19 抑止力としてのシーパワー
「沿海州への上陸作戦については陸軍からの打診を待つとしまして、GF司令部から提示されたカムチャッカ上陸作戦についてはいかがされますか?」
ひとまず沿海州上陸作戦についての話題が一区切りついたところで、山本親雄が再び発言する。
「カムチャッカ半島南東のペトロパブロフスク・カムチャッキーにはソ連海軍の潜水艦基地があると考えられ、我が国の太平洋航路を脅かすことが可能な位置にあります。GF司令部としては、対ソ開戦後、早期にペトロパブロフスクを含むアバチャ湾一帯を占領して後顧の憂いを断つべきと考えているようです」
カムチャッカ半島南東の太平洋側に位置するペトロパブロフスク・カムチャッキーは、天然の良港であった。
アバチャ湾は入口が狭く、内部が広大なため、艦隊の泊地としても適している。また、不凍港であるため、ロシア帝国が沿海州を獲得しウラジオストクを築くまで極東におけるロシアの中心的都市となっていた。
現在はその地位をウラジオストクに奪われてしまったためにかつてほどには繁栄していないものの、依然として北洋漁業の基地として重要な役割を果たしている。
日ソ漁業条約に基づく日本の北洋漁業権もあり、ペトロパブロフスク・カムチャッキーには日魯漁業株式会社の基地が置かれ、現地の水産工場では日本人も多く働いている。
現在、日ソ間の外交懸案となっている北洋漁業は、基本的にこのカムチャッカ半島付近での漁業のことを指す。日本の食糧自給にとっても、カムチャッカ沖の漁場は重要であった。
もし日ソ開戦となれば、当然、日ソ戦の最前線の一つとなるだろう千島列島・カムチャッカ半島沖での漁業はほぼ立ちゆかなくなるだろう。それだけでなく、アバチャ湾を基地とするソ連潜水艦部隊によって、日本と北米を結ぶ航路が遮断される可能性もあった。
依然として日本の石油輸入先第一位はアメリカ合衆国であり、屑鉄の輸入量は減少傾向にあるとはいえそれでもアメリカからの重要な輸入品の一つであった。他にも、木材や綿花もアメリカから輸入している。
また、カナダからはアルミニウム地金(カナダには世界有数のアルミニウム生産会社が存在)、鉛、亜鉛、ニッケル、コバルトなどを輸入している。
南シナ海を通る航路と同様に、太平洋航路もまた日本の産業にとっては重要であったのだ。
「しかし、もしアバチャ湾上陸作戦を陸軍に打診するとなれば、当然に引き換え条件的に沿海州上陸作戦の全面的支援が求められるのでは?」
GFのカムチャッカ半島上陸作戦構想に疑念を呈したのは、藤井茂であった。彼としても、沿海州上陸作戦を海軍が全面的に支援することになり、主力艦隊が日本海に引き抜かれることを厭っていた。
「ここは、海軍単独での作戦実施が望ましいと考えます」
海軍には、陸戦兵力である陸戦隊・根拠地隊などが存在している。藤井は、これらの戦力を用いて海軍単独での上陸作戦を主張しているのである。
海軍では第二次欧州大戦以来、陸戦隊の拡充に努めてきた。
その要因には、第二次欧州大戦におけるイギリスの実質的敗北が挙げられる。ダンケルクで四十万の英軍が包囲殲滅された結果、イギリスは海軍戦力が健在であるにもかかわらずドイツと講和を結んでいる。そのことが、日本海軍にとって衝撃的であったのだ。
そのため日本海軍は、満洲で陸軍が敗れた場合、本土を守るのは海軍陸戦隊しかいないと考え、常設の特別陸戦隊や根拠地隊を拡充しつつあった。
その一例が、北満油田を防衛するために創設された、哈爾浜特別陸戦隊であった。
一九三八年に発見された北満油田と遼河油田での石油事業には、当然ながら日本の石油政策を主導してきた海軍も技術者を派遣するなどして関わっていた。
満洲の油田は重油成分が多いため、艦艇の燃料として用いることが可能だったのである(航空燃料として用いるには、いささか向かない。辛うじて戦車や自動車の燃料にはなるが、馬力は落ちる。ただし、パラフィン基原油なので潤滑油として重宝する)。
