100 西部戦線航空総攻撃
満州国の標準時は、日本と同じ東経一三五度線を子午線としている。
しかし、東経一三五度線は満州国国内を通っていない。必然的に、日の出と日没の時刻は日本側に比べて遅くなる。それが満州国最西地域となれば、なおさらであった。
かつては中原標準時(東経一二〇度線)を子午線としていたから、実質的に日本とは日の出と日没の時刻に一時間近い差が生じることになる。
もちろん、日ソ両軍の将兵ともに、はるか東方の樺太沖にてソ連最新鋭戦艦ソビエツカヤ・ベロルシアが撃沈されたことを知らない。彼らにとっては、目の前で対峙している相手こそがすべてであった。
そうした中、未明の白城子の飛行場では陸海軍の最新鋭機が暖気運転の轟音を響かせ始めていた。
「なかなか壮観な光景だな」
整備員たちが最後の点検のために飛行場内を駆け回る中、すでに四式戦闘機「疾風」の操縦席に収まっていた黒江保彦少佐はにやりとして呟いた。
この日、八月二十日を期して陸海軍は西部戦線における航空総攻撃を敢行することに決定していた。そのために、陸海軍の機体が白城子やその周辺の飛行場に集結していたのである。
黒江率いる飛行第六十四戦隊は最新鋭戦闘機「疾風」を擁する部隊であるが、他にも同じく第五飛行師団所属の疾風隊である飛行第五十戦隊の姿も見えた。
さらには、軽爆撃機兼襲撃機として運用が開始された最新鋭の四式双発襲撃機(キ93)を装備する飛行第十六戦隊。
本来は鞍山の昭和製鋼所など防空のために編成された独立第十五飛行団の疾風や流星改の姿もある。
海軍の第十二航空艦隊からも、奉天にあって遼河油田などの防空にあたる第二十八航空戦隊がこの航空総攻撃に参加するという。
この日に合せて、黒江たちは海軍機を敵機と誤認しないよう、飛行師団司令部から敵味方の機影識別表を再度、徹底的に見直すよう申し渡されている。
西部戦線での航空総攻撃は、先のシベリア鉄道爆撃作戦に次ぐ陸海軍共同の航空作戦であった。
それだけに、黒江たちは海軍航空隊への対抗意識と同時に、心強さを覚えていた。
今も最前線では、将兵たちが満蒙開拓団の者たちが王爺廟(興安)へと逃れるための時間を稼いでくれているのだ。
そしてその時間は、新たな防衛線と定められた洮斉線(洮南―斉斉哈爾)の防御体制をより強固なものとすることにも繋がる。新京の関東軍司令部では、虎の子の機甲軍を西部戦線に派遣するつもりであるという。
西部戦線を突破されれば、ソ連軍が一挙に南満にまで押し寄せることになる。それだけは、絶対に阻止しなければならないのだ。
やがて発進の合図と共に、暖気運転の音を最高潮にまで高めた疾風は西方の空へと向けて続々と飛び立っていったのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一方その頃、西部戦線最前線付近では独立混成第三旅団が夜明けに向けて警戒態勢を強化していた。
彼らは依然として索倫付近の陣地に留まり、侵攻するソ連軍の迎撃に努めていた。
「……」
洮爾川沿いの強化された陣地から、西住小次郎少佐は川の向こう岸を眺めていた。
川に沿うようにして、撃破されて遺棄された敵戦車が無残な姿を晒している。連日のようにソ連軍は独混第三旅団の拠る陣地に対して強襲を仕掛け、王翁廟(興安)方面への突破を試みていたのだ。
その犠牲を厭わない突撃は、流石に何か異様なものを感じざるを得ない。
独混第三旅団の擁する戦車第十八、第十九連隊は、陣地や稜線沿いに展開することで極力その損害を抑えるよう努力していたが、むしろ敵があまりにも多いために一部の車輌では加熱した砲身が爆発してしまうなどの被害が生じていた。幸いにして車体と砲塔は無事だったため、後送して修理することになるだろうが、一時的にせよ戦列から外れてしまうことには変わりない。
西住の乗る三式中戦車も、砲身の加熱によって塗装が剥げてしまったほどである。
現在、阿爾山・五叉溝方面からは第十五、第二十三師団および阿爾山駐屯隊が遅滞防衛戦を繰り広げつつ後退を続けていた。彼らが無事に索倫以東に辿り着くまで、独混第三旅団は今の陣地を固守しなければならない。
「……」
西住は空を見上げた。
徐々に明けつつある、満州の広漠たる空。
