思い出した前世。ここは乙女ゲームの世界
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うっすらと意識が戻りつつある中。断片的に残る、最後の記憶を手繰り寄せた。
……そうだ。
今朝、出社する前にお母さんが用意してくれた、みそ汁と焼き魚。それを見なかったことにした。
「……お母さん、ごめんなさい」
寝坊した私が慌てて家を飛び出したせいで、突っ込んできた車にひかれ、伊東湊の体は宙を舞ったのだ。
……体中が痛い。
こんなことなら、お母さんのごはんを食べるべきだった。
そんな気持ちから、自然と謝罪の言葉が口をついた。
だけど、……ここはどこ。
病院にしては、随分と立派なベッドだ。
30歳。勤める会社は、そこそこ大手と言っても、経理担当の係長でしかない私が病院の特別室に入院……?
これでもかというほど、フリルいっぱいの天蓋。……特別室だとしても、おかしいでしょう。
……どういうこと?
全く腑に落ちない私は、周囲を見回す以前に違和感を覚える。
視界に映る、自分自身の髪色。
それが、あり得ない程に美しい金髪なのだ。
真面目で従順。それを買われて同期の中で、一番初めに係長になった。
生まれた当時のまま、手を加えていない自然体の日本人。
そんな私が、こんなにお洒落な髪色のはずがない。
あまりの驚きで飛び起きれば、全身に衝撃が走る。
「痛ーっい」
我慢できずに叫び声を上げるが、車にはねられたのだから、痛いのは当たり前だろう。
「アリアナお嬢様、無理に体を起こしてはいけません。お手伝いいたします」
「……はぇ?」
それは、私に言っているのか?
もしかして、後ろに誰かいるのだろうか? と思い周囲を見渡すけれど、この人物が声を掛けたのは、私で間違いないようだ。
「あ、あのう。鏡を見たいのですが、取っていただいてもいいですか?」
「そう言うと思って、ちゃんと持っていました。でも、そんなに改まって、どうかしましたか? 夜会のことは、あまり思い詰めない方がよろしいですよ。お客様も来ていますし、ふふふっ」
「……夜会」
全く意味が分かりません。
20代くらいのメイド風の格好をした、見覚えのない女性。彼女が差し出した手鏡を覗き込んだ途端、私は悲鳴にも近い驚愕の声を上げた。
「悪役令嬢、アリアナ!」
絶世の美人が鏡に映り、困惑を隠せない。
「ど、どうしたんですか、ご自分を悪役だなんて。お優しいお嬢様には似合いませんよ。派手に階段から落ちたけど、幸い顔に傷はなくて良かったですね」
混乱の最中に、言葉なんて出せそうもない……。
バクバクする心臓の鼓動を感じる私は、とりあえず、こくんと頷いておく。
明るい黄緑色。まるで美しい宝石、ペリドットのような瞳。
それに何と言っても、手入れを怠っていない、艶々と輝く長い金髪。
私が、お金をつぎ込みプレイしていた乙女ゲーム、『甘いマスクの覇者』に登場する、悪役令嬢アリアナで間違いない。
……と言うことは、日本で暮らしていた湊は、車にひかれて死んだのか……。
1人きりになった母は、娘が死んで泣いていただろうに。
そんな前世を知らないまま、このゲームの世界で新たな生を受け、暮らしていたようだ。
少しずつ記憶が繋がった私は、こちらの世界の記憶も思い出してきた。
18歳の侯爵家の長女。『アリアナ・バーンズ』は昨日の夜会で、侯爵家嫡男のルーカス・ゲルマンから、婚約破棄を言い渡されたのだ。
それも私の父の承諾付きの、確定事項の状態で。
そして彼は既に、私の親友で、彼にとっても幼馴染の1人。シャロン・ハエック男爵令嬢と婚約していた。
アメジストのような紫色の瞳のシャロン。
彼女は、くるくるのシルバーの髪が何とも可愛らしい「甘いマスクの覇者」のヒロインだ。
これで、3年ほど前から悩まされた映像の謎が、やっと解消された。
今となっては、思い出せる全ての出来事に心当たりがある。
あれは、茶髪に淡い青色の瞳、ルーカス・ゲルマン侯爵令息の好感度を上げるためのイベントだ。
……信じられないことに、悪役令嬢のアリアナである私が、シャロンを守るために未然に危機を防いできた。
そのせいで、シャロンの好感度を上げるイベント、その全てが発生していない。
昨日、シャロンが誇らし気に話した、ルーカス様とシャロンが2人で海へ行く計画。
それは、ルーカス様の体が怪我のせいで不自由になっても、シャロンは献身的に彼を支え続ける。
