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もちろん覚えている。強い人だった。でも彼の言う通り、その強さの使い方、魔法使いとしての在り方を違えてしまった。
「彼はあなたの弟さんだったんですね。ですがわたしは果たすべきを果たしただけ。恨まれる筋合いはありません」
「恨んじゃいないよ。言ったろ、アイツは生きる価値のないクズに堕ちた。殺されて当然の奴だよ。ただ、それでもアイツはオレにとっては弟。たった一人の肉親だった」
彼の体が、にわかに膨らんだ気がした。
気のせいじゃない。膨大な魔力と殺気がその身の内から確かな圧を持って放たれたのだ。はっきりと、わたしに向けて。
あぁ……嫌でも思い知らされる。今日ここでわたしの恋が終わる。
「冤罪だという訴えならともかく、正当な裁きに対する抗議として執行人に攻撃を加えることは、重大な掟破りになりますが」
「もちろん知ってるよ。承知の上だ。でもそんなこっちゃないんだよこれは。たとえどんなクズであろうともオレの血を分けた大切な弟だ。そのただ一人がオマエに殺されたという現実に対して、オレは兄としてけじめを付けなきゃならんってな、ただそれだけのことだよ」
わたしの初めての恋の結末が、まさかその相手との殺し合いだなんて、いくらなんでも予想はしてなかった。そんなもの、予想できてたまるか。
「なら始める前に一つ、お聞きしてもいいですか? 今日、わたしの職場に立ち入ったのはあなたですか?」
皮膚に突き刺さるような殺気はそのままに、彼は不敵に笑った。
「なんだ、気付いてたのか。正直あん時はまだ確証が持ててなかったからなぁ。でも、オマエがオレの隠形に気付いてくれてたってなら、確証は得られた」
「なんのお話ですか?」
わたしの問いに、彼は一瞬口を開きかけて、考え込むようにまた閉じた。
「オレからも一つ、あらためて聞いていいか? オマエ――――百貌の魔女を知ってるか?」
それは問いかけというよりも確認というべき声色で、彼の言う確証の意味を半ば強制的に理解させられるものだった。
そしてわたしはなにも答えない。沈黙こそが今この場ではもっとも雄弁な回答だと知っているから。
「噂にしか聞いたことがなく、実在すら疑わしく、オレも実のところ架空の存在だと思ってた。この町にいるらしいって噂を聞いて、半信半疑で調べてたら、本当にいるんじゃないかと思うようになった。それがまさか、そんな作り話みたいな魔法使いが自分の恋人だったなんてな、はは。それこそ創作みてえだよな」
「別に隠していたわけではありませんが、不肖ながら一応それなりに名が知られた立場ですので。わたしが百貌の魔女ですなどといちいち手を挙げたりしないだけですよ」
「残念だよ、ホントに。オマエであって欲しくなかったから、それを否定できる材料を探してたのに、結局は自分の手で自分の女を殺すことになるか」
悲し気に眉根を寄せる彼を見て、心臓がずくりと疼く。そんなの、わたしだって同じだ。どうして自分の恋人を罪人として裁かなければいけないのか。何故そんな宿命を背負わなければいけないのか。
極限まで研ぎ澄まされた殺気を治める様子もない彼に、肺の奥から深い諦念のため息を吐いて出す。でもそれは心の内の悲哀を示すためのものじゃない。
精神集中。わたしの精神、それとリンクする肉体を戦闘状態に切り替える、その作業だ。
「それじゃあ、始めましょうか」
往く道を違えたわたしと彼の、誰がためともならないただの殺し合いを。
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魔法使いとして自立してからどんな活動をしていくか、大抵の場合はそれまでの経験や願望で決まる。
