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7 出師準備

 光風島事件およびその後のスターリン演説を受け、一九四三年十二月十五日、ついに帝国海軍は出師(すいし)準備を発動した。

 出師準備とは、陸軍における動員令のようなものであり、戦時に備えて各艦艇の整備促進、海軍に割り当てられた船舶の徴用および特設艦艇への改装促進、艦隊行動や修理のために必要な燃料や鋼材などの軍需物資の確保など、その準備要目は多岐にわたる。

 これを以て海軍は対ソ戦を現実のものとして捉えることとなったと言えるのであるが、依然としてソ連の動向については不明確な部分もあり、日ソ間の緊張が緩和されれば平時状態への復帰も考慮に入れられていた。

 海軍としてはアメリカ海軍へ対抗する都合上、本心では対ソ戦を望んでいなかったのである。


「まったく、えらいことになったもんだな」


 東京府麻布区飯倉(いいくら)にある水交社の一室で、驚嘆と畏怖の呻き声を上げている人物がいた。


「連合艦隊司令長官の地位を退いた貴様は、気楽でいいな」


 そんな人物を恨めしそうに見つめるのは、海軍大臣・堀悌吉(ていきち)大将であった。


「そう言うな。俺は俺で海軍への御奉公はそれなりにやったぞ?」


 堀と会話を交わしている人物は、軍事参議官・山本五十六大将であった。一年ほど前まで連合艦隊司令長官を務めていた、堀と同じ海兵三十二期の海軍軍人である。


「まあ、今の海軍航空隊があるのは貴様が航空本部長時代にあれやこれやとやった結果であることは認めるがね」


 堀は、重苦しい溜息をついた。

 海兵三十二期首席、海大甲種十六期次席(首席の佐藤三郎は一九三八年、五十三歳の若さで死去)の成績を誇り、その明晰な頭脳を絶賛される堀にとっても、現在の国際情勢は難しいものであった。


「まさかこの歳になってバルチック艦隊の亡霊に悩まされるとは思わなかったぞ」


 堀も山本も、共に日露戦争の日本海海戦に参加している。それから四十年近く経って突然、青年士官時代を彷彿とさせる情勢に追い込まれているのだから、堀の嘆きも当然であった。


「何、そう思い悩むな。日本海海戦の頃と違って、今は航空機がある。あれで一つ、ウラジオをやってしまえばいいではないか?」


「逆に聞くが、貴様がまだGF司令長官だったとして、それをやろうと思うか?」


「……」


 山本は堀の問いに答えず、曖昧な笑みを浮かべるだけであった。彼自身、自分の発言が冗談に近いものであると自覚していたのだ。

 確かに、帝国海軍では一九三〇年代中頃からアメリカ海軍の根拠地を航空部隊で奇襲する作戦構想が存在していた。いわゆる「対A国作戦用兵ニ関スル研究」である。

 この研究では、開戦劈頭、ハワイ・真珠湾やフィリピン・キャビテ軍港を航空母艦などで急襲して米艦隊戦力を低下させることが構想されていた。

 山本は、それを引き合いに出したわけである。

 しかし、ウラジオストクを同様の作戦で攻撃するとしても、日本海が狭いために奇襲は成り立たない可能性が高かった。ウラジオストクから本州までは、五〇〇キロから六〇〇キロ程度しか離れていない。当然、対馬海峡や津軽海峡を通過した時点で、発見されるだろう。

 また、ソ連海軍太平洋艦隊が極東地域に配備している一〇〇隻近い潜水艦や数千機とも言われる基地航空隊の存在も、懸念事項であった。

 潜水艦や航空機によって空母部隊が発見されて奇襲の効果が失われるだけでなく、潜水艦からの雷撃や航空攻撃によって空母が失われる危険性すらあった。

 第二次欧州大戦では、英空母カレイジャズが独Uボートによって撃沈されている。開戦劈頭に起こったこの出来事は、当然、日本側にも深い衝撃を与えた。

 帝国海軍は第一次世界大戦での実戦経験から潜水艦の有用性と共にその厄介さも自覚しており、だからこそなおさらソ連の潜水艦を警戒していた。

 また、一九三〇年代を通じて艦隊決戦時における戦場海域の制空権確保が対米作戦上の課題とされてきたこともあり、敵航空戦力についても海軍はその危険性を認識していた。

 その意味では、主力空母を投入してのウラジオストク空襲作戦は現実的とは言えなかったのである。


「まあ、いざ開戦となったら、軍令部も連山によるウラジオ爆撃くらいは考慮するだろうがね」


 どこか辟易とした調子で、堀は言った。

 連山とは、三式陸上攻撃機「連山」のことである。中島飛行機が開発したこの四発爆撃機は、本来は対米戦に向けて開発された機体であった。

 日本の対米作戦計画は、第一次世界大戦の戦訓やワシントン海軍軍縮条約の成立などで、それ以前の一九一〇年代に計画されていた本土近海での艦隊決戦構想のみに留まらない多様性を見せるようになっていた。

 まず、金剛型四隻も参加した英独艦隊決戦であるユトランド沖海戦が、主力艦同士が激突したにもかかわらず明確な決着がつかなかったことは、それまでの日本海海戦の成功体験を疑問視させるのに十分な衝撃を帝国海軍に与えた。この時、金剛型四隻に乗り組んでいた尉官の中には、沢本頼雄(金剛)、小沢治三郎(比叡)、南雲忠一(霧島)といったその後の海軍を支えることになる青年士官たちがおり、こうしたことも海軍の用兵思想に影響を与えている。