そんな彼女へ、ルーカス様が愛を深める最後のイベントだろう。
だけど、私の頭の中に流れた階段落下の映像……。
確か、……、そうだ。
あれは、ルーカス様のイベントではない。
湊も、プレイ中に表示されず仕舞いで、予告映像しか知らない、『ブライアン・クロフォード公爵』との出会いイベントだ。
金髪に、サファイアのような深い青色の瞳。25歳の若き公爵様。
彼は公爵としての立場のほかに、王城騎士団長も務めている文句なしの存在だ。
あの乙女ゲームでは、王太子を攻略しても、常に後継者争いに巻き込まれ、気鬱の日々が待っている。
けれど、ブライアン・クロフォード公爵様だけが、順風満帆な人生を送れる攻略対象なのだ。
あのゲームで選ぶべき対象は1人だけ。
だけど、その攻略が桁違いに難しい。
たとえ出会っても、生半可な娘にはなびかない、クロフォード公爵様ルートの始まりだ。
そもそも彼が隠しキャラのせいで、階段落下のイベントさえ表示されない。
そこに辿り着きたい一心で、湊だった私はお金をつぎ込んでいたのだから。
隠しキャラを出すには、ルーカス様ルートで、彼との好感度を少しも上げずに婚約者になる。
どう考えても、そんな裏技的なことはあり得ない。
ルーカス様と恋に落ちることなく、どうやって婚約者になれるというのだ。
彼のルートを熟知するほどに、やり込んだが、……結局出てこなかった。
……茫然自失の私は、握ったままになっていた鏡を、そっと布団の上に置いた。
すると、上質な肌掛けの上に、雫が小さな音を立てて落ちた。
ただ静かに込み上げる悲しみ。
そのせいで、自分が泣いていることに、気付きもしなかった。
ルーカス様が私に向けてくれた笑顔は偽りだった。それに幸せを感じていたなんて……。
一度意識し始めると、とめどなく涙がこぼれてくる。
「お嬢様……。そんなに泣いては、お客様に会う前に目が腫れてしまいますよ。もう、泣き止んでください」
そう言う彼女に、私は強引に涙を拭かれた。
部屋に入室を求める大きな音が響く。
それと同時。さも当然のように入ってきたのは、水色のデイドレスを着たシャロンだ。
客人とは彼女のことか……。
過去の自分が彼女に向けて、気兼ねは要らないと言ったことに、後悔しかない。
シャロンへ掛けるべき言葉が見つからず、何も言わない私へ、彼女が誇らし気に話し出した。
「これから、ルーカス様と海に行くから、話の種になると思って、見舞いに来てあげたわよ。そうしておけば、あんたを心配する優しい女に見えるでしょう」
「シャ、シャロンどうしたの? 何かあったの……」
「別に。とっても清々しいから教えに来てあげたのよ。あー、せいせいした。ずっと、あんたのことが大嫌いだったの。侯爵家で何不自由なく暮らして、優しい美人。その上、優しくてカッコいい婚約者まで手に入れて、あたしを馬鹿にするように、自慢するんだもん」
「そんなつもりではなかったけど、……シャロンがそんな風に思っていたなんて、ごめんなさい」
「その話し方も全部いやなのよ。あたしのことを『はしたない』って説教ばっかりして。知ってる? あんたが無様に階段から落ちた時、ドレスのスカートが捲れて下着を見せて倒れていたのよ。大勢の人の前で醜態を晒して、大笑いだったわ。いい気味。これでこの先ずっと、あんたは社交界の笑い者よ、キャハハッ」
シャロンの文句は、彼女がルーカス様に必要以上に触れるから、私がそれを注意したことだろう。
「男爵令嬢。アリアナお嬢様はまだ体調がすぐれないので、この辺でお引き取りを!」
「いや、ちょっとまだ話は終わってないわよ!」
私より先に怒り出した侍女が、シャロンの背中をぐいぐいと押して追い出した。
昨夜の夜会。私はどんな格好で意識を失ったのだろうか……。
あのときは、ルーカス様を助けるために無我夢中だったし、最後は全く覚えていない。
それに結局のところ、湊は公爵様のルートを出せなかったのだ。
ゲームの中のシャロンがどんな格好で落ちるか知るわけもない。
もし、階段に落ちたのが、シャロンだったら……。彼女はブライアン・クロフォード公爵様と過ごす未来に、なっていたのだろうか。
あれ……、隠しキャラルートが出現したということは、シャロンはルーカス様を完全に落としていないのか?
……まあ、どちらにしても婚約破棄を告げられた、悪役令嬢の私には何の関係もない話だ。
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