なんて言いながら、すぐ身近に例外というか埒外がいるから決してその限りではないのが本当のところだけど、わたしなんかはまさに幼少期の体験とそれによって芽生えた願望が魔法使いとしての今に繋がってる。それが果たしてわたしが進むべき道だったのかどうかは分からないけど、自らの願いを果たすための試行錯誤の日々はそこそこ充実してるんじゃないだろうか。
人は、おそらくほとんどの人は、自分の心のその成り立ちを知らない。如何にして心が生まれ、育まれて今の自分になったのか。自分のことさえ理解できないのに、他人のことなんて分かるはずがなくて。だからこそ、人の手で心を作るというのはある意味、不老不死を目指すことと同じくらいに困難なことで目指す価値のあることだと思う。
わたしはその困難に一生を掛けて挑むつもりだし、着実に成果は出ている。一回目より二回目、二回目より三回目。間違いなく目に見えて結果が良くなっている。まだわたしが望む理想には程遠いけど、理想には近づいてきている。
さて、今回はどうかな。
彼という存在は、わたしにどんな景色を見せてくれるかな。
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彼の左拳が眼前に迫る。
それを上体の捌きだけで躱し、続く右拳を左手で弾き落とす――その勢いを利用して右の掌打をがら空きの腹に叩き込む。
炸裂音と同時に彼の体が吹っ飛ぶ。思わず舌打ち。
局所結界に阻まれたか。大したダメージはない。
彼が体勢を立て直す、と同時に再び眼前に立つ。
ほとんど予備動作を感じ取れない見事な縮地術。だけどもう、間合いは掴んだ。
打撃と局所結界の応酬。本当に凄い。彼の弟も強かったけど、その比じゃない。ここまでわたしとやり合える相手は初めてで、少しだけ嬉しい。
左の中段蹴りを結界越しに防御。空手というよりムエタイに近い、直線的で鞭のようにしなる蹴り。続けざまに飛んでくる右のフック。それは、読んでる。
身をかがめて避けながら踏み込み、体当たり。ことさらに大きな炸裂音。
周囲のものを破壊しながら吹っ飛ぶ彼を追撃のために追おうとした時、舞い上がった埃が一瞬膨張したのが見えた。
――――まずいッ。
咄嗟に横に跳ぶ。直後にわたしがいた場所を魔力の壁が裂いた。
なんて技術。局所結界を攻撃に転用するだけでなく、この間合いでほとんど魔力減衰が感じられなかった。素晴らしい魔力制御、だけど感動している間はない。
目の前に拳を振りかぶる彼の姿。今度はわたしが吹き飛ぶ番だった。
強烈な殺意と魔力が込められた拳は局所結界だけではさすがに防ぎきれない。防御した腕が軋み、鋭い痛みが走る。
「あのタイミングで結界を八層か。この一発で終わらせるつもりだったが、ホントに馬鹿げた奴だな、亜莉亜」
「その八層の結界を一撃で砕くあなたも十分馬鹿げてますよ」
立ち上がって腕に力を入れてみる。うん、問題はない。もう痛みも消えた。
魔力を込めた腕を横一文字に払う。文字通りに大気を切り裂く一閃。しゃがんで回避する彼の動きに合わせ、今度はこちらが縮地術で間合いを詰めればそれを読んでいたであろう彼が拳で迎撃してくる。それを横に跳躍して躱し、跳んだ先に展開した局所結界を三角飛びの要領で蹴る。
結界に魔力がぶつかるその反動を利用して加速し、さらに局所結界を張って跳ぶ。
それを縦横無尽に繰り返す。
やがて大気が分厚い壁に感じられるほどの速度に達してもなお、わたしは跳び続ける。
「おぉ……ッ⁉」
彼が視線を巡らせながら唸る。でもその目はもう完全にわたしを追えていない。
準備は、できた。
死角から彼の両肩に逆立ちし、その体を床に押し付けるように魔力を放出して拘束。即座に距離を取る。
一瞬の無音の後、ずん、と耳を裂く爆音。
「ふうぅぅぅ」
無意識に深い息。ずしりと肺に重い疲労が圧し掛かる。息を吐く間もない連続跳躍。同時に展開した無数の局所結界を一つの大きな結界とし、さらに結界そのものを内部で魔力の反響と増幅を引き起こせる魔法陣として編む。
人一人を殺すためにここまでするかと自分事ながら呆れてしまう。
