかした?」
「…いや、何でもないわ。」
彼女は落ち着いた様子で答える。
そして今しがたショックから立ち返ったばかりの悠に告げる。
「さあ、悠。あれが分かるかしら。あれこそが今回の私達の敵、蜃よ。」
「シン…?」
「そう。蜃気楼の蜃。」
クイナが彼女に教える。
「奴らはね、人の魂を夢の中で“掴む”の。そして、神話領域の深淵へと。最も暗くて冷たい場所まで運んで行って、もて遊ぶんだ。その際に生じる人間の恐怖や恐慌の感情が、彼らの“餌”になる。」
「……。」
「彼らがその手を離したときが食事の終わり。被害者が目覚めると、その間の出来事は自身の深層意識を元にした、悪夢の記憶として残る。」
「それだけですか?」
少し驚いた様に洪健が尋ねる。
軽く頷いて、瑞羽が説明を取り繋ぐ。
「ええ。意外かも知れないけれど、影ではない一般人がダエーヴァから被る被害って、割とそんなものなの。」
瑞羽は語る。
白いワンピース姿に赤い光が照りつけ、反射している。
燃える様な輝きを放ちつつ、彼女は話を続けた。
「彼らにとっては栄養豊富な“餌”、すなわち神の影たる私達が主食なの。」
「主食…!?…え?じゃあ、じゃあ…私達って…?」
若干慌てた様子で悠は瑞羽に尋ねる。
「もし、私達がアレに捕まったらどうなるんですか…?」
「極限まで感情を吸われるわね。」
と瑞羽。
「大抵が神話領域の最深部、暗黒の極地まで連れて行かれるわ。そして最後に手を離された時、その際に現実に叩きつけられる衝撃で、多くは絶命するか、廃人になる。」
「……!」
恐怖で固まる悠。
そんな彼女のツインテールの頭を、クイナはクシャクシャにして撫で回した。
「大丈夫だよ。最初は怖いもんだって相場が決まっているんだ。」
「では。」
瑞羽は言った。
「近くまで一気に跳ぶわよ。」




