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恋と掟と魔法使い  作者: 又蔵 雲國斎


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4-3

「最近、少し彼のことが分からないんです」


 休憩中、おしゃれな器具で淹れたコーヒーを飲みながら、対面に座る先生にこぼす。


 それを聞かされる先生はどうしてだか少し嬉しそうに微笑みながらモンブランを頬張って、飲み込んだ。わたしと同じ人間で同じ女で同じ赤髪なのに、わたしと同じ人間で同じ女で同じ赤髪とは思えない妖艶な雰囲気を纏っていて、何気ない所作の一つ一つが絵になって、見ているこっちが妙に困ってしまう。


「君は彼のことを知りたいと思ってるの?」


「え、それはまあ……そういうものじゃないんですか?」


 好きだから知りたいと思うのか、知りたいから好きなのかは分からないけど。


「分からないから知りたい。でも知れば知るほど分からないことが増えて不安になる。うん、それが人間ってものだ」


「そうですよ。それが人間です」


 冗談めかして言われたのでわたしも冗談めかして返す。


「でも分からないのは当たり前だよ。同じ人間じゃないんだから、一から十まで余さず理解するなんてのは、有り体に言って不可能だよ」


「……そうなんでしょうか」


 言うと、先生がにやりと笑った。


「口尖らせちゃって、可愛いね」


 尖らせたつもりなんてなかったけど、理解するのは不可能とはっきり言われたことへの不満が、表情に出てしまっただろうか。


「からかわないでください」


「からかってないよ。その彼と知り合ってから、君は随分と表情が豊かになってきたからね。嬉しいんだよ、わたしは」


 目を細めて笑うその顔がすごく優しくて、この人が本当にわたしのことを気にかけてくれてるのが伝わってくる。


「だったら彼と知り合う前のわたしはどんな人間だったんですか? それこそ人形みたいに表情も感情もなかったとか?」


 この家のあちこちに飾られた先生の作品達はどれも表情やポージングが違っていて、きちんとそれぞれに感情がある。それに比べれば以前のわたしはさながら出来損ないの人形とでも言ったところだろうか。


「まあねえ、確かに表情も硬いし感情表現も乏しいし、心配はしたよ。大丈夫かなこの子って。ま、仕事は手を抜かずに丁寧にやってくれたから、そこに関しては心配はなかったけど」


「必死だっただけですよ。今まで仕事したことがなかったから、余裕もなかったし」


 ずっと魔法とばかり向き合ってきて人生経験もろくにないままこの歳になって、偶然出会った先生から仕事を頼まれて今がある。先生と出会ってなければ彼との出会いもなかった。二人との出会いがなければわたしはずっとなにも知らないままだった。


 そういう意味では、わたしの人生は先生との出会いから始まったのだ。


「今、楽しい?」


 先生が不意に聞いた。


 わたしの口からなんの抵抗もなく、自然に言葉が出た。


「はい」


「それなら良かった」


 そう言って笑った先生は、やっぱり同じ人間とは思えないくらい綺麗だった。




 毎日掃除をしてるからもう掃除をする場所がない、なんてことはなくて。探せばなにかしらやることはある。特にこの家は人形の数が多いし、ディスプレイケースに収まっているものはともかく、そのまま置かれてるものもあるから、よく見ると意外と埃が溜まっていたりする。先生からは作品に触ることを禁止されてないから人形も含めて細かく拭いて、とやっていると案外時間が経つのは早い。もちろん仕事は掃除だけじゃない。洗濯とか買い出しとか料理とか、家事と呼べることは全般契約に含まれるからそれらもきっちりとこなす。


 初めのうちはなにもかもがおっかなびっくりという感じだったけど、慣れというのは凄いもので、いつの間にか大抵のことは(多分)人並み以上にできるようになってしまった。


 でもこれはお給金が貰える仕事だからできること。これを毎日仕事ではなく家事としてやるのは大変だろうなと思う。


 しかもその毎日の家事に子育てまで加わったらと考えると、ちょっと気が滅入るかもしれない。


 ふと手が止まった。


 そんな意識はなく、自然な思考の流れで子育てというワードを出しただけだったのに、頭に浮かんだ瞬間にそのワードがただの言葉ではなくなってしまった。


 わたしはこの先、彼とどうなりたいんだろう。結婚して子供を産んで育てて、人並みの家庭と幸福を築いたり? それを望まないなんてことは全くもってないけど、どうしてだろう。そんな未来がわたしには想像できない。彼のことは好きだし、彼とずっと一緒にいたい。そう思うこの気持ちは確かにあって、微塵の偽りもない。


