(8) チハル、独白する
私は異世界に来るまで薬剤師をしていました。
そう言うと、ヒロシさんは驚いた顔をして、ジンクムントさんは6年間も大学に通わなければならないことに驚きました。こっちの世界ではアカデミーに通えるのは基本的に貴族以上、しかも6年なんて学者候補だそうです。
正確に言うと異世界に来る半年前までは、が正しいです。
私は病院勤務の薬剤師でした。幼い頃から体が弱かった私は、いつしか病院で働きたいと考えるようになりました。
体に負担が少ない(正直に言うと、楽そうだと思えた)薬剤師を選んだのです。
しかし、楽そうだなんて甘い考えでした。
日本の病院は院外薬局が主で、病院で患者さんに窓口でお薬を渡す仕事は激減してます。そのため病院勤務の薬剤師の数は昔に比べ減っています。その割に夜間救急外来をしていると薬剤師は24時間病院に常駐しなければなりません。
勤務は看護師さんたちと同じく交替制になります。体の弱い私は生活のリズムが不規則になり薬剤師になって1年ちょっとでダウンしました。(肉体的にも精神的にも)
6年も大学に通って取った資格なのに悔しくてたまりませんでした。交替制で準夜勤に入ると深夜0時退勤もあるので勤務病院近くのマンションも両親が買ってくれました。
全てを無駄にした気持ちで最初は毎日泣いてました。
泣かずに過ごせる日が増えた頃、あの事件が起こりました。
あの日、突然マンションの外から激しい衝突音がしました。外を覗いたら自動車の衝突音でした。それが道路のあちこちで次から次へと起こっていました。
何が起きているのか分からないけど、恐怖で身体が震えて、涙が出て止まりませんでした。
どれくらい部屋の片隅で震えていたのか分かりませんが、突然その部屋の中で誰かから呼びかけられました。流石に飛び跳ねるくらい驚きました。
髪の長い、(女神を具現化したような)綺麗な女性がいきなり言います。
「この世界はまもなく消滅してしまいます」
「外を見ましたよね。運転手を失った自動車が次々衝突しています。人間が消えているのです。人間だけでなくやがてこの世界も全て消えます」
私は『この世界から消えてしまいたい』と毎日考えていました。消えるんなら私一人で十分なのに。自分はともかく優しい両親が消滅してしまうのが悲しかったです。
ヒロシさんと話をすり合わせると、突然現れた人物はヒロシさんには男性に見えたこと、並行世界の説明は私にはされなかったこと、そのままそこの世界に留まるという選択肢も与えられなかったこと。
あの時の私だったら、留まる選択肢を確実に選んでいたと思います。両親が消えて私だけが生き残りたくありません。
ヒロシさんから「並行世界から来たのか」と聞かれた時は、ここの世界と元いた世界が並行なのかと思ってしまいました。
私がいたのは分裂に失敗した方の並行世界で、両親は元々の世界で今も暮らしているのが分かって安心しました。
私の場合、この世界に転移することは既定だったようです。
送り先を一箇所に固定して全員を同じ場所に転送してしまうと送り先で問題が起きやすいので、普通なら全員違う場所に送るのだけれど、「あなたの場合、それで生きていくのは無理そうだ」と言われちゃいました。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をしてましたから。
「さっき送った男性と同じ場所に送ります」
「特例措置です」
「向こうで探して助けてもらいなさい」
それでいきなり強制転送されて、この世界に来ました。
最初は、「なんてことを!」を思いましたが、こうまで「心機一転」させられると、本当に人生をやり直せそうな気がします。不思議ですね。
向こうの世界では、まだ毎日のように泣いている自分が健在なのかと思うと、ちょっと複雑ですが…。
ヒロシさんも、ジンクムントさんもいい人です。