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第3話 氷の女王の裏表

翌日、俺はやや重い頭を抱えながら出社した。


二日酔いってほどじゃないけど、睡眠不足と気疲れでコンディションはあまりよくない。

まあ、そうなるよな……昨日は、精神がめちゃくちゃ揺さぶられたからな。

 


(“おつラピでした”って……あの人の口からあのセリフが出てくるとは思わなかった)


 


頭の中で、何度もあの声が再生される。

酔って顔を赤らめた氷川さんが、ぽつりと呟いたあの一言。

ほんの些細な場面だったはずなのに、俺の中ではもう“確定演出”みたいなインパクトだった。


でも……だったら何?

彼女に直接、「あなた、姫乃ラピスですよね?」なんて聞けるわけもない。

いや、聞いた瞬間に社会的に死ぬ。下手すれば法的に死ぬ。

それに、もし間違ってたらただの変質者だ。社会的に二度死ぬ。


俺はそっとため息を吐いて、自席の椅子に腰を下ろした。

まだ始業前だ。少しボーッとしててもバレない時間帯だ。


すると、ちょうど隣の席に座っている同期・久世が、マグカップ片手に声をかけてきた。



「よう、昨日はお疲れー。意外と飲んでたな、お前」


「いや、そんな飲んでないよ。半分は氷川主任に気圧されてた感じ」


「ははっ、まあな。あれは圧あるわ。でも俺は見たぞ?」


「……なにを」


久世はニヤリと笑って、親指で俺の方を指す。


「氷川主任と、お前。あの並びは珍百景だった。お前、顔に出すぎなんだよ」


「べ、別に出してねぇし……! てか、あれは事故だって。たまたま隣になっただけで」


「はいはい。で、どうだった? 氷の女王と飲む酒の味は」


「普通に冷やだったよ……いや、むしろ熱燗より効いたかもな……」


「お、なんだよ意味深〜」

 

俺は顔をしかめて視線をそらした。

まさか、“おつラピ”とか言ってたなんて絶対言えない。


でも、話題を変えるふりをしつつ、俺は久世にちょっと聞いてみたくなった。



「――なあ、もしさ」


「ん?」


「……もし仮にだよ? 氷川さんが、裏ではめっちゃ“ほわほわ”してたら……どう思う?」


「はあ? ほわほわ?」


久世はマグカップを置き、露骨に眉をひそめる。


「氷の女王が“ほわほわ”? いやいやいや、無理があるだろ」


「でも人は表と裏が違うって言うじゃん」


「それが“表:氷の女王/裏:ふわふわ癒し系女子”って極端すぎるだろ……。氷川主任が“わたしぃ〜甘いのすきなんですよぉ♡”とか言ってたら、もうそれ別人じゃん」


「……うん、まぁ、そうだけど」


でも俺は昨日、それに近いものを見てしまったんだよ。

本人は気づいてないだろうけど、酔って緩んだあの声色、あの口調、あの表情。

まるで、推しが画面から飛び出してきたみたいで。


「なにその顔。お前、まさか……マジでそう思ってたりする?」


「いやいや、ないない。たとえばの話だって」


そう言いながら、慌てて視線をそらしたその時。


「おはようございまーす!」


元気な声が、オフィスに響いた。

振り返ると、営業部の後輩・藤井 恵麻が、書類を抱えて入ってくるところだった。


ふわっと明るい雰囲気で、髪は肩までの軽いボブ、どこにでもいるような新卒っぽさ。

でも愛嬌があって、誰からも好かれているタイプの後輩だ。


「お、藤井。氷川主任はもう来てる?」


「まだ見てないですね。あっ、でもエレベーターで一緒になりましたよ。すっごく静かで……」

 


「だろうな……」


すると久世が、さっきの話を引き継いでニヤつきながら藤井に話を振った。


「なあ、藤井。仮に氷川主任が、裏では超“ほわほわ”だったら、どう思う?」


「えっ?」


「たとえば、『えへへ〜☆今日もお仕事えらい〜♡』とか言ってくれる人だったら」


「ないです!!」


藤井は即答だった。食い気味に、はっきりと。

続けざまに、顔を真っ赤にして言った。


 


「そんなわけないじゃないですか!氷川主任が“えらい〜♡”とか、絶対言わないです!むしろ“当然です”って冷たく返してくるイメージです!」


「お、おう……熱量すごいな」

 


「むしろそんなこと言ってきたら、私泣いちゃいますよ!? どこかのタイミングで“ふふ、うそ”って言われてトドメ刺されそう!」

 


全力の否定に、俺も久世も思わず笑ってしまった。

そこまで断言するかってレベルだった。



「お前さ……氷川さんのこと、どんだけ怖がってんだよ」


「怖いっていうか……なんか、あの人は、完璧すぎて近づいちゃいけない感あるんですよ」


「でも、かわいいと思ってるんだ?」


「……思ってません!!」


藤井は顔を真っ赤にして反論しながら、書類で俺の腕をペシっと叩いてきた。

その反応がいちいち面白い。



「え〜? 本当は氷川主任に“よくできました”って褒められたいんじゃないの〜?」

 


「そんなこと思ってませんってば〜! センパイいじわる!!」


「はいはい、すみませんでした〜」


笑いながら頭をかきつつ、俺はちょっとだけホッとした。


なんだかんだで、こういう日常のやり取りは悪くない。

昨日の飲み会の衝撃は、まだ心の奥に残ったままだ。

でも、こうやって普通に笑ってる時間があると、ちょっとだけ現実に戻れる。


(……でもやっぱ、あれは、偶然じゃないよな)


氷川さんの“おつラピ”が脳裏をよぎる。


まるで、夢の中で推しと会話したみたいな、現実味のない記憶。

でも、それが現実だったとしたら――?


俺はまた、ラピスの配信を開いてしまいそうな自分を想像しながら、パソコンを立ち上げた。

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