これで終わってくれれば重畳。でも残念ながら爆心地からは魔力反応。まあ、そう易々とは行かないか。
煙が晴れると、そこには片膝をついた彼の姿。見た目にはそれほどダメージを受けているように見えないけど、今の僅かな間で急速に体を回復させたんだろう。感じ取れる魔力からも相当に消耗していることが分かる。
「とんでもねえな、亜莉亜。まさか局所結界を使って魔法陣を編むとは、そんな発想はオレにはなかったな。局所結界をあの速度で展開できるオマエだからこそか。俺には到底マネできん芸当だ」
「今ので終わってくれればこっちも楽だったんですけどね。そこまで甘くありませんでしたか、あなたは」
「はっは、そりゃオマエ、いくらなんでも見くびりすぎだ。消耗こそ激しいがそこはお互い様……でも、オマエ相手にこれ以上長引かせるのは賢くないな」
そろそろ決めないとな、と消耗しているはずの彼の体からより一層の鋭い殺気が放たれた。
おもむろに右足が上がり、床を踏みつけた。
一瞬の静寂。足元から強烈な寒気。
回避を、と思った時にはもう遅かった。
彼の足元からわたしの足元まで一直線に、床材を舞い上げながら魔力が噴出。局所結界では防ぎきれずに吹き飛ばされてしまう。
砕かれ弾けた床材の破片が体のあちこちを裂いていく痛み。爆風のような魔力の奔流に悲鳴を上げる全身の骨。
たったあれだけの動作でなんて威力――ッ。わたしが「守」を得手とするなら、彼は間違いなく「攻」。防御が遅れていたら本当に今の一撃で終わっていたかもしれない、それほどの技だった。
背中から床に叩きつけられる前に局所結界をクッションにすることで余計なダメージを抑え、追撃に備えて体勢を整える。粉砕された床を飛び越えた彼の蹴りが目前に迫っていた。バランスを崩しながらもなんとかそれを防御し、彼が着地する間にあらためて構えを取り直す。
裂傷の出血を止め、痛みを抑える。もうこれ以上余計な魔力は使いたくない。でも彼だって今の一撃に相当魔力を使ったはず。
今一度深く息を吐いて、精神を集中。そして踏み込もうとした、まさにその瞬間だった。
「待て」
彼が掌を突き出してわたしを制止した。
「もういい。分かった」
毒気を抜かれるとはこのことか、とばかりに急速に戦意が霧散していく。
彼の発した言葉に、もう殺意はなかった。
「どういう、ことですか?」
「オマエ、百貌じゃないな」
――――は?
「は? いや、なにを言って……自分から名乗ったりはしませんが、わたしがその二つ名を与えられた魔女であることに代わりはありませんよ」
言うと、彼は考えるように視線を斜め上に向けた。わたしが百貌の魔女ではないとは、一体どういう意味なのか。ひどい困惑が意識の中に拡がっていく。
「困惑してるな。安心しろ、俺も同じだ。が、音に聞いた百貌の魔女と、実際に戦ったオマエが、どうにも同じ魔法使いだとは思えない。ぶっちゃけて言えば、弱い」
「弱い……それは随分な言いざまですね」
まさか彼の口からそんな評価が出るなんて思ってもみなかった。さすがにショックだ。
「ああ、勘違いするな。オマエは真っ当に強いよ。俺が出会ってきた中で、間違いなく一番強い。ただ、俺が話として知ってる百貌の魔女ってのは、そういう次元じゃない。その魔法を協会が警戒して、使用制限を掛けているらしいとまで聞いた。そんな破格の扱いを受ける魔法使いなんぞ他には知らん。オマエが一級の魔法使いであることに疑いの余地はなくとも、ここまでやり合った印象として、それほどの規格外だとはどうしても思えん」
わたしの頭の中がかつてないほど混乱している。彼の言っていることが理解できない。わたしはわたし自身が彼の言う百貌の魔女であると自覚している。百貌の魔女として、制裁執行人として、何人もの掟を破った魔法使いを屠ってきた。なのに彼はわたしが百貌の魔女ではないという。
もし、もし彼の言うことが事実であるとするなら、今ここにいるわたしは一体なんだというのか。