 なのに彼との未来を想像しようとすると、正体の分からない漠然とした不安がフィルターのように思考を覆って、うまく見えなくなってしまう。


 これはなにかの予感なのだろうか。それとも人生経験の浅さから来る想像力の欠如? もっと彼と過ごす時間が長くなっていけば、うまく想像できるようになったりするだろうか。


 ……いいや、多分違う。


 わたしはどこかで気付いている。この先も彼とともに生きていくことができないであろう冷えた現実に。


「――――ッ」


 鋭い視線を感じて振り返る。


「……あれ」


 振り返った先にはこの部屋と廊下を隔てるドアがあるだけで、人の姿はなかった。


 先生も助手のお二人も今は地下の工房で作業をしているはず。あの人たちは休憩も工房でするから基本的に仕事が終わるまでこっちには来ないし、なにかあれば電話かメッセージで伝えられる。もし今感じた気配が本物なら、このわたしに侵入を気取らせないほどの何者かがこの場所にいることになる。普通の人間ではあり得ない。間違いなく魔法使いだ。それも相当に高レベルの。


 …………まさか、ね。


 変なことを考えてしまったから心が乱れただけだ。きっと気のせいだろう。


 ただ一応は念を入れて今日は工房に行くのはやめておこう。もしこれが気のせいでなくて、先生たちに悪意を持っている誰かがこの場にいるとしたら、地下に工房があることを悟られてはいけない。わざわざここに侵入してきたということは、少なくとも現時点では工房の存在を知らないということだろうし、下手に工房に行って先生たちになにかあったら取り返しがつかない。


 そんなことを意識したせいか、心臓がにわかに高鳴り始める。心の中に芽生えた不安と緊張が急速に膨らんでいく。違う、違う。気のせいだ。わたしの勘違いだ。お願いだから、落ち着いて。


 そう願いながら深呼吸を繰り返し、気を抜けば勝手に散逸しようとする意識を強引に集中させる。


 気配はないけど、平静を装って掃除と整理整頓をしつつ各部屋を確認して回る。もちろんなにもおかしなところはない。ものの配置がズレていたり、触ってもいない引き出しが開いてたりなんてことは一つもなかった。誰かがいた痕跡はどこにもなかった。玄関にも窓にも変わった様子はない。


 ここには誰もいなかった。誰も来なかった。


 自分自身に言い聞かせるように、わざとらしく大げさな安堵のため息を吐く。たとえば彼ほどの使い手ならそんなものどうとでもできると分かっていても、それでもわたしは彼を信じたかった。彼を疑いたくなかった。


 自分本位(エゴ)かもしれないけど、こればっかりは自分でもどうしようもない。


 考えても仕方ないことは今は考えないようにしよう。じゃないと自分で自分をがんじがらめにしてしまって、大事な時になにも選択できなくなってしまいそうだから。


 壁の時計を見ると、もう夕飯の買い出しに行く時間だった。


 先生からは「和食」とだけリクエストがあって、後の二人からはいつものように「先生と同じで」と言われていたので、和食の定番アジの塩焼きに肉じゃが、オクラのおひたしと大根の味噌汁にしようと決めていた。初めのうちはリクエストを貰うなりレシピブックやサイトと一生懸命睨めっこしてたのに、今ではよっぽど凝ったものでなければ割と簡単に作れるようになってしまった。本当、経験は大事だとあらためて思う。


 仕事中の先生に電話で買い出しに行くと伝えて部屋を出る。


 玄関を閉めて鍵を掛けて、さりげなく周囲に目を配る。問題なし。マンションの敷地から出てまた視線を動かす。問題なし。探知網にもなにも引っ掛からない。一応探知は切らさないまま近くのスーパーに向かう。


 そのままなにごともなくスーパーに着き、不足なく食材も手に入れて、最近少し仲良くなった店員さんと軽く立ち話をして店を出た。後は戻って夕飯を作って家に帰るだけ。


 歩き出そうとして、一歩を踏み出す間もなく足が止まる。いつの間にかそこにいた真っ黒な猫がわたしの足に顔を擦り付けていた。


 その愛らしくてわざとらしい様子を見つめていると、黒猫が顔を上げて「うなぅ」と鳴いた。小さくため息を吐いて、店に出入りするお客さんたちに変に思われないようにしゃがんで小さな額を撫でる。黒猫は気持ち良さそうに目を閉じてしばらくそのままでいた後、わたしの指をぞりっと舐めた。


 瞬間、舌が触れた指先から脳の奥まで一気に情報が流れ込んできた。


 殺す対象の顔、名前、年齢、性別、職業、位階、居住地、そして犯した罪。


 指令が届くのは一年ぶりだ。前回は確か、恋人の心臓を生かすためになんの落ち度もない若者を犠牲にし続けた女性だったか。彼女の犯した罪は重かったけど、恋人を亡くした失意に押し潰されないために自ら壊れるしかなかった悲しい人でもあった。


