入れ替わり殺人劇の果てに
読者のみなさまへ
これは生き別れた双子の悲劇を書いたお話です。
『始まり』
人の姿が見えない、夜の無人島。もう真夜中だが、南の島はこの時間でも暑さを感じる。そんな中、男は一心不乱に作業を続けていた。上を見上げれば隙間から星が見えるが、男は目もくれなかった。
「ざくっ、ざくっ・・・」
穴を掘る音だけが響き渡る。しばらくするとようやくその音が止まった。
「どさっ」
別の音が一瞬だけ響いた後、男はたばこを吸った。
「ざっ、ざっ・・・」
一服した後、今度は穴を埋める音がし始めた。男は汗だくになりながら穴を埋めていった。
とうとう穴を埋め終わると、男は全身の力が抜けたように横たわった。そしてようやく星がきれいに輝いていることに気が付いたのだった。これでようやく秘めた才能を発揮できると暗い喜びをかみしめながら。
開幕
「さぁ、残りは女性一人になりました。みなさま、最後の投票をお願いします!」
司会者がそう声を上げ、インターネット投票が始める。
「どうやら投票結果が出たようです!最後の一人に選ばれたのは・・・、仲代ユカさんです!」
壇上にいたユカは、口に手を当てながら喜びを表していた。
「ありがとうございます!一緒に選ばれた人達とともに、五泊六日の無人島ツアーに参加してきます!」
こうしてユカを始めとする六人は、「宮来新島」で六日間をともに過ごすことになった。
第一章 宮古島へ
普段は無人島だが、ホテル並みの宿泊施設がある宮来新島で男女三名ずつが過ごすという、インターネットの番組企画で選ばれたユカ達。単に南の島を楽しくのんびり過ごすのか。限られた範囲、人数から恋が生まれるのか。もしくは人間関係がうまくいかずにぎすぎすした日々となるのか。六人が過ごした六日間を後にドキュメントとして放送することになっている。視聴者は恋物語を期待しているだろうが、カップルが生まれなくても、南の島ツアーの宣伝としての効果があるだろう。この番組への期待は高かった。
「海の色がきれい。緑や青色だわ」
離陸から二時間半ほどが過ぎ、宮古島上空まで来た飛行機。窓から景色をのぞいたユカは、海の色を見て感嘆の声を上げた。宮来新島に行くには宮古島から船で移動する必要がある。ユカは羽田空港から宮古島まで直行便でやってきた。一泊した後、番組参加者が揃って宮来新島に行くことになっている。番組の構成上、その時までは参加者同士の接触は禁じられているため、宮古島の空港ロビーで待っていた番組スタッフに迎えられ、宿泊するビジネスホテルへと案内された。スタッフとも最低限の時間しか一緒にいられなかった。
ホテルにチェックインすると、スタッフは明日の朝に迎えに来ると告げ、帰って行った。ユカがドアを開けると、テレビ、テーブル、ベッドが目に入る。だがシングルにしてはベッドは横幅が広いし、ユニットバスもかなり足を伸ばせるほど広かった。東京のビジネスホテルとは少しイメージが違うが、過ごしやすそうで安心した。そして窓から見える海を含めた景色がきれいだった。
スタッフからもらったおすすめの店一覧を見ていたが、特に行きたいと思う店はなかった。というよりも、明日からのことでユカは頭がいっぱいだった。この番組で好評を得られれば、あこがれだった女優への道が開けるかもしれない。かといってあざとい仕草や野心丸出しの行動は視聴者から嫌われるだろう。六日間を自然体で過ごせるのか、自然体でいいのか。ユカの悩みに答えは出なかった。それでもお腹は空いてきたので、ホテルのそばにあるコンビニまで足を運んだ。店内で焼いているパンをいくつかと、ペットボトルのミルクティーを買い、砂浜へ移動した。「パイナガマビーチ」と彫られた石碑の横を通り、砂浜へと続く階段に腰を下ろす。パンとミルクティーだけの食事だが、海と夕焼けが最高のごちそうになった。食べ終わってからも、ユカは立ち上がる気がしなかった。穏やかな波の音をいつまでも聞いていた。心が清らかに洗われていくようだった。一時間ほどたった頃、ユカは勢いよく立ち上がった。
「よし、明日からの六日間、あくまでも自分らしく過ごすぞ!」
悩みや邪念は浄化されたようだった。もう一度コンビニに寄り、オリオンビールを片手に部屋に戻った。お風呂上がりに一杯飲んだ後、ユカは心地よい眠りについた。
第二章 初顔合わせ
目覚めのシャワーを浴び、朝食をいただき、フロントでチェックアウトする。ちょうどその時に番組スタッフが迎えに来てくれた。ユカは後部座席に乗ったが、ここでも他の参加者はいなかった。どうやら港でようやく全員揃うらしい。ユカを乗せた車が港に着いたのはどうやら一番最後のようだった。
「ユカさん、おはようございます!よく眠れましたか?」
番組プロデューサーが愛想よく声をかけてくる。
「これで全員揃いました。島の宿泊施設の使い方や六日間の過ごし方のヒントなどは各自のタブレットにデータが入っていますので、後で見ておいてください。番組側から、あなた達にこうして欲しいとの指示はしません。やらせは一切ありません」
プロデューサーが全員を見渡し、いったん言葉を切った後、笑顔で続ける。
「あえて言うならば、六日間を楽しく過ごしてください。その楽しさが視聴者に伝わるだけでも、この番組は成功と思っていますので」
説明を受けている間にも、島で過ごすための荷物が運ばれてくる。それは食材であったり遊ぶための道具であったりと様々だ。
「宮来新島はスマホの圏外ですし、電話もありません。六日後に迎えの船が行くまでは、島から外部への連絡はできないようになっています。もちろん、台風など自然災害の危険性が出た場合にはすぐお迎えにあがりますので安心してください」
テレビもないとのことなので、本当に外部とは遮断された生活になるようだ。
「さて、それではみなさん、簡単に自己紹介をお願いします」
そう言われ、六人の背筋がいっそうぴんと立った。あたしが自ら一番手に名乗り上げた。
「仲代ユカと申します。スキューバダイビングが趣味なので、南の島での日々を楽しみにしてきました」
この程度の自己紹介でよいとのことだった。お互いを知る過程も、番組として使いたいからと。そのため、他の五人の紹介もごく簡単だった。
新城航:ダイビングインストラクター
上原時雄:タロットと料理が得意
渡辺登:登山が趣味
宮村歩美:ハイキングが好き
佐々木本子:読書家。特にミステリー小説
「あと、ハナちゃんがいますので一緒に連れて行ってください。おーい、誰かハナちゃんを連れてきて」
そう言われてやってきたのは茶色の柴犬だった。犬好きのあたしはハナちゃんに近づき頭をなで、ハナちゃんはあたしの手を舐め返してくれる。どうやら気に入ってもらえたようだ。
「では、そろそろ出航です。みなさん船に乗ってください」
船はダイビングショップのものを借りてきたらしい。定員30人のクルーザーで、人数が少ないからとても快適だ。各自の荷物や食材などを乗せてもまだまだゆとりがある。ハナちゃんはあたしの隣に座ってくれた。
「では、楽しい六日間を!」
