98 ソ連最新鋭戦艦の最期
「距離三○にて雷撃を開始せよ!」
ベロルシアと反航する形で接近を続けていた那智艦橋で、渋谷艦長は命じた。
神風以下の駆逐艦は波に翻弄されて照準が困難であるため、那智一隻での雷撃となる。射線は八本。そのため、波の影響なども考慮して距離三〇〇〇メートルにて雷撃を敢行することとしたのである。
敵戦艦は、すでに洋上に停止していた。
多少、海面が荒れていようともこれならば命中させることは難しくないはずだ。
すでにベロルシアとの距離は四〇〇〇メートルを切ろうとしている。しかし、敵艦からの反撃はない。副砲や高角砲も、沈黙したままである。
恐らく、傾斜の深まりによって射撃が不可能となってしまっているのだろう。
実際、那智艦橋から見えるベロルシアは、洋上の廃墟であった。
これがソビエト連邦が満を持して極東に送り込んだ最新鋭戦艦であるとは、にわかに信じがたいほどの惨状である。
「だからこそ、我々の手で介錯してやらねばなるまい」
艦橋で、志摩中将はそう呟いた。
あのような無残な姿を洋上に晒し続けることは、彼らの敵でありながらどこか耐えられないものを感じていたのだ。戦艦同士の砲撃戦という、敵味方双方にとって華々しい戦いであるはずなのに、これでは一方的に日本側が嬲っているようではないか。
だからこそ、志摩は速やかにこの海戦に決着を付けるべきだと感じていたのである。
それが、避難民を守るために散っていった伊王乗員たちに対するはなむけにもなるだろう。
那智の雷撃を妨害しないためだろう、伊勢と日向は砲撃を控えてくれている。あるいは、喫水線下に損害を与えられない限り撃沈には時間がかかると判断して那智に止めを譲ってくれたのか。
距離一万五〇〇〇メートルでの砲戦ならば、砲弾が急角度で落下することなく上甲板を破壊していくことになる。そうなると、喫水線下にはなかなか損害を与えられないために敵艦の撃沈に手間取ることになる。
帝国海軍は水中弾を発生させやすい九一式徹甲弾、一式徹甲弾を開発したとはいえ、そうそう頻繁に水中弾は発生するものではない。
「距離三八……、三七……、三六……」
見張り員が、目標との距離を刻々と報告してくる。
すでに魚雷の照準と調定は終わっている。雷速は最大の四十九ノット。帝国海軍の誇る九三式酸素魚雷は、この速度でも二万二〇〇〇メートルの射程を誇る。
「三五……、三四……」
依然として、ベロルシアは沈黙したままであった。
護衛の駆逐艦も、彼女の右舷側に駆け付けてくる様子はない。電探ではベロルシアを挟んだ反対側の海上にいることが判明しており、伊勢と日向による副砲射撃を受けているようであった。
故に、雷撃を行おうとする那智を阻むものは何もなかった。
「三三……、三二……、三一……」
艦橋に、緊張が走る。
「距離三〇!」
「魚雷発射始め!」
「宜候、魚雷発射始め!」
艦長の命令と復唱する水雷長の声が響き渡り、直後に右舷の発射管から八本の魚雷が圧搾空気の音とともに海へと飛び出した。
魚雷の発射完了まで、艦は針路を固定したまま直進を続ける。
艦橋の者たちが、固唾を呑んでベロルシアの姿を凝視していた。
昨夜も魚雷を放ったものの、命中はさせられなかった。しかし、昨夜と違い今回は近距離での雷撃である。
今度こそはという思いを、志摩も含め艦橋の誰もが抱いていた。
やがて、その報告がもたらされる。
「魚雷発射完了!」
那智は、八本の酸素魚雷をベロルシアへ向けて放ち終わったのだ。
雷速は四十九ノット。三〇〇〇メートルならば、二分で目標に到達するはずであった。
◇◇◇
一九四四年八月二十日の樺太沖海戦において、那智の作成した戦闘詳報では、ソ連海軍戦艦ソビエツカヤ・ベロルシアへの魚雷命中の確認は〇六二三時となっている。
那智が放った魚雷は、その三本がベロルシアへと命中した。これにより、もともと右舷への傾斜を深めていたベロルシアではさらに急速に傾斜が進むこととなり、〇六三六時、右舷に転覆しつつ艦首から沈んでいった。
北太平洋小艦隊司令官ウラジーミル・アンドレーエフ中将は、艦長と共にソビエツカヤ・ベロルシアと運命を共にした。
救助された乗員の証言によれば、アンドレーエフ中将は艦尾まで歩いていき、艦尾旗竿に掴まりながら脱出した乗員たちに制帽を振っていたという。そして、最後にベロルシアの艦尾が沈んだとき、彼の姿もまた消えたと伝えられている。
いずれにせよ、政治将校も含めて、北太平洋小艦隊司令部の者で救助された者は存在しない。
日本側に救助されたベロルシア乗員は三〇〇人程度であり、最も階級の高い者は大尉であった。
また、駆逐艦ソクルシーテリヌイも伊勢、日向の副砲射撃によって炎上、航行不能に陥り、ベロルシアの後を追うように沈没している。これにより、ベロルシア以下五隻の艦隊は文字通り全滅したのであった。