 でも今回は違う。わたしが誇りを持って歩む魔道を穢した唾棄すべき悪だ。同情の余地などあるはずもなく、必ずその罪を命で贖ってもらう。


 今一度猫の額を撫でると、「なぁう」と鳴いてそのままどこかへ走っていった。


 今日は彼と外食の予定だったけど仕方ない。


 キャンセルして――――殺しに行こう。




                /




「まさかこの町にいたのが君だったとはね。そろそろ引っ越ししようかと思っていたんだが、遅きに失したか、はは」


 白髪交じりの魔法使いは自身の心臓を掴まれ、文字通り生殺与奪を握られた状況で、どこか楽し気に笑った。


 余裕と自信を感じさせる声色は聞く人を安心させる優しい響きがある。きっと彼は表向きは人に慕われ、頼られる存在だったんだろう。でもその笑顔の裏でしていたことは外道そのもの。己の欲望のために人を実験動物のように扱い、殺し、その遺体からさえ尊厳を奪った男だ。


「未だ悲願は果たせてはいないが、協会に気取られるような不手際をした私が悪い。まあ、高名なる君に裁かれるなら一魔法使いとしては光栄なことか」


 勝手なことを。せめて目前に迫る死に怯えて無様な姿を晒せばいいものを、散々人の命を穢しておいて自分は結末に納得して満足しながら死んでいくつもりか。なんなら命乞いをするまで痛めつけてやろうかという怒りが湧いてくる。でも駄目だ。制裁執行人が感情に任せて命を扱うなんてこと、あってはいけない。


「光栄に思っていただく必要はありません。せめてあなたが無下に奪ってきた命に詫びながら死んでください」


「詫びる? 何故、私が詫びる必要があるかね。それこそ必要のないことだ」


「そうですか」


 心臓を掴んだ腕を引き抜く。


 男は口元から笑みを絶やさないまま仰向けに倒れ、そのまま弾けて消えた。


 わたしの手元に残った薄汚い心臓は時間とともに脈動が弱まっていき、やがて完全に止まった。相手は腐っても魔法使い。それもわたしと同じ中級第一位だ。たとえ心臓だけとなっても完全に止まるまでは油断はできない。


 しっかりと男の死を見届けて、仕事は終わり。後はこの心臓を「任務完了」の証として協会に渡せばいいだけ。


 心臓を疑似的な亜空間に収納して振り返ると――――彼がいた。


「どうして、あなたがここに?」


 努めて冷静さを保つ、までもなく自分でも驚くほど心が静かだった。人の命を奪った直後だから感覚が鈍化しているんだろうか。そこまで初心うぶなつもりはないのだけど。


 わたしの問いに彼は表情一つ変えず、ゆったりと口を開いた。


「やっぱりオマエが制裁執行人だったな。オマエほどの使い手が一つの区域に何人もいるもんじゃないし、まあ妥当だよな」


「個人的には特段知られて困るものでもありませんが、以前も言ったとおり制裁執行人については秘匿扱いなので言えなかっただけですから……それで、どうしてここにいるんですか?」


「オレに弟がいたことは、話したっけか」


「いえ、初耳です」


 考えてみれば、お互いに家族とか過去のこととかあまり話した記憶がない。わたしはそこを気にしたことがなかったし、彼から聞かれることもなかったから聞かれていないことをわざわざ自分から話したりしない。不思議とそういう話題にもならなかった気がする。


「まだオレが学生だった頃に両親が死んでな。父方の祖父母の元で生活してたんだが、なんやかんやで肉親と呼べるのは弟だけになった。そこからは二人三脚、とまでは行かなくてもまあお互いに協力しながら生きてきたよ」


 さっき、彼は弟がいた、と言った。それはつまり、弟さんはもうこの世にいないという含みだろう。問題なのは何故、今この場でその話をするのか。


 足元からぞわぞわと気持ち悪い感覚が上ってくる。


「弟もオレと同じく魔法使いだった。オレが言うのもなんだが、なかなか優秀な奴で――――腕の立つ武闘派だった。ガキの頃にイジメられてた時期があるから、その影響もあるんだろうな。とにかく強さを求めていた。兄のオレから見ても異常なくらいにな」


 言って、彼は俯き気味に溜め息を吐いた。


「アイツはどこで道を違えちまったかな。いつからか、求める強さの形が歪んでいって捻ねじくれて、ぶっ壊れた。気付いた時にはアイツはもうただの生きている価値のないクズに成り下がってた……一年半ほど前だ。亜莉亜、男を一人殺しただろう?」

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