 そして、このユトランド沖海戦は明確な決着がつかなかったとはいえ、以降、ドイツ海軍大海艦隊(ホッホゼー・フロッテ)が軍港に逼塞せざるを得なくなったという部分にも、日本海軍は注目した。

 さらに、イギリスの船舶に大打撃を与え、船団護衛に協力した日本の第二特務艦隊にも多くの犠牲を生じさせたドイツのUボートによる通商破壊作戦も、日本海軍に影響を与えた。

 つまり、第一次世界大戦は日本海軍に艦隊決戦への懐疑と潜水艦による通商破壊作戦の有用性、そしてイギリスと同じ島国である日本にとって海上護衛作戦の重要性、その三つの戦訓をもたらしたのである。

 そしてここに、ワシントン海軍軍縮条約第十九条の太平洋防備制限条項にて、フィリピンだけは例外とされたことが加わる。会議にて対米七割以上を達成して満足感に浸っていた日本海軍ではあったが、決してフィリピンの軍事拠点化を楽観視していたわけではない。

 しかし、フィリピンはアメリカ本土、あるいはハワイからも離れている。たとえユトランド沖海戦のように日米艦隊決戦に決着が付かずとも、水上艦艇や潜水艦による通商破壊作戦でフィリピンの孤立化を図れば問題ないという意見も、日本海軍内部には存在していたのである。

 つまり、米艦隊がフィリピン・キャビテ軍港に逼塞せざるを得ない状況を作り出せればそれで良し、という考え方である。

 八八艦隊計画がワシントン海軍軍縮条約によって潰えたとはいえ、それでも海軍は主力艦保有比率対米七割以上を達成していた。こうしたある種の“余裕”が、対米作戦構想に多様性、柔軟性を持たせることになったといえる(もちろん、対米劣勢比率であることに変わりはなく、その点に関する危機感は依然として海軍内部に存在していたが)。

 そして時代が下ってくると、航空機の発達と共に防備制限条項の適用外である日本本土、特に九州から大型爆撃機でフィリピンを空襲するという作戦構想も生まれた。こうした過程で、主に対艦攻撃を目的とする双発の九六式陸上攻撃機と共に、大型爆撃機の開発が進められるようになったのである。

 最初に実用化された四発爆撃機である(ひろ)海軍工廠開発の九九式陸上攻撃機「深山」は、同時期に登場したアメリカのB17と比べて明らかに性能面で劣っており、海軍はさらなる新型四発爆撃機の開発を押し進めることとなった。

 そうして誕生したのが、三式陸上攻撃機「連山」であった。

 この間、航空分野での陸海軍協力が進み、特に一九三九(昭和十四)年には練習機の陸海軍共用化、大型爆撃機の陸海軍共同開発、必要に応じた機種を互いに融通する、という協定が結ばれている。また、一九四一(昭和十六)年には陸海民の技術の一体化を図るための「陸海技術運用委員会」も設置されていた。

 そのため、アメリカが開発中であるという超重爆に対抗するため、川崎航空機で連山の後継機となる本格的な戦略爆撃機「キ九一」や中島飛行機で六発の超重爆「Z飛行機(いわゆる「富嶽」)」の開発が進んでいた。


「問題は、アメリカの動向だな。おい山本、貴様、どうせ軍事参議官で暇しておるなら、野村さん(野村吉三郎。現駐米大使)を補佐するために特使として米国に飛んでみんか? 町田首相(町田忠治。立憲民政党総裁)が、適当な人間はいないかと探していてな」


「アメリカ、ねぇ」


 どこか懐かしそうに、山本は目を細めた。元海軍軍人である野村吉三郎は、アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトと知己の間柄であることなどを理由に駐米大使に任じられていたが、山本もまた駐米武官時代にアメリカ海軍の中に知己を作っている。


「塩沢の奴が、惜しいときに死にやがったからな」


 悼む表情で、堀は罵倒した。海軍兵学校時代、堀と首席の座を争い、国際派の提督として知られていた塩沢幸一大将は、一ヶ月ほど前、病で急死していた。


「外務省に人はいないのか?」


「東郷外相(東郷茂徳。駐独大使、駐ソ大使などを歴任)はソ連の件で手一杯だ。貴族院にいる吉田茂(駐英大使、外務大臣などを歴任)は、いささかイギリス贔屓が過ぎてアメリカの受けが悪かろう。重光(まもる)や広田弘毅はソ連外交の方が得意だそうだ。まあ、出淵(でぶち)勝次(かつじ)や堀内謙介を特使とするという手もあるだろうが、現政権や米海軍を相手にするという意味では、貴様の方が適任だろう。英語にも苦労せんだろうし」


「俺たち同期生が束になっても敵わん貴様の頭脳でも、この情勢はちと難しいか。あるいは、バルチック艦隊の亡霊にでも取り憑かれたか?」


「冗談を言っている場合はないぞ」


 茶化す山本を、堀は睨んだ。


「判っている」山本は軽く同期生を宥めた。「俺としても、バルチック艦隊の亡霊に悩まされるのはごめんであるし、アメリカとの戦争に至っては考えたくもない。政府の方で対米特使を送るという話が出ているのならば、前向きに考えるとしよう」


「ああ、頼んだぞ」


 そう言った堀の表情には、どこか肩の荷が下りたような安堵が浮かんでいた。

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