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15 関東軍司令部の憂鬱

 かつて張作霖爆殺事件、満洲事変を引き起こし、後世“軍部独走”の代名詞のように語られることの多い関東軍。

 彼らは今、自らが引き起こした事態によって自らの首を絞めつつあった。

 満洲事変を主導し、満洲国を建国して中国東北部一帯を大日本帝国の勢力圏に収めたことによって、ソ連との長大な国境線を抱えることになってしまったのである。

 当然、満洲国は事実上、日本の傀儡国家であるわけだから、その国防を担うのは関東軍であった。実際、有事の際には満洲国皇帝は統帥権を関東軍に委任するということが取り決められている。

 しかし、東はウスリー川から西はモンゴル人民共和国に至るまでの四四〇〇キロに及ぶ長大な国境線をすべて守るには、関東軍の兵力は明らかに不足していた。内地の兵力をすべて満洲にかき集めたとしても、やはり足らないだろう。


「我が関東軍の兵力は七十五万、海軍の哈爾浜特別陸戦隊は一万五〇〇〇程度。これに満洲国軍十五万に内蒙古軍一万五〇〇〇を加えても、一〇〇万には届かぬか」


 司令部では関東軍総司令官・梅津美治郎(よしじろう)大将が自軍の置かれた状況を概観し、渋面を浮かべていた。

 関東軍七十五万に対し、シベリア・極東地域に配備されているソ連軍の兵力は一二〇万は下らないと見られている。ドイツと国境を接する地域を空にするわけにはいかないであろうから、一五〇万を超えることはないと見込まれていたが、それでも関東軍を圧倒する兵力であった。

 攻守三倍の原則を考えればそれでも守りに徹する限り関東軍が有利と考えることも出来たが、いかんせん、満ソ国境は長大に過ぎる。その全域を守ろうとすれば、配置される兵力は必然的に薄くなり、容易にソ連軍の突破を許してしまうことになるだろう。


「それに、満洲国軍と内蒙古軍は本来、治安維持を目的に創設された部隊ですからな。特にソ連の満洲侵攻に呼応して中国共産党軍も満洲侵入を目論む可能性がありますから、なおさら兵力は不足します」


 総参謀長の笠原幸雄中将も、険しい顔を隠していない。

 陸軍兵力十五万の規模を誇る満洲国軍は、かつて満洲国が建国される以前に関東軍が担っていた治安維持任務を行うための組織として発足した。内蒙古軍、正確には蒙古聯合自治政府軍も、内蒙古における独立運動に敗れて満洲国に辿り着いた者たちで構成された部隊である。

 これらの部隊は、もっぱら抗日匪賊の討伐、熱河省などから侵入してくる中国共産党軍の撃退などを主な任務としていた。一九三八年には、熱河省との国境付近で中国共産党軍との大規模な戦闘も経験している。

 そのため、満洲国軍と内蒙古軍は、満州国内における治安維持のために割かざるを得なかった。ソ連の満洲侵入に呼応した抗日匪賊、共産党ゲリラなどによる鉄道などへの破壊工作を阻止するためである。


「まったく、満洲事変を主導した連中は、こうなることまで考えていなかったとしか思えんな」


 梅津は、満洲事変を主謀した石原莞爾を内心で罵倒していた。

 彼自身も支那駐屯軍(通称「天津軍」)司令官時代、自らの出張中に酒井隆参謀長らが中国側に反日的な河北省要人の罷免を求め、これを強引に認めさせるという事件(いわゆる「梅津・何応欽(かおうきん)協定」)を引き起こされている。

 だからこそ余計に、一部の軍人たちの独走を苦々しく思う気持ちが強かった。二・二六事件後、陸軍の統制回復のために陸軍次官に就任して綱紀粛正を図ったこともあるから、なおさらである。

 そのようにして梅津は、軍の度重なる独走やクーデター未遂に不満を抱いていた天皇の信頼を勝ち得ることに成功し、一九三九年九月、関東軍司令官に就任していた。

 当時はノモンハン事件直後であり、またしても現地の判断で戦線を拡大した挙げ句、ソ連軍との戦闘で大打撃を受けたこともあり、関東軍の統制回復、そして兵力の再編は急務であったのだ。

 そうしてこの五年あまりの間、梅津の統制が行き届いた関東軍は大きな不祥事を起こさずにきた。

 総参謀長の笠原幸雄も軍紀には厳しい人物であり、梅津を補佐するのには適した人物であった。また、笠原中将は参謀本部初代ロシア課長も務めるなど、対ソ戦に備えるという意味でも現在の関東軍司令部にとってなくてはならない人物であった。

 そのように軍の統制に厳格な人物たちが、統制を乱した者たちの後始末に追われているわけであるから、何とも皮肉な話であった。


「いよいよソ連は、日ソ中立条約を本気で守るつもりはないという姿勢を明らかにしつつある。これが単に外交交渉を有利に進めるためだけの軍事的恫喝に過ぎないのであればいいが、満洲を守る立場にある以上、座視しておくわけにもいくまい」


