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2.婚約破棄

「コレット・コデルリエ伯爵令嬢!ここに貴様との婚約を破棄する!」


 王宮の大ホールに朗々とした声が響いた。


 一拍を置いて、ざわざわとした囁き声がホールに満ちる。渦中の少女、コレット・コデルリエ伯爵令嬢ことわたしを中心に、人の波が割れていく。



**********



 今日は建国記念日、宮殿でいちばん大きなホールにて国中の貴族を招いた建国記念パーティーが催される。そしてこの場は、今年16歳になる貴族の子女たちのデビュタントパーティーでもある。


 初めての公的なパーティーに心を踊らせながら、わたしは精いっぱい着飾ってお城に向かった。高位貴族の子女ならばデビュタントの歳に既に婚約者がいるのはそう珍しいことではなく、彼らはたいていペアとして出席する。


 わたしはもちろん、レオポルド様とペアで今日のパーティーに出席するはずだったのだ。


 しかし、彼はお城に到着したわたしの前に姿さえ見せず、人づてにペアとして出席はしないことを伝えられた。応接のために通された部屋でそのことを聞かされたわたしはそれはもう困惑したのだが(さすがに応対してくれたレオポルド様付きの執事もこの事態には神経をすり減らしているようだった)、パーティーではデビュタントを迎えた一人ひとりと国王陛下とのご挨拶の場があるのに、個人的な事情で出席しないなど許されない。故に恥を忍んで近侍のロマンひとりを連れてパーティーに赴いたわたしを待ち構えていたのは、アメリ様を伴った婚約者の姿だった。


「お嬢様、お気持ちはわかりますが眉間にしわを寄せるのは淑女の振る舞いとは言えません」


 ロマンのお小言を右から左に聞き流しながら入場のための列に並ぶ。


 出席する貴族たちの列は、絢爛に着飾った人々でまるで花園のように美しい。その列の半ばにレオポルド様とアメリ様が並んでいて、ふたりはいかにも仲睦まじそうに腕を組んでいた。


 アメリ様がにこやかにレオポルド様の腕にしなだれかかるさまを見ていると、その愛らしい瞳がこちらを捉えた。嘲笑するようにきゅっと目が細められる。


 深くため息をついて、ロマンに問いかける。


「……レオポルド様は、いったいどういうおつもりなのかしら」

「……あまり気にしないほうが。いくらあの色ボケ王子がドラノエ男爵令嬢と仲を深めていても、王家に認められた正式な婚約者はお嬢様です」


 ロマンがわたしを安心させようとしているのか、眼鏡の向こうでいつもよりも優しく微笑んでいる。


 同い年の彼は、隣の国から嫁いできた母に伴ってやってきた侍女(そしてわたしの乳母)の息子である。乳母は自国ではそれなりに有力な貴族の出身であったようで、ロマンにも隣国の爵位の継承権があるらしい。しかしもの好きな彼はわたしの世話を焼くことに生きがいを見出しているようで、国には帰らないと常々言っている。


 少し垂れ目気味の、不思議な色合いのグレーの瞳を持ち、いつも茶色のウェーブのかかった髪を綺麗にセットしていて、その浮かれた名前に似合わないちょっと意地悪な振る舞いが最近王都で流行りの恋愛小説のヒーローに重なるとわたしのお友達たちにもけっこう人気がある。


 友人のご令嬢たちは、わたしとのお茶会には絶対にロマンが付き添ってくるのでロマン目当てに何度もわたしを呼び立ててくるのだ。若い貴族令嬢コミュニティのあいだにはどうやらロマンのちょっとしたファンクラブなんかもあるらしい。わけがわからない。


 レオポルド様が婚約者のわたしでない女性を伴って出席していることに内心穏やかでないながらも入場を済ませ、そそくさと壁の花になろうと人々のあいだを縫ってホールを移動しているときだった。


「待て!」


 よく聞き慣れた声が響いた。


 まさか自分が呼び止められているなんて露にも思わずすたすたと一目散に壁に向かって歩いていると、またもう少し大きくなった声で名前を呼ばれる。


「待てと言っているだろう!コレット」


 はたと足を止めて振り返ると、そこにはレオポルド様が左手にアメリ様を抱き寄せて立っていた。


 カーテシーの礼をとると、レオポルド様が大きく宣言した。


「コレット・コデルリエ伯爵令嬢!ここに貴様との婚約を破棄することを宣言する!」



**********



 波紋のように囁き声が広がっていくホールの中央で、水面に投げ入れられた小石であるわたしは、呆然と突っ立っていた。


「お前には失望したよ、コレット・コデルリエ!」


 二の句が継げないわたしに向かって、レオポルド様が言葉を重ねる。


「王家とお前の家が遠い血縁にあったから結ばれた俺たちの婚約だったが、お前の家は血筋だけは立派な没落貴族。それでもお前が我が妃にふさわしい人間だったならば俺も不満はなかったさ」