番組スタッフの言葉とともにクルーザーのエンジンがかかる。船長を兼ねているプロデューサーの操縦でクルーザーはゆっくりと港を離れていく。次第にスピードが上がると青い海の上を滑るように移動していく。様々な期待を乗せて。
第三章 宮来新島に到着
島までは一時間ほどかかるため、あたし達六人は自然と集まって話し始めた。さっきはできなかった詳細な自己紹介、番組で選ばれた瞬間の喜び、昨日の宮古島での過ごし方など。みんなで楽しく話していると仲間はずれにされていると思ったのか、ハナちゃんが輪の真ん中に乱入してきて、その行動にみんな笑顔になった。この子はきっといいムードメーカーになってくれる、あたしはそう確信していた。
「みなさん、もうすぐ着きますよ!あれが宮来新島です!」
プロデューサーが前方を指差す。そこには青い海に囲まれ、小さいけれど緑が豊かな島が見えた。あの島での六日間、あたし達はどんな時間を過ごすのだろう。楽しい番組となるのだろうか。島から帰った後、あたしの夢は叶うのだろうか。色々な思いが心の中で交錯する。そんなあたしの心を見透かしたのか、ハナちゃんが顔を優しく舐めてくる。
「そうだね、自分らしく楽しまないとね」
昨日、パイナガマビーチで決心したことを思い出し、あたしは立ち上がった。南国の空気を思い切り吸い、元気をチャージする。
「ありがとう、ハナちゃん」
そう言って抱きかかえたが意外と重く、足下がふらつく。
「おっと、大丈夫?」
そう言って支えてくれたのは新城航さんだった。受け止め方がとても丁寧だった。彼はダイビングインストラクターを仕事にしているので、あたしと気が合うかもしれない。そんな予感がした。
「みなさん、港に入ります。そろそろ持って行く荷物の準備をお願いします」
自分たちの荷物を抱えながら、到着する港に視線を移す。新城航さんはダイビングインストラクターとしてこうしたことに慣れているのか、食材などが入った荷物なども船から降ろしやすい位置に持ってきていた。それを見ていた上原時雄さんと渡辺登さんも手伝う。
「わりと重いから、女性陣は運ばなくていいよ。代わりにハナちゃんが海に落ちたりしないか見ていてあげて」
気遣いのできるすてきな男性達のようで嬉しい。宮村歩美さんと佐々木本子さんもその言葉にかわいい笑顔で返す。いい人達が集まったようだ。
男性陣と船長が六日間の生活に必要な荷物を持ってくれ、あたしはハナちゃんのリードを引きながらこの島の宿泊施設「サンズコーラル」へと向かう。サンズコーラルは二階建てで横幅の方が長い、真っ白な建物だった。入り口付近には様々な植物が植えてあり、赤や黄色のハイビスカスがきれいに咲いていた。ただ、この島の人工物はこの建物以外にはないらしい。普段は無人島なのも納得だ。
「それではタブレットにも情報は入っていますが、簡単にこの島やサンズコーラルの施設についてお話しします」
船長の説明では、サンズコーラルの一階はみなで過ごすためのロビーに食堂、キッチン、ドリンクバー、図書室が備えられている。二階が各自の部屋で、全部で十二室。ベッド、トイレ、ユニットバス、テーブル、ベランダがあるが、テレビはないとのこと。部屋にこもるのではなく、六人でコミュニケーションを取って欲しいのだろう。番組としては当然だ。
「それでは私は宮古島に戻ります。最終日に迎えに来ますので、それまで楽しい六日間をお過ごしください!」
そう言って船長兼プロデューサーは帰っていった。みなで見送った後、サンズコーラルまで歩いたのだが、なかなか会話が弾まなかった。とうとうこの六人だけとなったからだろう。本来、初対面ばかりが六人もいれば仕方ないことだ。あたしは何か会話の糸口がないかと考えたがうまく思いつかなかった。どうしようと悩んでいると、いきなりハナちゃんが走り出した。少し先に海鳥を見つけたらしい。
「ちょ、待って待って!」
リードを繋いでいたあたしは引きずられるように急いで駆け出す。その慌てぶりがみんなの緊張を解きほぐしたのか、後ろから笑い声があがった。よかったと思いながらも、あたしは転ばないようにするのが精一杯だった。
第四章 島での一日目。昼過ぎ
一足先にサンズコーラルに着いたあたしは、ドリンクバーで冷たいさんぴん茶を飲んだ。渇いたのどを優しく潤してくれる。
「ユカさん、大丈夫ですか?」
他のみんなも戻ってきたようだ。それぞれ好きな飲み物を持ってロビーに集まる。ハナちゃんも専用の入れ物でお水をおいしそうに飲んでいた。
「えーと、いきなりだけど、これからみんな下の名前で呼び合わない?番組的にもいいと思うだけど」
一番年上っぽい新城航さんがそう提案した。特に拒否する理由もないし、番組的にと言われると確かにそうだ。
「じゃあ決まり。これから六日間、改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「いい滞在にしましょうね」
みんなが前向きに言葉を発する。
「お昼を食べるには中途半端な時間になってしまったので、夕方にビーチでバーベキューしませんか?親睦を深める意味も込めて」
再び新城・・・、航さんが提案する。
「わんっ!」
最初に返答したのがハナちゃんだったので、またみんなが笑顔になる。結局、各自が部屋で荷物の整理などをし、一時間後にロビーに集合することになった。ハナちゃんはあたしの部屋に一緒にやってきた。服をクローゼットに掛け、化粧品を洗面台に並べる。用意されたタオルの枚数や歯磨き粉の量、電気のスイッチの位置などを確認する。そしてハナちゃんを撫でていると、あっという間に一時間がたっていた。慌ててロビーに降りていく。
「あたし、荷物を整理した後に建物の中をあちこち歩いたんですけど・・・」
本子さんが口を開く。
「なんだかミステリー小説にありそうな舞台ですよね」
「どういうことですか?」
歩美さんが不思議そうに聞く。
「離れた島に外部との連絡手段はなし。建物はこの宿泊施設だけ。『そして誰もいなくなった』や『十角館の殺人』に似たシチュエーションだなと思って・・・。あ、ごめんなさい、あたしミステリー小説が好きなのでついテンションが上がっちゃって」
少し照れて本子さんが言う。
「まぁ小説の世界とは違うからね、そんなことは起こらないよ。そうだ、よかったらこれからの六日間のことを僕が占ってあげるよ」
時雄さんはそう言ってタロットカードを取り出した。
「僕はタロットと料理が趣味でね。女子っぽいってからかわれることがあるんだ」
でも時雄さんは楽しそうに笑う。慣れた手つきでカードがシャッフルされ、カードが一つの山へと収まっていく。
「簡単な一枚での占いにするね」
そう言って引いたカードをみんなに見せる。
「出たカードは『恋人』だね。このカードが意味することは『誰とでも親しくなれる』『協調心を大切にすると交友関係がさらに広まる』だね。今の僕たちにぴったりと思わない?」
いいカードが出て喜ぶあたしたち女性三人。航さんと登さんはあまり占いには興味なさそうだったけど、それでもいいカードが出たことに安心したようだ。ただ、時雄さんが何か小さな声でつぶやいた。あたし達には聞こえなかったが。
