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無貌の神

「始めまして。中国からやって来ました、王洪健(おうこうけん)です。洪健の健は中国語で“チェン”です。ジャッキー・チェンのチェンと一緒です。ほあちゃぁぁ!」


そう、ポーズをとって自己紹介をしめる少年。

一瞬のうちに朗らかな笑いが満ちる。

市立第一中学校、二年二組の教室。

海の向こうから転校して来てそうそう、大勢からの視線を集めつつ、特に緊張する様子もなく、彼は自己紹介を終えた。


…その日の最初の授業の後の休憩時間。

古ボケたスピーカーから、聞き慣れたメロディーのチャイムが鳴るやいなや、洪健の周りに真っ黒な人だかりが出来た。

ツインテールの少女、祝原悠(いわいはらゆう)は少し離れた場所にある自分の席で、その賑やかな雰囲気を背中に感じながら頬杖をついて、うたた寝を始めようと目論んでいた。


ぐい、


と右腕の袖口を引く感触がする。

半ば眠りに落ちつつあった彼女は少しムッとして振り返る。

生徒会長の天野愛が、長い髪をさらりと肩に流して立っていた。


「ユウちゃん、せっかくの機会だからケンちゃんと話してあげれば良いじゃない?」


「…何でよ?」


あくびをしながら悠は答える。

そしてさしたる興味も無さそうに人だかりの方を見る。


「だって、ユウちゃん名前三文字だから中国人っぽいし。」


「はぁ?」


呆れかえった様に悠は愛の顔を見つめる。

微笑を浮かべながら愛は洪健の下へ行く。


「いうか名前三文字って、アンタもでしょうが…」


そう呟いた後、悠はボンヤリと、洪健とその周りに群がる生徒の集団を観察した。

人だかりの真ん中で舞台の主人公の様に注目を集める少年、王洪健。

流暢な日本語で、次から次へと矢継ぎ早に飛んでくる質問に、淀みなく答える。

あだ名は“ケンちゃん”で確定した模様だ。

短髪の髪の毛をいじくり回されたり、カンフーポーズをして見たり等と、早くも教室に馴染んでいた。

…そういえば顔も何となくジャッキーに似ている…


…と言う風な事を考えていたらチャイムが鳴った。

ガラっと音がなって数学の教師が入って来る。

バタバタと慌ただしく、生徒達は席に戻った。


…放課後、悠はしょんぼりと肩を落としながら、秋口に差し掛かった季節特有の、乾いて冷たい風を感じながら歩いていた。

悩みの種は片手に抱えた通学鞄の中の、今日返された、数学のテストの用紙。

このままでは高校入試が危ない。

そう担任に宣告されて、気が滅入っていた。

茜色の夕暮れの中、悠は両親への言い訳を頭の中で自問自答しつつ考えた。

一迅の木枯らしが吹いて、砂埃を舞い上げて、落ち葉の塊を散らして吹き飛ばして行く…


「アイヤー!」


悲鳴にも似た声に、悠は振り向く。

砂埃が目に入ったのか、洪健が顔を手で覆っている。

周囲を囲むように付き添っていた生徒の一団が、堪え切れなくなったかの如く爆笑した。


「ホントにジャッキー・チェンみたいね。」


ポン、と肩に手が置かれた。

天野愛が通学鞄を抱えつつ、いつの間にか悠の隣に立っていた。


「今日勉強会しない?」


「嫌よ。数式見るのとか、もううんざり。」


キッパリと悠は答える。


「宿題手伝うよ?」


愛は大人びた微笑を浮かべて、そう申し出るのだった。

フッと息を吸い、尚も拒絶の意思を示そうと言葉を発しようとした瞬間。


「逃げて。」


突如として見知らぬ少女の顔が視界に入り込んできた。

映画の中から出てきた様な、キリリと固く口の結ばれた整った顔。

ポニーテール気味にまとめられた黒髪が翻って悠の前に立ち塞がった。

悠は視線の先を追う。

その先にあった“それ”を見て、彼女は生まれてきた事さえ後悔する様な衝撃を受けた。

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