最終的に日本側に救助されたソ連艦隊乗員は六〇〇名程度に留まり、これは海面が荒れていたために救助作業に支障が生じたこと、また救助作業中にソ連海軍潜水艦に襲撃されることを恐れたためであった。
第七艦隊や第五艦隊の者たちにとって、開戦初日の鈴谷丸事件の記憶は未だ鮮烈であった。無防備な民間商船を無警告で撃沈するようなソ連海軍ならば、自国乗員を救助作業中であっても敵艦ならば躊躇なく攻撃を仕掛けてくるだろうと判断されたのである。
なお、実際にこの海域にはソ連海軍潜水艦が向かってきており、ソ連潜水艦長たちはベロルシアを撃沈すべくやってくるだろう日本艦隊の襲撃を命じられていた。しかし、第七艦隊が急速に北上してベロルシアの撃沈に成功したため、ソ連潜水艦が現場海域に到着した時にはすでに日本艦隊は引き上げた後であった。
この時点で海面には救助されなかったソ連艦隊乗員の何名かが漂流していたと思われるが、ソ連側で彼らを救助したという記録が残る艦はない。
礼文島沖海戦に始まる一連の戦艦ソビエツカヤ・ベロルシア追撃戦は、こうして幕を下ろしたのであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
戦艦ソビエツカヤ・ベロルシア撃沈の報は、その日の八時前には横須賀沖の連合艦隊旗艦・大淀に届けられていた。
「これで、樺太および北海道近海における脅威は消滅したか」
ほうと安堵の息と共に、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将は椅子の背もたれに寄りかかった。
参謀長・塚原二四三中将以下、GF参謀たちも肩の力が抜けたような表情をしている。連合艦隊司令部としても、ベロルシアを捕捉・撃沈に成功するのかどうか、気を揉んでいたのだ。
日露戦争時、ウラジオ艦隊を追った上村彦之丞提督の気分はこのようなものであったのかと、全員が実感することとなった。しかし、蔚山沖海戦のごとく、ともかくも北太平洋小艦隊の脅威は消え去ったと見ていいだろう。
「第七艦隊は、小樽にて油槽船と会合。しかる後に樺太に上陸したソ連輸送船団の撃滅に向かうとのことです」
先任参謀の柳沢蔵之介大佐が言う。
すでに第七艦隊からは、油槽船の小樽回航を要請されていた。そこでGF司令部は、大湊にあった油槽船を小樽に向かわせていた。
「第七艦隊も燃料が危うい中で、よくやってくた」塚原参謀長が、そう讃える。「そして何より、伊王の奮戦によって帝国海軍は常陸丸事件の二の舞を演じることを避けられたわけだ。彼らを、全軍を挙げて顕彰しなければならん」
「はい、海防艦の主要幹部は、旧予備士官がほとんどを占めています」柳沢大佐も、頷いた。「現在では制度改正によって海兵出の士官と高等商船学校出身者を応召した士官との差はなくなっていますが、依然として意識面での隔意は大きなものがあると言えましょう」
かつての帝国海軍では、軍令承行令によって海兵出の士官と応召した予備仕官との差を明確に分けていた。同じ階級であっても、予備士官は兵科将校の下に置かれていたのである。
しかし、応召される予備士官の数が増えたことで、現在では制度改正によって“予備”の文字は取れ、制度上は同じ士官として扱われている。
ただし、未だ高等商船学校出の海軍士官が駆逐艦以上の艦長になった例はなく(潜水艦長は一人だけ存在する)、もっぱら海防艦などの後方担当の艦船に配属されていた。結果として未だ両者の間には隔意があり、高等商船学校、商船学校出身者の士官・下士官で占められる艦などでは公然と海兵出の将校に対する批判が口にされているという。
中には、せっかく“予備”が取れて桜の徽章を身に付けることが出来るようになったにもかかわらず、頑なに旧予備士官用のコンパスマークの徽章を付け続ける者もいるという。
実際、伊王の海防艦長であった小寺藤治少佐も高等商船学校出身の旧予備士官であった。
海軍兵学校を出ておらずとも、これほどまでに奮戦した者がいるのだという事実は、帝国海軍全体の意識改革に貢献することになるだろう。
「うむ、海上交通路の保護問題は今後も帝国海軍にとって大きな課題となろうからな」
古賀長官もまた、塚原や柳沢の意見に頷いた。
「さて、我々が取り組まねばならぬ課題はまだまだ多い。海軍主導のカムチャッカ半島上陸作戦の準備も進めねばならぬし、陸軍はウラジオ上陸を考えているそうだ。そのウラジオには、未だソ連太平洋艦隊の主力が陣取っておる。かつての日本海海戦のごとく、我が帝国海軍はこれを撃滅する必要があるだろう」
ソ連北太平洋小艦隊を壊滅させた今、帝国海軍にとって残る脅威はウラジオストクにいるソ連太平洋艦隊主力ということになる。
だが、日露戦争時のバルチック艦隊と違い、ソ連の大艦隊はすでに極東に到着してしまっている。時間的猶予がないという点で、その脅威はかつてのバルチック艦隊の比ではない。
これをいかに撃滅するのかということが、今後の帝国海軍の大きな問題であった。