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「それ、わたしは結構好きだけど」
思った通りに仕上がらなかった絵を処分しようとしたら、彼女は少し残念そうに言った。そう言ってくれるのは嬉しいけど、あたし自身が納得できなかったらそれはもうゴミ。そう判断した時点で即刻処分するのがあたしのポリシーなんですわ。
「捨てるんだったらちょうだい。部屋に飾るから」
「やだね。これは失敗作だとあたしが決めたんでね。そんなのが自分の目の届かないところに残り続けるなんてゾっとするやろがい」
そんなもん? と首を傾げる彼女を尻目に失敗作に火を付ける。もう何度も繰り返してきた作業だ。いちいち躊躇いもしない。あっという間に灰になっていく絵を見つめながら、うーんと唸る。
すると良き友人たる彼女が「今日もスランプ?」と聞いてきた。あまり興味なさそうに。
「そうですね。ひょっとしたら死ぬまで抜け出せない類の」
あたしが理想とする絵が描きたい。あたしが理想とする絵が描けない。そういう意味では目標を持って絵を描き始めてからこっち、ずっとスランプなのだ。
「完成された世界」。言葉で言うは易いことだけど、でもなにを以って「完成された」と言えるのかがあたし自身に分からない以上、いくら描いても納得できる絵に仕上がることなんてありはしない。
「さて百貌くん、なんか助言はありゃしないかね。ぜひとも今ここで君の優秀さを証明してくれたまいよ」
冗談めかして問うと、良き友人たる天才魔法使いはふーむと数秒考えて実に素晴らしい回答を示してくれた。
「お腹空いたからコメダ行かない?」
あたしゃ味噌カツパンにするよ。
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自分で言うのもなんだけど、あたしは魔法使いとしては天才の部類に入ると思う。才能だけならきっと百貌にも劣らないと自負できるぐらい。
師にスカウトされて基礎を習得して独立して。そこまではなんの苦労もなくて、師からは「優秀な弟子を持てたことは師として誇らしいが、教えることがなさすぎてつまらん」と嘆かれたのはいい思い出だ。あたしはあの人はいい師だったと思うけどね。
ただ師から独立した時点では魔法使いとしての方向性というか、どんな魔法の研究を目指すかはまったく定まってなくて、協会から与えられた工房も天から与えられた才能も半ば宝の持ち腐れのようになってた。
才能があって、技術もあって、人より色々できてしまうがために自分がなにをしたいのか分からない。
そんな宙ぶらりんなあたしに道を示してくれたのが、彼だった。
高校の美術部で一緒だった彼は、まさしく絵の申し子。水彩による風景画や人物画を好んで描き、絵画でありながらまるで漫画絵のような大胆な構図、静と動が同居するダイナミックな筆致が特徴的だった。
「俺は生きている絵が描きたいんだ」と彼は言った。その目はとても生き生きとして、自分の進むべき道をまっすぐに見つめていて、その夢や目標に見合う才能を宿していて、あたしはただ黙ってそんな彼に嫉妬するしかなかった。
でも彼という才能との出会いをきっかけに、あたしは自分が求めるべき魔法に辿り着けた。自分が描いた絵を一つの世界として作り上げる、そんな魔法に。
平面でしかない絵を「世界」として描き出す。それをどうやって魔法で実現するか、というところから始めなきゃいけなくて、魔法式の構築から始まって式を組み合わせて陣にして。試行錯誤の末にできあがったのがあたし独自の魔法「結界絵画」だ。魔力を込めて描いた絵そのものを内向きの結界として、結界内部に世界を作り出す。簡単に言えばそんな魔法。
この魔法を用いて、あたしはあたしが理想とする「完成された世界」を絵の中に作り出すことにした。で、早速工房にこもって思いつくままに今日まで絵を描きまくってきたわけだけど、未だその絵は完成を見ない。結界の質も上がって、少しずつ理想に近づいているようには思う。でもそう思ってるだけで全然近づいてないかもしれないし、あるいは遠ざかってるかもしれない。そもそもゴールが見えてないんだから、言ってみれば視界の利かない霧の中を闇雲に駆けずり回ってるようなもんで、正直今のあたしは途方に暮れてる状態。
そんな行き詰まりっぱなしのあたしにとって、世に「百貌の魔女」と呼ばれる良き友人はなくてはならない存在だ。魔道において二つ名を与えられることは簡単なことじゃない。名誉の一つと言っていい。あたしだって現時点ではそんなもん持っちゃいない。それをあの子は二十歳そこそこで与えられた。天才の部類に入るなんてぬるいもんじゃなくて、正真正銘の天才なのである。
ぶっちゃけあたしの「結界絵画」なんかよりあの子の魔法の方がよっぽど芸術めいてる。完成度の高さが段違いだ。
そんな傑物があたしを友として認めてくれて、才能を認めてくれてる。その事実は十分にあたしの刺激に、自信になってる。そしてそれだからこそ、結果が伴わないもどかしさに心が張り裂けそうになる。
