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3.竜の誘拐

 人のいないバルコニーまでロマンに連れられて移動したわたしはこれからのことを考えて頭を抱えていた。


(お母様が聞いたら卒倒しちゃうかもしれない。お父様はどうなさるのかしら。ロマンを始め使用人たちにも王子から婚約破棄された不名誉な伯爵家の者だなんて苦労をかけてしまうかもしれないわ)


「いえ、そもそも婚約を破棄された令嬢がもういちど縁づくなんてめちゃくちゃ大変なことよ!?わたしはこの先ずっとお父様たちのご厄介になるしかないのかな……」

「お嬢様……」

「ロマン、あなたにも迷惑をかけてしまって申し訳ないわ」

「お嬢様、俺はお嬢様のもとで働いていることを迷惑に感じることなんてこれからも絶対にありませんよ」

「だけど、あなたみたいな優秀な人をこんな醜聞まみれのわたしのお世話係にしてしまっているのは、きっといけないわ。ロマン、あなたいつでもうちから出てっていいのよ」


 あなたはきっとどこでもたくさん活躍していけるもの。わたしは、大丈夫よ。そう言ってロマンを見上げると、どこか苦しそうな顔をしてロマンはわたしを見た。


「お身体が冷えます」


 わたしの言葉には答えずに、ロマンはわたしの肩にショールをかけた。


 濃い藍色の夜空に、星が瞬いている。バルコニーの欄干にひじをついて、空を見上げる。風がわたしの髪をさらう。このバルコニーからは、旧宮殿は見えなかった。


(レオポルド様の婚約者じゃなくなってお城に来る理由がなくなってしまったら、あの塔に住んでいるジゼル様にも、きっと、もう会えない)


(ずっとお友達でいましょうねって言ったのは、わたしなのに)


 今まで少しも泣かなかったのに、そう考えるとぽろりと涙がこぼれた。こんな喜劇のような婚約破棄で泣いちゃうなんて馬鹿みたいで、ぐっと目を閉じた。


 その時、背後から声がした。


「コレット」


 振り向くと、ジゼル様が立っていた。


 ジゼル様は、すらりとした華奢な身体を白いローブでくるんでそこにいた。ホールから漏れる明かりがジゼル様の輪郭をほのかに照らしている。パーティーのざわめきが、遠く聞こえる。


「……どうして、あなたがこんなところに?」


 わたしはこの十年間、ジゼル様をいちどもあの温室以外で見たことはなかった。


 いつも彼女はあの花園の真ん中で、クッションをいくつも置いたソファに座って、ふわふわとしたドレスをまとって、静かに微笑んでいた。


 強い違和感を感じると同時に、なぜか心臓がドクドクと暴れ出す。


 ロマンが警戒しているようにわたしの前に腕を伸ばした。逆光で、彼女の表情はよくわからなかった。


「ねえ、僕はきみをさらいたいんだ」


 ジゼル様が足を踏み出す。コツ、コツ、コツ、と小さな足音が響いて、彼女が手を伸ばせばわたしに触れられそうな距離に立つ。


「きみをここから連れ出してしまいたい。お願いだ。うなずいてほしい」


 大きな薄青の瞳がわたしを捉えている。いつもと声色がまったく違うのを、気にかける余裕もなかった。ジゼル様の長い髪が、夜の風に吹かれて波打っていた。


(さらう?さらうって……いったいどこに?)


 にわかにあたりがざわめきだす。がやがやとした声が聞こえたかと思えば、バルコニーとホールを隔てていた扉が大きく開いた。


 そこには、レオポルド様の双子の兄の第一王子、つまり王太子であるバジル様がいた。


 バジル様はレオポルド様によく似た真っ赤な瞳と、レオポルド様の金髪とは似ても似つかない黒い髪の毛を持つ美青年だった。王宮を訪れた際に何度かご挨拶をしたことはあるが、それ以上の面識はない。学問にも武芸にも秀でた麒麟児だというもっぱらの評判だ。


「やあアルベール」


 バジル様は、ジゼル様に向かって手を挙げた。ジゼル様は顔色ひとつ変えずにバジル様に向かって微笑みを返す。


「アルベールには悪いが、コレット嬢は渡せないよ」

「わ、わたし?」

「そう、きみだ。俺のことおぼえているかい?」


 にこりと笑ったバジル様がわたしに問いかける。口を開こうとすると、すっと目の前をジゼル様の手が遮った。


「悪いが、僕も渡せないんだ。コレット、さっきの返事をくれないか?」


 ジゼル様がわたしの顔を見る。いつもとあまり変わらない、感情の読めない顔に、懇願するような、ある種必死な色が浮かぶのをわたしは見た。


 わたしは、ジゼル様のことをわたしにとって唯一無二の人だとずっと思っていた。とても美しくて、優しくて、何を考えているのかわからない。だけどどうしてか、いつどんな時だって、わたしの味方でいてくれる大切な幼馴染だと思えていた。


 わたしはそんなに慕っていたジゼル様のことを、本当の本当に何も知らなかったのだと、この瞬間悟った。


(さらうって、連れ出すって、いったい何のことかわからない。うなずいてしまったらどうなるのかも、わからない。だけど)


 ジゼル様の瞳を見て、こくりとうなずく。


「わたしを、連れてって」


 この人のことをもっとちゃんと知りたいという気持ちだけがわたしを動かしていた。


 そう言った瞬間、身体をジゼル様の左手に抱き寄せられる。一瞬、身体が密着する。ジゼル様っていつも座っていたし線も細かったから、気づかなかった。昔は身長もほとんど変わらなかったのに、いつのまにかジゼル様は、わたしより背も高く、力もずっと強くなっていた。


「アルベール!」


 バジル様の声にジゼル様が振り向く。ローブの中に腕を入れて、何かを取り出す。その手には月光を受けて銀色に光るナイフが握られていた。


 白い、長い、絹糸のように綺麗な髪をジゼル様が束ねてくるりとくくり、そのナイフで一寸の躊躇もなくばっさりと切った。その髪の毛の束をバジル様に投げて寄越す。


「契約満了の証に取っておいてくれよ」


 そう言ってわたしを軽々と横抱きに抱き上げると、ジゼル様はバルコニーの欄干に飛び乗った。驚いて、思わずジゼル様の首に手を回してしがみついてしまう。


「わわわっ」

「待ってください!」


ロマンが叫ぶ。


「お嬢様を連れていくなら、俺もついていきます」


 そう言ったロマンに、ジゼル様は苦笑を返した。


「好きにしろ」


 ビュウ、と風が吹いて、まわりの木の葉が叫ぶように揺れた。わたしを抱き上げたままのジゼル様が、指笛を吹いた。顎下で切られたジゼル様の髪がぶわりと広がる。


 空気を震わせるようなはばたきの音が鳴り、目の前に雪のように白い大きな竜が現れた。鱗が水面のようにきらきらと虹色に波打って光っていた。ジゼル様は竜の背に飛び乗って、ロマンに言った。


「乗れ!」


 あちゃー!とでも言うような顔をしたあとに、ロマンが覚悟を決めるように息を吐いた。欄干を飛び越えてロマンが背に乗る。


「待て、アルベール!コレット嬢!」


 叫ぶバジル様を置いて、竜ははばたいた。夜空にどこまでも高く昇っていく。ビュウビュウと強い風が頬を打つ。わたしはジゼル様に抱かれたまま、目を白黒させて、必死で竜につかまっていた。

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