「正位置なら今言ったとおりだけど、実は逆位置だった。それが意味するのは『選択に失敗して大事なものを失う』『非協力的な態度で仲間の反感を買う』・・・。黙っていよう」
第五章 島での一日目。夕方
少し日が落ちてきた。あたし達はバーベキューに必要な道具や食材、お酒を持ってビーチへと歩く。ハナちゃん用のドッグフードも。
ビーチにあるベンチに荷物を置き、炭に火を入れる。煙が上がり始めた頃に網の上に肉や野菜をのせていく。
「それでは、これからの日々をめいっぱい楽しみましょう!乾杯!」
そのかけ声とともに、あたし達はオリオンビールを高く掲げ、缶を軽くぶつけ合い一気に飲み干す。南の島で飲むオリオンビールはとてもおいしい。早くも二本目を飲み始める人もいれば、お肉に箸をのばす人もいる。ハナちゃんはあたしの足下で催促に忙しい。
「明日から本格的にこの島で過ごすことになりますが、みなさん何をします?」
すっかりリーダー役になっている航さんが問いかける。
「あの、航さんはダイビングインストラクターですよね。よかったら一緒に潜りませんか?」
「いいですね。ここは初めてですが水深も浅そうで危険はないでしょうし。よかったら他の皆さんもどうですか?」
「いや、僕は海より山派なので。たいした距離ではなさそうなので、島のてっぺんまで歩いてみようかと」
登山が趣味というだけあって、登さんもやりたいことが決まっていた。
「じゃああたしもご一緒していいですか?ハイキングレベルで行けそうですし」
「そうですね、てっぺんまでの歩きを楽しみましょう」
歩美さんは登さんと一緒に行動することになった。
「それなら僕がお弁当を作ってあげますよ、二人分」
料理が趣味という時雄さんがそう提案する。
「本当ですか?」
「ありがとうございます!」
登さんも歩美さんも嬉しそうだ。
「本子さんの分も作りましょうか?」
「あたしは、海を眺めながら木陰で本を読むつもりなので、ご飯のことは考えてなかったです」
「僕たち、午前と午後に一本ずつ潜るつもりなんです。なのでその合間に残った四人で一緒にお昼ご飯にしませんか?明日もこの場所で。登さん、合計六人分だと大変ですか?」
「大丈夫ですよ、料理するの好きだし、四人も六人も変わらないから」
時雄さんは笑顔で応えてくれた。
「じゃああたしも木陰で読書の前にお手伝いします。この際、時雄さんから料理を教えてもらっちゃいます」
本子さんも楽しく過ごせそうだ。
「ユカさんが潜っている間はあたしたちがハナちゃんと遊んでますよ。それでいい?」
「わんっ」
ハナちゃんが大きくしっぽを振りながら応えた。これで明日のみんなの予定が決まった。ひょっとしたらこのまま三組のカップルが誕生するかも、なんてあたしは淡い期待を持った。
バーベキューは一時間ほどで終わった。みんな移動の疲れや初対面の緊張感があったのだろう、酔いが回るのも早かった。元気なのはハナちゃんだけだった。
「まだ早いですが、片付けをしてサンズコーラルに戻りましょう。明日に備えてゆっくり休んだ方がよさそうです」
航さんの言葉に反対する人はいなかった。このきれいなビーチを汚したくない。みんな寄っていてもしっかりとゴミを拾いきれいに片付けた。
「きゃっ!」
突然驚いた声を上げたのは歩美さんだった。
「どうしたんですか?」
「何かを倒しちゃったみたいで・・・」
歩美さんの足下に大きめの石がいくつか転がっている。どうやら縦に積んであったようだ。
「宮古島とか八重山諸島は今でも巨石信仰があるから、この島でも同じような意味で石を積んでいたのかな?」
タロットだけでなく他の占いにも詳しい時雄さんがそう推理する。
「大丈夫だよ、元通りにしておこう」
「はい・・・。何もないといいけど」
歩美さんが不安そうにつぶやいた。そしてその不安は翌日に・・・。
第六章 島での二日目。午前
鳥の声と波の音で目が覚めた。都会では味わえない、心地よい寝起きだ。そして一階からいい匂いが流れてくる。時雄さん達がもうご飯を作ってくれているようだ。せめて朝食の用意を手伝おうと、あたしは身支度を済ませ、急いでキッチンへ向かう。
「おはようございます!」
「あ、おはよう。もうすぐ朝ご飯ができるよ」
「すみません、時雄さん一人にやってもらっちゃって」
「大丈夫、楽しんでるよ。それに本子さんも手伝ってくれてるし」
本子さんは食堂で六人分の食器を並べていた。
「おはようございます。あたしが人間用のご飯を用意しますので、ユカさんはハナちゃんのご飯をお願いします」
「うん、ありがとう」
ドッグフードの袋を持ってくると、ハナちゃんはあたしのそばをぐるぐる回って喜びを表す。かわいい仕草だった。
「いただきまーす!」
六人が食堂に揃い、朝食の時間となった。テレビも新聞もないので、六人の会話が一番の楽しみだ。
「時雄さん、おいしいです!」
「これどうやって作ったんですか?」
「これだとお弁当も期待しちゃうなぁ」
この時間の主役は時雄さんだった。おいしいと言ってもらえるのが嬉しいのだろう、時雄さんはずっと笑顔だった。
「じゃあいってきます!」
登さんと歩美さんはリュックを背負い、島のてっぺんへと続く道を歩いて行った。時雄さん特製のお弁当を持って。
「僕たちはゆっくりめに潜る準備をして、海に向かおうか」
「はい、ガイドお願いします」
あたし達は水着に着替え、ダイビング用のウェットスーツを着てロビーで待ち合わせた。大きなカートにダイビング器材やタンクを載せて海へ向かう。
「じゃあ一時間ぐらいしたらお昼ご飯をもって僕たちもビーチに行くから」
「いってらっしゃい。ハナちゃんはあたしと一緒にいようね」
「わん」
時雄さんと本子さん、ハナちゃんが見送ってくれた。
ビーチでBCジャケットを着てタンクを背負う。ビーチから海に入り、少ししたところでフィンを履き水中マスクを顔に着け、レギュレーターを咥える。航さんの後に続いて海に潜っていく。白い砂浜が続いていたが、しばらく泳ぐとたくさんのサンゴが現れた。そこには青や黄色、オレンジなどカラフルな魚たちがたくさん泳いでいた。南国ダイビングの醍醐味だ。カメラを持ってくればよかったが、代わりにしっかり目に焼き付けることにした。航さんは初めてのポイントにもかかわらず、色々な魚を見つけ、あたしに教えてくれた。ウミウシや小さなエビ、カニも教えてくれた。水深が5mほどと浅いのでタンクの空気がなかなか減らなかったので、一時間以上潜っていた。あたしにとっての新記録だった。それでもまったく飽きることがなかった。午後も明日も、潜るのが楽しみだ。
ビーチに戻ってくると、時雄さんがベンチに座っていた。少し離れた木陰では本子さんが本を読んでいた。あがってきたあたし達に気付くと、ハナちゃんが駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、楽しかったですか?」
本子さんが本を閉じてベンチの方へ歩いてきた。