気象班からの情報によれば、今日は西方から伸びてきた高気圧の影響で満州国西部地域は快晴になるという。これならば、航空総攻撃は可能だろう。
「……頼むぞ」
未だ見えない友軍機に向けて、西住は祈るようにそう呟いた。
◇◇◇
一九四四年八月二十日、日本側が西部戦線への航空総攻撃に投入した兵力は次のようなものであった。
陸軍
独立第十五飛行団
飛行第四十八戦隊(四式戦)
飛行第一〇四戦隊(四式戦)
独立第一飛行隊(四式重爆)
独立飛行第二十五中隊(流星改)
第五飛行師団
第四飛行団
飛行第八戦隊(一〇〇式司偵)
飛行第十六戦隊(四式双襲)
飛行第五十戦隊(四式戦)
第七飛行団
飛行第十二戦隊(四式重爆)
飛行第六十四戦隊(四式戦)
飛行第八十一戦隊(一〇〇式司偵)
飛行第九十八戦隊(四式重爆)
海軍
第二十八航空戦隊
第三三一航空隊(零戦六四型)
第五五一航空隊(彗星)
第七三二航空隊(一式陸攻)
これら航空部隊は、敵地上部隊を攻撃する部隊と、敵の物資集積所などを狙う部隊とに分かれていた。
これまでの偵察結果から、ソ連軍は砂漠地帯を長駆侵攻すべく、無数の補給部隊・空輸部隊を伴っていることが判明している。そうした補給部隊や空輸部隊が最前線の部隊に物資を届けるべく燃料や弾薬、食糧を集積している地点を徹底的に爆撃する肚であった。
このため、ソ連軍物資集積所を攻撃する任務には、一式陸攻や四式重爆「飛龍」といった陸攻隊・重爆隊が充てられることになった。
一方で、一部の疾風隊、四式双発襲撃機隊、流星改隊、そして海軍の彗星隊はソ連軍地上部隊の攻撃に当たる。
それが、航空総攻撃作戦の骨子であった。
黒江保彦少佐率いる飛行第六十四戦隊は、四式重爆を護衛しつつソ連軍物資集積所の攻撃任務を命ぜられていた。
未明に白城子の飛行場を出撃して、満蒙国境地帯へと向けて飛行を続ける。日ソ開戦以来、黒江ら第六十四戦隊の搭乗員たちはこの空路を何度も往復してきた。タ弾を搭載して敵地上部隊への攻撃を行ったこともあれば、敵戦闘機と空戦になったことも、味方地上部隊への航空攻撃を防いだこともある。
敵よりも東方に基地があることを活かして、疾風隊と飛龍隊は昇り始めた太陽を背にして飛行していた。
「……」
もしかしたら敵も我が地上部隊への航空攻撃を目論んでいるかもしれないと、黒江は周囲の空を警戒しながら操縦を続ける。数日前からソ連軍の攻勢が犠牲を顧みないほど熾烈なものとなっているらしいとの情報は、搭乗員たちの間でも広まっていた。
もちろん、敵戦闘機がこちらの迎撃のために現れる可能性も捨ててはいない。
「……」
一〇〇オクタン燃料を注がれたハ45が快調に轟音を奏でる中で、やがて黒江は地上に染みのようなものを発見した。航法を間違えたとは思えないから、あれが偵察の結果判明したソ連軍の物資集積所の一つだろう(他の集積所は、海軍が叩くことになっていた)。
「むっ、あれは……?」
そこで黒江は、前方の空に気付いた。こちらから遠ざかるような格好で、敵の双発機が上昇を開始していたのである。
機影は、明らかにアメリカのダグラスDC-3に酷似していた。日本でも海軍が零式輸送機としてライセンス生産し、そして不可侵条約を結んでいるイギリスがダコタ輸送機の愛称で呼んでいる機体。
ソ連でも、確かLi-2としてライセンス生産を行っていたはずである。
それが、続々と列を成して上昇していたのである。
黒江の決断は早かった。
「第一、第二飛行隊は我に続け! あの輸送機を取り逃がしてならん!」
無線機に叫ぶと同時に、機体をバンクさせて後続機に合図を送る。
恐らく、昨夕あたりに物資を搭載してこの集積所に降り立ち、そして朝になったので後方に戻ろうとしているソ連軍空輸部隊だろう。あるいは、こちらの攻撃隊が接近しているとの報を受け、急いで集積所から離れようとしているのかもしれない。
敵輸送機を撃墜してしまえば、ソ連軍は以後の空輸作戦に支障を来すはずである。
黒江はスロットルを全開にし、同時に正面計器板下の操作弁に手を伸ばして翼内砲(二〇ミリ)と胴体砲(十二・七ミリ)に弾丸を装填する。
黒江の駆る疾風は、ぐんぐんと速度を上げて最高速度の時速六八七キロに達した。さらにこちらよりも低い高度を上昇しながら飛んでいる敵輸送機めがけて降下を開始したから、速度計はあっという間に時速七〇〇キロを超えた。