 レオポルド様の燃えるように真っ赤な瞳がギュッと細められ、心底見下したようにわたしを見る。


「お前は血筋に驕って王子妃教育も怠り、王子妃としての教養を身につけるどころか簡単な魔法すらもこの歳になっても習得できていないと聞く。それほどの努力すらもできないような人間は我が王家に必要ない」


 浴びせられる罵倒に立ちすくんでしまったが、反論しようとなんとか口を開く。


「わたしは……!」

「それになんだ、そのみすぼらしい衣装は」


 わたしの言葉を遮るように、彼が言う。


「王子である俺とパーティーに出席するために着飾ったのが時代遅れのドレスと、貧相なネックレスか?笑わせるな」


 カッと頬が熱を持つ。


 わかっていた。あまり裕福でない我が家では、たっぷりと生地を使った豪奢なドレスやあふれるように宝石をあしらった装身具は用意できない。それでも両親とたくさん相談しながら精いっぱいレオポルド様の髪色に合わせて金色の刺繍を施した楚々とした上品なドレスを仕立て、伯爵家に伝わるバイオレットサファイアのネックレスを身につけてきたのだ。


「レオポルド様、少し言い過ぎですわ。コレット様も、あなたに愛してほしくて一生懸命におしゃれをしてきたのでしょう?」


 アメリ様がレオポルド様に甘く語りかける。


「まあ、それでもこんな格好が精いっぱいなんですものね。いいえ、コレット様が悪いんじゃないですわね。お家が貧乏なばっかりに、王子様にふさわしく自分を整えることもできないのですから。……お可哀想な方」


 喉の奥がぎゅっと熱くなって、思わずうつむく。目の奥に、レオポルド様の衣装とぴったり色を合わせたアメリ様の最先端のフリルの多いドレスが焼きついていた。彼女の細い首にはレオポルド様の瞳の色と同じ真っ赤なルビーがいくつも連なったネックレスが巻きついていて、ピアスや髪飾りもすべてルビーがあしらわれていた。アメリ様のお母上の男爵夫人はとても大きな商家の出で、ドラノエ男爵家も夫人の生家からの援助でそれはそれは潤っていると、噂に聞いていた。


 わたしの努力と、伯爵家の宝物。


 その二つともを蔑まれて、わたしの心はぽっきりと折れていた。


 わたしの背後で王家の人間に対する礼をとっていたロマンが、さすがに聞き捨てならなかったのか一歩前に踏み出す気配を感じる。左手をそっと後ろ向きに出して、彼をとどめる。頭脳明晰、優秀で未来あるロマンをこれ以上わたしの醜聞に巻き込むわけにはいかないのだ。


「殿下のお気持ちは、承知いたしました。ただ、この婚約は王家と我がコデルリエ伯爵家のあいだで結ばれたもの。国王陛下とわたしの父の承認がなければお受けすることはできません」

「お前の父だと?たかが伯爵に俺に反対する権利があるわけがないだろう」


 レオポルド様は、隣のアメリ様の薄い色の金髪を愛おしそうに撫でた。アメリ様の緑色の瞳がわたしを捉え、にっこりと弧を描く。


「それに、俺はこのアメリを愛している。我が父上を、愛ある俺たちの結婚を認めないほど血の通っていない人間だと、そう侮辱しているのか?」

「……滅相もございません」

「話はこれまでだ。明日には伯爵家のタウンハウスに婚約破棄の証明書が届くように手配しておこう。コデルリエ伯爵にサインさせておけ」


 そう言って、レオポルド様はわたしに背を向けた。


 水を打ったように静まり返っていたホールにざわめきが戻ってくる。


「お嬢様、顔色がひどく悪い。とりあえずここから離れましょう」

「いいえ、ロマン。だって陛下とのご挨拶がまだよ……」

「まだご挨拶までには時間があります。空気を吸うだけにでも、いちどバルコニーへ」


 ロマンにエスコートされながらバルコニーに向かう。人の視線が全身に突き刺さるようで、痛くて痛くてたまらない。わたしのショックを気づかっているのか、わたしを視線からかばうように横を歩いているいつも意地悪なロマンの珍しい優しささえも、みじめでつらく思えた。



**********



「レオポルド王子が、コレットとの婚約を破棄した?」


 温室にジゼルの固い声が響いた。あわてて駆け込んできた使用人が困惑の滲んだ声で返答する。


「信じ難いことでございますが、レオポルド殿下からの申し入れのようです」

「コレットには婚約破棄されなければならないような瑕疵など何もないだろう?」

「もちろんでございます」


 ジゼルが白魚のような手を額に当ててうつむく。


「婚約を破談、しかも解消ではなく難癖をつけて破棄するだなんて、コレットのことを何だと思っているんだ、あの馬鹿王子は。いちど婚約破棄されてしまった令嬢は傷物だなんだと言われるんだぞ」


 苛立ちを隠そうともしないジゼルに、使用人は声を落として囁いた。


「ですが、殿下。このことは殿下にとっては願ってもない好機でしょう」

「ああ……」


 ゆるやかに流れる長く美しい髪をかき上げて、ジゼルは立ち上がった。薄靄のようにオーガンジーを重ねた白いドレスがふわりと揺れる。


「もちろんだ」

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