「えぇ、とっても本子さんにも見せてあげたいです」
「でもあたしダイビングはできないので」
「シュノーケリングならどうですか?時雄さんも一緒に明日の午前とか」
航さんがそう提案する。
「いいですね、航さんがいるなら安心だし。じゃあお願いしようかな」
「わんわんっ」
「あ、ごめんごめん。ハナちゃんも一緒に海で遊ぼうね」
時雄さんが用意してくれたお昼ご飯を食べながら、ダイビングの様子や明日のシュノーケリングの話で盛り上がった。
「登さんと歩美さんも楽しんでるかな?」
残念ながらそうではなかったことが分かるのは、夕方のことだった。
第七章 島での二日目。夕方から夜
午後もダイビングをのんびり楽しんだあたし達。潜っている間もベンチでお茶を飲んでいた時雄さん、本子さん、それにハナちゃんと一緒にサンズコーラルに戻る。「僕たちは夕食の準備をするけど、二人は休んでいていいよ」
泳いだ後は確かに眠くなる。今なら心地よくベッドに沈みそうだ。
「ご飯ができたらちゃんと呼びに行くから安心していいですよ」
本子さんがいたずらっぽく笑う。あたしはお言葉に甘えさせてもらうことにした。シャワーを浴び、ドリンクバーから持ってきたオレンジジュースを飲み干す。ハナちゃんと一緒にベッドに横たわり、頭を撫でているうちにいつの間にか眠っていた。
「あたしに構わないでよ!」
下の階からの声で、あたしは目が覚めた。ハナちゃんも頭を上げる。あたしは急いで着替えてロビーに行く。
「これ以上あたしに構わないで!放っておいて!」
そうヒステリックに叫んでいたのは歩美さんだった。すごい勢いで階段を上がってきたので、あやうくあたしとぶつかりそうになった。そしてドアを乱暴に閉め、それきり出てこなかった。
「どうしたんですか?」
ロビーにいる四人にそう尋ねてみた。
「いや、わけが分からない」
「ご飯も食べずに・・・」
航さんと時雄さんが困惑している。
「登さん、ハイキングで何かあったんですか?」
本子さんの質問はもっともだ。今日二人はずっと一緒にいたのだから。
「僕も何がなんだか。島のてっぺんでお昼ご飯を食べ楽しく過ごしてきたんだ。途中、手をつないで歩くほどに」
いつの間にか二人はそこまで仲良くなったらしい。でも、それならなぜ。
「帰り道に景色のいい沢を見つけたのでそこで休憩したんだ。お菓子を食べてお茶を飲んで、楽しい時間だった。けれど、シャツを着替えたいと言って歩美さんは森の中へ入っていき、僕は沢で待っていた」
登さんはその時の様子を頭に浮かべながらあたし達に説明する。
「着替えるだけにしてはずいぶん時間がかかっていたので心配になった。探しに行こうと僕も森に入ろうとした時、ちょうど歩美さんが帰ってきたんだ。でも、その時からずっと不機嫌で全然おしゃべりできなかった。ただ無言で歩いて帰ってきた。とても悲しい時間だった。そしてさっきの叫び声・・・」
森の中で歩美さんに何かあったのだろう。でもそれが何かは誰にも分からなかった。
「初対面だけど、歩美さんはあんな人じゃないと思うな」
本子さんがかばうように言う。
「そうだなぁ、僕もそう思うよ」
タロットカードを手にしながら時雄さんが言う。それでも何か思うところがあるのか、占うことはしなかった。あたしもただ一時的に機嫌が悪いだけと思いたい。それでもなぜか言葉が口をついていた。
「あの人、変わったよね」
第八章 島での三日目。午前
「昨日はごめんなさい」
朝食の時間に食堂へやってきた歩美さんが開口一番にそう言った。
「森の中ですごく変な感じがしちゃって・・・。でも一晩寝たらすっきりしたし、あたしが一人で勘違いしたみたい。登さん、ごめんなさい。みんなもごめんね」
「いいよ、僕は気にしないよ」
登さんがそう答えた。他のみんなも同じ意見だ。
「ありがとう、みんな。登さん、仲直りにもう一度あの沢に行かない?」
「そうだね。今日は楽しい沢での思い出を作ろう」
朝食後、時雄さんが夕べの残りで悪いけどと、二人に今日もお弁当を持たせてあげていた。二人は手をつないで沢へと歩いて行った。
「さて、僕たちも海へ行こうか。今日は四人でシュノーケリングをしましょう」
航さんがあたし達をガイドしてくれる。ハナちゃんも大きくしっぽを振っている。一緒に行くつもりらしい。
「じゃあゆっくりと海に入っていきましょう。水深が浅くてもおぼれることはありますので、くれぐれも油断しないように」
航さんのアドバイスを聞きながら全員がフィンを履く。海に縁のない時雄さんと本子さんは特に慎重に行動している。が、その横をハナちゃんが突っ切っていった。浜辺から海に飛び込み、そのまま犬かきで泳いでいく。ほほえましい光景だ。あたし達も海に顔をつけ、泳ぎ始める。透明度がよく、浅いところにもカラフルな魚がたくさんいるのでシュノーケリングもとても楽しい。たまにはタンクを背負わずに海に入るのもいいなと思った。ハナちゃんと並んで泳げるのも楽しかった。どちらかというとインドア派の時雄さんと本子さんも、この海でのシュノーケリングを満喫できたようだ。
「いつかダイビングもしてみようかな」
「体験ダイビングというのもあるので、そこから始めるといいかもね。よかったら僕のお店へどうぞ」
航さんは笑いながら本子さんに営業トークをしていた。
「僕は防水のカメラで海の中を撮ってみたいな。防水ケースとスマホでもきれいに撮れるかな?」
時雄さんも新しい楽しみ方を見つけたようだ。ダイビングをしている者としては、海で過ごす時間を楽しんでくれるのが嬉しい。航さんも同じ思いのようだ。
一度砂浜に戻りフィンを脱ぐ。砂でお城を作ってみたり水をかけ合ったりと、子供のように遊んだ。ハナちゃんはいくつも穴を掘って楽しんでいた。
「そろそろお昼だし、戻ってご飯にしない?一晩寝かせたカレーを用意してあるよ」
時雄さんの提案に乗り、あたし達はサンズコーラルに戻った。軽くシャワーを浴びて食堂に行くと、カレーのいい匂いが漂っていた。とても食欲がそそられる。空腹とおいしさでついおかわりしてしまった。午後はダイビングをするのに動けるか心配になった。航さんの提案で、一時間ほど昼寝をしてから潜りに行くことになった。ダイビングやシュノーケリングは自覚がなくても意外と疲れるものだから、休憩はしっかり取るべきと教えてもらったので。
第九章 島での三日目。午後
「じゃああたし達は潜ってきますね」
「いってらっしゃい。僕と本子さんはかき氷を食べてます。マンゴーやパイナップルをのせたトロピカル風で」
「あ、いいなー」
「夕食時にはみんなで食べましょう」
かき氷に少し後ろ髪を引かれながら、あたしと航さんは再び海へと出かけた。ハナちゃんは午前の水遊びで疲れたのか、お昼寝中だった。
「昨日から数えて三本目。少し沖の方まで泳いでみようか?」