そして、必死にこちらから逃れようとする敵輸送機の一機を、三式光像式射撃照準器の中に収める。
刹那、黒江は操縦桿の発射ボタンを押した。
腕に伝わってくる振動と共に、疾風は二種の機関砲を発射した。四本の火箭は過たず敵機に吸い込まれていき、爆発とともに主翼が千切れ飛ぶ。
隊長機に追随する残りの疾風も、次々と敵輸送機に襲いかかっていた。まだ十分に上昇し切れていない敵機に上から容赦なく機関砲弾を浴びせかけていく。
咄嗟に左右に機体を振って逃れようとする敵機もあったが、疾風とは速度が違い過ぎる。難なく追いついた疾風の機関砲弾が、その機体を襲う。
DC-3に酷似したソ連軍輸送機は、相次いで砂漠の上へと叩き付けられていった。
「……飛龍隊の方はどうだ?」
敵輸送機を掃討しつつ、黒江は第三、第四小隊を護衛として残してきた重爆隊を確認する。彼らもまた、ソ連軍物資集積所の上空へと差し掛かろうとしていた。
その瞬間、黒江は自分たちの攻撃隊が作戦目標を達成したことを確信した。
やがて飛龍の胴体下から五〇キログラム爆弾が次々と投下されていき、地上に連続した爆発を生じさせたのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
遼東半島大連に、沙河口という地区がある。
そこには、南満州鉄道の有する大規模な鉄道車両工場が存在していた。
「……まさか、こんなものを持ち出してくる羽目になるとは」
今や満鉄の総裁となった山崎元幹は、工場から整備を終えて出てきた車輌を見て、半ば呆けたように呟いた。
「私も、意外な感をなしとはしませんよ」
彼と共に沙河口工場に出向いていた関東軍第三鉄道隊鉄道監・佐藤質少将も、車輌を見上げて苦笑していた。
「山崎総裁ほどではないが、私も鉄道と関わって長い。こいつがこうして日の目を見る日が来たことについては、複雑な思いです」
「……」
それだけ戦況は厳しいのかと、山崎は問いかけなかった。問いかけても答えてはくれないであろうし、答えてくれたところで満鉄の総裁となった自分にやれることなど限られている。
避難民の輸送、前線への兵站輸送、負傷兵などの後送、戦時には関東軍の指揮下に入ることが定められている満鉄はその命令の下で動くしかないのだ。
山崎はもう一度、工場から出てきた車輌を見上げた。
そして、関東軍司令部からやってきた鉄道監に向き直る。
「試製九四式装甲列車の整備、完了いたしました。ただ今を以て、本列車を陸軍にお引き渡しいたします」
ここまでお読み下さり、誠にありがとうございました。
これにて、第5章は完結となります。
本章にて、拙作はついに本編100話を達成いたしました。これもひとえに、皆さまからの応援のたまものと存じます。
誠にありがとうございます。
何卒、今後とも拙作をよろしくお願いいたします。
また、拙作と同時連載中の和風ファンタジー戦記「秋津皇国興亡記」は、2025年3月7日、第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞を受賞いたしました。
こちらの作品も、是非ともよろしくお願いいたします。
書籍化を成功させるためには、皆さまからのお力添えが不可欠です。皆さまお一人お一人が、私にとって頼りなのです。
書籍化についての詳しい情報が届きましたらば、活動報告やtwitter(現X)の方で、随時、告知させていただきます。
なお、「北溟のアナバシス」および「秋津皇国興亡記」はクリエイター支援サイト「Ci-en」にて先行掲載をしております。
350円コースから両作品の先行掲載分をご覧になれます。
この機会に、一人でも多くの皆様にご支援を検討して頂けましたらば幸いに存じます。
利用サイト:「Ci-en」
プロフィールページ:ci-en.dlsite.com/creator/21922(先頭に「https://」を追記のこと)
それでは、引き続き拙作を何卒、よろしくお願いいたします。
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