コメダで味噌カツパンを食べて、それでもなんか満たされなくて、シロノワールを追加で注文して。「いい食べっぷりだね」と笑いながらあたしの一・五倍ぐらいの量を平らげた百貌にカロリーが全部脂肪に変わる呪いを掛けてやって(もちろん冗談で)、それから服を見に行ったり画材を買い足したりして、駅前で別れて家路に就いた。
なかなかいい気分転換ができたと途中で買ったコロッケを頬張りながら家に帰ると、一枚のハガキがポストに入っていた。
コロッケの最後の一口を放り込んで見てみると、それは彼からのものだった。
曰く、初めて個展を開くことになったからぜひ見に来てほしい、と。高校卒業して以来一度も会うどころか連絡さえ取り合ってなくて、美大に進学したのは知ってたけどどうやら卒業後もちゃんと絵は続けてたらしい。
彼のことだ。きっとますますその才能に磨きを掛けてることだろう。それを見てみたい、と思う反面、才能の差を見せつけられることへの怖さもある。
個展が始まるのは来週からか。時間のある時に行ってみようか。
ハガキに書いてあったギャラリーは白を基調としたフレンチカントリー調のカフェの、その二階だった。積み重ねられたレンガや木材の鮮やかな木目がなかなかお洒落な外観のお店だ。今度百貌と来てみてもいいかもね、と思いつつ視線を巡らせると店の入り口横にマーカータイプの立て看板が目に入った。どうやらギャラリーへは外階段から上がるらしい。カフェ併設のギャラリーはワンオーダー制になってることも多いけど、どうやらここはそんなシステムは取っていないようだ。
ギャラリーに入るとすぐに壁一面に飾られた色彩豊かな絵画たちが視界に焼き付いてきて、瞬間に理解した。
あぁ、ここは別世界だ、と。
どの絵からも魔力なんて感じないし、展示された絵はまるで魔法のように一つの世界を作り上げているとあたしの目と脳が理解した。
ひとまずギャラリー内に目を配ると、彼が誰かと話しているのが見えた。少し大人びてはいたけどあの頃と変わらない、あたしが知っている彼だった。あ、目が合った。あたしが来ると思ってなかったのか。ちょっと驚いたように目を開いて、それからまた話に戻った。まあ、挨拶は後でいいか。
そう思ってまず入り口に一番近い絵から見ていくことにした。大小さまざま、高校時代から変わらず水彩の風景画と人物画で構成しているようだった。技術に関してはそりゃそうだって話だけど、あの頃と全然違って遥かに洗練されてる。有り体に言って、上手い。
ゆっくりと順番にいくつか見て、気付いた。展示されてる絵は一枚一枚がそれぞれで独立していながら、全体で季節の移り変わりとそれに伴う人の営みの移ろいを表現しているようだった。会場をぐるっと一周すれば、季節はまた春に巡りつく。
本当にギャラリーの中と外で世界が切り離されてるような感覚に陥る。これもある種の空間アートと言えるんじゃなかろうか。
最後の一枚は降りしきる雪の中、赤い和傘を差した女性が歩き去っていく遠い後ろ姿を描いたものだった。紙のほとんどが白で覆われ、その中に小さく描かれた女性の背中と鮮やかな赤。一年の終わりとなる晩冬は別離のイメージも強く、「寂しい」というのは多くの人が感じる第一印象だろうけど、あたしにはそれ以上にノスタルジーを感じさせられる一枚だった。
絵の下に貼られた題名には「憧憬」と書かれてあった。
というかこの絵の女性が持っている傘、これは確か…………。
「来てくれると思ってなかったよ」
不意に横に立った誰かが声を掛けてきた。視線を向けるまでもなくこの個展の主、彼だった。
「話、もういいの?」
「え? あぁ、立ち話はとっくに終わってたよ。おまえが真剣な顔で見てくれてたから、声かけずに待ってた」
あ、そ、と返して、目の前の絵を指差す。
「これ、もしかしてあたし? 確か高校ん時あたしこんな傘使ってたよね」
憧憬と名付けられた絵に自分が描かれてる、なんて主張はうぬぼれもいいところかもだけど、この和傘はあたしが当時使ってた奴によく似てる。周りはみんな百均のビニール傘ばかりだったし、そうでなくとも和傘なんて他に誰も持ってなかったし。
「そうだよ。真っ赤な和傘、印象に残ってたからな」
「なんであたしでなんで憧憬」
勝手にモデルにしといてその本人に見られて、しれっと「それがなにか」みたいな顔してるんじゃないよ。
「最初は傘の印象から始まったんだよ。あの赤い和傘は雪の中によく映えるだろうなって」
彼が「憧憬」を見つめながら笑う。でもその目は眼前の絵じゃなく、絵の向こう側に焦点を合わせてるようにも見えた。
「で、高校の時のこと考えてたらこの傘の持ち主のことも思い出してね…………いや、はは、ひたすら絵ぇ描く毎日ですっかり忘れてたことまで思い出しちまって」
ぽりぽりと頭を掻いて、大きく一度息を吐いてから彼はあたしを見て言った。
「おれ、あの頃おまえに憧れてたんだよ」
「……それは絵描きとして?」
「んー、まあ、それもあるかな」
「ふーん」