そのため海軍は哈爾浜に第一〇一燃料廠を設置し、守備隊として哈爾浜特別陸戦隊を創設したのである。
「また、カムチャッカ占領は対ソ戦中にアメリカの対日参戦が発生した場合、同半島に米重爆隊の航空基地が設置されることを防げるという効果もあります」
山本が、説明する。
「現在、米国がB29なる超重爆を実用化しつつあるという情報がありますから、カムチャッカ占領は米国の参戦を抑止し、アリューシャン・アラスカ方面に睨みを利かせるという意味もありましょう」
「ふむ」
説明を受けた中澤は、太平洋の地図に目を落とした。アラスカ、アリューシャン列島、カムチャッカ半島、千島列島、これらはまるで線のように繋がっている。
B29なる超重爆がフィリピンやグアムなどに配備されて日本に対する軍事的圧力として利用される可能性もあったが、これらの地点については日米開戦となればハワイや米本土との海上交通路を遮断し、実質的に無力化することも可能である。
しかし、アラスカやアリューシャンは、米本土との連絡線の確保が容易である。さらにソ連が米国に対しカムチャッカ半島に航空基地を提供すれば、北方からの本土空襲はより現実味を増す。
だが、中澤には一つの疑問があった。
「そもそもの問題として、対米ソ戦の可能性はどこまであると諸君らは考える?」
現在、日本はアメリカとソ連との間にそれぞれ緊張関係を抱えているとはいえ、米ソは軍事同盟を締結しているわけではない。
対ソ戦が即座に対米戦となるのかは、情勢判断が難しいところであった。
「そこは、何とも判断しづらい部分があります」
実際、戦争指導を担当する藤井の返答も歯切れが悪かった。
「米ソは軍事同盟を結んでいるわけではありませんし、アメリカ国民に反日感情はあるとはいえ、依然として孤立主義的な傾向があります。ソ連の対日侵攻が即座にアメリカの対日参戦を招く危険性は低いと考えますが、第一次世界大戦の事例もありますから、状況次第と言わざるを得ません」
「対二国作戦を想定するのであれば、やはり主力艦隊を日本海に展開させるわけにはいかないでしょう」
藤井に続き、山本も発言する。
そもそも、大日本帝国の対外作戦計画は、対一国作戦を基本としていた。二ヶ国、あるいは三ヶ国以上の国と同時に戦争を遂行することは、計画上は想定されているとはいえ、作文以上の意味合いはないと言ってもいい。
第一次世界大戦後、日本は重化学工業の発展著しいとはいえ、それでもアメリカやソ連といった広大で強大な国家を同時に相手取るだけの国力は備わっていなかった。
実際、陸軍の兵力ではソ連に圧倒され、海軍の艦艇保有比率ではアメリカに水を空けられている。
軍令部の者たちが危機感を覚え、かといって戦争には消極的であったのはそうしたことに理由がある。
アメリカやソ連とは緊張状態に陥りつつも、武力行使には至らないところで何とか抑止力としての軍事力を保持しつつ共存を図る。
こうした対立しつつも戦争には至らない危うい均衡の上に成り立つ国際情勢を、誰が言ったか“冷戦”と表した。
第二次欧州大戦が一応の終結を見た一九四〇年以降、この“冷戦”構造は日米、日ソ、英独など各国の間に存在しているといえよう。
対米戦にも対ソ戦にも自信を持ち得ない大日本帝国は、まさしくこの“冷戦”なる国際情勢の上で生存と発展を図ろうとしているといえた。
あるいはそれは、第一次世界大戦で大日本帝国が得た教訓の一つだったのかもしれない。
国家総力戦となれば、国力に劣る側により破滅的な結末が訪れる。
それを回避するために、中澤たちは抑止力としての海軍力に頼り、その増強に努めるというある意味では矛盾した行いを続けていたといえよう。
その矛盾が破綻することなく継続するのか、あるいは矛盾は矛盾であるが故に破綻してしまうのか、この時点では誰にも判らなかった。