航さんの提案に従い、かなり大きな岩が顔を出しているあたりまで泳いでみる。あたしに合わせてゆっくり泳いでくれるのでそれほど疲れずに到着した。岩の根元はかなり深くなっていて、昨日まで見たのとは違う魚がたくさんいておもしろかった。あたしも時雄さんが言っていたみたいに水中写真を始めたくなった。岩に沿って泳いでいると、大きな横穴を見つけた。人が余裕では入れる大きさだ。どこまで穴が続いているのか、ここからでは分からなかった。あたしは興味を持ったが航さんに止められた。
「魅力的な横穴だったけど何がいるか分からないし、急に暗くなるかもしれないからね」
砂浜に戻ってきた時、航さんが行った。罠が口を開けて待っているように思えたのだろうか。ダイビングインストラクターなのだから慎重になるのは当然。でもおもしろそうな穴だった。入る機会があるといいのだけどとあたしは思った。航さんに言ったら怒られそうだけど。
「ただいま」
「おかえりなさい、航さんにユカさん」
本子さんが笑顔で迎えてくれる。ハナちゃんはおやつにもらったマンゴーを食べている最中で、あたし達を出迎えるか食べ続けるかで迷っていた。
「二人とも完熟マンゴーをどうぞ。冷えていておいしいよ」
時雄さんが差し出してくれる。本当にまめな人だ。
「甘い!冷たい!」
航さんが笑顔で言う。かわいい笑顔だなぁ。ガイドの時はしっかりしてかっこいいのに。あれ?あたし、航さんをそういう目で見始めている?あたしの顔は日焼け以外の理由も加わって赤くなっていた。
ロビーでお茶を飲んでいると、乱暴に玄関の扉が開かれた。そこには沢から帰ってきたのであろう登さんと歩美さんが立っていた。
「あ、おかえりなさい」
あたしは二人に声をかけたが様子が変だった。
「すぐご飯にしますか?」
時雄さんが尋ねたがまるで返事をしない。航さんと本子さんが不審そうな目で二人を見る。登さんと歩美さんはひと言を発せず、別々に二階へと歩いて行った。そしてそれぞれが乱暴にドアを閉めた。大きな音が二度も響き、そのたびにハナちゃんが驚いていた。
「どうしたんだ、あの二人。また喧嘩でもしたのか?」
「何があったのか分からないけど、いやな雰囲気・・・」
そう言って不安そうに縮こまる本子さんの肩を、時雄さんが優しく抱きとめる。本子さんも少しだけ気を取り直した表情を浮かべた。この二人、いつの間にかいい感じになってるのねと、こんな時でもあたしは考えてしまった。
「どうしよう。今日の夕食は四人だけで食べようか」
「そうだね。僕と本子さんで用意するよ。航さんとユカさん、今は二階には行きにくいだろうから、ロビーにいてくれるかな」
時雄さんと本子さんはキッチンへと向かった。ロビーはあたしと航さんだけになった。こんな状況でも二人きりでいられるのが嬉しいと思うようになった。あたしはやっぱり航さんが好きなんだろうか。
「くうん」
ハナちゃんが寂しそうな声を上げる。あ、ハナちゃんもいたのに忘れてた、ごめんね。
「もう一度、タロットで占ってみよう」
食後のティータイムに時雄さんがそう言ってカードを取り出した。
「今回も一枚で占うよ・・・」
そう言って引いたカードは『塔』だった。
「どういう意味ですか?」
「『塔』の正位置。その意味は、『友人・知人との対立』『本当の友人か確認すること』『友情は崩壊寸前』・・・」
何ともいやな占い結果だが、的を射ている気がしてならない。
「沢で何かあったのかな?明日みんなで見に行ってみないか」
「そうですね」
航さんが提案したが、あたしと本子さんは不安そうな返事しかできなかった。
「何かあっても僕たちが守るから」
時雄さんが心強いことを言ってくれる。航さんもあたしにほほえんでくれた。あたし達四人は、明日の午前に沢に行くことになった。
「昨日は歩美さんが変だったけど、今日は登さんまで。何があったんだろう・・・」
本子さんのつぶやきにあたしは言葉を続けた。
「あの人も、変わったよね」
第十章 島での四日目。午前
翌朝になっても、登さんと歩美さんは部屋から出てこなかった。代わりに壁をたたく音が時々聞こえる。憎しみがこもった叩き方だ。
「朝食を終えたら沢に行きましょう」
あたしはこの場から逃げ出したくなってそう言った。みんなも無言でうなずいた。こんな時でもおいしいご飯を食べられるのはありがたい。時雄さんに本当に感謝だ。もちろんお手伝いしてくれる本子さんにも。
あたしと航さん、時雄さんと本子さんが隣同士となって沢へと歩いて行く。ハナちゃんもあたしのすぐ横を歩いている。
「いい天気。鳥の声も心地いい」
舗装されていない細い道だが、緑豊かで気持ちのいい空気に包まれている。ハイキング好きでなくても楽しめるコースだ。ハナちゃんの足取りも軽い。楽しいお散歩になっているだろう。なのに登さんと歩美さんは沢に行ってから何かおかしくなってしまった。やはり何かがあるのだろうか、その沢には。
三十分ほど歩いていると水の音が聞こえ始めた。沢が近い。あたし達四人に緊張が走る。
「何もないよね。むしろ水と木陰があって気持ちよく過ごせそう」
到着後に沢を見渡した本子さんが言う。あたしも賛成だ。ハイキングの途中でお茶をする休憩場所にぴったりと思う。
「だけど、『歩美さんが森の中から戻ってから変になった』と登さんは言ってた。そっちも見てみよう」
「僕たちから離れないで」
航さんと時雄さんがそう言い、あたし達はひとかたまりとなって森へと入っていく。木が生い茂っているので多少暗くなるがそれ以外に目立った特徴はなく、こちらも心地よい空間だ。
「あっ!」
あたしは思わず声を上げたのでみんながこちらを向く。
「どうしたの?何か見つけた?」
航さんが心配そうにこちらを向く。
「ううん、大丈夫。ただ木の枝が服に引っかかったはずみでブローチが落ちちゃって・・・」
胸につけていたシルバーのネコ型ブローチが外れてしまったのだが、見つからなかった。みんなも探してくれたけれどブローチはどこかへ行ってしまった。
「大丈夫です、高価なものでもないし諦めます。それよりお腹空きませんか?」
あたしは雰囲気を変えるために昼食の提案をした。
「じゃあ沢の近くにシートを敷いてお昼ご飯にしょうか」
「今日も時雄さんの手料理、嬉しいです」
本子さんがそう言ったが、それはあたし達も同じだった。
「穏やかな天気と自然。水の音。無邪気にはしゃぐハナちゃん。おいしいご飯。言うことなしだね」
「毎回ありがとう、時雄さん」
航さんとあたしの言葉の後に時雄さんが続ける。
「どういたしまして。みんながおいしそうにしてくれるから僕も嬉しいよ。ただ、できれば六人揃ってここに来たかったね」
「そうですね・・・」
本子さんの返事がとても乾いた雰囲気に響く。あたし達はもはや番組のことを忘れ、純粋にみんなで楽しい時間を共有したがっていた。それは叶わぬこととなってしまったが。
第十一章 島での四日目。午後
「あたしは気持ちがいいのでこの木陰で読書していきます」
「じゃあ僕もそうしようかな」
本子さんと時雄さんは沢に残り、あたしと航さん、そしてハナちゃんはダイビングをするためにサンズコーラルに戻った。