わたしをわたしと認識しているこの人格、意識、記憶は一体どこから来たというのか。
積み重ねてきた人生を自分で否定することなどありえない。それでも、奥底から沸き起こってくるこの不安、言い知れぬ違和感はなんなんだろう。
「わたしはわたしです。たとえあなたがそれを否定しようとも、事実が変わることはありません」
「オマエが誰かを庇っているか、あるいは――洗脳。そんなところじゃないかと俺は思ってる」
「ッ!?」
想定なんてとてもしていなかった言葉に声が詰まる。洗脳なんて、そんな馬鹿なこと……。
「亜莉亜ほどの魔法使いを洗脳できる使い手がこの世の中にどれだけいるか分からんが、それこそ百貌クラスの相手なら可能だろうな。そしてこれはオレの完全な推測だが、オマエの雇い主、人形作家のケードだったか。その女が本物の百貌じゃないかと踏んでる」
「な、なにを、なにを言って……そんなわけないでしょう。毎日顔を合わせていますが、先生から魔力を感じたことなんてありません。百貌どころか、あの人はそもそも魔法使いですらないじゃないですかッ」
敬愛する先生に疑いが向けられた瞬間、カッと体に熱が走る。彼に対して初めて抱いた怒りの感情だった。
でも彼はわたしが発した怒りをまるで意に介することなく続ける。
「確かに、オマエの仕事場に忍び込んだ時もなにも感じなかったよ。魔法使いの住処に魔法使いの痕跡がどこにもないなんて、普通は考えられない。だから最初はオマエの雇い主に疑いを持つこともなかったよ」
「なら、なんで――」
「あの女の工房、地下にあるんだろ。それを知ったのはたまたまなんだが、ついでなんで少しチェックしておこうと思ったら、俺は入れなかったよ。物理的に入れなかったわけじゃないし、強力な結界に阻まれたわけでもない。ただ入れなかった。多分、そこに入るのはマズいと、俺の勘が強く訴えたんだろうな。その時は理由は分からなかったが、ケードが百貌本人だったと考えれば今はそれも頷ける」
「わたしは地下工房に何度も入ったことがあります。でも、なにも感じなかったしなにもなかった。考えすぎでは?」
他の人形作家の工房なんて見たことがないから比べようがないけど、実際にこの目で見た限りでは本当にただの仕事場。結界の類は感知したことはないし、先生や助手のお二人に不審な気配を感じたこともない。
「百貌の魔女に関する噂が誇張でなければ、オレやオマエにさえ気取られない結界だって作れるかもしれないな。なにせ規格外なんだろう? そんな奴ならオマエの洗脳だってできるだろう」
「百歩譲ってあなたの言う通りだったとして、先生がわたしを洗脳する意味は? そんなことをして一体あの人になんのメリットが?」
「そりゃ、オマエを百貌に仕立て上げて、身代わりにするためじゃないか? 百貌の名前を狙ってくる奴だって少なからずいるだろうしな。面倒なんだろう。いちいちそういう奴を相手にするのが」
反論しようとして口を開くも、何故か声が出ない。ひょっとしてわたしは、彼の妄言とも言うべき推察に一定の得心をしてしまった? 彼の言っていることに根拠なんてない。わたし自身の記憶や経験よりも、彼の言う「かもしれない」の方が正しいとでも思ってしまったのだろうか。
それでも否定しなきゃ。先生を侮辱することは絶対に許さない。そう心を奮い立たせてこの口を開こうとしたその瞬間だった。
「ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち」
わたしと彼しかいないはずのこの空間に女性の声が響き渡った。
聞き覚えのある、けれどなんの感情もこもらない、空虚な響きの声だった。
彼はやにわに、わたしはおもむろに声のした方を振り返る。
わたしと彼が作った瓦礫がいつの間に山になっていて、その頂上に鮮やかな赤髪が映える女性が腰を掛けていた。
「せ、せんせ……」