 梅津は依然として険しい声で言った。

 昨年の革命記念日のスターリン演説、光風島事件、そして日本海公海上での臨検。ソ連の日本への敵対的な姿勢は、すでに明らかであった。


「とはいえ、見え透いた挑発に乗っては連中の思う壺だろう。我が国は満蒙問題を巡ってアメリカとの緊張関係が続いている。どうにもルーズベルト政権はソ連に甘いようであるからな。こちらから戦端を開くような事態になれば、米国に対日経済制裁の口実を与えかねん。総参謀長」


「はっ」


「これから、我が関東軍内の統制をいっそう厳にせねばならんぞ」


「はい、承知しております。各軍司令官にも、その旨を徹底させます」


 総軍へと昇格した関東軍は現在、麾下に軍を抱える部隊となっている。

 その編制は、次の通りである。


  関東軍 総司令官:梅津美治郎大将

関東軍直轄

 機動第一旅団(ソ連領内に侵入し後方攪乱を行う部隊)

 第一独立守備隊 など

機甲軍 司令官:吉田(しん)中将

 教導戦車旅団

 第一戦車師団

  戦車第一旅団(戦車第一連隊、戦車第五連隊など)

  戦車第二旅団(戦車第三連隊、戦車第九連隊など)

 第二戦車師団

  戦車第三旅団(戦車第六連隊、戦車第七連隊など)

  戦車第四旅団(戦車第十連隊、戦車第十一連隊など)

第一方面軍(満洲東部) 司令官:山下奉文(ともゆき)中将

 第二軍(第三師団、第六師団、戦車第十五連隊など)

 第三軍(第二師団、第十二師団、戦車第十六連隊など)※第十二師団は師団直轄戦車隊あり

 第五軍(第八師団、第二十五師団、第四国境守備隊など)※第八師団は師団直轄戦車隊あり

 独立混成第一旅団(戦車第二連隊、戦車第四連隊、独立歩兵第一連隊など)

第二方面軍(満洲北部) 司令官:岡村寧次(やすじ)大将

 第四軍(第十四師団、第二十八師団など)

 第六軍(第九師団、第二十四師団など)

 第七軍(第一師団、第二十一師団など)※第一師団は師団直轄戦車隊あり

 独立混成第二旅団(戦車第九連隊、戦車第十四連隊、独立歩兵第二連隊など)

第三方面軍(満洲西部) 司令官:牛島満中将

 第八軍(第十師団、第二十六師団など)

 第九軍(第十七師団、第二十二師団、など)

 第十軍(第十五師団、第二十三師団など)※第二十三師団は師団直轄戦車隊あり

 独立混成第三旅団(戦車第十八連隊、戦車第十九連隊、独立歩兵第三連隊など)

第二航空軍 司令官:原田宇一郎中将

 第二飛行師団

 第四飛行師団

 第五飛行師団

 第六飛行師団


「軍司令官の中に独走しそうな者がいないことは幸いか」梅津は言う。「山下中将も、二・二六事件で陛下の不興を買ってしまったとはいえ、陛下の軍を勝手に動かすような男ではないからな」


 山下奉文は二・二六事件の際、蹶起した青年将校に同情的な立場を取り、天皇の不興を買ってしまったという過去がある。このとき、勅使を差遣して青年将校を自決させるという山下の考えを、蹶起の容認に繋がるとして天皇が峻拒したのであった。

 自らが天皇の不興を買ってしまったと知った山下は、その言動をひどく悔いたという。それほどまでに、彼は天皇への忠誠心あつい人間であった。

 しかし結局、この後の山下は陸軍中央から遠ざけられることとなり、一九四〇年に短期間、陸軍航空総監兼陸軍航空本部長を務めた以外は朝鮮や満洲の駐屯部隊を点々としたり、あるいは国外追放ともいえるような形で第二次欧州大戦後の欧州各地の視察を命じられたりしている。

 しかし、朝鮮や満洲の地で実際に部隊を指揮し、第二次欧州大戦を経験したイギリスなどを視察した経験は、かえって山下という人間にとって糧となったようであった。

 その意味では、満洲や朝鮮といった対ソ戦の際に戦場となるだろう場所の地理を把握し、近代戦への理解を深めた人物が関東軍の一部を率いていることは、梅津にとって頼もしいことでもあった。


「問題は、人間の方よりも対ソ作戦計画の方か」

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[気になる点] いくら日本が史実より工業化されてるとはいえソ連相手は分が悪い せめて3式中戦車に加えてその主砲を転用した対戦車砲も多数必要で 対戦車陣地も複数構築するべきかと思います 後チハにも三式…
[良い点] 更新お疲れ様です。 [気になる点] ・太平洋戦争がなくて昇進が遅れているとはいえ、岡村は流石に大将になってそうな…… ・後々語られるのなら申し訳ないのですが、畑俊六はどこで何をしているので…
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