相変わらず登さんと歩美さんは部屋から出てきていなかった。あたし達はできるだけ静かにダイビングの用意をし、ビーチへと向かった。あの沢と同じく、宮来新島の海は、今日もあたし達をきれいな景色とたくさんの生き物で迎えてくれた。今回も長時間のダイビングを終えて戻ってくると、とたんに空が暗くなった。そして土砂降りの大雨になった。
「南国のスコールってやつですか?」
「そうみたいだね。ダイビングでどうせ濡れているけど、体が冷えるといけないから急いで戻ろう」
あたし達は早足でサンズコーラルへ向かう。ダイビング器材があるので走るのは危ない。ハナちゃんも毛がびしょ濡れになり、時々体を震わせて水を飛ばしている。読書をすると言ってた本子さんと時雄さんは大丈夫だろうか。
「とりあえず体を拭こう」
差し出されたタオルで全身を拭く。少しでも水気を減らしてからサンズコーラルに入りたい。ハナちゃんも拭いてあげるのだが、遊びと勘違いしているのかタオルを引っ張ろうとする。おかげで雨に降られた気分が少し和らぐ。
「あんたの占いなんて当たらないのね!」
「お前がもう少しここにいたいとか言ったせいだろうが!」
扉を開けて中に入るなり、二人の怒鳴り声が聞こえた。本子さんと時雄さんだ。二人ともやはりびしょ濡れで、そのことで罵り合っているようだ。
「俺の占いを馬鹿にするのは許さないぞ!」
「ふん、どうするのよインチキ占い師!」
ぱん、と乾いた音が響く。時雄さんが本子さんのほおを張ったのだ。
「女に暴力を振るうなんて最低ね!脳みそ腐ってるんじゃないの!」
「なんだと!」
強気に言い返す本子さんをさらに叩こうとしている時雄さんの間に、航さんが飛び込む。
「どうしたんだ二人とも!やめろよ!」
何とかして二人を引き離す。
「大きなお世話だ、これは俺とあいつの問題だ!」
「そうよ、航とユカには関係ないわ!」
二人の言い争いは終わらない。そしてあたし達を呼び捨てするほど、興奮しているようだ。あたしが本子さんを、航さんが時雄さんを捕まえて二人を近づけさせないようにする。
「もう部屋に戻る、離せ!」
「ずっと部屋から出てこないでよ!」
二人は悪態をついたままそれぞれの部屋に入った。ドアが壊れそうな勢いで閉められ、ハナちゃんが怯えた表情を見せる。
誰も部屋から出てくることはなく、時々激しく壁を叩く音だけが聞こえる。夕食はあたしと航さんだけで食べた。時雄さんが作ってくれた残りや、冷凍食品、レトルトと色々あったので食べるのに苦労はなかった。ただ、何を食べてもおいしいと感じなかった。ハナちゃんもいつもより食べるスピードが遅いように感じる。
「あの二人まで・・・。何があったんだろうか・・・」
あたし達はワインを飲んでいた。ついアルコールに逃げてしまった。酔いの回った頭であたしはつぶやいた。
「あの人達も、変わったよね」
第十二章 島での五日目。午前
「おはよう」
「おはようございます」
朝の食堂にはあたしと航さんしか来なかった。相変わらず壁を叩く音だけが、四つの部屋から響く。ハナちゃんも心なしか元気がないように見える。どうしてこうなってしまったのか。この島にいられるのは今日と明日だけなのに、このまま険悪な雰囲気のまま終わってしまうのだろうか。
「チーン」
パンの焼ける音がした。お皿にのせて、テーブルにある牛乳とサラダの間に二人分を置く。
「これは?」
航さんがあたしが差し出したパンを見て言う。
「食パンにハムととろけるチーズをのせて、マヨネーズとケチャップをかけたものです。『ミストケンチ』と言って、ブラジルではポピュラーな軽食みたいですよ」
「へー、ユカさん、そんなの知ってるんだ」
「たまたまネットの記事で見かけて、作ってみたら簡単でおいしかったので。航さんのお口に合うかどうか」
「いただきます。ん、おいしいよ。ユカさんが僕のために作ってくれたなんて嬉しいな」
嬉しくて照れくさくて、顔が赤くなる。それをごまかすように、
「ハナちゃんも今日は特別に牛乳をあげるね」
と言って容器に牛乳を注ぐ。嬉しそうに飲むハナちゃんを見て二人でほほえむ。
「ユカさん、明日は時間的に無理だと思うから、今から潜りに行かない?」
「え?」
「他の四人はあんなだけど、せめて僕たち二人は楽しく過ごしたいんだ」
「そうですね、行きましょうか」
確かに他のみんなが気になるけど、あたし自身が楽しむことも考えないと。航さんから誘ってくれたのは嬉しかった。
壁を叩く音がしないうちに用意を済ませ、サンズコーラルを出ることができた。木陰におやつと水を置き、ハナちゃんにはそこで待っててもらうことにした。
「じゃあ今日がダイビング最終日になります。しっかり楽しみましょう」
航さんがガイドの口調であたしに話しかける。
「はい、よろしくお願いします」
あたしも同じ調子で返事をする。航さんに手を引かれて海に入っていく。サンズコーラルは険悪な雰囲気に包まれていても、海は今日も穏やかできれいだった。あんなことがあったからか、いつも以上に人の声がしない海の中が気持ちよく感じる。海面に見える太陽も、あたし達を守ってくれているように思うのはうぬぼれだろうか。航さんにガイドされ、この間見つけた横穴に少しだけ入ってきた。今日は水中ライトを持ってきていたので、穴のあちこちを照らしてみる。壁のへこみにエビやカニがいた。すぐに逃げちゃうカニがいれば、ライトの光に集まってくるエビもいて、魚の観察とはまた違う楽しみを味わえた。今までのダイビングではタンクの空気がかなり残っていたので、今日はかなり長い時間を潜ってみた。その分楽しい時間が長かったけど、ビーチに戻ってくると多少疲れを感じた。木陰に移動し、ハナちゃんの横で一緒に座る。
「ちょっと長すぎたかな?大丈夫?」
「大丈夫です、少し休めば。それより楽しかったです」
「よかった、そう言ってもらえて」
一緒に木陰でしばらく休んでいたが、航さんが立ち上がりこう言った。
「やっぱりあの沢には何かあるんじゃないかな。僕はもう一度あそこを見てくる。一人でサンズコーラルに戻るのは危ないから、ユカさんはここで休んでいて」
「え、でも・・・。なんだか不安。一人で行って大丈夫?」
「何かあったら逃げてくるし、すぐに戻ってくるよ。ハナちゃん、ユカさんをよろしくね」
「わんっ!」
ハナちゃんが元気に返事をする。あたしは沢に向かう航さんの後ろ姿を見送った。これが後悔につながるとは思わずに。
第十三章 島での五日目。午後
「ん・・・」
気が付くと木陰で二時間近くも寝ていたらしい。目を覚ましたあたしの手をハナちゃんが優しく舐める。
「航さんは?」
ハナちゃんは首をかしげるような仕草をした。
「まだ戻ってないんだ・・・。大丈夫かな」
心配だったがここで待っていてと言われたので、あたしまで沢に行くのはやめた方がいいだろう。とりあえず空腹を満たすために、クーラーボックスからパンとお茶とフルーツを取りだす。ハナちゃんにはスイカをあげた。軽い食事の後、ハナちゃんと一緒にビーチを散歩し、一緒に海に入ったりもした。それでも航さんは戻ってこなかった。いつ戻ってくるのか、いつまで待てば考えてるうちに、空が暗くなり始めた。夕暮れではなく、昨日のような大降りのにわか雨になりそうだ。
「ハナちゃん、サンズコーラルに戻るよ!」
雨が降ってくる前に木陰から離れた。航さんから待っていてと言われたけど、これでは仕方ない。あたしとハナちゃんはサンズコーラルまで走った。おかげで雨が降る一歩前に扉の前に到着できた。ただ、午前の険悪な雰囲気を思うと、一人で扉を開けて中に入るのは怖かった。扉にそっと耳を押し当てると声が聞こえた。
「あははは」
「ふふっ、おかしい」
「そうかな?」
「いいじゃないの」
四人の声が聞こえる。しかも笑い声だ。仲直りしてロビーでおしゃべりしているんだ。そう思ったあたしは喜んで扉を開け、ロビーに目をやった。
「誰だ?」
「なんだユカか」
冷たくそう言われた。しかも四人は下着姿で互いの体をまさぐっていた。今朝までの険悪な雰囲気と、今の卑猥な状況と。あたしは混乱したまま立ち尽くしていた。
「やれやれ、雨に降られちゃったぜ」
そう言って航さんが戻ってきた。天の助けと航さんの方を見たが、彼の視線はあたしではなく四人の方へ向いていた。
「おい何だよ、俺も混ぜろよ」
航さんの言葉が信じられなかった。だが彼は上半身裸になり、他の四人の中へ飛び込んでいった。
「何そこでぼうっと見てるんだ?」
「お前も混ざりたいのか?」
「だめよ、ユカなんか入れちゃあ」
「そうよ、ユカは仲間はずれ」
「そういうことだ、どこかへ行きな」
口々にそう言われあたしはパニックになり、後ずさった。ハナちゃんだけはあたしと一緒にいてくれようとした。
「おっと、ハナもここにいな」
そう言ってリードを固定してしまい、ハナちゃんは部屋から出られなくなってしまった。ハナちゃんは抵抗したが、それもむなしく繋がれてしまった。
「ほら、ユカは一人でどこかへ行きな!」
その言葉にはじかれ、あたしはサンズコーラルから出て行った。雨はやんで太陽が顔を出していた。ハナちゃんもいないあたしには海だけが頼りだった。いつものビーチへと走り出していた。
第十四章 島での五日目。夕刻
息を切らし、ビーチ着く。あたしは両膝から砂浜に崩れ落ちた。こんな時にいつもそばにいてくれたハナちゃんまでも、彼らに拘束されてしまった。あたしはひとりぼっちになってしまったのだ。
「あの人達、みんな変わってしまった」
海に向かってつぶやく。もうあたしには海しかないと思った。本来、ダイビングは一人でしてはいけないのだが、そんなことを考える余裕はなかった。それに一緒に潜る人は誰もいなかった。海だけが今のあたしを癒やしてくれる世界。あたしは急いで潜る準備を整え、いつもと違い、走って海の中へと移動した。エントリーしてすぐに魚やサンゴが目に入る。
「よかった、海はいつもどおりにあたしを迎えてくれた」
思わず目から涙が溢れる。ぬぐおうとしたが、その指は水中マスクに阻まれた。自分の行動がおかしくて海の中で声にならない笑い声を上げた。少しだけ気分がよくなり、あたしは海の中を自由に舞った。そんなことをしているうちに、何か大きな動くものを見つけた。
「え?あれってまさか?こんな浅いところに?でも・・・」
目を疑ったが、あたしが見つけたのはアオウミガメだった。こんな浅い砂地にいるとは思わなかった。ふらっと寄ってみただけなのだろうか、すぐに反転して岩のある方へと泳ぎ出す。あたしは何となく後を追ってみた。陸上での動きと違い、ウミガメが本気で泳いだらかなりのスピードが出る。人間が追いつくのは至難の業だ。でもこのアオウミガメはのんびり泳いでくれたので、一緒に海中散歩をしているようだった。
「だいぶ沖の方へ来ちゃったかな」
あたしが不安に思った頃、アオウミガメは横穴に入っていった。あれは午前中に少しだけ中に入ってエビやカニを見た穴だ。航さんと一緒にあそこに入ったのが遠い昔のようだ。午前と違い、あたしは穴の奥の方へと進んでいく。途中からだんだんと薄暗くなり、ウミガメの姿も見えなくなってしまった。それでも水中ライトの光を頼りに泳ぎ続ける。しばらくすると、前方に青い光が見えた。どこからか光が入っているのだろうか。あたしはそこに向かっていった。そこは上から光が注いでいる場所だった。光のシャワーを浴びているような感覚だ。できることなら航さんと一緒にこの光の景色を見たかった。もう叶うことはないだろうけど。
光のシャワーに沿って、あたしはゆっくりと浮上していく。数種類の魚が一緒に着いてくる。見守ってくれているかのように。
「ぷはっ」
浮上し続けると、水面に顔を出せる空間があった。
「ここは、洞窟?」
岩場を足がかりにして、あたしは海から上がった。やはり洞窟のようで、どこかへ続いている。島のどこかに出るのだろうか。上の方から光が差し込む隙間がいくつかあり、そこには青空が見えた。やはり横穴から入った水中洞窟は、途中で縦方向に向きを変え、この陸上の洞窟につながっているようだ。
「島のどの辺になるのかな」
周りを見渡すと、あたしは何か光る物を見つけた。
「これって、あたしが落とした・・・?」
それは、四人で沢に行った時にあたしがなくしたネコのブローチだった。
「ここはあの沢の下?ひょっとしてみんながおかしくなったのと、この洞窟は何か関係が?」
そう思って浮上した水辺付近を中心にあちこちを見回した。少し行くと、何か石碑のような物が六つ立っているのに気が付いた。そのうち五つは石碑の手前に穴を埋めたような跡があった。残りの一つは穴が開いていて、人が入れるぐらいの大きさだ。埋めたら他の五つと同じようになりそうだ。これはいったい何なのだろう。疑問に思いながら石碑をよく見ると、名前が彫ってあった。
「ひっ!」
あたしは血が引くのを感じながら短い悲鳴を上げた。埋められた跡のそばにある石碑には、それぞれ
『新城航』
『上原時雄』
『渡辺登』
『宮村歩美』
『佐々木本子』
と刻まれていたのだ。
「石碑に埋められた跡・・・。これってまさか・・・」
お墓のようだと声を出す前にあたしの思考はストップしてしまった。最後の一つの石碑には、
『仲代ユカ』
あたしの名前を見つけたからだ。
「どういうこと?どうなっているの?なぜあたしの名前が?」
混乱した頭では答えは出るはずもない。地面に突っ伏したあたしは、何か妙な跡を見つけてしまった。
(あれも埋めた跡?こんなの台本にはないはずじゃあ・・・)
「仲代ユカ、そこにいるんだろ?」
誰かがあたしを呼びかける。その声にあたしは余計なことを考えるのをやめた。声は沢の方へとつながっているのであろう方向から聞こえた。足音が近づいてくる。一人だけじゃない、何人もいる。
「誰、誰なのっ?」
あたしは恐怖を感じ叫ぶ。返事はないまま足音は近づいてくる。光の差し込んでいる場所で声の主達が立ち止まり、顔が分かる。
「あなた達は・・・、登さん、歩美さん、時雄さん、本子さん?」
乱痴気騒ぎをしていたはずの四人がここにいた。わけが分からない。
「ふん、あんなやつと一緒にするな」
「そうよ、二度とその名前を言わないで」
四人がそれぞれ憎悪の表情を浮かべる。
「ユカ、最後だから今回のツアーの真相を教えてやろう」
「真相?番組のためにみんな集まったんでしょう?」
あたしは震える手を押さえながら精一杯反論する。
「そもそも番組自体がやらせだ。俺たちをこの無人島に集めるためのな」
「船長を兼任したプロデューサーもあたし達とグルよ」
「集められるのはお前達六人である必要があったんだ」
あの番組は偽物?あたしたち六人は何か黒い意図があって選ばれたの?だとしたらそれは何?あたしにはまるで理解できない。
「お前達六人は知らないだろうが、みな生き別れた双子がいる。それもお前達は裕福に暮らし、片方はひどい生活を強いられているといった共通点を持ってな」
「その不幸な方の双子があたし達よ」
「裕福な兄さん達は、その穴で静かに眠っているのさ」
「これからはあたし達が幸せな生活を引き継ぐから安心して休んでね」
四人の笑みが邪悪なものに見える。あたしと一緒に来た登さんや歩美さん達は、目の前にいる双子達に殺され、埋葬されたというのか。だからみんな変わってしまったのか。あたしはじりじりと後ずさっていく。
「待たせたな」
背後で水音と同時にその声がした。航さんの声だが、きっと本人ではなく双子の方だろう。水面から這い上がってきた彼は、上がってくるもう一人を手伝う。その一人がダイビング器材を外していくが、暗くてよく見えない。前からの四人、上がってきた二人に挟まれ、あたしは動けなくなった。前から後ろから、彼らが近づいてくる。
「ひっ!」
後ろを振り返った時、あたしは叫び声を上げた。あたしがいたのだ。外からの光に照らされた彼女の顔は、間違いなくあたしだった。彼女があたしの双子の・・・?だがあたしの思考はそれ以上続かなかった。代わりに腹部に鋭い痛みを感じた。彼女の手に握られたナイフが、あたしに突き刺さっていた。
「え?」
ナイフが引き抜かれた箇所から大量の血が流れていき、膝から崩れ落ちるのと同時に意識が遠くなっていく。彼女があたしの双子の?これからあたしと入れ替わって生きていくの?人を殺めてでもと思うほどのひどい生活だったの?薄れゆく意識の中で、あたしは過酷な人生を過ごしてきたのであろう彼女のことを思いやった。できるのならこれから手を取り合って生きていきたかった。それはできぬこととなってしまったが。
「ハナちゃんは、大切にしてあげて、ね・・・」
あたしの最後の言葉は彼女たちに届いただろうか。
第十四章 島での五日目。夜
「あたし達が恨みのあるのはそれぞれの双子だけ。ハナちゃんはちゃんと連れて帰るわよ」
誰かがそう言った。
「さぁ、最後の仕上げだ」
六人は協力して既に息をしていないユカを穴に埋めていく。他の五人と同じように。
「この宮来新島の洞窟がこの六人の墓標だ」
「そして我々六人の新たな人生の始まりの地だ」
六人はそう言って一礼すると、洞窟から出ていった。ユカがつけていたネコのブローチだけが、寂しげに月光を反射していた。
閉幕
「お迎えに来ました!首尾はどうですか?」
船長兼プロデューサーの問いかけに
「無事にミッション完了、だ。ありがとう」
と答える六人のうちの一人。他の五人も荷物を積み込みながら笑顔をプロデューサーに向ける。
「ではこれから以前お配りしたタブレットの新しいパスワードをお教えします。この島で眠っている彼らの生活、仕事、趣味など詳細なデータにアクセスできるようになります。これからの入れ替わり人生で支障が出ないよう、しっかりと頭に入れておいてください」
プロデューサーが六人を見渡して言う。
「私が協力できるのはここまでです。これからはみなさんが自分の人生を切り開いていってください」
グッドラックとつぶやき、クルーザーのエンジンをかけた。
「それでは出発します。みなさんの人生を変えてくれた宮来新島に敬礼!」
そう言われ、六人は宮来新島と、そこに眠る六人に向かって敬礼をした。ハナちゃんだけは寂しそうにうずくまっていた。もうリードは繋がれていないのだが、まるで動こうとしなかった。
「これからのことを考えると、あたしたちが会えるのは今日で最後にした方がいいんでしょうね」
「そうだな、何かの拍子でぼろがでるといけないからな」
「大きな仕事を成し遂げた仲間だから、会えなくなるのは寂しいけど、仕方ないわね」
「そうだね。せめて港に着くまでの時間をしっかりと味わおう」
六人は飲んだり食べたりしながら、これからの生き方について語り合った。既にあの島でのことは忘れ去ったかのようだった。
「もうすぐ港に着きます!みなさん下船の準備をお願いします!」
「とうとうお別れだね」
「全員が幸せに過ごすことが一番さ。そのためには、割り切ることも必要さ」
「いい第二の人生を!」
そう言って六人が手を取り合った時、ハナちゃんがいきなり海に飛び込んだ。呆然とする六人をよそに、ハナちゃんは泳いで海へと向かっていく。ハナちゃんは意外と泳ぎが速いうえにうまく波に乗れたようで、入港のためにスピードをかなり落としているクルーザーからかなり離れた。ハナちゃんがクルーザーの方を振り返ると、その上空には真っ黒い雲が発生していた。
「ドンッ!」
一筋の閃光とともに、黒雲からの稲妻がクルーザーを直撃した。とてつもない破壊力で、クルーザーは木っ端みじんになった。乗っていた六人とプロデューサーはほとんどが感電死し、かろうじて生きていた者も体が動かないため、クルーザーとともに海へ沈んでいく。
「あと少しで、第二の人生が幕開けするところだったのに・・・」
「これはあの島に眠る六人の意思なのか・・・」
「入れ替わり殺人はできたのに、勝者はいないのか・・・」
クルーザーは炎上しながら、彼らとともに沈んでいった。
その様子を砂浜にたどり着いたハナちゃんだけが見送っていた。事件の真相を知っているのは、ハナちゃんだけだった。
「入れ替わり殺人劇」
- 完 -
『終わりに』
エンドロールが流れ終わり、幕が下りると大きな拍手が劇場に鳴り響いた。「入れ替わり殺人劇」の試写会が終わったのだ。
「仲代ユカ役を演じさせていただきました。ミステリー物に出演させていただくのは初めてだったのですが、みなさんに支えられて楽しく撮影できました」
「わんっ!」
ハナちゃん役の華子が忘れないでねと言わんばかりに声を上げる。
「うん、ハナちゃんもありがとうね」
映画の中でも、映画を離れても仲良しのようで、雑誌記者や評論家達の顔もほころぶ。
「監督、試写会を終えて、みなさんの反応を見てどうですか?」
「手応えはありましたか?」
「先に一人で宮来新島に行って、数日間島を見て回ったかいはありましたか?」
矢継ぎ早に「入れ替わり殺人劇」を撮った映画監督に質問が投げかけられる。だが、彼の口から出てくるのは、
「えぇ」「まぁ」「そうですね」
と言ったつれない返事ばかり。
「撮る前は饒舌な人だったのにね」
「出来映えが気に入らなかったのだろうか」
「体調が悪いのかな」
監督の対応に疑問を持ちつつも、実績があるために目立った批判は聞こえない。
そんな様子を見て仲代ユカを演じた彼女はつぶやいた。
「あの人、変わったよね」